小松耕輔関連略年譜

『音楽の花ひらく頃』にもとづく

本略年譜は、小松耕輔著『音楽の花ひらく頃 ― わが思い出の楽壇 ― 』(音楽之友社[音楽文庫38] 1952 442p.)にもとづいて作成したものです。

第1回は2001年9月29日、明治17(1884)年から明治44(1911)年までを、第2回は2001年11月15日、大正元(1912)年から大正9(1920)年9月24日までをまとめました。まだ続きます。


月日 事項 ページ
M17(1884) 12月14日 小松耕輔、秋田県に生まれる p.3
M32(1899) 4月 アウグスト・ユンケル東京音楽学校教師として招聘される p.19
M34(1901) 2月 小松耕輔、上京 p.7
6月 小松耕輔、東京音楽学校選科入学 p.8
M35(1902) 9月 小松耕輔、東京音楽学校豫科入学 眼病悪化 p.9
10月5日 東京音楽学校記念祝賀会
   宮脇せん独唱、青木皃(はじめ)独唱
p.10
M36(1903) 4月25日 幸田幸子嬢帰朝歓迎会 p.10
5月1日 [東京]音楽学校春季音楽会 p.10
6月6日 音楽会 p.10-11
7月12日 小松耕輔、帰郷 p.11
7月23日 グルック《オルフォイス》上演(於・東京音楽学校奏楽堂) p.13-14
9月7日 小松耕輔、秋田をたって東京へ向かう p.12
9月9日 小松耕輔、東京着 p.12
9月10日 小松耕輔、引越し(下谷区上野桜木町、翠松館という下宿) p.12
9月11日 小松耕輔、東京音楽学校本科1年に進級
   ヘルマン・ハイドリッヒにピアノと作曲を師事
p.12
9月25日 唱歌学校演奏会(本郷・中央会堂 --- 1952年当時のキリスト教会館か?) p.14
10月20日 再び引越し(下谷区練堀町の病院の近く) p.15
12月5日 東京音楽学校秋季音楽会 p.15
M37(1904) 2月20日 音楽会 p.24
2月23日 『音楽新報』発刊 p.22
3月2日 小松耕輔、「征露歌」脱稿と日記に記す p.24
3月5日 音楽会[ユンケル(ヴィオラ)、ハイドリヒ(ピアノ)、幸田幸子(ヴァイオリン)] p.24-25
3月6日 小松耕輔、上田敏と小山作之助を訪問。この頃から、両氏と交渉を持つ p.25
3月8日 清元延寿太夫[四代目、当時は延寿翁]没。享年73 p.26
3月9日 東儀季芳(篳篥の名手)没。享年67 p.26
3月18日 豊澤廣助[三弦の名手]没 p.26
5月21日 恤兵慈善音楽会(日本音楽会主催)、東京音楽学校奏楽堂で?
   主なプログラム//ウェーバー:ピアノ・ソナタ(橘糸重)、ウィニアフスキー:ロマンス、同:マズルカ(幸田幸子[vn])、リスト:交響詩「オルフォイス」(幸田延、ケーベル[pf])
p.27
5月29日 第2回恤兵野外音楽会(日本音楽会による)、小石川植物園で、13:30より
   ・唱歌隊[=合唱団]を組織して、『王師遠征歌』集に収められた十数曲を演奏
   ・『王師遠征歌』は共益商社楽器店から発売された
p.27
9月 音楽遊戯協会、神田区錦町に移る
   ・音楽新報社も上記住所に移る
   ・『音楽新報』編集所を、小松耕輔の住所[下谷区練堀町36番地]に移すことにした
p.28
12月3日、4日 音楽会、東京音楽学校で
   【プログラム】バッハ:プレルーディウム、同:コラール、同:フーゲ、マイヤーベーア:戴冠式行進曲/ブラームス:子守唄[旗野十一郎 作歌]、フレミッシュ民謡「雲雀」[小野竹三 作歌]<以上2曲合唱>、以下略
p.28-29
12月 永井健子、フランスより帰国 p.29
M38(1905) 1月11日 旅順陥落祝棲音楽会(神田・青年会館で。明治音楽会主催) p.29-30
1月23日 音楽会(横浜山の手にあるパブリック・ホールで。ハイドリヒ主催)・出演者、演奏曲目[本文を参照のこと]、午後9時開演 p.30
