猫と山を結ぶ参考文献

辞典・事典

村上健司『妖怪事典』(毎日新聞社 2000) 妖怪事典の決定版。猫の妖怪として、カシャ、キャシヤ、クラカケミヤ、コイケババ、ゴトクネコ、コンヤノババ、タロウババ、ニイヤノババ、ネコカボチャ、ネコガミ、ネコマタ、バケネコ、マゴタロウババ、マドウクシャ、ヤサブロウババ、ヤマネコなどを挙げている
芦田正次郎『動物信仰事典』(北辰堂 1999) 長野県の修那羅峠(しょならとうげ)や霊諍山(れいじょうざん)には、蚕を鼠から守る蚕神としての猫神を彫ったものがあるとされる
武内正『日本山名総覧』(白山書房 1999) 猫の文字のつく山名として20山を収録
『日本山岳ルーツ大辞典』(竹書房 1997) 猫にちなむ山名として山猫森、化け猫伝説のある山として志津倉山、四塚山などを挙げている
『岩手の地名百科-語源・方言・索引付き大事典』(岩手日報社 1997) 「猫山」を、猫に見立てた形の山と説明している
千葉幹夫『全国妖怪事典』(小学館ライブラリー74 1995) 動物の怪「ネコノカイ」の項目に「高知県高岡郡の白姥ケ岳に大猫の怪物が出た」(寺石『土佐風俗と伝説』)とある
『日本昔話事典』(弘文堂 1994) 民話「猫山」(猫又屋敷)は、「かつての飼猫が、猫山にまぎれこんだ主人公を助ける動物報恩譚」と解説
『図説・日本未確認生物事典』(柏美術出版 1994) 「山猫」の項で「野生化して年数経た猫は大猫になって獰猛の性質となったものもいたらしく」と推測
『遠野物語小事典』(ぎょうせい 1992) 笠通山の化け猫「キャシャ」を解説
『民間信仰事典』(東京堂出版 1980) 「猟師は猫の前で弾丸作りをするなとか、山中ではマガリ、トリスケなどの山言葉を用いて猫を忌む。」とある。また「仙台湾の網地島では山猫をお猫様と呼び、ひどく恐れ、カツオやマグロなどの初物はまずお猫様に供えた。」とも記す
『コンサイス日本山名辞典』(三省堂 1979) 志津倉山、四塚山に化け猫伝説があると述べている
単行本など(猫)

八岩まどか『猫神様の散歩道』(青弓社 2005) 追加 猫にちなむ寺社仏閣など全国60か所を訪ね歩いたルポ。猫魔ケ岳とされる写真は磐梯山の間違いで、鳥取県の中宮神社と転法輪寺を島根県としている誤りが残念
中田謹介『猫めぐり 日本列島』(筑波書房 2005) 追加 全国の猫スポットめぐり。特に養蚕とかかわりのある寺社・史跡を多く収録
北嶋廣敏『ちょっと怖くて不思議な猫の話』(太陽企画出版 2001) 空を飛ぶ猫多羅天女の話など、猫にまつわる江戸時代の奇談・異聞集
河合隼雄『猫だましい』(新潮社 2000) 宮沢賢治の「注文の多い料理店」は民話「猫又屋敷」とどこか類似性を感じさせるとしている
スタジオ・ニッポニカ『カンペキの猫知り』(小学館文庫 1999) 「地名の中の猫」に猫又山や猫魔ヶ岳、猫越岳、阿蘇・猫岳、猫山が登場する
北嶋廣敏『猫まるごと雑学事典』(光文社文庫 1998) 猫魔ヶ岳や猫又山のほか、鳥取県・広島県境にある猫山の伝説も。香川、長崎県にも「猫山」があると記す
横塚眞己人『西表島ヤマネコ騒動記』(小学館文庫 1998) 西表島には、イリオモテヤマネコとは違うヤマピカリャーと地元の人がよぶ大ヤマネコがかつて目撃されたという。対馬でもトラヤマネコという大ヤマネコがかつて目撃された話がある
