八ヶ岳阿弥陀岳〜赤岳


1983.12.30〜31 佐々木、小野
 12月30日(晴れ) 3年ぶりの年末登山。この間、なかなか山に行けず、というよりも行きたい気持ちにならなかったのだから不思議だ。7、8年前にも一度、山道具や本の大半を処分して、山をやめようとした時期があった。山から遠ざかると、再び山への郷愁が芽生えるという揺れ動きがある。困ったものだ。

 早朝、一足先に車で茅野に着いていた小野と合流する。道を確認しないまま行ったので、八ヶ岳高原牧場を経由して美濃戸口に着き、少し仮眠する。凍り付いた林道歩きでさっそくコケる。3年ぶりだとなかなかリズムがつかめない。行きと帰りが同じじゃつまらんというわけで、登りは北沢、帰りは南沢経由にする。北沢沿いのトレースから、目の前がパーッと開けると赤岳鉱泉も近い。大同心はじめ横岳西壁が、開放的に展開していた。鉱泉周辺の色とりどりのテントを過ぎ、中山乗越への最後の急登となる。夏道を通らず左手の沢状のクボを登って行くと、滑落停止訓練をしているパーティーのおかげで、滑り台のように登りづらい斜面と化していた。

 乗越の下りから見る赤岳、阿弥陀岳は秀麗で、その麓に赤岳鉱泉よりもにぎやかな行者小屋のテント村ができていた。小屋から40mくらい離れた阿弥陀岳寄りに幕を張る。水は小屋の脇で自由に使えるので楽だ。夕食後、午後6時すぎには寒くてシュラフに潜り込む。半端な冷え込み方ではなく寝つけない。10時すぎまで騒いでいるパーティーがうるさかった。

阿弥陀岳 12月31日(晴れ) 午前4時に起床。アイゼンをはくため外に出ると満天の星だ。続々とパーティーが出発する。今回は一本締めバンドなのでもたついてしまった。文三郎道の分岐から阿弥陀岳へは、沢状をコルまで登り詰めていく。快適にアイゼンが食い込んで小気味がいい。1カ所ノドのようになった急な部分があるほかは一直線に中岳と阿弥陀岳のコルへと高度がかせげる。先行パーティーとほぼ同時に着く。富士山や南アルプスがよく見えた。朝日が昇りかけて権現岳が赤く染まっている。立場川側の斜面にへばりつくようにツエルトが張ってあった。

 急登30分で阿弥陀岳山頂。北アルプスが見渡せる。コルまで戻り、中岳を越えて赤岳の登りになる。文三郎道から多くのパーティーが登ってくる。赤岳主稜に取り付いているのも見える。文三郎道と合流して立場川側へトラバース気味に登っていく。途中から赤岳への近道をとる(写真=阿弥陀岳を振り返る)。鎖、針金がついた岩と岩の間を抜けて稜線に出ると、そこはもう赤岳南峰の直下だった。東側からはガスが早くも湧いてきたが、稜線を隠すほどの勢いはなかった。眼下の行者小屋テント村は、おとぎの国のように小さくも華やかに見えた。北峰でもパノラマを楽しんだあと、横岳との鞍部へ向けて快適に下る。赤岳石室を過ぎるとすぐ地蔵尾根分岐である。最初は急なので慎重になる。鎖や針金はあるが頼るほどでもない。樹林帯に入ると風もなく暑さを感じる。ポカポカ陽気に包まれたテント村は出払って静かだった。

 まだ午前中なのでテントを撤収して下ろうということで一致する。小屋脇から南沢へ。途中までは樹林帯の気持のいい雪道だった。美濃戸小屋でおでんを食いながら、もう1泊するかどうか相談する。林道からはずれた小沢のわきが候補となったが、あまりロケーションもよくなく、急に帰りたくなってしまった。こんなことなら行者小屋にもう1泊して、あす横岳か硫黄岳でも行けばよかった。小野は少し機嫌が悪そうだったが、美濃戸口から小淵沢駅へ車で送ってもらって別れた。

 【コースタイム】 (12/30)美濃戸口7:45 赤岳鉱泉11:00 中山乗越11:50 行者小屋12:00〜(12/31)6:30発 阿弥陀岳・中岳のコル7:20〜30 阿弥陀岳8:00〜20 中岳8:55 中岳・赤岳のコル9:00〜05 赤岳南峰9:55〜10:00 赤岳北峰10:03〜20 地蔵尾根分岐10:45 行者小屋11:12〜12:30 美濃戸小屋13:45〜14:00 美濃戸口15:30

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