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    <title>Science Café on Chuo-Line 通信</title>
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    <description>&lt;br/&gt;</description>
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      <title>通信９号</title>
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      <pubDate>Sat, 5 May 2012 15:58:51 +0900</pubDate>
      <description>中央線サイエンスカフェの会通信（第９号）&lt;br/&gt;平成２４年５月&lt;br/&gt;○江戸時代の一日&lt;br/&gt;江戸時代には時刻を表すのに不定時法が多く用いられていたらしい。（注）&lt;br/&gt;不定時法とは、明六つから暮六つまでを６等分、同様に暮六つから明六つまでを６等分し、それを基本単位「一つ」として１日の時刻を定めたものである。ここで明六つとは日の出前約（現在の時制で）３６分、暮六つとは日の入り後約３６分と決められていた。ところが日の出、日の入りは季節によって異なり、日の出は夏早く冬は遅い。東京（そして江戸）の場合日の出は、６月中旬は４時２５分頃、１月上旬になると６時５０分頃であるから、江戸の明六つは早い時は３時５０分頃、遅い時期には６時１５分頃ということになる。&lt;br/&gt;このように、明六つと暮六つとを自然現象に従ってフロートさせていた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;さて私も次第に８０歳に近付いており、世の高齢者同様朝目が覚めるのが早くなってきた。自然に覚めることもあるが、明け方用を足しに行った時に明るくなって居るとその後寝られなくなることもある。上に述べたとおり夏が近付くと４時頃にはそろそろ明るくなる。そうこうする内に、我が家では４時半頃には朝刊を配達するバイクの音が聞こえてくるので新聞を取って来て読み出すとそのまま起きてしまうことになる。その時期には日没も遅くなるが、夕方のルーティンは大体決まっているので朝が早いとそれだけ一日の時間が長くなるのでやりたいことの手順が進み大変気分が良い。朝が早いと寝るのも早くなるのは当然である。私の場合、１０時半過ぎれば就寝する。&lt;br/&gt;江戸時代は夜間照明が劣悪であったこともあり、一般的に人々の生活は朝早く夜は早かったのではなかろうか。そう考えると私の生活時間は不定時法的ということになる。冬になると目覚めるのが遅くなるが、只、どういう訳か夜は就寝が一年を通じて早くなってきた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;夏の朝でも明六つから暫くの間は空気もさわやかでまずクーラーのお世話になることはない。また朝早いだけ夜は早く寝るので、結局意図せざるエネルギーの節約となり、これは図らずも現代最先端の、電力を使わない生活パターンと言えよう。&lt;br/&gt;さらに話を展開させれば、エネルギー源不足だから生活を変えるというのではなく、現代文明人の爛熟し過ぎた文化を変革する新しい思想、哲学が出現して、その結果として過大なエネルギー消費がいらなくなると言う世の中がくることを私は期待したいのである。人類は知らず知らずの内に自然を従えるという考えに陥っていたのであろうか。（ＹＮ）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;（注）明治５年１１月９日突然発布された旧暦から太陽暦への改暦に関する「太政官達にはそれまでの不定時法を改めて、定時法を採用することが書かれている。すなわち「時刻ノ儀是迄昼夜長短ニ随ヒ十二時ニ相分チ候処今後改テ時辰儀（時計のこと）時刻昼夜平分二十四時ニ定メ・・・」（青木信仰著「時と暦」東京大学出版会刊　Ｐ３６）」。&lt;br/&gt;</description>
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      <title>通信８号</title>
      <link>http://www.ne.jp/asahi/yamamori/art/sciencecafe/blog/entori/2012/3/17_tong_xinhao.html</link>
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      <pubDate>Sat, 17 Mar 2012 04:58:56 +0900</pubDate>