花輪莞爾『猫学入門』(小沢書店 1997) 「日本では、すがたを消した猫はその後、山野にのがれて狐と交わることがおおい。」とある
林丈二『猫はどこ?』(廣済堂出版 1996) 明治時代の絵入自由新聞に載った山猫の記事などを紹介
今泉忠明『イリオモテヤマネコの百科』(データハウス 1996) イリオモテヤマネコとはべつのオオヤマネコとは、斑紋がぼやけた成獣あるいは老獣をさしているのではないかと推測
大佛次郎『猫のいる日々』(徳間文庫 1994) 人語を和尚に聞かれた寺の猫が裏山へ入っていってそれきりとなった話がある
フレッド・ゲティングズ、松田幸雄・鶴田文/訳『猫の不思議な物語』(青土社 1993) ヨーロッパで山猫が広く棲みついていたことが、北欧の黒魔術と猫との関係の説明になるのではないか、と述べている
平岩米吉『新装版 猫の歴史と奇話』(築地書館 1992) 猫股伝説の変遷や野生猫の存在など、猫と山の関係で多くの示唆に富む記述あり 
加藤由子『うちの猫にかぎって』(PHP文庫 1991) 家出猫の猫寺修行の話がある
戸川幸夫『イヌ・ネコ・ネズミ』(中公新書 1991) 数日間、丹沢山中で間借りした猟師の家の飼い猫は、野生の猫に近い性質の大きな白猫で、「こんなのが猫股といわれたのかもしれない。」と書いている
安間繁樹『西表島自然誌 幻のオオヤマネコを求めて』(晶文社 1990) イリオモテヤマネコとは別のオオヤマネコを探し求めた調査てん末記
花輪和一『猫谷』(青林堂 1989) コミック短編集。表題の作品は死を悟った猫が山の天狗様に説法を聞きに行くというあらすじ。「ガロ」89.4月号掲載
光吉夏弥訳編『ネコ猫ねこ 世界中のネコの昔ばなし』(平凡社 1989)「山のネコたち」というイタリアの昔話がある
今村与志雄『猫談義』(東方書店 1986) 日中は深山幽谷にいるが、暮れ方に出てきて人に取り付くという中国の金華猫伝説にふれているほか、中国の野生猫、ヤマネコが、いつどのように家畜化したのかも文献から考察。また、猫伝説の多い雲南には猫頭山(無量山)という3300mの山があると記す
高田宏『「吾輩は猫でもある」覚書き』(講談社 1985)  家出した猫を想い、中部山岳のどこかにあるという荒寺にでも修行しているのかと述べている
早乙女貢『猫魔岳伝奇』(旺文社文庫 1985) 不条理にもその身を追われた旗本が、猫の妖異にひかれてたどる幻の猫魔岳への奇怪な道程の伝奇小説
松本恵子『随筆 猫』(講談社 1978) 猫魔ヶ岳の怪猫の伝承が具体的に載っている
大木卓『猫の民俗学』(田畑書店 1975) 「群馬県勢多郡荒砥村(城南村)の猫山は、猫を捨てることにしていた山で、この方は昔は猫観音というのがあり……猫のお祭りもした」とある
木村喜久弥『ねこ その歴史・習性・人間との関係』(法政大学出版局 1973) 日本の本土では、山猫は昔からいない……とし、猫股も長い間、俗信として伝わってきたとしている。また、日本の古い文献では、往々にして野猫と山猫とを同一のもののように考えている場合がある、と記述
実吉達郎『ねこの本』(日本総合出版機構 1972) ネコマタの正体について大胆な推論。皇室や幕府への献上品、あるいは見世ものとして渡来したヒョウやトラの類が山野に逃亡して、まれには人を襲ったことがあったのではないか、としている。
渡部義通『猫との対話』(文芸春秋 1968) 筆者の幼い頃の記憶に残る、身近に起こった会津山中(岩入下)の“猫また”事件を述懐している
