ネコクサ通信


17 開設1周年記念・ヤマネコインタビュー(98.12.6記)
16 ヤマネコ三題ーー最近の新聞・雑誌から(98.11.8記)
15 猫山の総本山は雲南にあり(98.10.25記)
14 子トラは現代の猫股になり得るか(98.9.27記)
13 宮沢賢治の「猫嫌い説」に反論がでた!(98.8.7記)
12 トレーニングは猫を横目に(98.7.12記)
11 『日常生活の冒険』は猫小説である(98.6.14記)
10 宮沢賢治は大の猫嫌いだった(98.5.24記)
9 ヒマラヤの猫山みーつけた(98.5.10記)
8 猫山探しは面白い2(98.4.19記)
7 猫山探しは面白い1(98.4.5記)
6 猫本が勢力をのばしてきた(98.2.28記)
5 不景気になると招き猫にお呼びが(98.1.31記)



1〜418〜3031〜


17 開設1周年記念・ヤマネコインタビュー(98.12.6記)
◆ヤマネコさん、開設1周年おめでとうございます。
「あっという間の1年だったニャ。しかし、問題はこれからだな。だいたい個人の(山の)HPは、開設1〜2年たつとそれっきりというのが多いんだよね。ネタ枯れというか、とくに山行報告中心のページは、仕事に追われて山へ行けなくなるとプッツン。ヤマネコの場合は大丈夫だけど」
◆というと?
「過去300回以上の山行メモが大部分残ってるからね。今のところ70本の記録しか出してないし、昔の記録をちょぼちょぼ追加していけば3年は安泰だニャ。どうせ最近は年10回も山に行かないから」
◆そういうの、アリ? 20年前の記録なんてネコマタギもいいとこじゃないの?
「そうじゃニャいのよ。『ヤマネコ山遊記』は、バリバリ現役で登ってますよっていうHPじゃないの。私は今までこうやって山を遊んできましたという、言ってみれば遊びの自分史代わりなんだから。最近、年譜付きの自分史をネットで公開するのが流行しているらしいし。そうだ、“古いが新しい”なんてキャッチフレーズどう?」
◆自分史なんてジジ臭くない? もっと頑張ってもらわにゃ。
「仕事柄、金曜日は午前様なんだニャ。月曜日もフル回転だし、山へ行く環境としては最悪……おっと、ニャーニャー言っても始まらないか。まあ、少しは変なとこ(沢)載せていくけどね。誰も行かないドブ沢シリーズとか!? でも、仕事抱えて山もガンガン登り、HPも随時更新していける人は一握りじゃない? 最近は山関連のHP数が一時ほど増えていないのが気になるな。それに比べると釣り関連のHPは元気で、山の2倍以上の数がある。山同様、奥が深いけど、エネルギーもすごい。猫ページも多いんだけど、ただカワユイ自慢だけだと見る気がしない」
◆それ、猫飼えないヒガミ? ところで面白い山のHPの条件は?
「人それぞれだろうけど、自分自身の登り方をどうアピールしているかが第一かニャ。ただ百名山をなぞっていても仕方ない(百名山ファンの方ごめんニャ)。ヤマネコの場合は、猫下ろし(食い残し)的な静かでマイナーな山に興味があるから、山行形態も結果的に沢登りが多くなってしまう。難度追求タイプじゃないからハードな遡行はしないけど、やさしい沢でも面白くつないで、岩登りで言うルートラインの美しさというか、面白い遡下降ルートにこだわってみたい気はまだある。もう一つは、山プラスアルファにこだわりがあることだろうかニャ」
◆わかる。山菜、イワナ釣り、キノコ、高山植物、写真とか?
「そう、何でもいいんだナーゴ。焚き火、ブナとか昆虫でも。ヤマネコは蝶やトンボの採集が山登り前段階だったけど、もう採集はしていない。かつて昆虫少年だったという山屋さんは多いニャ。蝶好きが高じて山岳会名になったりする。ゼフィルスとか……。ヤマネコだったら『パルナシウス山の会』がいいニャ。パミールで、優雅に舞うパルナシウス(ウスバシロチョウの仲間=氷河時代の遺物といわれる蝶)を見たときは胸が高鳴ったニャン。東北や越後の山で出会うベニヒカゲも愛らしい。話が飛んだけど、ヤマネコのプラスアルファとは、知っての通り『猫』だニャ。そのへんの経緯はすでに書いているから省略するけど。山と猫を結ぶ“点と線”は、当初考えていたよりも複雑で、けっこう奥が深いって感じ。今までは民俗学、動物学、妖怪学などの分野でそれぞれ断片的に言われてきたことを、山好きの視点も加えてつなぎ合わせてみると面白い『猫山学』が生まれそうだぞ、マイナーだけど」
◆いろいろ勝手に盛り上がってきましたね。最後に2年目の抱負を。
「とりあえずは“古いが新しい”シリーズを少しずつ追加していくこと。殴り書いたノートから復元するので大変だけど、忘れていたことが蘇ってきたりして懐かしい。やっぱり山行記録は丹念につけておきたいもんだニャ。表紙デザインは、テーブルが複雑すぎて何とかせにゃ。貧弱なタイトルロゴも変えたい。それと近々『西新宿招き猫通り』シリーズ始めるんだニャ。これは猫ページへと大化けする布石になるかもしれん」
◆来年も「ヤマネコ山遊記」からは目が離せそうもありませんね。
「ニャ」                        (このインタビューはもちろん架空のやりとりです)
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16 ヤマネコ三題……最近の新聞・雑誌から(98.11.8記)
10月はたまたま、ヤマネコの話題が新聞・雑誌に載っていたので紹介します。