      <description>中央線サイエンスカフェの会通信（第８号）&lt;br/&gt;平成２４年３月&lt;br/&gt;○「私って何」&lt;br/&gt;「私って何」という、私の問いへのこたえを捜しています。&lt;br/&gt;ところで、私を私として意識しているのはわたしだけです。&lt;br/&gt;私の脳とあなたの脳とは、ひとつのものでもなければ同じものでもありません。ましてや共有しているわけでもありません。ですから私を私と意識できるのは私だけです。&lt;br/&gt;私という意識を持てるような、そんな脳の使い方をしているのは人間だけです。&lt;br/&gt;例えば犬のポチは脳を持っていますが、ポチの脳は「私」とか「脳」とか「何」などという考えをもっているようには見えません。ポチと私は共に脳を持っているのですが、その構造と、その使われ方（というか使い方というか）の一部が異なります。&lt;br/&gt;犬とバッタの、脳の構造とその使われ方も異なります。犬はバッタより大きく複雑な身体の構造を持ち、その複雑な運動に対応する情報と計算処理するための神経系を、持っていることが違いをもたらしました。しかしながらバッタも犬も人間も、それぞれの脳や身体をつくっている基本的な物質は同じです。炭素や窒素や水素やリンです。元素です。&lt;br/&gt;ついでながら、空気も水も石も金属も星も大腸菌も草も、元素でつくられています。つまり私達の宇宙は、元素でつくられているということです。（ここではダークエネルギー、ダークマターについては除外してあります。）&lt;br/&gt;軽い元素は恒星の核融合で鉄より重い元素（金、ウラン等）は寿命を迎えた質量の大きな星の、超新星爆発の衝撃波の中で一瞬のうちに誕生すると考えられています。つまり、バッタも犬もあなたも私も元素でできていて、元素は星（水素）を材料に、星でつくられているというわけです。あなたも私も“星の子”だといわれる所以です。もちろんバッタや犬や石も草も“星の子”のはずです。&lt;br/&gt;「私って何」という私の問いへの、こたえ捜しの長い道のりの、ほんの一里塚といったところでしょうか。（KY）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;○サイエンス誌（アメリカ）の２０１１年科学１０大ニュース&lt;br/&gt;①HIV新薬の臨床試験　②「はやぶさ」の偉業　③化石の遺伝情報からの人類の起源に新知見　④光合成関与タンパク質の構造解明　⑤星の誕生の定説を揺るがす報告相次ぐ　⑥腸内の悪玉菌の生息条件の研究成果　⑦マラリア・ワクチン開発に一条の光　⑧太陽系の常識を超えた天体、続々発見　⑨ゼオライト製造技術の進歩　⑩老化細胞を除去する基礎研究（読売新聞２０１１年１２月２４日朝刊から）　　日本の業績は、②と④。「はやぶさ」は皆さんご存じのとおり。④は大阪市立大神谷信夫教授と岡山大沈建仁教授のチームによる成果である。　&lt;br/&gt;なお、朝日新聞（２０１１年１２月）の「２０１１年重大ニュース」は、スパコン世界一、大震災・原発事故、光速以上のニュートリノ、Ｂ型肝炎決着、ユッケ中毒、１５歳未満で脳死臓器移植、iPS細胞特許と精子作製、ＮＺ地震、スペースシャトル引退であった。(YN)&lt;br/&gt;</description>
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      <title>通信７号</title>
      <link>http://www.ne.jp/asahi/yamamori/art/sciencecafe/blog/entori/2011/12/1_tong_xinhao.html</link>
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      <pubDate>Thu, 1 Dec 2011 22:13:28 +0900</pubDate>
      <description>&lt;br/&gt;中央線サイエンスカフェの会通信（第7号）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;分かった気になる&lt;br/&gt;今年の6月の当サイエンスカフェで「宇宙を支配する『暗黒面』」の話を聞かせてもらった。全宇宙のエネルギー構成比をみると、原子（いわゆる物質）は4％に過ぎず、あとはダークマターが22％、ダークエネルギーが74％になるという話が出た。宇宙にはまだよくわからないものが充満しているということである。わけの分からないものが圧倒的に多くの部分を占めているとは意外であったが、その前に、物質とエネルギーという質も単位も違うものをどうやって足し算するのか、足し算した合計がどんな意味を持つのかが分からない。配布資料には、物質の質量密度をエネルギー密度に換算して表示と注が付されている。&lt;br/&gt;どうやらアインシュタインの　Ｅ＝ｍｃ２　の式により換算してあるのだろうと推測はつく。ただ、これは世界で一番美しい式と呼ばれるくらい有名なのだが、理解するのは困難を極める。エネルギー量（Ｅ）が質量（ｍ）と光速（ｃ）の二乗を掛けたものに等しいという式の形は単純だが、なぜ光速が関係してくるのか？　また石油や木材など燃えるものならまだしも、燃えない石ころのようなものまでその質量に比例してエネルギーに転換できるということは感覚的にはぴんとこない。理解するためには相対性理論の本を紐解かねばならないらしい。