上原虎重『猫の歴史』(創元社 1954) ツシマヤマネコのような日本原産の山猫が、本土にも鎌倉初期までは確かにいたと主張している
単行本など(歴史・民俗・地理)

森弘子『宝満山歴史散歩』(葦書房 2000) 猫谷の由来や猫石の場所を紹介
磯部定治『ふるさとの伝説と奇談〈下〉』(野島出版 1999) 守門山麓の石峠に棲む猫又「踊りに来た猫又」、権現堂山の猫又を退治する「猫又に食われた猟師」、権現堂山の猫岩の由来となる「権現堂の猫岩と光淵」の伝説がある
湯本豪一編『明治妖怪新聞』(柏書房 1999) 『東京絵入新聞』明治11年5月15日付「化け山猫と対決」の記事がある
ジョン・リチャード・スティーブンス編、池田雅之訳『奇跡を呼んだ猫たちのおとぎ話』(草思社 1999)
イングランドの有名な民話「われこそは猫の王なり!」が所収されている
小島瓔禮『猫の王〜猫はなぜ突然姿を消すのか〜』(小学館 1999) 突然姿を消した猫は猫岳へ登って「猫の王」となるという。ヨーロッパの猫の王思想も例に、不可思議な猫世界を探る画期的な猫山研究の書
江口保暢『動物に観る人の歴史』(日本図書刊行会 1998) ニホンヤマネコとしては、昔は日本各地にいて、人前には滅多に姿を見せないので、昔物語の中で怪獣扱いされていたかも知れない、としている
石田哲弥『越後・佐渡の石仏』(新潟日報事業社 1998) 栃尾市の猫又権現(南部神社)が紹介されている
谷川健一『続日本の地名 動物地名をたずねて』(岩波新書 1998) 猫又山、猫魔ヶ岳の紹介のほか、厩山も気になる山名としている
『季刊「怪」第壱号』(角川書店 1998) 中国・雲南省と日本つなぐ妖怪のルーツを考察。少数民族の虎人伝承を例に、中国起源の渡来妖怪は、日本化するうちに虎(あるいは山猫)→猫(もしくは狸)→狼へと変化していったようだとしている
谷口研語『地名の博物史』(PHP新書 1997) 猫股伝説をもつ地名についてふれる。猫魔ヶ岳の猫股とは、「山賊」がのちに猫股として伝えられたのものだろうと、伝説の具体性・現実性から想像している
小山直嗣『新潟県伝説集成〈上越編〉、(佐渡編)』(恒文社 1995) 重倉山の猫又を退治する「猫又退治」(上越編)、佐渡島・中山峠で飼い主の身代わりになった「お島の猫」(佐渡編)の伝説が載る
松谷みよ子、岩倉千春責任編集『猫と民話 日本の猫・外国の猫』(童心社 1995) イギリス民話「猫の王さま」のほか、裏山の崖の横穴に猫が集まる「猫の会議」を所収
金子浩昌、小西正泰、佐々木清光、千葉徳爾『日本史の中の動物事典』(東京堂出版 1992) 中国伝来の説話なども影響して、人界と別に猫のみの島や山中の生活があるようにも推測されていたが、家猫が夜一カ所に集合し群議するかのような挙動を示すことは事実で、猫山などの伝説に発展した可能性があるとしている
小島一男『会津の歴史伝説-とっておきの50話-』(歴史春秋出版 1992)「猫魔ケ嶽の化猫」が載っている
湯口康雄『黒部奥山史談』(桂書房 1992) 猫又山の猫又伝説のルーツについて考察している
宮田登ほか『日本異界絵巻』(河出書房新社 1990) 化け猫の項で、猫魔ヶ岳の猫股にふれている。また、後詞鼎談で「『注文の多い料理店』は、山猫=異界から都市=猟師をむかえ撃つという、異界からの反撃のパターン」とも
