上州武尊山・川場谷



1976.20〜21 佐々木、小野、八木下

 6月20日(晴れのち曇り) 川場太郎から車道を仙ノ橋まで一汗かく。梅雨の中休みといった感じで日差しが強い。仙ノ橋から川場谷本流にかかる3m3条の滝を見て、さらに林道を造林小屋まで歩くと、伐採地の中に踏み跡が続いている。適当な所から川場谷に降りる。9時50分遡行開始。

川場谷下流の平滑 水量は少なく、ヌルがあって滑りやすい。20分ほどで魚留ノ滝に出合う。幅広でかぶり気味の滝で高さは3m。左岸から簡単に高巻く。廊下状のナメを過ぎるとゴーロとなる。倒木が3本重なった滝は右から越え、再び狭まった小滝の右岸に出ると踏み跡があってそのまま5mナメ状の滝も巻く。そこは平滑(写真)と呼ばれる川幅いっぱいに流れる岩床の末端だ。はるか武尊の稜線も眺められる気持ちの良いところだ。

 このあと深い樹林帯の単調な流れとなって、なかなか高度をかせげない。ウナギの寝床と呼ばれる幅2m暗いのゴルジュを通過、小滝もいくつか越える。水の色が紫色して非常に美しい。やがて右岸が圧倒的な壁となるのを見て、「獅子の牢」だなとうなずく。予想したほどの直立した壁ではない。岩がゴロゴロしてきたり、いささか単調さに飽きてきた頃、10mの滝が水しぶきをあげている。残置ハーケンのある左側からシャワークライムする。

 ナメ床を過ぎると顕著な二俣となった。左は20mくらいのブツブツした岩の滝で、やや水量は少ない。五万図での1670m付近の二俣だろうと思われる。ここで本流は大きく右に曲がる。次第に源流の様相を帯びてきた。小滝から深い釜とツルツルの滝が連続しており、左からヤブを絡んで一緒の巻く。途中、カメラを落としたがヤブにひっかかって無事だった。硫黄臭い5m滝が右から出合い、左の本流に入る。倒木が散乱し、雪渓も現れる。

 3番目の雪渓は大きくて急で長さも150mほどある。ピッケルでカッティングして登るが、蹴り込みながらなので指先が冷たい。途中、滝となって注ぐ沢が、あとで考えれば予定していた中ノ岳に突き上げている沢らしい。登り切ると二俣でどちらも滝となっている。右は本谷らしく、さらに雪渓が続いて家ノ串に突き上げている。右の8m滝はボロボロの岩で登れず、左の12m滝を登った左岸でビバークとする。17時。不安定な台地を整地してかろうじてテントが張れた。下をのぞきこむと登ってきた雪渓がかなり急であることがわかる。下からガスがわきルンゼ状の谷は陰惨な雰囲気となった。

 6月21日(晴れときどき曇り) すでに源頭近いので稜線は手の届くところだ。すぐ涸れ滝というか奥壁状となっており、容易に登れそうだったのか小野と八木下が不用意にもスルスルと登り始めた。ぼくは取り付きで失敗したので安全策をとり、左のガレからヤブに入って高巻くことにした。ところが、かなり上の方から小野から「動けませーん」のコール。急いで岩壁上部にヤブを漕いで回り込んでみると、壁に八木下がセミになっているではないか。小野はなんとかトラバースしてヤブに入り、ザイルをおろそうとしているところだった。

 取り付きから40mはあっただろうから、どうなることかと肝をつぶした。上半分は逆層に変わりヌルヌルの岩となって進退きわまったという。無事に切り抜けられたからいいものの、不用意に取り付くものではないということで彼らにはいい薬となっただろう。30分のヤブ漕ぎで家ノ串のちょっと北側に飛び出した。7時20分。ちょうど高野のパーティーが中ノ岳から向かってきてきたところで合流。交差する形で分かれた。8時15分、武尊山到着。避難小屋を経て久保には12時5分だった。

 【コースタイム】 (6/20)川場太郎7:20 仙ノ橋8:10〜20 造林小屋8:35 遡行開始地点9:25〜50 獅子の牢11:10〜45 最上部二俣17:00〜(6/21)6:05発 稜線(家ノ串直下)7:20〜45 武尊山8:15〜45 避難小屋9:25〜10:05 久保12:05



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