いい機会だからと思い、新刊の一般向けの本があったので読んでみると、空間の3次元に時間を加えた4次元空間（時空）のもとで論理が展開されてゆく。読んでゆくうちに頭がよじれてくるような気分になる。無理して読みとおしてもなかなか分かったという気分になれない。物理学に革命を起こした理論であるから素人が簡単に理解できないのは当然かもしれない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;あるとき雑誌を読んでいたら、物質を構成する原子の中の原子核、その中の陽子と中性子、さらにその中でクオークというものが、ほとんど光速に近いスピードで飛んでは壁にはね返っているという。このクオークの運動エネルギーが　Ｅ＝ｍｃ2　によって質量としてふるまうのだと説明されていた。　あまりに分かりやすいので、素人向けに正確性を多少犠牲にして説明されてあるのではないかとも思ったりもしたほどである。しかし、石ころの中にも、エネルギーが込められていることがなんとなく分かった気になる。&lt;br/&gt;「分かった気になる」という言葉は、悪いニュアンスを込めて使われることが多い。しかし、専門外の難しい問題を勉強しようとするとき、全然、頭がついて行かないと、高い絶壁の前に立ったような絶望感にとらわれてしまう。こんな時、分かった気にしてもらうことは、また勉強を続けてみようという勇気を与えてくれる。サイエンスカフェは一般市民に対してはサイエンスの理解を広める啓蒙的な試みでもある。難しい問題でも分かった気にしてもらえる場であってほしい。&lt;br/&gt;なお、6月のサイエンスカフェの際、宇宙や関連したテーマについて「おススメの本」のリストをいただいた。大きな本屋に行くと宇宙関連だけでも本棚いっぱいに並んでおり、どれを選んだらよいか迷ってしまう。これからもその日のテーマに関連した優良図書を紹介してもらえるとありがたい。（Ｙ.Ｅ）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;パニック&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;文部科学省のＳＰＥＥＤＩ（緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム）が迅速に発表されずその運用が批判された。これに類する話は外にも色々ある。&lt;br/&gt;そのような問題に対して、専門家は次のように言っている。皆さんはどう思われますか。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;『福島原発災害に関して、政府や一部の研究者・マスメディア・団体・企業などが情報制限をおこない、その理由について「パニックを防止するため」と説明した。』&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;『しかしながら、災害に関する情報がパニックを引き起こした事例は、世界的に見てもきわめて稀である。それどころか、深刻な内容の情報が公的機関から警報として伝えられても、思ったほどには危機感をもたれず、避難に結びつかない実態が長年の研究によって明らかになっている。』&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;『今後、リスク情報の発信・伝達にかかわるすべての組織と人間は、「パニック」に関する漠然とした偏見を捨て、・・・最新の心理学・災害情報学の知見をわきまえた上で行動してほしいと願う。』&lt;br/&gt;　　　　　　　「科学」11年10月号「パニック神話に踊らされる人々」（小山真人（静岡大学防災総合センター（火山学、災害情報学））より。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（Ｙ．Ｎ．）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;</description>
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      <title>通信６号</title>
      <link>http://www.ne.jp/asahi/yamamori/art/sciencecafe/blog/entori/2011/9/1_tong_xinhao.html</link>
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      <pubDate>Thu, 1 Sep 2011 22:11:27 +0900</pubDate>