●オオヤマネコ守れと放火
 「動物テロ」や「環境テロ」などと呼ばれる事件が米、カナダ両国で目立ってきた。動物愛護や森林保護を訴える団体の一部が先鋭化し、放火や爆破、家畜舎の襲撃を続けている。 コロラド州のロッキー山脈にある人気スキー場で、10月下旬、リフトや宿泊施設が放火され焼失した。シーズン前で負傷者はなかったものの、被害額は14億円にのぼった。「スキーヤーの皆さんへ。われわれは、生息地を破壊されかかったオオヤマネコに代わって、強欲なスキー場会社の拡張計画を阻止した。命が惜しいなら当分ここでは滑らないことだ」。事件の2日後、「地球解放戦線」(ELF)を名乗る団体が地元報道機関にこんな犯行声明を送りつけた。 同州は、20年ほど前に一帯から姿を消したオオヤマネコをカナダから40匹ほど移送する計画を進めている。その予定地近くにスキー場がコースを拡張しようとした。複数の環境団体が工事の差し止めを求めて提訴したが敗れた。その直後の放火だった。(朝日新聞、1998年10月30日)

●世界初公開、幻のボルネオヤマネコをスクープショット
 目撃談が少なく、写真に撮られたこともないボルネオヤマネコが、このほど自然写真界の大御所、アート・ウルフに“生け撮り”された。撮られたのは、推定2歳のメス。体毛は赤褐色で、腹面は明るい色合い。体重2.39キロ、尻尾は約40センチとけっこう長い。体はイエネコよりは大きいが、ライオンやトラなどの大型ネコ類よりはずっと小さい。頭のかたちは前後に短く丸い。耳は小さく可愛らしい。額から頭頂部に向かう黒い2本のラインが独特な雰囲気を醸し出している。とぼけた小悪魔、という感じだ。 アートは、3年前に、世界中のネコ科動物を集めた“WILD CATS OF THE WORLD”という大型写真集を出版したが、ボルネオに2回通ったにもかかわらず、どこへ行ってもボルネオヤマネコは絶滅したのではないかといわれ、撮影できなかった。(『シンラ』1998年11月号)