2月11日 軍隊慰問の大演奏会(キリスト教青年会館で)
   ・出演者、演奏曲目略
p.30-31
2月25日、26日 祝棲音楽会(東京音楽学校奏楽堂で。東京音楽学校学友会 主催) p.31
3月18日、19日 東京音楽学校春季演奏会 p.31
8月 『音楽新報』8月特別号「海音」(うみのね)発行
    発禁(表紙画 カール・マール「黄昏の女神」を用いたため
p.32
8月1日 日比谷公園音楽堂開堂式第1回奏楽(永井健子指揮/[陸軍軍楽隊?] p.38
8月12日 第2回奏楽(日比谷公演音楽堂。吉本光蔵指揮/海軍軍楽隊) p.38
10月1日 音楽遊戯協会講習所、日本音楽学校と改称(校長:山田源一郎。神田区錦町3−11)。日本初の私立音楽学校。まもなく男女共学を禁止され、女子音楽学校と改称。 p.42
? やや遅れて、神田裏猿楽町6に、東洋音楽学校(校長:鈴木米次郎)できる p.42
M39(1906) 1月27日、28日 モーツァルト誕生百五十年記念音楽会(東京音楽学校学友会主催) p.43-44
1月  『音楽新報』1月号、モーツァルト記念号として出版 p.44
2月19日 文芸協会発足。午後3時より発会式(芝の紅葉館) p.44
2月24日 大音楽会(東京音楽学校奏楽堂で)。国賓コンノート殿下を招いて p.46
3月20日 朗読と音楽の会(神田基督教青年会館、自由文芸協会主催)
(この頃、詩壇では詩の朗読会が盛んになった)
p.46
3月22日 ボヘミアン四部合唱団演奏会(神田・青年会館)
(この頃、歌劇熱に刺激されて音楽新報社においても歌劇の研究を行うこととなり、楽苑会を組織し、第1回公演を催すこととなる)
p.46
7月7日 小松耕輔、東京音楽学校本科卒業(卒業式と卒業演奏会) p.51
9月 小松耕輔、東京音楽学校研究科に入学 p.51
9月3日 小松耕輔、学習院より講師の辞令がおりる
   卒業の少し前、下田歌子、山田源一郎を通じて学習院から招聘を受けた。音楽学校研究科への通学はよろしいとの条件付
p.53
9月11日 小松耕輔、転居(本郷1−6) p.65
10月15日 小松耕輔、森歐外に初めて会い、出版する『羽衣』(楽譜)の序文を依頼。 p.49
10月24日 島崎赤太郎、4年間のドイツ留学を終え帰国、歓迎会(上野・精養軒) p.51
11月 小松耕輔の『羽衣』(ピアノ・スコア)、神田の修文館から出版。源高湛(みなもと たかしづ)こと森歐外の序文つき p.49
11月10日 文芸協会、第1回公演(歌舞伎座)
   「桐一葉」、「ヴェニスの商人」、新楽劇「常間」(小松耕輔作曲)
p.53-54
12月10日 神部絢子(かんべ あやこ、東京音楽学校助教授)、文部省よりピアノ研究のためフランス留学を命じられる p.55
M40(1907) 3月9日 帝国音楽会、発会式(中坂下ユニヴァーサリスト協会、九段)
   東京音楽学校卒業生が中心。発起人、会長、顧問、他に主な出 席者。この会は隔月くらいに音楽会を開いて、約7〜8年続いた
p.56
4月13日、14日 楽苑会第2回歌劇大会(牛込高等演芸館)。
   この中の歌劇「霊鐘」は、小林愛雄の作詞に小松耕輔が作曲した。
p.58-61
* この頃から浪花節が流行りだした
* 東京音楽学校校長に湯原元一
8月3日 全国音楽家懇親会(上野・精養軒 午後4時から) p.62-63
9月16日 〜5日間、イギリスのバンドマン喜歌劇一座来日(神田の青年会館で興行) p.64-65
9月17日 同日付で、東京音楽学校に邦楽調査掛が設置される掛設置のいきさつ、任命された掛員 p.63-64
* これより先、鈴木米次郎は東洋音楽学校を興し、自ら校長となる p.65
10月12日 小松耕輔、転居(本郷区湯島新花町5番地) p.65