      <description>中央線サイエンスカフェの会通信（第６号）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;○中央線考&lt;br/&gt;・中央線が中央線である所以はなんだろうかー野球のセンターラインといえば、守備の要である。道路の中央線といえば、自車と対向車との車線を分ける重要な標示である。&lt;br/&gt;それでは、鉄道路線の中央線はどうだろうか。&lt;br/&gt;都民にとっては通勤・通学に欠かせない路線であり、また、多くの特急が山を越えて甲州・信州へと走って行く。しかしながら、日本の鉄道網の大動脈としての機能は東海道新幹線が持っており、中央線（およびそれに続く中央本線）は中央とはいえ脇役の立場にある。&lt;br/&gt;・そんな中央線が中央線たる所以は、東京都に視野を狭めると明瞭に見えてくる。&lt;br/&gt;東京から新宿までは山手線の中を南北に割り、新宿から立川までは多摩の中央を真一文字に貫くという、凛々しいたたずまいを見せている。&lt;br/&gt;実際数字で示したくなって、山手線内の面積のうち「中央線より北側」と「南側」の面積をインターネット上のツールで求めてみた。（注）&lt;br/&gt;どうやら北側が30.4平方km,南側が 32.4kmらしい。南側が皇居の分だけ勝っているものの、ほぼ二等分しているといっていいだろう。中央線がうまい具合に東京都のセンターラインとなっていることが数字の上からも読み取れる。&lt;br/&gt;・だが、あと10数年すれば、日本の中央を貫く「中央リニア新幹線」がやってくるようだ。いまの中央線よりもかなり南側のコースが計画されているが、時代の流れで交通の動脈が変わっていくのは自然なことであろう。&lt;br/&gt;馬車道から鉄道へ、在来線から新幹線へ、東海道新幹線から中央リニアへ。&lt;br/&gt;名実共に日本の中央を担うニューフェースに、ふと、淡い期待を寄せたくなった。（TK）&lt;br/&gt;　(注)[距離測定・面積測定―Pearl ROAD]&lt;br/&gt;&lt;a href=&quot;http://members.jcom.home.ne.jp/wa-ga-ya/map/area_length.html&quot;&gt;http://members.jcom.home.ne.jp/wa-ga-ya/map/area_length.html&lt;/a&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;○猿橋賞&lt;br/&gt;自然科学の分野で顕著な研究業績を収めた女性科学者が受ける猿橋賞は、今年は東京学芸大学准教授溝口紀子氏に与えられた。溝口氏は数学者で、「爆発現象の漸近解析」ということの研究が受賞対象になった。&lt;br/&gt;実は「サイエンスカフェon中央線」の講師をお願いしたが、丁度今年はサバティカル休暇中とのことで実現しなかった。&lt;br/&gt;この賞は猿橋勝子氏(1920~2007)によって創設された。同氏はビキニ事件の死の灰による大気、海洋汚染研究で業績を挙げた地球化学者で、まさに放射能汚染研究の草分けの一人ということになり、時節柄いろいろのことを考えさせられる。&lt;br/&gt;この賞は今年で31回目になる。（YN）&lt;br/&gt;</description>
    </item>
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      <title>通信５号</title>
      <link>http://www.ne.jp/asahi/yamamori/art/sciencecafe/blog/entori/2011/6/1_tong_xinhao.html</link>
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      <pubDate>Wed, 1 Jun 2011 00:00:00 +0900</pubDate>
      <description>中央線サイエンスカフェの会通信（第５号）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;○生情報と加工情報&lt;br/&gt;　会社のオフィスできしむ壁を見ながら、首都圏直下の地震がついに来たのかと思った。東北で被災した方々には比べるべくもないが、それでも、あの３月１１日を忘れることはないだろう。&lt;br/&gt;　今回の東日本大震災では、東京電力福島第一原子力発電所で大事故が起きた。いまも収束への道筋は見えない。それを伝える新聞記事をつくる四苦八苦の日々を送った。今回は、インターネットで多くの人が記者会見などの生情報に接することができた。新聞もテレビも、生情報ではなく、加工した情報を伝えるメディアだ。今回の震災報道に接した人たちのあいだからは、「これからは生情報の時代、ネットの時代だ」との声も聞かれる。&lt;br/&gt;　生情報と加工情報。これは科学コミュニケーションの古くて新しいテーマだ。科学をわかりやすく伝えるという加工情報への志向が語られると同時に、研究者本人から生情報を聞くサイエンスカフェも尊ばれる。加工することで情報の価値を高める新聞記事のあり方は、いったいどのようなものであるべきなのか。今回の震災報道は、新聞が伝えるべき科学について、おおきな検討課題を突きつけた。（Ｎ．Ｈ．）&lt;br/&gt;○サイエンスカフェ探訪&lt;br/&gt;第３４回カフェ・デ・サイエンス（武田計測先端知財団主催）を覗いてきた。&lt;br/&gt;　５月下旬激しい雨の月曜日夜、目黒駅から１０数分のビルの３Fに上って会費５００円を払いペットボトルのコーヒーやジュースを紙コップに入れて細長い部屋に入る。