ドライバー(私です)について紹介します。

ジムカーナ歴
年度
シリーズ備考
1996年 スピードマインドジムカーナ関東シリーズA4クラスシリーズ2位
8戦中優勝1回3位以内2回6位以内5回
1997年 JMRC神奈川ジムカーナシリーズA4クラスシリーズ3位
10戦中優勝1回3位以内3回6位以内7回
スピードマインドジムカーナ関東シリーズA4クラスシリーズ6位
4戦中6位以内2回
1998年
JMRC関東ジムカーナシリーズA4クラスシリーズ24位
9戦中6位以内0回
JMRC神奈川ジムカーナシリーズA4クラスシリーズ6位
4戦中優勝1回3位以内2回6位以内3回
1999年
JMRC関東ジムカーナシリーズA4クラスシリーズ8位
9戦中3位以内1回、6位以内3回
JMRC神奈川ジムカーナシリーズA4クラスシリーズ1位
6戦中優勝4回3位以内5回6位以内6回
スピードマインドジムカーナ関東シリーズA4クラスシリーズ2位
7戦中優勝2回3位以内5回6位以内6回
2000年
JMRC関東ジムカーナシリーズA4クラスシリーズ6位
6戦中3位以内3回6位以内4回
JAF関東ジムカーナ選手権A4クラスシリーズ14位
7戦中6位以内1回
2001年
活動完全停止

2002年
JMRC神奈川ジムカーナシリーズA4クラスシリーズ5位
6戦中3位以内3回6位以内6回
2003年
JAF関東ジムカーナ選手権N4クラスシリーズ8位
9戦中6位以内3回
2004年
JAF関東ジムカーナ選手権N4クラスシリーズ4位
10戦中優勝1回3位以内4回6位以内8回
JMRC関東ジムカーナチャンピオンシリーズN4クラスシリーズ3位
8戦中優勝1回3位以内4回6位以内8回
2005年
JAF関東ジムカーナ選手権N4クラスシリーズ4位
10戦中3位以内5回6位以内7回
JMRC関東ジムカーナチャンピオンシリーズN4クラスシリーズ4位
10戦中3位以内5回6位以内7回
2006年
JAF関東ジムカーナ選手権N4クラスシリーズ6位
10戦中3位以内1回6位以内5回
JMRC関東ジムカーナチャンピオンシリーズN4クラスシリーズ6位
10戦中3位以内1回6位以内5回
2007年
JAF関東ジムカーナ選手権N4クラスシリーズ5位
10戦中3位以内1回6位以内5回
JMRC関東ジムカーナチャンピオンシリーズN4クラスシリーズ5位
10戦中3位以内1回6位以内5回

経歴:
1969年

 2月、神奈川県にて産まれる。
1987年
 普通自動車免許を取得。
1989年
 20歳の頃手に入れた中古のAE92に、足とブレーキを入れ、某H峠や某M峠を走る様に。
1992年
 23歳の頃にはFRでのドリフトに夢を抱き、憧れだった赤のFC3S最終型を購入。LSDやブッシュ類、車高調にマフラーフロントパイプ触媒エアクリコンピュータなど、ライトチューンと言われる部分にはほぼ手を入れ、峠の他にS高速、雪道なども好んで走る様に。
1994年
 公道での走りに限界・リスクを感じ始めた25歳の頃、ジムカーナをやっている友人に誘われ、改造車両のFC3Sで数回程ジムカーナ練習会へ。
1995年
 その難しさと面白さに次第にとりつかれ、ジムカーナ界への参入を計画。ある人のエボ2-A車両に乗せて頂いたことでエボ3を購入を決心。買ったはいいが、金銭的な問題からN車でいくかA車でいくか迷ったまま、一度も練習せずにフルノーマルで1995アディダスカップ最終戦に参戦するが惨敗。ノーマルのつまらなさにたまらなくなり、我慢して貯金をし、翌年を待つ。
1996年
 1月、有り金をはたいて、ついにジムカーナA車両として改造。そこから本格的なジムカーナ生活が始まる。

 そして、訳も分からず、勧められるがままにスピードマインドジムカーナ関東シリーズに全戦参戦を決意。
 どういう訳か優勝1回、2位1回を含む、シリーズ2位という本人もまわりもびっくりの成績で1年間を終える。またこの1年は車を操る楽しみ以外に競技の楽しさを身にしみて感じた年となった。
1997年
 この年は、生涯で最もジムカーナに力を入れると思われるくらい数多くの参戦を予定。とにかく、一生懸命やってどこまでいけるかを試す年に。

