猫又伝説と猫の踊り場

 黒部・猫又山由来のオリジナルは『山の伝説―日本アルプス篇』(青木純二、丁未出版社、1930)の猫又伝説であろう。

 「元和の頃、黒部峡谷に猫又という怪獣が出た。富士山に棲んでいたのであるが、源頼朝が巻狩をしたとき、軍兵を喰い殺したので、富士権現の怒りに触れて黒部へ流転して来た。ここでも人を襲った。猫又に殺された三人の惨状を目のあたりにした人々は恐れおののき、作場へも出なくなった。そこで庄屋と村人が代官に猫又退治を願い出た。山狩りを行うことになり、千余の勢子が出動した。猫又を発見はしたが、その形相の凄まじさに勢子は立ちすくんだ。しかし、猫又もその威勢に怖れ、いずこともなく逃げ去った。怪獣のいた山を人々は猫又山と呼んで怖れた」

 後半は「猫の踊り場」の話で、猫又退治のため黒部奥山を探し回っていた加賀藩の鉄砲隊が、満月の光を浴びて踊っているところ見つけ、狙いを定めて仕留めた場所とされている。

 ところが伝説前半部の、人々が猫又退治に出かけたあたりまでは、「重倉山の猫又」を記録した『猫又退治之次第』とほとんど同じで、これをリライトしたものと推測されている(湯口康雄『黒部奥山史談』桂書房、1992)。

 猫又山は黒部峡谷右岸に位置するが、そこから出ている谷を猫又谷、谷が黒部川に落ち合う場所に猫又ダム、猫又発電所がある。猫又谷の名も伝説に基づいている。

 「昔、下流から一匹のネズミが猫に追われて逃げてきた。追跡からのがれるため、左岸の絶壁をよじ登ろうと何度も飛びついたがだめだった。そこでその壁を「ネズミ返しの断崖」と呼んだという。さらに猫がその様子を見ていた右岸の段丘を「猫又」と呼ぶようになったという」。ネズミ返しの断崖は猫又発電所の対岸近くに続く200mにも及ぶ花崗岩の壁である。