11月19日 帝国音楽会、秋季音楽会を神田の青年会館で催す p.65
12月14日、15日 東京音楽学校演奏会 p.66
12月21日 東京音楽学校邦楽調査掛による第1回邦楽演奏会 p.66
M41(1908) 1月 明治41年1月号より、山田源一郎の『音楽新報』と山本正夫の『音楽』が合同、『音楽界』と改題して発行される(参考:『音楽』の誌名変遷も) p.67
4月11日 今上陛下、皇孫殿下として学習院初等科に入学。小松耕輔、唱歌科の教授担任を命じられる p.67
6月6日、7日 東京音楽学校、演奏会 p.72
6月11日 小松耕輔、学習院講師から助教授に任命された p.74
6月16日 旗野十一郎(東京音楽学校、国語教師)没 p.72
9月9日 山勢松韻(箏)没、64歳 p.73
11月28日、29日 東京音楽学校演奏会 p.73
* この年、都下諸学校の演奏会さかんになる p.73
12月13日 明治音楽会第50回演奏会 p.73
* 邦楽界で美音会が生まれ、演奏会開催 p.73
* 日比谷公園の音楽会、人気高まる。
   陸軍軍楽隊では永井楽長の発意で、弦楽器を加えることとなった
p.73
M42(1909) 1月30日 クワルテット演奏会(神田・青年会館)。
   多久寅、川上淳、大塚淳、山田耕筰、萩原英一らによって組織された
p.75
2月? 『音楽界』2月号、ショパン西端100年記念号発行 p.74
* この頃、海軍軍楽隊でも弦楽を入れることとなり、一部隊員が弦楽研究のため東京音楽学校に派遣される p.74
* 文芸雑誌『明星』廃刊、新たに『スバル』が生まれた p.75
4月25日 ハンカ・ペツォールド演奏会(東京音楽学校で) p.76
5月 ルドルフ・ロイテル、東京音楽学校ピアノ教師として着任 p.77
6月12日、13日 東京音楽学校例会演奏会。ルドルフ・ロイテル着任後初の演奏会 p.77
8月25日 富士絶巌大音楽会
加藤長江の発案、加川琴仙が世話人、永井健子を団長格にし、総員約70余名
p.77-78
* この頃、小松耕輔、帝国音楽会の会長と長野、上田、高山、秋田、青森、盛岡、仙台に演奏旅行 p.78
9月 小松耕輔、東京音楽学校研究科ピアノ科修了 p.78
11月24日 ルドルフ・ロイテル ピアノ・リサイタル(有楽座で) p.78
* この頃、小松耕輔、最初の編著というべき『名曲新集』を松本楽器店より出版 p.78
* この年、二人の外国人ヴァイオリニストが来朝1)ジョルジュ・ヴィネッティ2)レオポルド・プレミスラヴ p.75-76
M43(1910) * 音楽教育会、成立。機関誌として「音楽界」を用いることになる p.79
* この頃、十字屋がプレーヤー・ピアノを日本で一手販売した(十字屋では、これをクラウン・ピアノと呼んだ) p.79
1月 東京音楽学校楽友会、雑誌「音楽」を発行
   始め隔月発行、のちに毎月刊となり、大正9(1920)年まで続く。牛山充の編集の功績、大。
p.80
2月24日 山田耕筰、岩崎小彌太の後援でドイツに留学(出発) p.80
3月19日 日英博覧会に永井健子を指揮者として35名の選択メンバーを派遣 p.80
3月20日 山田耕筰、ベルリン到着 p.80
4月2日 小松耕輔、本多廣子と結婚(日比谷・松本樓で) p.83
4月3日 フィルハーモニー・ソサエティ発会演奏(東京音楽学校奏楽堂で) p.80
9月30日 大和田建樹、没 p.81
* 音楽奨励会、誕生。主に貴族階級で構成 p.81
10月23日 音楽奨励会、第1回演奏会。 p.81
11月4日 多久寅(おおの ひさはる)の留学命令が「官報」に載る p.81
12月1日 日英博覧会に派遣した軍楽隊(この年の3月19日出発)、神戸に帰国 p.81
M44(1911) 1月4日 多久寅と、ピアノ研究のため自費で留学する萩原英一がベルリンに向けて出発 p.84
