ソワサント 2000 May

陶芸を始めたK子さんへの手紙 連載第7回

「電気窯で、炎だって楽しめる」

野芥子(のげし)

 いま、朝六時四十分。ラジオ体操をして、やっと体が目覚めてきたところです。昨夜、窯に火を入れてから(といっても電気窯なのでスイッチを押しただけですが)十時間あまりが経過して、窯のデジタル温度計は940度を表示しています。

 この前の手紙では、電気窯は火を焚くわけではないから「焼いている」という実感に乏しいと書きましたが、じつはそうでもないのです。確かに「酸化」で焼くときは火を使いませんが、今日のように「還元」の時は窯の中の酸素を奪ってやる必要があります。そのために火を使うのです。僕が使用するのはプロパンガス。

 温度計が950度を示しているので、還元を始めます。ガスボンベにホースをつないで、アウトドア用のライターでバーナーに点火。窯の下部にある吹き込み口にバーナーをセットして、炎を送り込みます。しばらくすると、ほら、排気口からススが出てきました。一酸化炭素も一緒に出ているから、部屋の換気は十分に。チャーミングなガールフレンドを一酸化炭素中毒で失いたくないので、くれぐれも気をつけて。僕は日曜大工の店で買ったアルミのダクトを設置して、窓の外に排出しています。それでも心配なので、窓は全開。これからの季節は楽なのですが、冬はたいへんでした。明け方の寒気の中、家の中だというのにセーターの上にウインド・ブレーカー。完全防備のいでたちで熱いコーヒーをすするという姿になります。1050度くらいに昇温すると、排気口からのススの色が暗紅色から明るいオレンジ色に変わります。ライターの火を近づけると、ボッと点火して20センチくらいの炎をあげて燃えます。高温に熱せられた窯の中を通ってくるせいでしょう、ガスとは思えない美しい揺らめきを見せて燃えます。

還元は、土や釉薬に含まれる金属の微粒子に働きかけて、金属の色を変えます。銅などは劇的な変化を見せ、酸化ではグリーン(銅板葺きの屋根にできる緑青の色で、織部焼きの色がそれです)に発色しますが、還元では紅に発色します。その色も、還元ガスの濃度や、還元を始める温度によって、鮮紅色から紫、ピンクまで微妙な変化します。辰砂(しんしゃ)とか、釉裏紅(ゆうりこう)と呼ばれるものです。思いどおりの色を出すには苦労しますが、僕はこの紅が好きです。地球上の酸素と結ばれた酸化金属から酸素を奪うことで生まれた色。なんだか、金属がまだ宇宙空間にあった時のままの、酸素を知らない金属本来の色に思えてなりません。その色を、上に掛けられたガラス質の釉薬が密閉するわけです。ガラスに封じ込められた、「宇宙の紅」といった趣きです。
              
窯の温度が1100度を越えました。ガス圧を少し低くしてやります。釉薬が溶けるにつれて、その下の胎土や金属粒子で描いた絵を覆ってゆくので、炎の影響を受けにくくなります。ここからは徐々にガス圧を低くしてゆきます。
 1200度を越えると、炎は黄色に近い色になり、とろとろと穏やかな姿になります。還元は朝、と僕が決めているのには訳があって、夜にこんな情緒のある炎を見ていると、どうしてもアルコールに手が伸びてしまう。酔っ払ってしまっては、火の後始末に自信がない。一人暮らしでなければ、なかなかロマンチックなキャンドルなんだけどな、と単身赴任中の僕は思うわけです。

 単身赴任といえば、そろそろ東京に戻る話もちらほら。通勤時、しばらく川沿いの道を歩くのですが、護岸の石垣の隙間に根を張った一本の木に会えなくなるのかと思うと、ちょっと淋しい気がします。赴任してきた五年前には、まだ僕の腰ほどの高さだったのが、今では身長をはるかに越えています。水の上に枝を伸ばした姿には風格さえ漂っている芙蓉の木。七月上旬に最初の花を付けます。「咲いたねぇ。今年は急に暑くなったから、蕾を作るのにあわてたんじゃないか」花に話し掛けたりする習慣がついたのは、福岡に来てからです。十月の末まで次々に花を咲かせて、今からではもう季節に間に言わないだろうと思うころになっても、せっせと蕾を作り続けます。植物はぜったいに諦めたりしないんだな、偉いな。そんなことも、口にしたことがあります。通勤の足を止めて、スケッチ帳を取り出してしまったことも(いつもバックに入れてます)。僕にとっては友達みたいな木なので、このまま別れるのは淋しいと思っていました。そんなとき、あるところでいいことを聞きました。冬のあいだに、枝を四十センチほどに切って、水に入れておけば春には根を出すというのです。持って帰ってもベランダ暮らしになって、苦労かけるなと将来を危ぶみながら、ミネラルウォーターのペットボトルに二本差して根の出るのを待っているところです。

 夜の闇にまぎれて枝を折ったのですが、気配で僕だと判ったことでしょう。唐突だったから、芙蓉のヤツ怒っているかもしれません。「もらっていくからね」と、声を掛けてからにすればよかった。

芙蓉の花



 さて、窯の温度が目標の1250度にあがりました。ガスを止めて、電源を切って・・・。さ、出勤です。