ソワサント 1999・APRIL

陶芸を始めたK子さんへの手紙 連載第一回

「処女作で乾杯」



 陶芸を始めたいが、どんな教室を選べばいいかアドバイスが欲しいとのお話でしたね。

 K子さんの話を聞きながら、陶芸教室を初めて訪ねた七年前のことを思い出しました。「陶芸」という語感には「道」とか「修行」とか「偏屈なオヤジ」とかのイメージが僕にはあって、マンションの一室にある陶芸教室のドアを前にして、ほとんどおののきに近い感情にとらわれていました。ドアの向こうには、その威厳あたりを払うが如き作務衣姿の先生がいて、しわぶきひとつ憚られる空気が教室を支配している・・・。

 オズオズと開いたドアからは、意外にも笑い声がこぼれてきました。生徒たちは40代50代の女性が主流で、若い女性と中年の男性がチラホラ。先生もジーンズにセーターというスタイルで、笑顔で迎えてくれたのはいささか拍子抜けでした。思えば、僕の持っていた「陶芸家」のイメージというのは、漫画「美味しんぼ」に登場する、魯山人がモデルともいわれる海原雄山の姿でありました。

 ちょうどお昼どき、作業台はテーブルに早変わりして、持ち寄った煮物やお漬物がひろげられ、その賑やかなこと。「あなたも、おひとついかが?」などと勧められ、その年代の女性が集団でいるというのが苦手な僕は(もっとも、20代の女性はもっと苦手なのですが)、妙に緊張してしまって、また教室は笑い声に包まれました。
 昼食が終わると自分の作業に戻り、ロクロを回す人、手びねりで器を作る人。それぞれに熱心に土に向かっていました。僕の陶芸教室との付き合いはそんなふうに始まりました。

 どこの教室でもそうでしょうが、「今日はお皿を作りましょう」といっせいに同じものを作るというのではないのです。各自が自分の好きなものに挑戦すればいい。そのあたりが料理教室などとは根本的に違うところで、陶芸は個人主義なんです。湯飲みを作るもよし、茶碗を作るもよし。人形やオブジェに挑戦するもよし。分からなければ、その都度先生に教わればいい。

 じつは、中高年の女性が陶芸を始めることに、僕は少なからぬ脅威を感じています。キッチンを預かっていれば、この料理にはどんな器が合うか、普段から考える機会が多いはず。しかも、美味しいものに貪欲でいいお店もたくさん知っている。そんなお店は、器もいい。見る目が肥えているんです。美術館や工芸展を覗いても、お客さんの大半は女性たちです。すでに審美眼の基礎体力は十分。僕のやっているレベルなど短期間で追いつかれてしまいそうです。


 さて、どんな教室を選べばいいのか。僕の体験から言えばチェックポイントは三つです。
1 家から近いこと。
2 先生と気が合うこと。
3 釉薬(うわぐすり)を自分で掛けさせてくれること。

では、1から話しましょう。
1  教室は家から、または勤め先から近いのがいちばんです。片道一時間も掛かってしまうのでは、行くのがおっくうになります。

土練りやロクロなどの基本技術の習得には、ある程度の反復練習は避けて通れません。一回休むと、忘れた勘を取り戻すのに時間が掛かります。また、粘土の乾き具合のタイミングは微妙です。翌週になってしまうと固くなりすぎるおそれがある時でも、底を削る作業だけはちょっと顔を出してやっておこう。教室が近ければそんなこともできます。僕の場合は、自宅から歩いて八分ほどのところに教室があってラッキーでした。

ほんとうは、家から近いことよりも先生と気が合うことの方が大切なのですが、こればっかりは付き合ってみなければ分かりません。

 気の合う先生から褒められるのは嬉しいもので、どんどん上達します。ウマが合わないときは、褒められても真意を勘ぐってみたりしてロクなことはありません。これは生徒にとってだけではなく、お互いに不幸です。不毛な関係に見切りをつけて他の教室にかわりましょう。趣味でストレスを抱え込むほどバカバカしいことはありませんから。

3 これは僕の勝手な思い込みですが、教える人の姿勢としてとても大切なポイントだと思います。僕の教室は釉薬を自分で掛けさせてくれました。というより、それが当たり前だと思っていました。そうではない教室が世の中にはあると、ずっとあとになって聞いて驚いた。
素焼きの終わった作品に付箋を付けて、「織部」とか「黒天目」と書いておくと、翌週には焼きあがっているというのです。はっきり言って、こんな教室はやめたほうがいい。生徒に釉薬を掛けさせない先生の気持ちはわからないじゃないんですけどね。周りを汚すし、中途半端にかき混ぜて使われると成分の割合が変わってしまったりしますから。
でも、釉薬は自分で掛けないと、焼きあがったときの喜びは半減します。掛けさせてくれない先生は、自分が始めたころの楽しさを、生徒にも分けてあげようという気がないんじゃないか。そうでなければ、自分が、楽しかったころのことを忘れているのです。