 全てを犠牲にして(って大げさか)一年間戦った結果、1997JMRC神奈川ジムカーナシリーズA4クラスで、シリーズ3位を獲得。1年前のレギュレーションではBシードに相当するため、本人は幻のBシードと大喜び。県戦優勝も経験し、念願だった関東ジムカーナフェスティバルでも6位入賞と満足のいく一年となった。
1998年
 当初の予定では、結果が出なければ2年で引退、と考えていたのだが、ま、特別上手ってわけでもないけど、どうしようもないほど下手ってわけでもないんでしょう(?)と監督に認められ、もうちょっとだけ力試しをする年に。最新車両への乗り換えはありませんが、無謀にも現状の力で、JMRC関東シリーズに挑戦する。

 結果、関東シリーズ最高位7位と、ポイントはゲットしたものの、上方修正した目標の入賞は果たせず、なんとも評価しがたい結果に。しかし、昨年度との実力比較にと終盤参戦した県シリーズでは優勝もゲットするなど、車両の戦闘力と走りの内容から、昨年度と比べればかなり進歩したと思える1年となった。
1999年
 ここまできたからには(どこまで?)もうちょっとというのが人情というもの。家計のやりくりや、今後の生活、実力と可能性、など、さまざまな要素を数カ月に渡って検討し、とにかくあと1年、目一杯やってみなさいとの許可がおりました。目一杯、すなわち、きっちりとした戦闘力を手に入れ、それなりの体勢でJMRC関東シリーズに挑みます。

 結果、メインとしたJMRC関東ジムカーナシリーズでは、最高位3位をゲット。しかし、シリーズ順位はもう一歩及ばず8位に終わる。しかし、スポットで後半参戦したJMRC神奈川ジムカーナシリーズでは、4連勝を果たし、チャンプをゲット。初のJMRC関東シードを獲得。後半戦は自他ともに認める程好調で、関東フェスティバルでも、ミスをしながらも2位と、車を乗り換えた甲斐があったと言える1年となった。
2000年
初心者だと思って続けてきたジムカーナも、今年で5年目に突入し、とてもビギナーだとは言えないキャリアに。しかし、毎年ゆっくりではありますが、着実に進歩して(きたと考えて)おり、今年は関東最高峰のJAF関東ジムカーナ選手権に挑むことを決意。どうなることやら、乞うご期待。

 運良く、戦えるタイヤがアドバンより発売され、それに乗じてJAF関東ジムカーナ選手権で5位入賞をゲット。また、スポットで参戦していたJMRC関東ジムカーナシリーズは、昨年の苦労が嘘の様に連続お立ち台をゲットし、スポットながらシリーズ6位に食い込み、2年連続のJMRC関東シードをゲット。
 また、シーズン開始前には、とある有名ショップから全日本ドライバーとして車に乗らないかとのオファーを受けたのでした。しかし、私自身あまりにも未熟であり、また自分をとりまく環境も良いとは言えず、むしろ相手方に迷惑がかかると判断し、お話を辞退させて頂いた経緯がありました。こういったお話も私にとっては夢の様な話で、こんな私に声をかけてくださったことに、本当に感謝しております。ほんのひとときとは言え、ジムカーナ界最高峰で走ることを真剣に考えることが出来たことは、とても良い経験になりました。そういう意味では、いつかまた、遠藤を使ってみたい、と言って頂ける様に腕を磨きたいところですね。
 というわけで、あまりにも多くの出来事と、良くも悪くも、タイヤに影響されたことに加え、忙しかった仕事のため、異常につらい日々でしたが、過去最高実績を挙げられ、終わってみれば、なんとも良い1年だったと感じています。
2001年
 そして今年、ジムカーナ生活6年目に入るわけですが、実は諸般の事情により、今年度は少なくとも秋までジムカーナ活動を停止することになりました。
 昨年後半はなんとなく調子が出てきた様にも思え、少しもったいないかな、とも考えましたが、自分としては、昨年の好調な結果はタイヤのおかげ。その反面腕は落ちつつある、という認識を持っていたのは事実です。
 活動を停止する主な理由は、実は既に仕事の都合で昨年後半から日本を離れ、ており、アメリカはカリフォルニアにてしばらく生活することになったから、なのですが、5年間真剣に突っ走ってきて、一息つくのも良いかなと、真剣に思っています。
 というわけで、今年は競技に参戦する予定はありません。ですが、いろいろ振り返って、初心者に役に立つ様なことが、このWebsiteを通してできたらな、と考えています。まずは、練習に関する記事を掲載していこうと思います。その一方で、アメリカのモータースポーツに関する記事なども掲載できればと考えています。