●ベンガルヤマネコを福岡市動物園に
 上野動物園は、繁殖のためベンガルヤマネコを福岡市動物園に貸し出すことになり、昨年2月にマレーシアからやってきた4歳の雄と、一昨年8月上野動物園生まれの2歳の雌の2頭を10月29日に搬出。 福岡市動物園はツシマヤマネコの繁殖センターをつくり研究を進めるが、公開しないため、これに近い種のベンガルヤマネコを借りて、公開しながらツシマヤマネコと一緒に研究するという。 ベンガルヤマネコはシベリア、朝鮮半島、中国、東南アジア及びインドネシアの森林や低木林地帯の水辺に生息している。頭胴長40〜107センチ、尾長11〜44センチ、体重は2・5〜7キロ。体は黄土色がかった黄色から黄褐色で体中に黒点がある。目は黄褐色か緑がかった黄色、黒い耳の背面に白はんがある。夕暮れから明け方まで活動し、泳ぎや木登りが得意という。東京都のズーストック種の一種。ツシマヤマネコはベンガルヤマネコの亜種のひとつであるといわれる。(東京新聞、1998年10月28日)
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15 猫山の総本山は雲南にあり(98.10.25記)
 中国・雲南省といえば、京大学士山岳会の大量遭難で有名になった梅里雪山(メイリー・シュエシャン=6,740m)をはじめ、岩壁を張り巡らした玉龍雪山(ユーロン・シュエシャン=5,596m)など魅力的な山々があることで知られる。25もの少数民族がおり、貴重な動植物の宝庫でもある。なかでもトラやヒョウ、ヤマネコなどネコ科動物の棲息地ゆえに、トラを自分たちの祖先としている一部の少数民族さえいるのは興味深い。

 動物が人間になりすまして人を襲うという伝承は中国に多いが、代表的なのが「虎人伝説」だ。これらの伝承を残した漢民族からすれば、雲南は辺境で異端の地であり、トラを祖先とするような少数民族を畏怖し、妖怪視したのではないかと妖怪研究家・多田克巳氏は書いている(季刊「怪」第壱号・「雲南で発見する日本妖怪のルーツ」)。虎と同様に人を襲う猛獣で、大きな山猫の総称を中国では「狸(り)」と呼び、日本の猫股や化け猫伝説の原型をなしたといわれる。狸(り)は、ネコ科猛獣のいない日本では狸(タヌキ)と同一視されたが、いかんせんタヌキでは妖怪としての迫力に乏しく、猫股や化け猫に変化していったというわけだ。

 動物民話の豊富な雲南にも、猫にちなむ山があるはずだと思っていたら、同じく雲南の動物地名に興味を持った今村余志雄氏が、著書『猫談義』の中ですでに調べていた。無量山脈の最高峰で猫頭山(Maotou Shan=3,306m)という猫山の親分みたいな山があるのだ。中国登山ガイド本の『中国登山指南』(中国・成都地図出版社、1993)に載る地図で見ると、この山は省都・昆明(クンミン)から西南西に約200キロほど離れたところに位置する。「猫の頭」というのがなかなかいい。山名の由来はどういうことなのだろうか。頂上付近に猫の耳のような岩峰でもあるのか、あるいはかつてヤマネコがたくさん棲んでいて、親分ネコの住処だったのか。

 いずれにしても、雲南の山と猫に関するぼくの情報は前出の本に記された範囲を出ないので、今後調べていくことにしたい。91年にパミールにでかけたあと、次に登ってみたい海外の山として中国、特に四川や雲南に惹かれたのは、猫山の総本山が呼んでいたからなのかもしれない。
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14 子トラは現代の猫股になり得るか(98.9.27記)
 9月18日に起きた信貴生駒スカイライン(奈良県平野町)での「トラ」騒ぎは、その後の捜索でハクビシンなど4種類が捕獲されただけで、肝心の子トラは見つかっていないという。子トラだから生き延びるには厳しいだろうが、たくましい生命力で命をつながないともかぎらない。万が一に備えて地元の幼稚園や小、中学校では、町教委の指導で集団登校しているそうだ。これが昔だったら、子トラがトラとなり、いつのまにか大猫や猫股に化けて、挙げ句の果てに山で人を襲ったらしいと肥大した伝聞となっていくのだろうか。