中村禎里『狸とその世界』(朝日選書 1990) ネコの怪異とたぬきの怪異がほぼ同時に登場したことに注目し、山住みのネコとたぬきの互換性が明らかであるとしている
西本鶏介『日本のねこ話』(小学館てんとう虫ブックス 1990) 追加 「山の中のねこの家」「山ねこのきらいなご幣」などが載る。児童向け
中村禎里『動物たちの霊力』(筑摩書房 1989) 日本にはヤマネコもジャコウネコも住んでいないので、中国の狸に相当する動物の一つがタヌキだと考えられるようになったとしている 
中村禎里『日本動物民俗誌』(海鳴社 1987) 中国における狸はヤマネコに代表されるが、ネコマタとはネコの投影をうけた野獣であり、日本における狸の一つの解釈だった、と思い切った推論を展開
廣瀬誠『立山黒部奥山の歴史と伝承』(桂書房 1984) 猫又伝説の研究
中村キネ『猫山の地図 中村キネ童話作品集』(青森県児童文学研究会 1980) 「猫山の地図」ほかの創作童話。陸奥新報掲載
比江島重孝・竹崎有斐『日本の伝説31 宮崎の伝説』(角川書店 1979) むかし旅人を恐れさせた山猫がでたところを猫坂という
日野巌『動物妖怪譚』(有明書房 1979) 「マタとは猿や山猫のやうに身體の自由がきいて、木を巧みによぢるものを言ったものであらう」とある。養賢堂大正15年刊の複製
千葉徳爾『ものと人間の文化史14 狩猟伝承』(法政大学出版局 1975) 猟師にとって猫も山中では警戒すべき存在だったいう。「住民が家で飼うネコではないという意味でのヤマネコなら、近ごろまでかなり多かったらしい。」としている。
斐太猪之介『炉辺動物記』(中央公論社 1955) 大正5年夏の実話として「爆死した“最後の山猫”」が載る
柳田国男『遠野物語』(角川文庫版) 遠野物語拾遺で、笠通山には化け猫・キャシャがすむという話がある
鈴木牧之『北越雪譜』(岩波文庫版) 「泊山の大猫」の話がある 
単行本(山岳)

町田宗鳳『山の霊力 日本人はそこに何を見たか』(講談社選書メチエ 2003) 追加 大姥山(長野県安曇郡八坂村)の山姥が聖山の猫股を退治してくれて村人から祀られた例を挙げて、山姥は悪者ではないとしている
奥田博『新福島百山紀行』(歴史春秋出版 1999) 猫鳴山の項で、明治時代に発行された『石城群誌』にはこの山の言い伝えなど多くを解説しているとしている。猫魔ケ岳の化け猫伝説も取り上げている
中嶋篤巳『広島県百名山』(葦書房 1998) 猫山(1195m)のガイドの中で、この山は全山化け猫の山であるとともに、米を食い荒らすネズミから農民を守る猫神民間信仰の山でもあったと推測
静岡新聞社編『静岡県の山50選』(静岡新聞社出版局 1998) 猫越岳の山名について、『豆州志稿』の山岳部には“猫児越”と記されているとしている
関本快哉『山のこぼれ話』(大日本絵画 1997) 奥多摩・臼杵山頂の猫に化けた狛犬について考察
石井光造『十二支の山』(東京新聞出版局 1993) 虎毛山の山名について感想を述べている
志水哲也『大いなる山大いなる谷』(白山書房 1992) 黒部川猫又谷の記録のなかで山名の由来にもふれている
福島キヤノン山の会『みちのく120山』(歴史春秋出版 1991) 猫魔ヶ岳、志津倉山の案内とともに化け猫伝説も紹介
静岡百山研究会編『静岡の百山』(明文出版社 1991) 猫越岳の「猫越」の由来となる昔話を紹介
