ソワサント 1999・JUNE

陶芸を始めたK子さんへの手紙 連載第二回

「手と土の出会い」

 K子さん、処女作の湯飲みは焼きあがりましたか。

 ところで、その「処女作」について、ちょっとした事件がありました。ソワサント創刊号の新聞広告に新聞社のほうからクレームが付いたのです。「処女作で乾杯」を見出しとして載せようとしたところ、「処女」は問題があるから表現を変えて欲しいと。

編集部から話を聞いて唖然としました。そのあとで大笑い。「処女」という文字を見ただけでモーソーを逞しくしてしまうなんて、なんと感性豊かな方がチェックをなさっているんだろう。
社会環境の変化によって、「処女」は絶滅のおそれがある希少種に指定されようとしている昨今ですが、「処女作」という日本語もまた絶滅の危機にさらされているのですね。保護のための運動を始めねばと本気で考えているところです。

 さて、今回は粘土との出会いについて書きます。教室で初めて粘土に触ったときの感触を思い出します。手にしっくりなじんで、指に加えた力そのままに自在に形を変える。それまで味わったことのない快感がありました。あ、今回のタイトルは「土の快感」にしましょうか。「快感はちょっと問題が・・・」なんて、また言ってくるかな。今日は、どうも話がそっちに行きがちですみません。

 粘土はベタッとしたものという先入観があったのにサラッとしている。指にピタリと添って、しかもスッと離れる。僕のまわりの人たちを見ていると、陶芸にハマるかどうかは、土に初めて触ったときに「快感」があったか、「不快」と感じたかで決まるようです。

土に触ると手が荒れるだろうと覚悟していたのに、そんなこともない。庭仕事で土をいじってさかむけで痛い思いをした時とはまったく違う。陶芸はしょっちゅう手を洗うから、脂分が抜けてカサッとした感じにはなるけど、これはあとでクリームを塗っておけば大丈夫。ま、泥んこ美容もあるくらいですから、粘土は「手にやさしい」と女性にも勧めたいところです。
 
陶芸家はきれいな手をしています。絶えず指を動かしているからか、粘土の中の微生物の働きか。おそらく両方だろうと僕は思っています。土と対話している陶芸家の手は、ほんとうに見とれるほどきれいです。

 手を動かしながらボーとした時間を過ごす。これが僕にはとても楽しい時。 粘土をひも状に伸ばして、円を描きながら上に上に積んでゆく、いわゆる「輪積み」で壺を作るとき。また、「掻き落とし」という僕の好きな技法があるのですが、粘土の上に掛けた白化粧を削り落としてゆくとき。これらはじつに単調な作業で、同じ動作の繰り返しです。 手の反復運動は脳のどこかの部分を開放するのでしょう。記憶の糸の結び目がスルッとほどけて、連想が脈絡もなく広がります。

 幼時の祖母との思い出が、いつのまにか友達と行ったフナ釣りになり、さらに山で遊んだ記憶につながる。懐かしい人たちが登場したかと思えば、ついこのあいだ出会った人に変わったり。楽しかったことばかりが思い出される。思い出されるというより、現在進行形のようにまざまざと展開する。水底深く沈んでいた記憶が、単調な手の動きに手繰り寄せられるように水面に浮かんでくる。僕はその感覚が大好きです。
 
昔の母親の夜なべ仕事などに通じるものがありそうです。うたた寝をして、夜更けに目を覚まして母親を見ると、じつに楽しそうな表情で針を動かしていた。あれは、至福のときだったのではないか。陶芸をやるようになって、そう確信するようになりました。この時間を持つためにこそ陶芸をやっているとも言えます。

高名な陶芸家で、弟子がたくさんいれば、そういう作業は弟子にやらせるのでしょうが、僕にはもったいないと思えてなりません。ビジネスマンの仕事には、こういう時間はありませんから。

 とはいえ、いつも静かな気持ちでやるには、人間としての修行がまだまだ足りません。メタンガスのようなあぶくも、ブスブスと水面に浮かんできます。「荒練り」という、粘土の水分を均一にするための土練りなどは、まるで格闘技です。気分もいきおい攻撃的。「クッソー!」「バカタレガー!」などと口走りながら粘土のかたまりを思いっきり土練り台にぶつけている。仕事上のトラブルなんかを思い出しているんですね。途中で気がついて、いかんいかん、と。