1月23日 大歌手エンマ・カルヴェ夫人が横浜に到着。演奏会は実現せず。 p.84
3月26日 海軍軍楽隊(瀬戸口藤吉楽長)、英国皇帝戴冠式に参列のため渡航 p.85
4月1日 小松耕輔、転居(本郷弓町2丁目22番地) p.85
6月29日 伊澤修二先生還暦祝賀会(東京音楽学校で) p.85
* 帝国劇場、楽長に竹内平吉、歌手に柴田環をむかえる p.85
9月21日 湯原元一(東京音楽学校校長)、欧米視察に出発 p.86
9月30日 帝国劇場、新作オペラ《胡蝶の舞》上演 p.86
* この頃、梁田貞の作曲に小松耕輔が作詞した『隅田川』が出版された p.86
* アドルフォ・サルコリが東京に到着 p.87
12月6日 東京フィルハーモニー演奏会(帝国劇場) p.87
T01(1912) 1月4日 文芸大会(読売新聞社主催 於・紅葉館) p.88
1月5日 小松耕輔、藤澤古雪とともに田中正平を訪問 p.88
2月 帝国劇場、歌劇《熊野》上演(杉谷代水作詞、ユンケル作曲) p.89
4月1日〜5月  白木屋呉服店養成の少女音楽団、歌遊び《うかれ達磨》上演(白木屋呉服店内余興場) p.89
6月 帝国劇場、歌劇《釈迦》(松尾松葉脚本 ウェルクマイステル作曲)上演 p.89
7月30日 明治天皇、没 p.89
9月13日 明治天皇御大葬。同日、乃木大将夫妻殉死(自殺) p.90
* 吉丸一昌作詞、小松耕輔作曲《乃木大将の歌》を公にした p.91
11月30日、12月1日 ユンケル先生送別演奏会(東京音楽学校奏楽堂) p.91
12月1日 ユンケル氏送別音楽会(帝国劇場) p.91
T02(1913) 1月2日 グスタフ・クローンがユンケルの、ショルツがロイテルの後任として東京に到着 p.91
2月23日 東京フィルハーモニー第10回演奏会(東京音楽学校) p.91
3月10日、11日 帝国音楽会第10回記念演奏会(有楽座) p.92
5月 高折周一、寿美子夫妻および巖本セイ治、アメリカより帰国 p.91
5月 『音楽』(東京音楽学校楽友会)5月号、「ヴァーグナー気年号」として刊行 p.92
5月22日 ヴァーグナーの百年祭記念演奏会(東京音楽学校) p.92-93
* この頃、帝劇を去った柴田環の人気は下火となり、竹内うめ子、薗部房子、中島かね、樋口信平などが有名になりつつあった p.93
6月7日、8日 東京音楽学校春季演奏会。クローン初登場 p.93
6月 帝国劇場、モーツァルトの《魔笛》上演 p.93
7月31日 小松耕輔、船橋栄吉、東儀哲三郎、大和田愛羅、満州旅行に出発。夏休みを利用して演奏旅行(満洲鉄道より誘いあり) p.94
8月7日 竹内うめ子(アルト歌手)、急病のため死去(23歳) p.93
9月 帝国劇場、《マスコット》上演 p.93
9月19日 この日より100日間、芸術座第1回公演としてメーテルリンクの《室内》と《モンナ・ワンナ》 p.94-95
10月30日 芸術座音楽会第1回演奏会。第一部は日本人の新作、第二部は名曲 p.95
11月29日 メーレンドルフ(女性ヴァイオリン奏者)、帝国ホテルで独奏会 p.95
12月6日、7日 東京音楽学校秋季音楽会。この日初めて奏楽堂に電燈の設備が準備され点火された p.96
12月14日 東京音楽学校で邦楽演奏会。各流の古曲演奏 p.96
T03(1914)年 1月16日 山田耕筰、帰国し東京に戻る。つづいて多久寅、萩原栄一も帰国 p.97
2月 帝国劇場、ドニゼッティの《連隊の娘》上演 p.97
2月23日 山田耕筰、未来社同人が発企した歓迎会で自作を発表 p.97
4月2日 皇太子、学習院初等科卒業 p.97
4月 宝塚パラダイスの温泉場で少女歌劇第1回公演 p.99
5月20日 柴田環、医学博士・三浦政太郎と結婚し、ともにベルリンに遊学するため新橋を出発 p.97
