ソワサント 1999 december

陶芸を始めたK子さんへの手紙 連載第五回

「陶芸教室のバトル」

              

 このあいだの手紙に書いた、日本伝統工芸展への応募、残念ながら入選を果たせませんでした。ま、それでも高1の娘からいい言葉をもらったので、モトは取ったと思っています。単身赴任先のマンションに、こんな電話をかけてきました。

「審査員に評価されなくても、お父さんがきれいだと思っているならいいじゃない。きれいだと思えないんだったら、努力が足りないんだけど、きれいだと思ってるならいいじゃない。前は楽しいからしてたんでしょ。このごろ、賞とかを気にしすぎだよ。」

そのとおりですね。父親譲りの説教癖がちょっと心配ではありますが、自分が同じ立場の人にアドバイスするとしたら、そう言うでしょうね。

 先日、ラジオを聞いていたら、織りの志村ふくみさんのインタビューがあり、教えられることが多かった。
「私は詩や文章を書くように織りをしたいと思った。自分の場合、そのスタートが、他の人と違っていた」という意味の言葉にハッとしました。僕は、ここしばらく陶芸が少しつまらなくなっていました。陶芸らしいものを作ろうとし過ぎていたのでしょう。上手になりたい、きれいなものを作りたい。その思いが空回りして、表面的なきれいさや他人からの評価ばかりを求めて迷い道に入っていた。楽しさより苦しい思いのほうが勝っていたように思います。文章を書くほうが楽しいと感じてみたり。陶芸を始めたころの、わくわくした気持ちを忘れていました。

 志村さんの言葉が、ずんと響きました。そうなんだ、文章を書くように、陶芸もやればいいんだ。伝えたい感動があるなら、それを文字にしようが壺にしようが同じではないか。読む人も、文字を読むのではなく、それを操って綴ろうとした「思い」を見ようとする。陶芸も形や色の、その向こう側にあるものこそが大切なのだ。薄っぺらな自分の表面をどう繕ってみても、感動にはほど遠い。自分なりの解釈ですが、指針を頂いたという思いがしています。僕の陶芸に対する考え方も少し変わるような予感がしています。

 さて、今回は窯のことを書こうと思っていたのですが、陶芸教室の話にしました。
 陶芸教室が女性のバトル(闘争)の場になっているという話を聞いて、K子さんの教室はどうかなと思ったので。お父さんが教室を開いているという女性に聞いた話です。「窯のこの場所に作品を入れて焼いてください」という「場所指定」の生徒が増えて、いい場所の取り合いになるというのです。窯の内部は温度が均一ではなく、上下で50度ほどの差は出るものです。釉薬(うわぐすり)の溶け方がかなり違います。そこから、自分の作品はここじゃなきゃダメ、という要求になる。

 あるいは、しだいに大物に挑戦したいという生徒が増えてくる。でも、自分の技ではロクロで作れない。ローラーをかけて粘土の板を作れば、四方を立ち上げるだけで大皿ができます。そのために、ローラーをかける機械(タタラ製造機)の奪い合いになる・・・。先生である父親は、ノイローゼ気味になって「どうすればいいんだ」と、知人に助言を求めてきたそうです。

 僕には、その女性たちの気持ちがよくわかります。タタラはともかく、窯入れの場所はとても気にします。でも、それは自分で窯を持ってから。僕の教室時代は、そこまで気にするほどのレベルに達していなかった。でも、向上心がある生徒なら、やがては大きいものが作りたくなるし、窯入れの場所が気になってきます。だから、考え方によっては、それほどまでに生徒のレベルが上がったことを、先生はむしろ喜ぶべきではないでしょうか。

 手を動かしての作業を続けるうち、創造することの喜びに目覚めたら、和気あいあいというわけにはいかなくなる。ちょっと意地の悪い見方をすれば、手の掛からなくなった子供の代償なのではないか、と感じることもあります(うわあ、こう言うとK子さんおこるだろうなあ。でも、白状すれば、僕が陶芸を始めた動機のなかにも、確かにそういう要素がありました)。子供に注いでいた情熱を、陶芸作品にぶつける。「がんばるのよ、大皿ちゃん。後ろのほうでは黒板がよく見えないでしょ。先生、うちの子いちばん前にしてください」「あ、だめよ、そこは大鉢ちゃんの席なのよ」

窯の中の場所を指定したくなれば、やがては焼き方まで指定したくなるはずで、そこまでくれば、もう自分の窯を持つしかない。僕の場合は、ちょうどそのころに転勤という「事件」があって、単身赴任をさいわい電気窯を購入してダイニングキッチンに設置しました。生活スペースに置くのは、あの熱気を考えればとても人には勧められませんが、雨さえ掛からなければ、少しスペースがあれば自分の窯は持てます。

 先日、東京時代の陶芸教室で十周年のお祝いの会がありました。その席で面白い話を聞きました。曜日によって生徒のタイプが違うというのです。「同じ日に、同じタイプの人が不思議に集るんです」と、盛り上がっているテーブルをチラッと見ながらアシスタントの女性が囁きました。居心地の良さを感じ、その空気に合えば残り、合わなければ去る。そうして曜日によるタイプができあがるようです。そのテーブルは、確かに「声の大きいオジサン曜日」でした。

 バトルの教室も、向上心と闘争心の旺盛な女性たちが居心地の良さから集ってしまったのでしょう。そしてそのいちばんの要因は、きっと先生の人柄です。

 K子さんの通っている曜日には、どんな人が集っていますか。