ソワサント 2000 August

陶芸を始めたK子さんへの手紙 連載第9回

「マンション陶芸に伏兵あり」


 とんでもないことになってしまった。
5年間の単身赴任から東京に戻ることになり、それに伴なって、福岡のマンションにあった窯やロクロなどの陶芸関係のもろもろがどうなったかを話すつもりでいたのに。
 
 帰任して二ヵ月、いまだ電気窯に火は入らず、粘土にも触らない日々が続いています。こんなに長いあいだ粘土に触れないのは初めてのことで、イライラが嵩じて困ります。粘土に触ることがどれほど気持ちを落ち着かせてくれていたか、そのことに今あらためて気が付いたところです。

 なぜ、そんなことになってしまったのか。じつは去年の夏に、自宅のマンションから歩いて10分ほどのところに古いマンションを思い切って購入しました。今後陶芸を手放すことは考えられないから、とにかく福岡と同じことができる小さなマンションが手に入らないだろうか、と考えた。とにかく安い物件を、ということで不動産屋さんを当たってみた。五年の間に首都圏のマンションがこれほど値下がりしているとは知らず、値段は予想していた三分の一ほど。これなら資金的になんとかなるだろうと踏み切りました。間取りは福岡とおなじ2LDKで築27年という老朽物件。

 四月の晴れたある日、福岡から届いた荷物がこの部屋に運び込まれた。畳をあげたふたつの和室に、窯やロクロや陶芸関係のいっさいを入れて、LDKには机や本を入れた。これで福岡時代とおなじ、工房兼書斎が稼動するはずだった。ところが・・・。思わぬ伏兵は電気でした。

 K子さんにも、陶芸をやるならいつか自分の窯を持つことを薦めてきたのに、まさか自分が立ち往生することになろうとは・・・。マンションの場合は、とにかく自宅にきている電気のアンペア数についてはしっかり確認したほうがいい。窯のメーカーに消費電力を確認して、電力会社に連絡して自分のマンションで使える電力の大きさを尋ねて、電気工事店に相談する。これだけのことは、窯を購入する前にぜったいに確認すること。僕は本当に電気のことをなんにも分っていなかった。壁にぶちあたるまで、分っていないことさえ分っていなかった。

 つまり、こういうことです。福岡のマンションには30アンペアの電気が来ていて、これを倍の60アンペアに増量してなんの支障もなく窯が使えた。今度のマンションも30が来ていたので、管理会社に連絡して電気工事を頼もうとしたら思いがけない応えが返ってきた。
「もともと15アンペアだったのを30に上げているのでそれ以上はムリです」
「・・・・」
絶句するしかなかった。建築当時は、15アンペアで普通に生活できていたのです。いや、当時としてはそうとう余裕を持った電気容量だったのではないでしょうか。27年前といえば、僕が東京に出てきてすぐのころ。電子レンジなど見たこともなかった。しかし、30アンペアしか許されないのでは窯が使えない。思い切ってこのマンションを買った意味がない。なんとかせねば、なんとか・・・。

 電気の元締め、東京電力に相談してみた。電信柱から直接電気を部屋まで引けないかと考えた。「一物件一引き込み、という原則がありまして、集合住宅といえどマンション全体でひとつの電源しか引くことはできません」。で、八方ふさがり。ふと、空き部屋があるのではないかと思った。未入居がひとつあれば、その部屋分の30アンペアを僕のほうにもらえば60になる。さっそく自治会長に申し入れた。総会で諮ってみましょうと言ってくれた。希望をつないで待った結果は・・・。
 「一軒だけ認めると、ウチもウチもとなって収集がつかなくなる」。「お店が入ったりすることになって、知らない人が出入りするようになるのが心配だ」、といった意見が出たらしい。結局、30アンペアで我慢してもらおう、というのが自治会の結論。冗談ではない、基本料金が倍になる60アンペアをそうそう希望する人が出てくるわけがない。お店が入るかどうかなど知ったことではないし、だいいち自治会の規約のどこにも店が入ってはいけないとは書いてない。ルールにないことを持ち出して反対されるくらい嫌なことはない。
規約にはただ、「電気、ガス、給排水等の設備に多大な影響をおよぼすおそれがある設備、機械および器具を設置付加または変更すること」とあるだけ。僕は多大な影響を与えないようにするために、新たな提案をもういちど自治会に申し入れた。
「もしも、未入居の部屋が埋まって電気の余裕がなくなったときには、即刻30アンペアに戻す」という約束の一文を書いた。結果は、「余裕がなくなったときに30に戻すのなら、いまから30でやってほしい」。
もう話をする気がしなくなった。30に戻すときは、僕がこのマンションを出て行くときなのだ。それを覚悟のうえで申し入れたのに・・・。

 そんなこんなを繰り返すうちに、気持ちが萎えてしまった。ほとほと疲れてしまった。ここは自分の夢を実現できるところではないという思いが強くなった。
東京にもどったら、地面の上に「こうば」のような工房を建てて、と福岡で夢のようなことを考えていたことを思い出した。こんなに電気のことで難航するのはなぜだろう。もしかしたら、地面のうえで陶芸をするように誰かの意思が働いているのではないか。ふと、そんなことを思った。ほんとうに突飛で思いがけない考えだったが、もしも大きな意思のようなものが働いているのなら、素直に従ったほうがいいような気がした。

 K子さん、そうして僕は資金のあてもないまま土地を探し始めました。そこには、思いがけない展開が待っていました。それについては次の手紙で。

 マンションに電気窯を入れる場合はくれぐれも電気の容量に気を付けて。窯のメーカーと電力会社と電気工事店によく相談してからにしてくださいね、僕の二の舞にならないように。
 紫露草