6月 バンドマン喜歌劇団再来日、帝国劇場で上演 p.99
7月4日 グルック二百年記念音楽会(東京音楽学校学友会主催) p.97
7月28日 小松耕輔、東儀哲三郎、大和田愛羅、帯広から富山まで演奏旅行開始 p.97-98
8月10日 小松耕輔ら、演奏旅行を終え帰京 p.98
10月 帝国劇場、オッフェンバックの喜歌劇《天国と地獄》上演 p.98
11月 帝国劇場、ベッリーニの《夢遊病の女》上演 p.98
12月 本居長世、自作の小歌劇《夢》とお伽歌劇《月の国》を白木屋演芸場で上演、好評を博す p.99
12月6日 東京フィルハーモニー会第14回演奏会。山田耕筰、自作を指揮 p.99
* この年、第一次世界大戦勃発、恤兵音楽会が催されるようになる p.100
T04(1915) 1月14日 近藤朔風(逸五郎)死去、享年36。 p.100
3月 雑誌『音楽と文学』誕生 p.102-103
3月 この頃、音楽普及会を組織(小松耕輔、発起人中の一人)。定期の音楽演奏会を開き、できるだけ安い入場料で入会できるようにする p.101
3月 帝国劇場、ブランケットの《古城の鐘》(=《コールネヴェーの鐘》)上演 p.103
4月18日 音楽普及会第1回演奏会 p.102
5月15日 この日から3日間、ロシア声楽団スラヴィンスカヤ一行37名、帝国劇場で演奏会 p.103
5月19日 原信子(帝国劇場洋楽部)、横浜からアメリカへ向け出帆 p.103
5月23日 東京フィルハーモニー会管弦楽部が組織され、第1回演奏会 p.103
5月27日 帝国劇場、オッフェンバックの喜歌劇《戦争と平和》(ブン大将)上演 p.103
6月27日 東京フィルハーモニー会管絃学部第2回演奏会 p.104
8月 『大正幼年唱歌』(目黒書店)第1巻、第二巻刊行[幼稚園、小学校等における唱歌について葛原繭、梁田貞、小松耕輔の3人で研究。これは、その最初の成果] p.104
9月 帝国劇場、スッペの喜歌劇《ボッカチオ》上演 p.105
9月8日 永井建子、停年で陸軍軍楽隊長を退く p.104
11月10日 大正天皇、即位の大典 p.105
* この頃、三浦環がアメリカで名声を上げる p.105-107
12月7日 徳川頼貞、イギリスより帰国 p.108
12月12日 東京フィルハーモニー会音楽会(帝国劇場)。大礼奉祝の意を込める p.107
12月21日 音楽普及会第6回例会(=大礼奉祝音楽会) p.108
12月23日 東京音楽学校御大礼奉祝音楽会(奏楽堂) p.107-108
T05(1916) 1月22日 ベルソン[ヴァイオリン](帝国ホテル) p.109
1月30日 山田アーベント開かれる(華族会館  音楽奨励会主催) p.109
* この頃、東京フィルハーモニー会解散 p.110
* この頃、十日会ができる。楽界の有志が集まる社交クラブのようなもの p.110
2月 小松耕輔、『御詠唱歌集』改訂第四版刊行(十字屋) p.111
3月7日 吉丸一昌死去、9日に葬儀 p.112
3月25日 東京音楽学校、卒業式および卒業演奏会 p.112
4月12日 小松耕輔、東京外国語学校フランス語専科(夜学)に入学 p.116
4月23日 小倉末子、ドイツより帰国(まもなく東京音楽学校教官となる) p.112
4月23日 鎌田倉之助死去 p.116
5月26日 東京音楽学校春季音楽会 p.116
7月13日 上田敏、葬儀 p.116
7月21日 この日から8月14日まで、小松耕輔、東儀哲三郎、大和田愛羅、北海道地方の演奏会に出発 p.117-118
8月8日 山葉寅楠(日本楽器製造会社社長)死去 p.119
8月14日 この日から8月31日まで、小松耕輔、那須温泉に滞在 p.118
9月27日 立太子式奉祝唱歌の選(偕楽園  博文館依頼) p.119
10月 ローシー、赤坂見附のローヤル館で《天国と地獄》上演 p.119