 私の人生上最大の出来事とも言える海外生活だったわけですが、あっと言う間に終わり、11月中旬に残念ながら予定通り帰国しちゃいました。再び日本での生活がスタートです。渡米中は右ハンドル車にもマニュアル車にも乗れず、当然ジムカーナもできず、どうなることかと思いましたが、不思議なもので慣れると競技をやりたいという意識が少なくなってくる様です。適当にアメリカのモータースポーツ観戦を楽しみながらの、あっと言う間の1年でした。
2002年
 1年半近い完全ブランクを過ごし、今年どうするかは全く未定です。分かっているのは、ライセンスが切れたこと、ジムカーナ用のエボ6が手元にあること、製造から2年程が過ぎてはいますが一応タイヤもあること、などでしょうか。
 現在、右ハンドルに加えマニュアル車での町中の運転ですらぎこちない状態ですから、バリバリにやってやるぜぇ、という気持ちにはなれないし、やれるとも思えません。折角距離を置いた訳ですから、今後の方向性をゆっくりと模索していく1年になりそうです。
 それでも、車から離れる事は考えづらいので、何らかの形で車と付き合っていくことは間違いありません。

 恐る恐る友人に誘われながら手元に残るエボ6で練習会場や競技会場に出没し、神奈川シリーズの後半戦に参戦して1年が終わりました。1年以上の完全ブランクってのは相当なもので、自分の中のドライビングイメージと実際のドライビングとの大きなギャップに悩まされ、こんな苦労するならもう足を洗った方がいいんじゃないかとさえ思う事もありましたが、その一方でジムカーナの面白さを再認識し、そして多くの仲間が居るこの業界にもう少し身を置きたいと思ったのもこの1年でした。
 さらに、何を血迷ったか、低迷する神奈川ジムカーナシリーズを盛り上げようと仲間と立ち上がり、夏場以降はほとんどこの神奈川シリーズの為に私生活を費やしたといってもなんら過言は無いほどの精力的な活動をしてきたつもりです。この活動が実を結ぶか否かは1年後か2年後か、はたまた何の日の目も浴びずに消滅していくかは定かではありませんが、立ち上がった多くの仲間の熱い思いとともに、がんばっていきたいものです。
2003年
 今年から、長く続いてきたジムカーナA車両規定が廃止となり、新たに改造範囲が強く制限されたN車両規定が誕生します。
 もちろん手元に残っているエボ6はA車両スペックですが、幸いにして過激なフルA車両とはなっていないため、いとも容易くN車両化が可能だったりします。そんな訳で、この車両規定変更に便乗して、エボ6をN車両化して競技参戦することを決めました。
 巷ではランサーエボ8がデビューし、主役はエボ8になることは明白です。が、そんな財力はありませんし、現時点でそこまで強い思い入れがあるわけではありませんから、戦闘力は期待できませんが、エボ6のN車両でどこまでやれるのか、やるだけのことはやってみるつもりです。
 これに伴い、足や駆動系のリフレッシュ&仕様変更を行いました。また、新しいカテゴリー故に、参加台数が集まるのかというのが大きな懸念材料だったりするわけで、今年は無謀ながらも地区戦にチャレンジすることに決めました。さて、どうなることやら・・・。
 そして、神奈川シリーズを盛り上げる活動も、ここまでやってきた活動の効果があるのかどうか、非常に興味深くもあり怖くもある1年になりそうです。