部屋の真中壁よりに講師、反対側にコーディネーター（ここではファシリテーターという）が向かい合って座り、奥の方には出口を向き講師の位置から手前の方には奥を向いたスチール椅子が並べられている。講師は新聞、雑誌などでおなじみの池内了氏（総合研究大学院大学教授）、テーマは＜世界はパラドックス＞シリーズの内、今回は「現代のパラドックス」である。&lt;br/&gt;　参加者は３０名近くになり、１８時から１９時４５分までであった。ビールを飲む続きもあったようだが遠いので私はそちらには参加しなかった。&lt;br/&gt;　始めに１５分ばかり、講師が寺田寅彦の随筆から現代のパラドックス例を幾つか引き出して説明し、直ぐに参加者の発言が促された。&lt;br/&gt;　間髪を入れず土木学会の会員という方が今回の災害に関する学会の見解を述べられ、そこから次々と、殆どが原発に関する様々な発言が続き、なかなか講師の出る幕もないほどであった。現代のパラドックスとは誠に興味あるテーマで大いに期待して参加したのであるが、さすがに原発問題だけでおわるとは思っていなかった。尤も原発問題は確かに現代最大のパラドックスであることは間違いなかろう。参加者は皆それを意識して来たわけであった。&lt;br/&gt;　それにしても原発の問題を論ずるとなぜ話がエキサイトしてくるのだろう。これまでも幾つかの場で私はそれを感じている。それだけ重大な問題なのだが、容認派、反推進派ともお互いにもう少し静かに話をしたらどうであろうか。（YN）&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;</description>
    </item>
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      <title>通信４号&#13;</title>
      <link>http://www.ne.jp/asahi/yamamori/art/sciencecafe/blog/entori/2011/4/30_tong_xinhao.html</link>
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      <pubDate>Sat, 30 Apr 2011 22:06:27 +0900</pubDate>
      <description>中央線サイエンスカフェの会通信（第４号）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;○	寅彦の言葉&lt;br/&gt;「日本はその地理的の位置が極めて特殊である為に・・・気象学的地球物理学的にも亦極めて特殊な環境の支配を受けて居る為に、その結果として特殊な天変地異に絶えず脅かされなければならない運命の下に置かれて居ることを一日も忘れてはならない筈である。」&lt;br/&gt;「ここで一つ考へねばならないことで、しかもいつも忘られ勝な重大な要項がある。それは、文明が進めば進む程天然の暴威による災害がその激烈の度を増すといふ事実である。」&lt;br/&gt;「人類が未だ草昧の時代を脱しなかった頃、岩丈な岩山の洞窟の中に住まってゐたとすれば、大抵の地震や暴風でも平気であったらうし、これ等の天変によって破壊さるべき何等の造営物をも持ち合わせなかったのである。」&lt;br/&gt;「文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。さうして、重力に逆らひ、風圧水力に抗するやうな色々の造営物を作った。さうして天晴れ自然の暴威を封じ込めたつもりになって居ると、どうかした拍子に檻をやぶった猛獣の大群のやうに、自然が暴れ出して高楼を倒潰せしめ堤防を崩壊させて人命を危くし財産を亡ぼす。その災禍を起させたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると云っても不当ではない筈である。・・・いやが上にも災害を大きくするやうに努力してゐるものは誰あらう文明人そのものなのである。」&lt;br/&gt;「廿世紀の現代では日本全体が一つの高等な有機体である。・・・その神経や血管の一箇所に故障が起ればその影響は忽ち全体に波及するであらう。」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;引用はこれ位にするが、天災が発生すると必ず寺田寅彦が登場する。これは、昭和9年11月に書かれた寅彦の随筆「天災と国防」の断片である。寺田物理学は彼の晩年東大新聞紙上で小屋掛け学問だと批判されたそうであるが、しかしこれだけ広い視野を持った自然科学研究者はそう多くはいないだろう。「文明が進む程天災による損害の程度も累進する傾向がある」という指摘をわれわれは本当に「十分に自覚」しなければならないと思う。&lt;br/&gt;なお、原発事故は、発熱の元となる核分裂そのものの制御が出来ないという意味において「天然の暴威」の一つではないかと、私は思う。（YN）&lt;br/&gt;（注）アンダーラインは原文にはない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　　　　&lt;br/&gt;</description>