西尾寿一『鈴鹿の山と谷4』(ナカニシヤ出版 1990) 猫岳、猫岩の位置に関する疑問や名称の由来について考察
日本山岳会岩手支部編『かぬか平の山々』(現代旅行研究所 1988) 猫山、笠通山、久慈平岳に登った紀行がある。猫山の山名について、古く根子氏の金坑にちなむとしている
天本孝志『九州の山と伝説』(葦書房 1983) 猫岳の由来となった伝説の記述がある
『日本登山体系6 後立山・明星山・海谷・戸隠』(白水社 1981) 後立山連峰・赤沢岳西尾根「猫の耳」周辺のルート記載
冠松次郎『渓(たに)』(中公文庫 1979) 「赤沢岳と赤沢」に後立山連峰・赤沢岳西尾根三峰を「猫の耳」と名付けた由来を記す
宮沢賢治関連

ますむらひろし『イーハトーブ乱入記』(ちくま新書 1998) 宮沢賢治はほんとうに猫が嫌いだったのか?と猫嫌い説に反論している
花部英雄『呪歌と説話 歌・呪い・憑き物の世界』(三弥井書店 1998) 『注文の多い料理店』をモチーフに、山猫像を「現実の猫に対する不可解な潜在的恐怖を、山中の恐怖感にスライドさせ、それを山猫という形で表現しているのであろう。」として、山猫を〈都会的〉とする解釈に異を唱えている
奥田博『宮沢賢治の山旅』(東京新聞出版局 1997) どんぐりと山猫の舞台とされる猫山の記述がある
花輪莞爾『猫学入門』(小沢書店 1997) 賢治は猫ぎらいの文学者とされているが、はたしてそうなのかと疑問を呈し、彼の童話にはなんの説明もなしに、“山猫”がよく現れるのが不思議だとしている 
林由紀夫『宮沢賢治フィールドノート』(集英社 1996) 「シャーマン山に『どんぐりと山猫』を探す」として早池峰、薬師岳、荒川高原を歩いた紀行がある
『ネコ大百科 CD-ROM』(インプレス 1995) なぜか猫好き名鑑には宮沢賢治が登場している
金子民雄『山と雲の旅』(れんが書房新社 1978) 賢治童話の山猫とは「山里の(飼)猫のことであろう。」とある
『ユリイカ臨時増刊 総特集宮沢賢治』(青土社 1977) 共同討議「宮沢賢治の童話世界」で、賢治は自分のことを山猫といっていたこと、また猫は好きじゃないが山猫には好意的で、いろいろなイメージがわくらしいと語られている
古典

●藤原定家『名月記』(鎌倉時代) 猫股は犬ぐらいの大きさ
●吉田兼好『徒然草』(1324-31) 「奥山に猫股ありて」と記す
●『新著聞集』(1685) 紀伊国熊野の山中でワナにかかった山猫は猪位の大きさ
●岡村良通『寓意草』(江戸時代中期) 犬をくわえていった山猫を射殺してみると、頭から尾の先まで9尺5寸(約2.8m)
●谷川士清『和訓栞』 山猫の鳴き声が山にこだました
●伊勢貞丈『安斎随筆』(江戸時代中期) 「近頃、或大家にて猫妖をなすことあり」
●『本間見聞録』 悪さをする6、7匹の狐を捕らえてみると尾が二股に分かれた大猫が捕まっていた
●鳥翠台北けい『北国奇談巡杖記』 (1806) 空を飛ぶ猫多羅天女の話
●滝沢馬琴『南総里見八犬伝』(1814-42) 
猫が老婆に化けた妖怪を庚申山で退治 
●鈴木牧之『北越雪譜』(1837) 「泊まり山の大猫」の話など
●松浦静山『甲子夜話』(1821-41) 犬よりも大きくて紫色の毛の山猫を撃ち殺した話
●三好想山『想山著聞奇集』(1849) 母親に化けた古猫を殺し、祟りを恐れて石碑(猫俣塚)を立てた話



HOMEへ戻る