山陰・伯耆大山


1975.3.24〜25 山田、佐々木、郷田、長谷部
 16日から21日にかけて氷ノ山〜扇ノ山を縦走したが、なかなか機会のない山陰まで出かけてきたからには伯耆大山を登らない手はない。

 3月24日(曇りのち雪) 8時半まで寝坊してしまい、桝水の避難小屋内に張ったテントに陽が射し込んできて飛び起きた。大山は雲に覆われたままで、あまり上天気とは言えない。とにかく今日は六合目まで登ることにする。新雪が5センチ積もっていた。大川寺まで有料道路を歩き、国立公園管理事務所に登山届を提出してから、夏道どおりに登り出す。一本登りなので、ピッチが上がり高度をかせぐ。

大山頂上へ 五合目あたりで引き返してきた登山者に会う。雪が激しくなってきたが、樹林帯を抜けるとすぐ雪に埋もれた六合目小屋に着いた。小屋の内部は雪まみれでどうしようもないが、奥に雪洞が掘ってあったので、それを利用することにする。郷田と長谷部は雪訓に出かける。

 17時すぎに「ブロッケンの怪」を見た。八海山に次いで二回目だが、そのときよりは顕著でなかった。晩飯の炊き込みご飯が悪かったのか、あるいは食い過ぎか、みんな胸のむかつきを覚える。雪洞の天井は凹凸があって水滴がしたたりおちて不快だった。夜中に風が強くなり、吹雪いて小屋の中に容赦なく吹き込んできた。

 3月25日(曇り一時小雪) 昨夜中にだいぶ雪が吹き込み、ザックなど荷物がみな埋まってしまったので、スコップで外にかきだす。5時に起きた長谷部は吐き気があると言い出し、だんだんひどくなりうずくまってしまった。みぞおち付近に痛みがあり、盲腸の疑いもあるので下山準備しながら様子をみる。外は雪がしきりに降り、起きてから15センチも積もった。むかついて痛みがだんだん下方に移り、胸からみぞおちにかけて圧迫感があるという。こりゃいよいよダメだということで、彼の荷物を分担することにする。

5合目付近のブナ林 ところが下山にかかろうとした8時すぎ、だいぶ良くなったので大丈夫と言い出した。そうこうしているうちに、雪が止み視界も効いてきたので頂上に向かうことに方針転換。サブザックの軽装で小屋を飛び出すと、ガスが晴れて日本海も見える。弥山(1,711m)に着く頃には太陽も出てすばらしい眺めが味わえた(写真上)

 剣が峰(1,729m)方面に続くヤセ尾根は魅力的だが、満足感一杯に下山にかかる。するとたちまちガスに覆われて、六合目小屋に戻る頃には雪も降ってきた。ぼくらのために頂上に着くときだけ晴れてくれたようなものだ。小屋では単独行者が休んでいた。きのうから会うのは単独ばかりで3人目だ。降りしきる雪の中を下山(写真下=五合目付近のブナ林)し、ついでだからと大川寺を見学した。

 下山して数日後、大山頂上直下で重装備の2人の登山者が遭難死したことを新聞で読み驚かされた。

 【コースタイム】 (3/24)桝水10:15 大川寺11:00〜12:40 二合目上13:10〜20 五合目上13:55〜14:05 六合目小屋14:25〜(3/25)9:10発 頂上(三角点)10:03〜05 弥山小屋10:10〜30 六合目小屋10:45〜11:35 阿弥陀堂12:10〜20 大川寺12:30(大川寺見学)〜大川寺バス停13:30


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