足尾銅山観光


銅山内部の写真


名 称 足尾銅山観光
所在地 栃木県上都賀郡足尾町通洞9−2
問合せ先 電話:0288−93−3240
関連HP 足尾町ホームページ
開坑時間 午前9時より午後5時(午後4時30分まで入坑可)
休坑日 無   休
入坑料 大人:620円 高校生:510円 小・中学生:410円
駐車場 150台 (無料)
足尾銅山
 の歴史
 足尾銅山は、西暦1610年に2人の農民により、発見される。
それ以来、約400年に渡り日本の銅の産出量の40%を支え、日本最大の銅山となる。

・江戸時代
 幕府直轄の銅山として、鋳銭座銅が設けられる。
 1741年から5年間に渡り約2000万枚の寛永通宝(一文銭)が作られる。
 足尾銅山製の銭の裏側には、”足”の字の刻印がなされ「足字銭」と呼ばれる。

・明治時代
 古河市兵衛(後の古河鉱業の創始者)の経営となる。
 西洋技術を積極的に取り入れ、銅の増加に尽くした。

  明治19年: 銅山の中と外に電話を設置(民間第1号)
  明治23年: 電動ウィンチの導入 (日本初)
         鉄橋(古河橋)の開通 (日本最古 今も利用)
         水力発電所の完成 (日本初)
  明治30年: 銅石運搬用のパンタグラフ式の電気機関車開通(鉄道文化財)

・大正時代
 鉱脈が次々と発見され町が繁栄する。(この頃が最盛期)
 人口が38,428人となる。(当時、宇都宮に次いで、県下第2位)

・昭和時代
 昭和48年2月28日閉山 360有余年の幕を閉じる。


 閉山までは、約1200キロに及ぶトンネルが縦横無尽に走る大鉱山となりました。
これは、東京から博多までの距離に相当します。

公害問題
について
 日本初の技術を積極的に取り入れた、社会に貢献した足尾銅山でしたが、「日本初の公害」の原因ともなってしまいました。

・鉱毒:銅を精製する時に出る「鉱毒」が川に流失し、下流の農地を汚染
・洪水:精錬所の煤煙や伐採により、山全体が禿山になった。
    そのため、雨により渡良瀬川が増水し、下流域で洪水が発生

 これにより、明治中頃「田中正造」が天皇に直訴する事件が起き、大きな社会問題となりました。

ご案内  この資料館は、銅山の坑道跡の一部を整備し、開設されました。
全長約700メートルの坑道と、資料館、屋外展示等で構成されています。

・坑道
 主抗(通洞)の一部(160メートル)をトロッコ電車に乗車して坑道奥へ進みます。
説明を聞いた後、各自歩いて坑道内に設置された展示を見学します。
江戸,明治・大正,昭和毎に当時の採掘の様子が再現されています。
また、「鉄錆サビ結晶地帯」「岩肌青色地帯」などの銅山内部の様子(実物)の他、様々な鉱物等も展示されています。

・屋外展示場
 実際に使用された機材(トロッコの電気機関車、削岩機、その他)が展示されています。
削岩機は実際に触れることができ、音と振動が体験出来ます。

・資料館(鋳銭座)
 江戸時代の「鋳銭座」と言われた、貨幣の製作工程等が、人形等でリアルに再現されています。

アクセス ドライブルートのコマ地図6番から約1キロメートル先を右折する。
 通洞橋を渡たり、突き当たりを右折する。



坑道内の写真  江戸時代の採掘の写真
坑道内の様子 (トロッコ電車のホーム)          採掘の様子 (江戸時代)  





実際に使用されたトロッコ電車の写真  観光用トロッコ電車の写真
    実際に使用されたトロッコ電車          観光用トロッコ電車(トンネルが坑道入口)





展示場の写真  足字銭のオブジェの写真
展示場(坑道内)                    足字銭のオブジェ





削岩機の体験コーナーの写真  案内看板の写真
削岩機の体験コーナー                  案内看板   







赤城へ高原ドライブに行こう のメインに戻る