 そして新たな車両規定のもと、1年が終了。やはりブランクというものは恐ろしく、1年の大半はひたすら過去の自分を追っかけている状態が続きました。
 そんな中、シーズン後半にはようやく目標としていた地区戦での入賞をゲットでき、なんとなくではありますが、ずっと過去の自分と戦ってきた自分に終止符を打てたような気がしています。1発JAF CUP権ゲットのお立ち台まであともう一息、というイベントもあり、期待以上に戦えてしまった1年でもありました。
 幸運だったのは、エボ6のN車両が予想以上のパフォーマンスを発揮してくれたことでしょうね。これが無ければ間違いなくくじけていたことでしょう。良い車に巡り合えたことや、貴重なアドバイスをいただけたことに感謝してやみません
 一方の神奈川シリーズを盛り上げる活動ですが、誰がここまで予想したか、我々当事者が一番びっくりの、エントラント数昨年比2.5倍増の日本一盛り上がっているジムカーナシリーズに変身してしまいました。これも、立ち上がった有志のみんな、そして主催者の理解と努力、さらには全エントラントの協力があったからこそ。ちょっと泣けちゃう1年でした。
2004年
 エボ6N車両の予想以上の戦闘力に、もうしばらくエボ6で戦ってみることを決意。シーズンオフにはめずらしく地味な練習をひたすらこなし、シーズン直前に大幅な車両メンテナンスを実施。とは言っても、大半が純正部品の新品交換、という地味な作業ではあるのですが、5年も使ってきた競技車両ですから、意外とこういうのが効くらしいです。
 ステージは、昨年と同じく地区戦にチャレンジ。JAF CUPが関越スポーツランドで開催されることもあり、1発お立ち台JAF CUP権ゲット、というのが今シーズのの最大の目標かな。
 そして、突然盛り上がった神奈川シリーズには引き続き協力していく予定ですが、ここまで盛り上がってしまうと僕らの出番は薄い感じですので、様子を見ながら影でバックアップするような体制に切り替えていく、という方針で行くことになりました。

 そしてシーズンが終了。なんと開幕戦でいきなり地区戦2位お立ち台をゲットするなど、本人も回りもびっくりのシーズン開幕となりましたが、夏場の第7戦では、なんとなんと地区戦初優勝までゲット。シリーズ成績も4位と、初めてのAシード獲得の他JAF CUPへも出場でき、ありえない好成績に、自分の意識が付いていけない、不思議な感覚で1年が終わりました。
 何が変わったというわけではないのですが、なんとなく地区戦トップドライバーに喰らい付いて行けたかな、という実感のあるシーズンとなりました。しかしながら、技術不足は否めませんので、もう一踏ん張りして、来シーズンを迎えたいところです。
 神奈川シリーズは昨年を越える勢いでさらなる盛り上がりを見せています。出身の神奈川シリーズが盛り上がってくれるというのは嬉しい事ですね。
2005年
 恐らく、ジムカーナ生活で最大の出来事だと断言できます。
 なんと、今シーズンより、RIGIDからサポートドライバーとして正式契約していただくことになりました(@_@)

 はっきり言って、このお話を伺ったときは耳を疑いました。何かの間違いじゃないのか、聞き間違いじゃないのか、そんな疑いがしばらく晴れない程の大事件でした。だって、あなた、あの岡野選手や宮嶋選手らが名前を連ねるRIGIDサポートドライバーですよ(@_@)。もちろん、同じレベルの期待はされていないとは言え、そりゃもう、嬉しいを通り越してビビリが入るってものでしょう。
 そんな訳で、時にはそれがプレッシャーになることもあるのかもしれませんが、こういうポジションで走らせて頂ける事を楽しみたいと思っています。
 さて、それに加えて今年から車両をランサーエボ9にスイッチします。エボ6の戦闘力が十分であることは実証済みですし、自分としてはもうしばらくエボ6で技術向上を目的とした練習に励みたかったのですが、いくつかの理由によりエボ9へのスイッチを決断しました。残念ながら勝負のための乗換えではありません。5年後にもうちょっとマシな走りが出来るようになるための、技術向上を目的とした乗り換えです。ここで苦労しておかないと先は無いってことです。未だ車さえ手元に無くて、どうなることか全く予想すら付きませんが、この機会ですから、もがき苦しんでみようじゃないですか。

 そして1年が終了しました。日本で一番最初にエボ9を実戦デビューさせるという、話題性こそ提供したものの、ほんとに大変な1年間でした。楽になった部分がある反面、中途半端なドライビングを許容してくれない車両特性を、最後まで運ちゃんが合わせ切れませんでした。それ以外にも、腰痛による人間のトラブルや身内の事故、そして車両トラブルなど、かつて無い程の障壁が次々と襲い掛かり、フル参戦するのがやっとの状態。
 それでも、波乱だったのは僕だけでなかったためか、シリーズ4位という、僕としては予想以上の成績を残せましたが、これも、サポートを頂いているアルファ及びリジット関係者の皆様を始め、多くの仲間たちのおかげで1年間を戦い抜くことが出来ました。ほんとうにありがとうございました。
2006年
 今シーズンは特に環境面で変わったことは無く、落ち着いてシーズンインを迎えられそうです。エボ9の戦闘力が実証され、エボ9へスイッチしてくるドライバーが相当数居るとの情報が入っており、今年は厳しい戦いになることが容易に予想が付きますが、今のレベルで結果云々にこだわるつもりはさらさら無く、もう少しきちんとドライビングというものを追求したい、そんな気持ちでいっぱいです。そういった追求が結果に結びつくのは来シーズン以降かもしれませんし、そもそも結果に結びつくことはなく無意味なものなのかもしれない。それでも、目指す方向性を見失うことなく、とある目標に向かって走りたいと思っています。
 あぁ、でも、JAF CUPには行きたいですね・・・。

