志津倉山のカシャ猫伝説

 会津地方は化け猫に関する伝説が多いといわれる。志津倉山のカシャ猫伝説も、その代表的なものの一つである。

 『その昔、子供のないお爺さんとお婆さんが一匹の猫を飼って可愛がっていました。ある年のお盆にお爺さんが泊まり掛けで芝居を見に行き、お婆さんはその晩、なかなか眠れず、「おらも芝居がみてぃなァー」といって猫の頭を撫でると、猫は隣のへやに行き、「芝居がそんなに見たければ、おらがこれから、その芝居をお見せ申すべ」というと、障子戸に芝居の影が色どりも美しく映し出し、様々な芝居を明け方近くまで見せてくれたのでした。そして「今夜のことは絶対に喋っちゃいけないぜ」というのです。しかし、次の晩お爺さんが芝居の面白かったことを寝物語に語って聞かせると、お婆さんもつい話に乗ったはずみで昨夜の猫の芝居のことを話してしまいました。これを聞いたお爺さんは、「この先どんな化猫にならないとも限らない。末恐ろしいことじゃ」そういうと、翌日さっそく猫をつかまえると箱のなかに入れて、前の川に流してしまいました。すると、不思議なことに、その箱は川下には流れていかず、逆に川上へ流されていきました。そして川上の切り立った岩山に登り、そのまま猫は大辺山(現在の志津倉山)に棲みついてしまいました。
 こうしたことがあってから、この岩山には猫鳴岩と呼ばれるようになり、猫は千年の齢を重ねた怪猫(カシャ猫)となって、人もとって食うと伝えられています。』(『みちのく120山』福島キヤノン山の会、歴史春秋出版、1991)

 伝説には次のようなバリエーションもある。

 『昔、志津倉山にばけ猫が住み、大雨、日照り、病をはやらせ、人の亡きがらを食いその命をわがものにして人々を困らせていた。
 これを聞いた弘法大師は志津倉のコシアブラの木で退治し“猫の魔力で天の災いから人を救い病を治す志津倉山の主になれ”とさとされた。それ以来ばけ猫は志津倉山の主になった』(『岳人』555号「志津倉山」、東京新聞出版局、1993)

 なお、大沢右岸にあるスラブの「猫啼岩」は、志津倉山登山道からも望まれる。また、コシアブラの木を使った郷土玩具「かしゃ猫」はユーモラスな猫のこけしだ。