ソワサント 2000 June

陶芸を始めたK子さんへの手紙 連載第8回

「王国の引越し」

ねじ花

 五年間の単身赴任を終えて、東京の本社に戻りました。きのう初めて新しい部署に顔を出して挨拶。今日は、転勤に伴う特別休暇を利用して部屋の片付けをしているところです。予想はしていたものの、引越しは大変でした。

 運送会社の「引越しプランナー」という肩書きのおじさんが下見に来ました。六十がらみの、職人風。「この人に任せておけば」という、安心感が漂っていました。
窯の置いてあるリビングに案内するときには、何と言われるか緊張しましたが、おじさんは「何キロくらいありますかねぇ」、とまるでインテリアを見るように平然としたものでした。
「さぁ、重さは仕様書になかったので・・・」。
おじさんは腰を落として、窯の下部に両手を掛けて、「あ、持ち上がりますね。150キロですね」。「持つところがないから、四人で持ち上げて運ぶように手配しましょう」さすが、プロですね。よけいなことを言わずに、てきぱきと段取りを決めてゆく。
ひと通り見てまわったあとで、「おまかせパックにしますか?」と訊いた。「四人来させますから、一日で片付きますよ」。僕は即座に「お願いします」と言った。荷造りまで頼めるとは思っていなかった。それまでも、少しづつ片付けようと思いながら、陶芸関係のもろもろの山を前にして呆然とするばかりだったのですから。

 以前にも書いたことがありますが、後先のことを考えないで買い込んでしまう性格で、単身赴任の2LDKのマンションは陶芸教室も顔負けのフル装備ぶり。主なものだけを挙げてみましょうか。まずはリビングに、電気窯、ロクロ、400キロほどの粘土。
和室には、大型のスチール棚、大量の工芸・美術関係の本。
押入れには、大鉢30個、大壺10個。
広いルーフバルコニーには、土練機、コンプレッサー、釉薬の主な原料を入れた大型のコンテナ5個。自家製の木灰など、少量ずつの原料を収容したアメリカ製の大型ロッカー。酸化金属などを入れた小型ロッカー。釉薬を入れたバケツ、約15個。おっと、バスルームにもあるから計20はあるか。それに細々とした皿、茶碗、テストピースは数知れず。
 
快適に陶芸ができることだけを考えて作ってしまった僕の王国だったのですが、引っ越す時のことなどまるで考えていなかった。提案された「おまかせパック」は、まさに天の声でありました。

当日は三人が来てくれたのですが、陶器の輸送というのは運送会社としては気を遣うんですね。捨てようかどうしようか迷っているものなども多々あるのですが、「ま、送っときましょう」と言ってしまうと、厳重な包装が始まります。「割れてもいいですから」と言っているのに「そういういい加減なことはできん性格で・・・」と返されると引き下がるしかありません。
茶碗、湯飲みなどの小物は二枚重ねの紙で丁寧に巻かれて箱詰め。大鉢などはひとつづつクッションマットでくるんで、さらにそのうえから毛布で包む。半日過ぎても、半分も片付かない。午後になって、応援の若い女性がひとり増えた。舞い上がる粉塵を手で払いながらの箱詰め作業。粘土を扱っていると、ただでさえ埃っぽいうえに、もうすぐ転勤だからと掃除もいいかげんだった。若い身空で、ひどいところで働いてもらっているという気持ちでいっぱいだった。僕はというと、ちょうど花粉の時期であり、ハウスダストのアレルギーもありで、マスクをしたまま少しはなれたところから、運ぶものと捨てるものの選別を指示するという、なんだか申し訳ないような「らくらく」ぶりでありました。ま、下手に手伝うよりは何もしないほうがましだったことだけは確かでしょう。

結局、一日では終わらず、もう一日準備の日を追加。引越し当日も、朝から始めて、トラックを見送ったときにはすでに薄暗くなっていました。
がらんとした部屋にひとりで戻ると、五年前に下見に来た時のことが思い出されました。家族と離れて始まる一人だけの生活。ひとつひとつの部屋を見てまわりながら、ありがとうという言葉が口をついて出ました。「ここでたくさんのやきものができました」と、ダイニングキッチンに。「ここで二冊の本が書けました」と和室に。「たくさん本も読めました。いい眠りをありがとう」と寝室に・・・。ドアを閉めたあと、もういちど開けて大きな声で、「ありがとうございました」。鍵がカタンと鳴って、五年間が封印されました。

 さて、4トントラックいっぱいの荷物は、どこに落ち着くことになったか。K子さんも心配してくれていましたね。「帰るときどうするんですか」って。けっきょく、自宅マンションの近くに、同じくらいの広さのマンションを買ってしまいました。わかっています、サラリーマンとしては分不相応の大変な贅沢です。でも、陶芸を一生手放すことはないでしょうし、やきものの本当の面白さを知ってしまった今となってはもとのベランダ陶芸に戻ることもできません。本当は地べたが欲しかったのですが、自宅の近くに適当な値段の出物はなく、マンションに切りかえて探しました。去年の夏に物件を見てまわって驚きました。なんと五年前の半値以下です。地価の暴落に背中を押されて、工房兼書斎の購入に踏み切りました。

 安さが魅力の築27年の老朽マンション。しかし、陶芸をやるには大きな難があることが入居してから判明しました。僕にとっては死活問題で、まだ解決の糸口も見つかっていません。いったい陶芸は再開できるんかいな。それについては、次の手紙で。
 姫りんご