 そして1年が終了。雑念の無かった(?)前半戦こそは、祝い事が続いた関係で当日入りを余儀なくされた厳しい戦いだったにも関わらず、前年度ペースでの成績を収められたのは、今思えば奇跡みたいなもの。中盤戦から後半戦にかけて、徐々にプライベートが忙しくなり様々な精神面での苦悩が続くとともに、歯車が狂い始めるとどうしようも出来ないことを痛感させられました。チョイスしたセットやタイヤはことごとく裏目に出て、天候の関係で1本勝負になったイベントでは大事な1本でパイロンタッチを繰り返し、予想外に車両面での不安も抱えての後半戦でした。これまでジムカーナをやってきてこれほどまでに戦うことが辛いと思った年はありませんでした。
 そんな中、たまたまライバルが崩れたから転がり込んだようなシリーズ6位でしたが、なんとか結果が残ったことを素直に喜んでいます。やはり、関東最高峰の地区戦で年間を通して戦い続けるのは大変なことだということを、身にしみて痛感した1年になりました。
2007年
 昨年後半から忙しくなり始めたプライベート関係が、いよいよ今年は佳境を迎える予定・・・。そんな訳でシーズンオフもなんとなく流されるままに日々が過ぎシーズンイン。JAF CUPに行きたい気持ちも若干薄れつつ、目標らしい目標を掲げられずにぼんやりした状態でシーズンが始まることになりそうです。ほぼ間違いなく今年一年が正念場になりそうな気がしますが、昨年のような辛い戦いはしたくないですし、もがいてもどうしようもない気がしますので、ある意味気楽にいってみようというのが今年の目標でしょうか・・・。

 そして1年が終了。前半戦は昨年の歯車のかみ合わなさを引きずっているかのような車両面での不具合が連発し、ニュータイヤを使いこなせない悩みも加わって、プライベートの忙しさにかまけて中盤までそれを引きずる羽目に。そして中盤以降はもう、イベント会場に行くのがやっと。常識的に言ったらジムカーナ会場に居るのが奇跡と思える程、周囲の人間を散々振り回して、とにかく本番だけ出ていたような状態が続きました。当然会場には居るものの戦うテンションには全く至っておらず、ただ走っているだけの状態が続き終盤戦へ。今思えばプライベート面での精神的な苦悩のピークは7月頃だったのかもしれません。終盤は体力面で日程的にきつい状態となり、さすがに走る量が極端に少なかったためか、帰国後に感じたようなイメージと運転にギャップすら感じるような状態にまで陥りましたが、あの手この手で自分を奮い立たせてほとんど気力だけで戦い、今年も崖っぷちながら、なんとかシリーズ5位をゲットしてシーズンを終了しました。
 今年は2006年と比べて別の意味で辛い1年でした。こんなに辛いなら一旦参戦を停止したらどんなに楽か、と思ったこともありましたが、ライバルからの「辛いだろうけど休んじゃダメだ」という励ましのおかげで何とか1年戦うことが出来ました。そうそう、諸先輩方からの熱く厳しいアドバイスを身にしみて感じたのも今年でした。ほんとうにありがとうございました。
2008年
 オフに入ってからも、次から次へといろいろあるね〜って感じで降り注ぐ出来事に、そろそろいい年も来るでしょうってな気持ちで2008年シーズンへ。ここ2年ほど、ジムカーナ活動を圧迫するほどのプライベートの忙しさでしたが、それも峠を越え、ようやく落ち着いてジムカーナに取り組めそうです。その一方で、にわかに仕事がいやな感じで動き出しており、ここ数年は仕事面での障壁が大きくなりそうな予感ですが、少しメリハリをつけて何とかやりくりしていきたいと思っています。
 それでもこのオフは自分にしては結構走ったつもり。特別器用でもない自分が戦いを挑むには、数多く走るしか解はないから。今までに経験の無いほどの強い刺激の中でのスパルタな走行会も何度か経験し、驚くほどいろんなことを感じたオフでした。車はそのままだし、明らかに腕が上がったなんてことも無いけど、今年は頑張りたい、という強い思いを今は持っています。ザコキャラなりの意地を見せたいところですが・・・。