猫鳴山の軍猫伝説

 「源義家東征の時、軍猫悲鳴して死す。故に猫鳴と名け、石を猫鳴石と名くと、これ荒唐無稽の談なり」

 これは『石城郡誌』(明治時代に発行)に登場する、明治13年(1880年)に猫鳴山を踏査した大須賀氏の紀行文の一節である。伝説などというものは荒唐無稽で結構なのに、この人は大まじめに否定したものだから、珍しい「軍猫伝説」は継承されないまま今日にいたった。

 軍猫とは、瞳孔の大小で時刻を教える役目だったという。その例としては、豊臣秀吉の朝鮮侵攻(文禄・慶長の役)に参戦した薩摩軍勢が、7匹の猫を連れていったのが有名だ。鹿児島市吉野町の磯庭園には、これらの猫を祀る猫神社がある。

 九州・福岡県には犬鳴山(584m)がある。こちらは、狩人が犬の鳴き声で大蛇の危険から救われたという伝説に由来しているだけに、猫鳴山の軍猫伝説はぜひとも復活してほしいものだ。同じ福島県内にある猫啼温泉(石川町)は、和泉式部のかわいがっていた猫が見つけたという由来があり、観光にもしっかりと貢献している。