ソワサント 2000 March

陶芸を始めたK子さんへの手紙 連載第6回

「自分の窯を持ちたい」

深山冬苺(みやまふゆいちご)

              

 寒い季節なので、あったかくなる話をしましょう。
窯の話です。

 最近、立て続けに「窯を持ちたいが、どんな窯がいいか」という相談を受けました。一人は七十代の、もう一人は六十歳の男性です。
動機は同じで、陶芸教室に通っているが、自分の窯で焼いてみたい。様々な灰を釉薬にして試してみたいというお話でした。六十歳の方は、リューマチ治療のお灸に使っているビワの葉の灰を試したいとのことで、どんな焼き上がりになるか僕も見せてもらいたいものです。

さて、「どんな窯がいいか」という質問に対する僕の応え。迷わず、電気窯を勧めました。なにしろ、無煙、無臭、無騒音。初心者が持つには最適です。特にマイコンの付いた電気窯は、「電気釜」感覚で使えると言ってもいいでしょう。
たとえば、500度まではゆっくりじっくり10時間かけて、そのあと一時間に100度づつ上げて1250度まで。そのまま温度をキープして1時間後に電源を切る。こんな作業も、最初にマイコンにセットしておくだけで自動的にこなしてくれます。

 自分で使っていないので他の窯のことはよくわかりませんが、他人(ひと)の窯場をのぞいた時の印象では、灯油窯やガス窯はバーナーの音が意外に大きくて、隣近所への配慮なども必要なようでした。維持費で言えば、安い順に灯油、ガス、電気の順です。
ちなみに公募展に向けて焼きに焼いた時には、一ヶ月の電気代が三万円を越えました。青くなって銀行口座の残高を確認するハメになりました。僕の窯は、いちどに中皿なら二十個が焼けますが、素焼き一回に一二〇〇円、本焼きには一七〇〇円くらいの電気代がかかった計算になります。

 特殊な焼き上がりを狙うのでなければ、電気窯を勧めます。釉薬のテストは、同じ条件で焼けることが大切です。「イメージ通りにするためには、長石をもう少し増やした方がいいかな」などと推理するのですが、焼成自体が変わってしまうと正確な結果が得られません。
窯の中の温度をコントロールしやすいのが、電気窯の最大のメリットです。情緒の安定した良妻賢母型の窯と言えるでしょうか。機嫌を取るのに四苦八苦する悪女に、ときには翻弄されてみたい誘惑にもかられるのではありますが。

 あえて欠点をあげれば、炎で焼くわけではないので、「焼いたぞ」という実感に乏しいことでしょうか。「炎派」の陶芸家からは、冷ややかな視線を浴びることもあるのですが、「焼き」を追及するのでなければ、自分の求めるものに文明の利器を使わない手はないでしょう。
ちなみに、高名な陶芸家にも、電気窯派は少なくありません。

 「薪で三日間焼いた」と、それだけを自慢するような陶芸家を僕は信用しません。そんなこと、作品の出来とは何の関係もないですから。
 「徹夜して企画考えてきました」と言ってプランを提案していた新入社員のころの自分を連想してしまいます。先輩から言われた言葉は、「考えるの五分でいいから、いいプラン出してよ」。もっともです。それからは、「徹夜してこれ?」って言われるのは悔しいから、その場で想いついたようなふりをしてみたり。
「オモチャみたいな窯でサッと焼いた」と言って、いいものが上がれば、その方がよほどカッコいいと思うのですが、まだまだです。
 
 「窯変」という魅力的な言葉があります。登り窯などでの焼成で、炎が直接当たったり、おき火に埋もれたりして思いがけない焼き上がりを見せるもので、素晴らしいものに出会うことがあります。買い求めたりもします。
でも、作る立場としては窯変を求めようとは思いません。予想と違いすぎるものは、焼きあがっても自分のものではないようで・・・。僕は、思ったとおりのものを作りたいのです。

「窯にまかせる」という考え方もありますが、本来の意味は、求めてもとめて、それでもどこかで火に委ねなくてはならないという、祈りのような心を表した言葉ではないでしょうか。趣味でやる人が軽々しく口にできる種類のものではないと思っています。


 今日は休日です。
近所のファミリー・レストランで、コーヒーを飲みながらこの手紙を書いています。じつは、家を出掛けにアクシデントがありました。
ロクロで挽いて半日経ったぐいのみを板にのせて廊下に出しておいたのですが、薄暗かったために見事に蹴っ飛ばしてしまいました。足先にグニャりとした感触があって、明かりを点けると数個が変形して転がっていました。

拾い上げてみて驚いた。歪み具合がどれも絶妙なのです。ここに口を当てて飲めば酒がうまいだろうと思わせてくれるものばかり。もう少し乾燥が進んでいれば割れたのでしょうが、ちょうどいい按配の柔らかさでした。わざと歪めたものなど足元にも及ばない自然なカーブがそこにありました。
 この「秘伝・蹴っ飛ばし技法」を追求してみようかと、しばらく廊下で思案してみたのですが諦めました。何も考えないで足が当たった。「あっ」と、あわてて引っ込めた。あのスピードや力の掛かり具合が再現できるはずがないのです。わざとやれば、やはりわざとらしさが残るでしょう。

「自然な歪みが、いい感じで出てるだろう」と言いたげな、酒の相手としては敬遠したい、小賢しいぐいのみになってしまいそうです。この四個のぐいのみが焼き上がって、酒を注ぐ日が楽しみです。
そうだ、銘は「懸渡橋」にしよう。