11月3日 立太子礼奉祝の儀式(学習院) p.119
11月 ローヤル館《マダマンゴーの娘》上演 p.119
11月16日 皇后、東京音楽学校に行啓 p.120
11月19日 音楽普及会第16回演奏会(=立太子礼奉祝演奏会)(本郷追分キリスト教青年館) p.120
12月 ローヤル館《クリスピノと妖精》上演 p.119
12月10日 夏目漱石死去 p.120
T06(1917) 1月 ローヤル館《小公子》上演 p.125
1月31日 音楽普及会第18回演奏会 p.121
3月 ローヤル館、オッフェンバックの《美しきヘレナ》上演 p.125
3月24日 東京音楽学校卒業式 p.121
4月 ローヤル館、《ボッカチオ》上演 p.125
4月29日 小松耕輔、北原白秋の「芭蕉」に作曲し、脱稿 p.121
5月 ローヤル館、《ブン大将》上演 p.125
5月1日 伊澤修二、死去 p.121
5月15日 鳥居忱、死去 p.121
5月26日 小松耕輔、弘田龍太郎、梁田貞、近藤義次が作曲研究会をつくる p.121
5月26日 東京音楽学校音楽会 p.123
5月27日 小松耕輔、廣川松五郎と北原白秋を訪問(初対面) p.122
5月31日 小松耕輔、森鴎外の「沙羅の木」に作曲し完成 p.122
* 湯原元一、東京音楽学校を去り東京女子高等師範学校校長に。東京音楽学校校長の後任は、茨木清次郎(文部省督学官) p.123
8月1日 この日から8月21日まで。小松耕輔、那須温泉で過ごす。ピアノ小品《鬼火》やプレリュードは、この時期の作品 p.123
10月 ローヤル館、《カヴァレリア・ルスティカナ》上演 p.125
10月6日 富尾木知佳、死去 p.123
10月13日 山田耕筰作品演奏会(本郷追分帝大キリスト教青年館) p.124
10月30日 小松耕輔、明治座に『生ける屍』を見に行く p.123
11月 ローヤル館、《セヴィラの理髪師》上演 p.125
12月 ローヤル館、《マスコット》上演 p.125
12月7日 小松耕輔、ローシーより《椿姫》の訳詞を依頼される p.124
12月17日 山田耕筰、アメリカに向け出発 p.127
12月30日 小松耕輔、《椿姫》の訳詞を脱稿、ローシーに届ける p.124
T07(1918) 1月 ローシー館、《シンデレラ》上演 p.125
1月15日 小松耕輔、ドニゼッティの《レリジール・ダモーレ》の抄訳を附す p.127
2月2日 ローヤル館、小松耕輔訳の《椿姫》の上演開始 p.127
2月17日 ペツォード夫人独奏会(東京音楽学校  音楽奨励会主催) p.127
2月17日 柳兼子独唱会(午後7時より、本郷追分青年会館) p.127
* この頃、ピアノのザレスカ夫人(ポーランド)の演奏会がある p.128
3月7日 ザレスカ夫人、ショパンの夕(神田青年会館) p.128
* この頃来日した音楽家:ファンタナ(ヴァイオリン)、スカルスキー(ピアノ)、ゴアンキ(チェロ)、コロンボ(ヴァイオリン)、フェレッティ(バリトン) p.128
5月18日 ヴォグミル・シコラ演奏会(東京音楽学校奏楽堂) p.128
5月25日、26日 東京音楽学校春季音楽会[ベートーヴェン《第五交響曲》の初演] p.128
6月2日 雑誌『音楽界』第200号記念演奏会(神田青年会館) p.129
6月2日 ミシャエル・シャピロ(ヴァイオリン) アルフレッド・ミロヴィッチ(ピアノ)音楽会(帝国劇場) p.129
6月8日 ミシャエル・シャピロ(ヴァイオリン) アルフレッド・ミロヴィッチ(ピアノ)音楽会(帝国劇場) p.129
6月9日 ミシャエル・シャピロ(ヴァイオリン) アルフレッド・ミロヴィッチ(ピアノ)音楽会(帝国劇場) p.129
6月21日、22日 マリア・カリンスカヤ夫人 レオ・ボトルスキー合同演奏会(神田青年館) p.129
