奥秩父・大血川西沢割岩谷〜石楠花沢左俣下降


1993.9.11〜12 佐々木、阿部

 9月11日(曇りのち霧雨) 長沢背稜の中心に位置する長沢山(1738m)への集中登山で、大血川流域に初めて入る。西谷本流割岩谷のほか石楠花沢右俣、桶木沢、東谷白石沢を4パーティーで登ることになった。秩父鉄道三峰口からタクシーで、太陽寺入り口のさらに奥まで入ってもらう。ゲートのところに「過激派に注意」の看板があった。気色悪い名称(大血川=おおちがわ)の雰囲気をますます暗くしている。堰堤を三つ越えて12時に遡行開始。石楠花沢にうっかり引き込まれてすぐ戻る。釣り師が2人下降してきた。「滝があるので戻ってきた」という。

 滝はすぐ現れ、釜を従えた2m滝を左から越えると6m滝が二つ連続する。水量豊富でなかなか立派だ。二つ目の6m滝は右から岩を抱くように落ち口へ抜ける。左折すると右岸は崩壊壁となって、石灰岩のゴロゴロしている何とも異様なところとなる。二段6m滝を左から巻き、5mCS滝も左から巻いていく。イヌオテ沢手前の幅広6m滝は右のコーナーから念のためロープをつけて登る。空が暗くなり、今にも降り出しそうな気配だ。

 4m、6mCS滝を一緒に右から巻き、連瀑となった5段15mは快適に登る。二俣となる左岸台地が幕場にいいかと思ったが、すぐ下流の右岸にもっとましな場所を見つけ戻ってツエルトを張る。整地してもあまり居住性はよくなかった。15時15分。霧雨となり焚き火もできず、あまり快適でない。阿部君は不満そうだったが、日頃の疲れのせいか飯を食って早々に寝てしまった。

 9月12日(曇り一時雨) 7時出発。7m滝を右から巻いたあと、2〜6mほどの滝を九個ぐいぐい登って高度を上げる。詰めも間近いころ二段で18m滝が現れるが、右から簡単に巻ける。三俣の真ん中を選び、水も枯れるとヤブこぎもなく雲取山・三峰山間の登山道に出る。8時50分。

 芋ノ木ドッケを巻いて、長沢背稜の道に入る。途中、1708m峰で交信を試みる。桶木沢パーティーの声が一瞬入っただけ。長沢山手前の石楠花沢右俣の詰めはかなりの急斜面となっていた。前を歩いていた女性の単独行に長沢山頂上で追いつく。まだ10時55分で、13時の集中時刻まで肌寒い中を待つことになる。

 11時30分コールを交わすと桶木沢パーティーはすぐそこ。しかしなかなか現れない。もうひとつのピークを頂上だと思い休憩していたのだった。石楠花沢右俣パーティーも昼過ぎに姿を見せ、残るは東沢パーティーのみ。13時を過ぎたので他パーティーには先に下ってもらう。10分後、「ドブ沢じゃねーかあ!」と、平塚君がわめきながら頂上にやってきた。東谷白石沢は下流の20m滝以外は全然何もなかったとのことだ。一番面白そうな沢をあてがったのに……。

 石楠花沢左俣は途中30mほどの大滝が数段に落ちており、左岸から巻いたほかは単調なガレ沢だ。右岸に大崩壊壁を見ると右俣出合の上の15m滝で、右岸から巻く。右俣は12m滝を落として出合う。平塚君の友人の藤谷さんは、初めての沢登りで少々疲れた様子。高野さんが心配して車止めまでワゴン車で迎えに来てくれていた。高野さんの車で両神温泉に立ち寄って汗を流し、西武秩父からレッドアローに乗って帰った。9月上旬とは思えないほど寒い一日だった。

 【コースタイム】 (9/11)西谷林道ゲート11:15 堰堤11:30〜12:00 石楠花沢出合12:10 二俣15:00〜10 B.P(二俣手前に戻る)15:15〜(9/12)7:00発 18m滝上7:45〜8:00 稜線8:50〜9:05 1708m峰9:55〜10:10 長沢山10:55〜13:30 石楠花沢右俣大滝上14:35〜45 崩壊壁下部15:55〜16:05 西谷本流16:30 道16:45 ゲート17:00

 ※大血川の地名の由来 太陽寺に隠れすんでいた平将門の妾桔梗と従者99人は、源経基の襲撃をうけて渓谷で激戦のすえ全滅し、鮮血が川に流れ込んで水を紅にしたことから大血川と称したという。



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