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      <title>通信３号</title>
      <link>http://www.ne.jp/asahi/yamamori/art/sciencecafe/blog/entori/2011/3/1_tong_xinhao.html</link>
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      <pubDate>Tue, 1 Mar 2011 00:00:00 +0900</pubDate>
      <description>中央線サイエンスカフェの会通信（第３号）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;○科学と技術のシンポについて考える&lt;br/&gt;１）最近「科学技術の進歩は目覚しい」という話をよく聞く。たしかに身の回りを見ても、社会の種々の場所に行ってもこのことを痛感させられる。「この二三十年の科学技術の歩みは昔の数百年分に相当する」という表現はそのとおりである。一口に科学技術というが、明確な線引きはできないにしても、科学と技術は異なる内容を持っている。このことを念頭において「進歩」の中身を考えてみよう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;２）通信手段としての携帯電話を例にとる。その核となっているのは電波の検出であって、電波が電磁波、すなわち電場と磁場が変動しながら進む波、であり、携帯電話の”アンテナ“に電流を誘起する現象に基ずく。電磁波の本性が明らかにされたのは１００年以上も前のことであって、科学における画期的進歩であった。電磁波の本性が分かればそれを検出し、電流信号をより分け、増幅するのは技術の領域の仕事である。この技術は不断の進歩を遂げ、今日のような情報化社会が出現するに至った。また、電流の信号増幅の役割を担っているのは半導体である。微量の不純物を含む半導体がエレクトロニクス素子となることの発見も科学における画期的進歩であり、これは第２次大戦の頃のことであった。それ以来の半導体エレクトロニクスのすばらしい発展はだれもが知るところであり、これは技術における大進歩といえよう。ところが、電磁波などに関連する科学にはその後革命的進歩は見られなかった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;３）他の例を挙げる。クリーンエネルギー時代の象徴である太陽光発電である。その核となっているのは光によって電気がを生ずる現象、光電効果、であり、その物理が確立されたのは１００年ぐらい前であった。その後、発電効率の上昇、関連するデバイスの発明など技術の進歩はすばらしく、エネルギー革命をもたらすほどになった。しかし関連する科学には大きな進歩は見られていない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;４）科学技術の進歩を階段を上がることに譬えて言うならば、「科学」における進歩は大きな段を飛び上がった後、階段はゆるやかになり、ゆっくりと上昇するのに対して、「技術」における進歩は階段のステップ幅は中くらいであるが絶えず上昇が続き、結果的に大きな高みに至る。短い年数幅で見た場合、「科学」はあまり進歩しないのに「技術」は留まるところをしらずに進歩していると感じる。近年における科学技術政策は「目に見える結果」をもたらすものに投資を集中すべきであるという論点から「技術」に重点を置いた予算の配分がなされている。世間の関心も次々と進歩が現れる「技術」の方に向き勝ちである。学生など若い世代も「技術」が面白いと感じ、関心はそれに向かっている。しかし、このような傾向は喜ぶべきであろうか？基礎科学に携わる人に聞くと「科学の研究は難しい」という答えが返ってくる。自分の研究の目的が世の中のどんなことに役立つかを常に意識せざるを得ず、最短時間で成果が得られるように努めているからである。わが国の識者が事あるごとに基礎科学の重要性を強調するのは単に研究費の配分のことだけではなく、世間が基礎科学の意義を理解し、性急に結果を求めないようにして欲しいということである。自由な発想で急がず慌てずに行う研究に思わぬ”宝物“が見つかるというのは真理であると思う。（H.I.）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;○「非侵襲的」とは&lt;br/&gt;医学はある意味で我々に最も身近な科学といえる。それにも拘らず医学用語は非常に難しくて一般にはなじみにくい言葉が多いように思う。外国人看護師が日本の国家試験に難渋しているという話を聞くが、当然であろう。&lt;br/&gt;例えば、非侵襲的な検査とは痛みなどを伴わない検査、脳科学における非侵襲的研究といえば人に痛みなどを与えないで行う実験に基ずく研究という意味のようである。また、病気が重いことを重篤という。厳密にいえば病状の程度にも多くの段階があるのであろうが、重いという言葉に副詞をつけて程度を示せばそれでよいのではなかろうか。最近新聞に重篤という言葉が使われているのを見てすこし驚いた。（注）英語のストレスの医学用語としての訳が「侵襲」とのことである。