6月24日 アレクサンダー・スクラレフスキー演奏会(東京音楽学校 同校生徒のため 非公開) p.130
7月6日、7日 セルゲー・プロコフィエフ・ピアノ・リサイタル(マチネー、帝国劇場) p.130
7月14日 この日から7月25日まで。小松耕輔、演奏旅行。 p.131-132
8月7日 芸術座の上演予定演目(ハウプトマンの『沈鐘』)中の小唄2曲作曲 p.132
9月5日 芸術座、ハウプトマンの『沈鐘』上演。この日、初日 p.132
9月26日 モスコー・トリオ演奏会(帝国劇場) p.132
10月32日[ママ] 小松耕輔、文部省主催の展覧会を見に行く p.132
10月16日 山田耕筰、ニューヨークのカーネギーホールで自作演奏会開催 p.133
10月27日、28日 徳川頼貞による南葵文庫音楽堂開堂式および記念演奏会 p.134
T08(1919) 1月5日 松井須磨子、自殺 p.134
2月16日 第2回管弦楽音楽会(南葵楽堂) p.134
2月22日 小松耕輔、日本館より依頼された《フラ・デアボロ》の訳詞完成 p.135
3月1日 佐藤謙三(ヴァイオリン)演奏会(本郷青年館) p.135
3月25日 東京音楽学校卒業式および演奏会 p.135
3月30日 小松耕輔、日本館より依頼されたグノーの《ファウスト》の訳詞完成 p.135
* この頃、関西に官立音楽学校を作ろうとの意見がおこり、華族会館ほかで数回会議が行なわれた。文部省でも議論が起きたが、相談を受けた東京音楽学校校長が、それほど予算があるならこちらによこせ、と返事をしたそうだ p.135-136
5月16日 宮城道雄自作筝曲第1回演奏会。葛原繭に紹介される p.136
5月18日 ゲラルド・ザルスマン(バリトン)、東京音楽学校で同校生徒のための演奏 p.136
5月31日、6月1日 東京音楽学校演奏会 p.137
6月7日 ゲラルド・ザルスマン(バリトン)音楽会(神田青年会館) p.136
6月22日 山田耕筰氏歓迎音楽会(帝国劇場) p.137
7月20日 小松耕輔、小田原の北原白秋を訪ねる p.137
7月28日 小松耕輔、白秋の詩につけた「泊り舟」の作曲完成 p.137
9月29日 ピアストロ・ヴァイオリン独奏会(神田青年会館) p.137
10月5日 ショルツ・ピアノ独奏会(東京音楽学校奏楽堂) p.138
10月26日 作曲研究会第1回作曲発表演奏会 p.138
11月8日 子どものための音楽演奏会(本郷追分青年会館)[『大正幼年唱歌』12冊、『大正少年唱歌』4冊、計160曲より40曲を選んで演奏会] p.139
11月29日 ヘンリー・アイクハイム・ヴァイオリン独奏会(慶應ワグネルソサエティ主催) p.139
12月14日 南葵楽堂秋季演奏会 p.139
T09(1920) 1月24日 子どものための音楽演奏会(神田青年会館) p.140
* 信時潔、ドイツ留学を命ぜられ出発 p.140
* この頃、藤井清水、石川義一の作品が知られるようになる p.140
3月31日 日本作曲家協会発会式(万世橋のミカド・ホテル)[山田耕筰、近衛秀麿、石川義一が組織したが、うまくいかなかった] p.140
* 小松耕輔、学習院在職のまま、9月より欧米遊学することが決まる p.142
5月23日 小松耕輔送別大演奏会(午後1時より、帝国劇場) p.142
6月10日 石川義一作品発表演奏会(神田青年会館) p.142
8月31日 小山作之助、小松耕輔を訪ね、外遊について注意を与える p.143
9月16日 小松耕輔の送別会(日本橋の末廣で。友人) p.143
9月19日 小松耕輔、午後7時30分の汽車で東京駅を出発 p.143
9月24日 小松耕輔、神戸より丹羽丸に乗り込む p.144



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