釉薬を自分で掛けることから、焼きものの本当の面白さが始まると思っています。そこから、やがてオリジナルの釉薬を自分で調合したくなり、さらには自分流の焼き方をしたくなって窯が欲しくなったりするのです。楽しさの入り口で「立ち入り禁止」にしてしまうような教室を、僕は陶芸教室とは認めません。



さて、K子さんが教室に通い始めたとして、先生や教室の生徒たちと仲良くやっていくためにはどうすればいいか。ま、それは各人の個性で、いまさら性格を変えるわけにもいきませんが、良識あるK子さんなら普段のままで大丈夫です。逆に好かれ過ぎるのが心配なので、K子さんには特別に「嫌われるにはどうすればいいか」を教えてあげましょう。
生徒が帰ったあと、「いったい、なにを考えているんですかねえ」と、アシスタントの人達と言い合った経験が豊富にあるので参考までに。

「嫌われるためのアドバイス」

その1 ロクロの前にいったん座ったら、上の粘土を使い切ってもすぐに新しい粘土を練って居座り続けましょう。ロクロの上をそのままにしておけば他人に使われる心配はありません。ロクロがあくのを二時間待っていた人にちゃっかり取られてしまうという悲劇は避けられます。

その2 先生が若い女性の生徒を熱心に指導していたら叫びましょう。同世代の女性と声を合わせて、「私たち、それまだ教わってなーい!」聞かないから分かっているのかと思ったなどという言い訳に耳を貸すことはありません。また、被害者意識が強いという非難もいちいち気にしてはいけません。

その3 釉薬は沈殿しやすく、しばらく使わないと底に固まってしまいます。これを攪拌するのは面倒です。上の方だけちょこっと掻き回して、自分の器に掛けましょう。ときには思いもよらない美しい焼き上がりが楽しめます。

その4 釉薬を掛けるとき、床に盛大に飛び散ることがあります。時間があるときは自分で拭いたほうがいいのですが、友達と会う時間が迫っているようなときには「すみませーん」と美しく微笑んで帰りましょう。「あのー、ほんとうにいいんですかあ?」ちょっと鼻にかけた声で語尾を上げてお願いしておけば誰かがキレイにしてくれます。

その5 「○○の役員をしています主人がですね・・・」とか、「ケーオーに行ってます長男が・・・」というように、家族や親戚のことを言うときには枕詞を付けましょう。陶芸を習いたいと思い立った動機としては、「実家の蔵に焼きものがたくさんありまして、幼いときから親しんで・・・」本当は「納屋」であっても、「蔵」の効果は絶大です。

その6 ご夫婦で教室に通う場合は、他の生徒とお話するよりもふたりの世界を大切にしましょう。おのずと他人は声を掛けにくくなって、お互いの絆が深まること間違いなしです。

 とりあえず、このへんで止めておきましょう。以上を着実に実行して一年もすれば、K子さんはソワサントならぬ、「陶芸教室のオバサント」になって鳴らしていることでしょう。でも、大丈夫、ごく普通の想像力さえあればなかなか実行できないことですから。

 ちょっと真面目な話になりますが、何かを始めるのに遅すぎることはないんだというのが、今の僕の実感です。むしろ、あまり早くから陶芸をやらなくて良かったと思っています。もちろん技だけなら若いうちに始めるに越したことはありませんが、なにも職人になりたいわけではありませんから。他の世界で経験したことが確実に陶芸に生きてきます。生意気を言うようですが、ものごとに回り道なんかないんだな、そう思うことが多々あります。
僕は三十八歳の終わりに陶芸を始めたのですが、その時もう遅いと考えなくて本当に良かった。あのとき始めていなかったら、四十六になった今、きっとこう言っています。「30代で始めていればなあ」50代になった時には、40代で始めていれば・・・。60代に始めたときには50代で始めていれば・・・。70になったときには・・・。
K子さんが陶芸を始めようと決心されたことに心からの拍手を送ります。5年経ったらきっと思うはずです。あのとき始めて良かった、と。

 教室では、たいてい湯飲みから練習することになります。湯飲みがキチンと作れるようになれば、何でもできます。開いてゆけば鉢になり、もっと開けば皿になります。口をすぼめれば、ほら徳利なども思いのまま。とりあえず処女作の湯飲みが焼きあがったら乾杯しましょう。では、またそのときに。