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@HILLニュース 【第78号】    博報堂生活総合研究所  2004年4月10日発行

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1)生活コラム「庭の木は、だれのもの?」
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仕事柄、スケッチブックを抱えて自宅の近所を歩くことが多い(僕の本業は陶芸
家です)。とりわけこの季節は花を求めて、こちらの庭からあちらの庭へと蝶の
ように飛びまわっています。

先日、いつものコースを歩いていて、数年前から無人になっていた大手企業の
社宅の前で愕然としました。庭の木々が無残に引き倒されています。建物の取り
壊しを始める前に、邪魔な木を除く作業が始められたようです。この庭は僕に
とってモチーフをもらえる大事な場所でした。去年の日本伝統工芸展に入選した
「木守り柿大鉢」の模様も、モデルはこの庭の柿木でした。適当に荒れた庭で
半ば野生化した植物は生気にあふれ、通りかかるたびに何かを僕にくれました。

檜の幹に這う蔦は晩秋には柔らかな黄を含んだ朱に染まり、道に枝を伸ばして
いた牡丹クサギは夏に紅と紫を絶妙に混ぜ合わせた高貴な色で咲いていました。
去年の秋は、柿の葉が美しく色付いて、日ごとに移ってゆく色に惹かれて毎日
のように足を運びました。忘れないうちにと、工房に戻ると墨を磨って和紙に
描き、顔彩で色を重ねました。紙が濡れているうちは近い色が出せたと思って
いても、乾いてしまうと一枚の葉の中にあった渦巻くような色の競演とは似て
も似つかぬ抜け殻のような褪せた色。そうしてまた見に行くという繰り返しで
した。

引き倒され集められた木々の小山を眺めながら、なぜあんなに柿の葉の色に
惹かれたのだろうと想いを巡らすうちに、突拍子もないことが心に浮かびま
した。自分のさいごの紅葉を描いておいてくれと頼まれたのではないだろうか。
庭の木は、いったい誰のものなのでしょう。土地の所有者のもの?常識的には
そうでしょう。でも、それだけでしょうか。春になって花を咲かせたのを目に
して、「ああ、今年も会えた。あと何回会えるだろうね」と散歩の足を停める
老人もいることでしょう。隣接する病院のリハビリ訓練のコースでもあり、
葉を落としたばかりの枝に春のための芽が準備されていることに勇気付けられ
た人もいたでしょう。土地の所有者の思いもかけないところで、近隣の人達と
の深い関係が築かれていたのではないでしょうか。

数年前、CMプランナーとして単身赴任していたことがあります。家族と離れ
て人恋しいこともあって、通勤の道で会う一本の芙蓉の木にはずいぶん励まさ
れました。石垣のわずかな隙間から幹を伸ばした木は、夏になると川面の上に
薄桃色の花を日替わりで咲かせました。それが護岸工事で姿を消したときには、
「僕に何の断りもなく・・・」と思わず呟きました。喪失感の持って行き場が
なく、それでも何かしないではいられない気持ちで、地方の有力紙への投書を
思い立ちました。書いたことで落ち着いたのでしょう、送ることはしませんで
した。CMプランナーらしく、ちょっと茶目っ気も入れたこんな内容です。

「イタリアのウコハリドミという町を訪れたときのことです。取り壊しの決ま
った家に、地域の人たちが集まっていました。何事だろうといぶかる僕に、
一人の老人が教えてくれました。『この町には条例があるんだよ。家を取り
壊して新しい建物を建てるときには、もとあった草木をふたたび植えることに
決められているんだよ』駐車場などにされて植えられない場合は?と聞くと、
『取り壊しの一ヶ月前に地域の住民に予告して、庭の植物を自由に持って行け
るよう、土地の所有者は便宜を図らなくてはいけないんだよ。』それぞれの
家族が思い思いの草木を持ち帰る様子を眺めながら、庭の緑は地域の思い出で
あり、財産であるという考え方に驚かされました。日本でも条例としてこう
いう制度ができないものでしょうか」

社宅の跡地には、やがて新しい建物が建ち、植栽もされるのでしょう。でも、
地域の人たちと顔なじみだった木は戻ってきません。せっかく育った草木を
捨てるのは、だいいち大きなムダです。僕の住む地域の議員さんたちに、
「イタリア・ウコハリドミ」の町に一度視察に行ってもらいたいものです。

さて、さっきの投書のどこに茶目っ気が入っているのだと言われそうですね。
町の名前をうしろから読んでいただければ・・・・。