こんなことを考えながら作った食器を誰かにプレゼントしたら、健康を損なってしまいそうです。あ、大丈夫ですよ。K子さんに差し上げた皿は終始機嫌よく作りましたから。

 たまにはK子さんもやってみませんか。いいですよ、思いっきり粘土を叩きつけながら悪態をつくというのは。軽く汗をかいて、あとはスカッとしますから。

☆ 粘土に関するアドバイス

その1 自分の好きな土を見つけよう
 粘土は含まれる鉄分の量によって、赤土と白土に分かれます。さらに粒子の大きさや、成分によって千差万別です。同じ釉薬を掛けても、焼きあがりの色も風合いもまるで違います。

予想を裏切られるところも、焼きものの楽しいところです。教室では初心者でも扱いやすい信楽(しがらき)の粘土が多く使われているようですが、まず自分の好きな粘土を見つけましょう。手の感触でも、焼き上がりの感じでもかまわないから、とにかく気に入った土を見つけること。こちらが好きになれば、土も応えてくれます。

 僕の場合も、教室時代は信楽の粘土でしたが、今は唐津も使っています。いわゆる「さくい土」で、粘り気が少なくて腰がないので難しい。初めて使ったときには、ロクロの上の粘土を使いきっても湯飲みひとつできなかった。途中でちぎれて、つぶれたアンパンのような失敗作の山ができました。

無理のきかない土というのは、上手に扱ってやらなくてはいけないわけで、そのぶん上達するのも早い。教えを乞うている唐津の陶芸家に「この土でできるようになれば、怖いものなしだよ」と励まされ、三年たった今ではなんとか扱えるところまできました。

その2 土練りの練習
 土練りには二つの目的があります。一つは水分を均一にすること。つまり、固いところと柔らかいところの差をなくすための練り方で、「荒練り」。もう一つは、粘土に入り込んだ空気を追い出すための練り方で、「菊練り」と呼ばれるものです。

 ○ 荒練り
 粘土を手前に巻き込むように押し揉みして、両側にはみ出してくるのを内側に折り込んで、向きをかえて繰り返す。教室ではたいていこの方法を教えているようですが、僕が唐津で教わった方法を教えましょう。

 まず、両手の親指の先をくっつけて粘土を上から押さえます。他の指で粘土を両側から挟んで、くっつけた親指で粘土を三、四ヵ所切ります。この段階では、まだ粘土は下の部分でつながっています。つぎに、切れ目の入った粘土を二つに分ける。一方を持ち上げて、残りの粘土に思い切りぶつけます。

 このとき、「コノヤロー!」などと声を掛けると、なかなか楽しい作業になります。三十回も罵詈雑言を繰り返せば、均一な粘土の出来上がりです。教室には電動の土練機があるでしょうから、この工程は省いても構いませんが、もったいないなあ。あの、ストレス解消の妙技を機械に取られてしまうなんて。

 ○ 菊練り
 これは、ちょっと言葉では説明しにくいので、教室で教わってください。「菊練り三年」などと言われますが、三ヶ月もすればサマになってくるから大丈夫。

パン屋さんやうどん屋さんの粉の練り方と同じだそうで、そう言えばどちらも空気を抜く必要がありますね。空気が入ったままではロクロがうまく挽けないし、窯の中で破裂することもあるので菊練りは念入りに。

 知り合いの女性は味噌で練習したそうです。「でもダメ、ベッチョベチョになっちゃうから」凄まじい向上心には頭が下がりますが、やはり本物の粘土で練習しましょう。五キロほどなら教室でも分けてくれるでしょうし、陶芸材料店から宅配便で送ってもらえます。


その3 土練り台
 グラグラしない、しっかりしたテーブルが必要です。上から力を加えるので、作業しやすいのはちょっと低めのもの。僕は日曜大工の店でベニヤの合板と、足になる太めの角材を買ってきて作りました。

その4 保管箱  粘土は空気に触れると乾いてしまうので、ビニール袋ごとクール便の発泡スチロールの箱に入れておきます。僕の「ベランダ陶芸」の時代は、粘土も少量で済んだのでこれで十分でした。