 猫股の正体として同じようなケースで推論した研究家がいたのを思い出す。皇室や幕府への献上品、あるいは見世物として渡来したトラやヒョウの類が山野に逃亡し、まれには人を襲ったことがあったのではないか、というのだ(実吉達郎「ねこの本」1972)。そうした事実が記録として残っていない以上想像の域を出ないものの、ぼく自身は全くないとも言えない話だと思っている。何でもありの現代では、ペットとして飼われていたニシキヘビやイグアナなどでさえ河川敷や住宅地で見つかるくらいだから、密輸されて逃げたベンガルヤマネコだって山野で遭遇するかもしれない。

 早くも奈良の「トラ」騒ぎもメディアから忘れられた感があるが、今回の事件はしばらく記憶にとどめておくことにしよう。何年かたって、「夜だからよく見えなかったけどスカイラインを大型の動物が横切った」なんて目撃者が現れて、またぞろ大騒ぎするかもしれないから。猫股伝説が現代に復活するチャンスでもあると、密かに山猫ワンダラーは期待しているのです。
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13 宮沢賢治の「猫嫌い説」に反論がでた!(98.8.7記) 
 この欄で「宮沢賢治は猫が大嫌いだった」と書いたのは、5月24日だった。ところが「賢治の猫嫌い」に疑問を呈する本が、その4日前の5月20日に筑摩書房から発行されていた。『イーハトーブ乱入記 僕の宮沢賢治体験』という題名で、カバーをめくって衝撃的に目に飛び込んできたのが「ほんとうに宮沢賢治は猫が大嫌いだったのだろうか?」。いやはや、驚き、そしてレジにすっとんで行った。2カ月以上も知らなかったなんて……。著者のますむら・ひろし氏は、賢治童話の登場人物を猫のキャラクターにした漫画で有名。アニメ版『銀河鉄道の夜』の作者である。

 そのアニメ版の制作にあたり、賢治研究家から「賢治の嫌いな猫ではいかん」とケチがついたのが疑問のきっかけだ。『猫』という短編で吹き出す、温厚な賢治らしからぬ嫌悪感の強烈さを奇妙と思わないのか、簡単に猫嫌い説を唱えていいのか、とガックリしたのだという。賢治研究家が調べないなら、と自分で調べ始めた氏は、『猫』を書いた前後の賢治が置かれた状況を、友人にあてた手紙などからいわばノイローゼ状態であったことを知る。東京で人造宝石商をやりたいという夢を父に拒否され、いやいや家業の質屋の店番を悶々と務めていたころに、『猫』は書かれた。ならば「とし老った猫」とは「このまま古着屋の店番で、年老いていく宮沢賢治自身」であり、「そうした姿に追い込む『父・政次郎』」ではないのだろうか?と推測する。

 また、『セロ弾きのゴーシュ』の三毛猫に対する残虐性にもふれ、必ずしも生理的な猫嫌い等の理由では納得できない不思議な疑問をも、賢治に恋心を抱いていたという女性教師・高瀬露との関係から謎解きしていく。さらに猫嫌いと言うのはたやすいが、「賢治という人はそんなにたやすい人ではない」ことを、『猫の事務所』の釜猫が教えてくれると説明する。それほど宮沢賢治という人は「複雑な怪物なのだ」と。かつては猫嫌いでよくいじめ、いまは6匹の猫とくらす著者ならではの分析だ。

 ろくに賢治を読み込んでもいないぼくには、なるほどと思うことばかりだった。大嫌いとは断言できないと言えそうだが、逆に猫が好きという材料はほとんどないのがつらいところ。ぼく自身はやはり、どちらかといえば賢治は猫嫌いだとは思う。しかし、もはや賢治と猫の関係は、好きか嫌いかの問題ではなさそうだ。複雑な怪物・宮沢賢治にとっても猫は、謎めいた深ーい存在だったのだろうか。まだまだ未知の、猫と賢治の不思議な関係を解き明かしていくヒントを、この本は与えてくれた。たった一枚だけ描いたという、賢治の猫の絵が載っているのもうれしい。山と猫を結ぶ糸は、山-山猫-猫-賢治のつながりからもたぐる必要がありそうだ。
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12 トレーニングは猫を横目に(98.7.12記)
 ぼくは気が向けば、近くの公園を30〜60分くらい走る。公園では散歩している犬が圧倒的に多い中で、ときに猫を見かけることもあるので、そのときは猫おじさんに変身して観察にいそしむ。あるとき多くの犬連れにまじってひも付きの犬化した猫を見た。ほかの犬と一緒に堂々と鼻を クンクンさせながら散歩していたが、その後、このひも付き猫には出会っていない。

