越後・越後駒ヶ岳小倉尾根


1977.12.28〜1978.1.1 佐々木、橋本、渡辺
 12月28日(小雪) 小出で電車をおりた登山者は我々のみ。大湯までタクシーを利用する。運転手は「今年は冬のわりに雪が少ない。冬山をやる心理がわからない。人に迷惑をかけてまで冬山に入るとは……いやだ、いやだ」と独り言をブツブツ言っていた。

 駒ノ湯への道にはトレースが全くなく、ワカンをつけても太股から腰までのラッセルとなる。それでも今年は例年の半分だそうだ。小雪がちらつくが風はない。遅々として行程がはかどらず、小倉尾根に今日中に取り付けそうになくなった。後ろを振り向くと、さっき1本立てた場所が見え苦笑い。銀岳橋のあたりから時々太陽がのぞき暑くなった。駒の上部はガスに包まれたままで、佐梨川の雪をつけない黒々とした岩壁だけが目に付く。国道から駒ノ湯への林道に入る頃には、皆さすがに疲れてきた。平均32〜33kgのキスリングザックと睡眠不足がたたっている。駒ノ湯までまだ半分しか来ていないので、このペースだと駒ノ湯まで行くのがやっとのことと観念する。栗ノ木沢の頭(920m)までの計画が大きく後退する。結局、9時間行動して駒ノ湯の小倉尾根登山口に着いた。

 12月29日(快晴のち晴れ) 吊り橋を慎重に渡ってワカンをつける。小倉尾根の取り付きは夏道通り、左側沢沿いにトラバースしてから登り出す。最初、かなりの急登で胸まで埋まることもしばしば。昨日同様、50歩交代の苦しいラッセルが続く。晴れてはいるが、低気圧接近を示す雲が、ぞっとするほどの早さで現れる。

 急登から傾斜が緩み、二重稜線となる。気温が上がり、佐梨川奥壁方面から雪崩が起きた。今日入山したパーティーが早くも我々に追いつき、二重稜線の上からラッセルを交代してもらい大助かり。やはり、本格的なラッセルには4人以上の編成とすべきだ。4人目のメンバーだったHにビビられて直前逃亡されたのが痛い。左に雪庇の張り出しを見ながら急登。一旦、緩んで再び急登すると今日の幕場である栗ノ木沢の頭に着く。ラッセルしてもらった5人パーティーは手前でテントを張った。毛猛連山、守門岳がよく見え、雪をべっとりまとった山々を眺めているのは飽きない。夜半からは低気圧の接近で雨となり、テントの中は不愉快な状態となった。雨のせいで駒ヶ岳からは、沢筋に大雪崩が起きた。

越後駒ヶ岳 12月30日(雨のちガス) 昨夜からの雨が残り、午前中はガスが濃く行動できず。雪がだいぶ融け、テントの張り具合がギクシャクしてきた。昼過ぎから、ガスが上がり駒ヶ岳が姿を見せて行動可能となった。できるだけテントを上部に上げたいと出発するかどうかの判断に迷ったが、結局、停滞として昨日までの疲れをとることにした。

 午後3時ごろ、2パーティーが登ってきた。1パーティーは我々の隣にテン張る。結果的にこれで、予備日を2日使ったことになり、明日は何が何でも登頂しておかなくてはならなくなった。(写真=雨上がりの合間に。遠方の山は毛猛連山。ウインパー型テントが時代を感じさせる)

 12月31日(曇り時々雨) 零時55分に起床。雲が多いが月が出て駒が見える。今夜は天気がよく、次第に天候悪化(雨)との予報に、月明かり頼りにラッシュをかけアタックしようというもの。綿密にコースタイムを試算しなおして、登れると判断。また今日を逃すと予備日がないし(2日まで)、冬型気圧配置になって荒天が予想されたからであった。

 午前3時40分の出発時には月は隠れてしまった。妙になま暖かい夜だ。隣のテントは我々の物音に目が覚めてゴソゴソしている。トレースを辿っていくと樹林帯となり1パーティーがサイトしていた。トレースはなくなったが、軽装なので苦にならない。この辺りは二重稜線となっている。急登となり、左側は切れている。登り切るとニセ小倉だが、途中、直下の雪壁状を登っているとき、再び月が出て我々を照らし何ともすばらしいシルエットを浮かび上がらせた。ヨーロッパアルプス方式で夜に登るのも悪くないものだ。

 ニセ小倉からは、駒が一段と大きく、扇状に根を張った姿に圧倒される。春先の土砂崩れのような雪崩音がオオチョウナ沢から響いた。振り返ると大湯や小出の街灯りが輝いている。しかし、早くもここで雨がぱらついてきた。「崩れるのが早い! 約束が違うぞ」。本降りにはなりそうでないが、気が焦る。少し下って登り返すと小倉山。荒沢岳が見えたが頂上はガスの中だ。風が強いためクラストして歩きやすい。

 そろそろ東の空が赤くなってきた。一部だけ青空で、魚沼地方はまだ真っ暗だ。少々雪面が固くなってきたのでピッチを上げるためにも、急登にさしかかるところでアイゼンにはきかえる。ブレイカブルクラストを時々踏み抜くこともあるが、どんどんペースが上がる。駒の小屋手前のリッジはベタ雪とかわり、ダンゴアイゼンとなる。風が北ノ又川側から一層強くなる。小屋直下の雪壁では強風で動けず、ピッケルとの三点支持で体を何度か支える。もう白一色の世界だ。

 駒の小屋はまだ埋まっていなかった。小屋の陰で簡単な食事をとり、アイゼンワッパにして空身で駒ピストンに向かう。前駒寄りに登り、雪庇を乗り越して稜線に出た。右側に頂上はすぐで、着いたとたんミゾレが降ってきた。猿田彦の銅像が上半分だけ雪面から出ていた。中の岳は見えず、八海山も雲の中。三人でがっちり握手のあと、長居無用とすぐ下りにかかる。駒の小屋の下りが強風下は心配だったが、やや風が弱まりザイルも出さず無事通過。小倉山方面に登ってくるパーティーが見える。29日に出会った人達がトップ。雲表倶楽部、暁山岳会など、いずれも三山縦走だろう。雨が断続的にぱらつき、かなり濡れてしまう。

 小倉山の下りではいくつかのパーティーとすれちがう(新潟峡彩山岳会、駒大山岳部など)。早めにテントに戻り、やれやれの気分。夜になるとさらに雨が降って、テントの雨漏りには泣かされた。とにかく冬の越後駒ヶ岳に登ったのだ。駒ピストンだけでは物足りなさが残るが、ワンゲルとしてはこれが限界だろう。

 1月1日(小雨) 前日までの雪がグシャグシャとなり、トレースを辿ってもズボズボともぐる。イライラすることこの上ない。この3日間で50〜60cmは融けただろうか。入山のときにつけた赤布が、手の届かない所にあったほどだった。

 【コースタイム】 (12/28)大湯7:10 駒ノ湯16:05〜(12/29)7:10発 栗ノ木沢の頭15:35〜(12/30)停滞(12/31)3:40発 ニセ小倉5:15〜30 小倉山5:50 駒の小屋8:35〜9:15 越後駒ヶ岳9:40〜45 駒の小屋9:55〜10:00 栗ノ木沢の頭13:00〜(1/1)8:05発 駒ノ湯11:30 大湯14:10


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