&lt;br/&gt;法律用語も難しいが、それでも法文を国民のものとするため終戦後の新憲法制定をきっかけとして、時間はかかったものの平易化が進んだ。例えば、基本法である六法（憲法、民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法）も現在では「・・・スヘシ」式の条文が残っているのは商法の一部のみである。（Y.N.）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;○	女性と自然科学&lt;br/&gt;家事に携わることの多い女性は日常自然現象に直面することが多い。お湯を沸かしたり炊事をすれば熱力学現象に出会う。洗濯物を干すには気象学的な見通しは必須である。庭に下り立てば生物学、生態学的知見は限りなく身に付く。電化生活で電磁気学さえ身近といえる。&lt;br/&gt;それに引き換え特に都市部の男性はコンクリートの箱の中で抽象的な紙の上での対象を相手にすることが多く、特別に意識して機会をつくらないとどうしても自然現象に「疎く」なり勝ちである。&lt;br/&gt;このような意味で女性は男性よりも自然現象に触れることが多いから、自然科学に関心を持つ人がもう少し多くてもいいと思うが、必ずしもそうではないのは何故であろうか。&lt;br/&gt;尤も、意欲があっても家庭や学校で女性は理系には不向きという先入観を植え付けられる傾向があるとの指摘もある。（YN）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;</description>
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      <title>通信２号</title>
      <link>http://www.ne.jp/asahi/yamamori/art/sciencecafe/blog/entori/2011/1/22_tong_xinhao.html</link>
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      <pubDate>Sat, 22 Jan 2011 00:00:00 +0900</pubDate>
      <description>中央線サイエンスカフェの会通信（第２号）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;○サイエンスで気になること&lt;br/&gt;　合成生物学&lt;br/&gt;　生物学の知見に基づき化学的手法によってDNAなどを人工的に造り、それを細胞に埋め込んだものを用いて生命の起源や細胞の研究を行うものらしい。昨今脳科学研究など生命活動の探求が盛んに行われている一方で、既にこれの合成が試みられているというのは、なにか危うい気がしないでもない。&lt;br/&gt;　合成物がどのような働きをするのか、これが無機物でないだけに心配がある。究極的には生命が人の手によって造られるとなれば、キリスト者ならずとも考え込んでしまう。&lt;br/&gt;　とまれ多くの人々が考えて見なければならない問題であろう。&lt;br/&gt;　巨大科学&lt;br/&gt;　一昨年末事業仕分けにスパコンが取り上げられて大騒ぎになった。スパコンは現代科学の最先端では必要不可欠のもののようである。&lt;br/&gt;　他方、国家財政は景気の長期停滞に起因する財源難から、国民の日々の生活にも影響を与えかねない状況になって来ている。このような事情から科学にも金が廻りにくくなりそうである。その場合どうするか。&lt;br/&gt;　最近私は、巨大科学（膨大な研究費を必要とする科学）には２種類あると考えるようになって来た。必ずしもすっきりしたものではないがおよそのところで言えば、天文学や素粒子論などに代表される基礎中の基礎科学と、医学生物学や医薬の開発など基礎よりは少し現実的な科学と、である。&lt;br/&gt;　そして、乏しい財源の中からでも後の方の科学に対する投資はやむを得ないが、前の方の科学に対しては、（往時天文少年であった私としては実に、実に耐え難いのであるが）今は紙と鉛筆とそして手持ちのやや古くさい研究設備で頑張って貰うしかないのではないかと思うようになってきている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;○πというもの&lt;br/&gt;　「πについて。どのようにしてこの考え方が生れたのか。どのような計算をしているのか。・・・など」知りたいというアンケートの回答を頂いた。&lt;br/&gt;　たしかに、&lt;br/&gt;　　　π/4=1―1/3 ＋1/5― 1/7＋ 1/9.・・・&lt;br/&gt;　などという数列を見ると、πとは何物なのか思ってしまう。&lt;br/&gt;　更に話が飛躍するが、今の科学を見ていると、ピタゴラスではないが物事の根源は数（数学）ではないかとさえ思うことがある。　　　（YN）&lt;br/&gt;</description>
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