 またあるときは、丸々太った茶トラがカラスを執拗に狙っていた。茶トラにとっては真剣な狩りだったようだが、どうもカラスにあしらわれているのが見え見えだ。カラスは、わざわざ茶トラのすぐ近くの枝までおりてきて「ここまでおいで」している。何回かそれを繰り返すうちに、すごい光景を見た。茶トラがあきらめたと思わせた瞬間、2mほども大ジャンプしてあわやカラスに一撃をくわえかけたのだった。驚いたカラスは「アホーッ」と一声残し、茶トラの相手をやめて飛び去った。茶トラの面目躍如の場面で拍手を送りたくなった。

 最近では、不思議な猫おじさんを見かけた。よく八百屋にいそうな風体のおじさんが、赤ん坊を抱くように大きなキジ猫を大事そうに抱えて、急ぐようにこちらの方に歩いてきた。通り過ぎてからぼくは、ストーカーまがいに先回りして待ち受けたが、猫おじさんは足早に隣接する団地へ去っていった。「どうしたんですか」と声をかけたかったのだが、いまだにあれは何だったのか不思議だ。

 ところで、山にいく回数が少なくなって感じるのはトレーニングの必要性だ。社会人として月2回ペースの山行が理想だが、それが月1回となり2、3カ月に1回、ひどい時には季節に1回などと山行回数が激減していく。いったん空いたブランクを埋めるのが並大抵のことでないのは、30代後半に思い知った。このときは5年間もろくに山に行かず、そのかわり山小屋を造ったり、テニスに熱中したりして、それなりに体を動かしてはいた。体力や時間ではなく、ヤル気の問題だった。

 再び同じ危機を感じる昨今であるが、大きな違いは体力そのものが落ちていることだろう。学生時代、2週間の厳しいトレーニングを経て合宿山行してきた者としては、体力・気力は仕事でも活きる大きな財産だ。少なくとも数年前までは、重荷を背負うことを別とすれば、1日や2日の山行ならば20代の頃と体力的に引けを取らなかった。しかし、努力しなければ、培った体力は年齢とともに失われ、気力も仕事の忙しさに吸い取られていく。

 山から遠ざかりつつあるとき、それを引き留めるのに山仲間の果たす役割は大きい。ぼくが現在の山の会に7年ぶりに復帰できたのも、久方ぶりに届いた忘年会の通知がきっかけだった。なかなか集会にも出られない人には、「さりげなく」接するのが大事で、「どうして来ないんだ」とか「なぜ登らないんだ」と追及するのは逆効果になることがある。“来る者拒まず、去る者追わず”の柔軟な姿勢を会が持つことで、ぼくのように救われる人もいるのだ。現在、所属する会には公私に忙しい30代を中心に、幽霊化してきた会員が数人いる。根っからの山好き達だから、いずれ戻ってくるのを気長に待とう。幽霊前科持ちのぼくは、彼らの現在のつらさが痛いほどよくわかる。

 以前、沢や岩もこなす中高年の山のグループとつきあって感心したのは、彼らが毎週かかさず山に行くことだった。いずれも30代や40代に山を始めた人ばかりで、ぼくが学生時代に抱いた山への情熱を、中高年の彼らは持っており、そのエネルギーで仕事や家庭の煩雑事をさっさと片づけて山へ向かうのである。この点を問うと「中高年は毎週行っていないと、たちどころに体力・技術がおちるんだよ。軽いハイキングでも毎週行くことが、“山感”を維持するのに一番いいんだ」と説明してくれた。それに越したことはないけど、“持続するヤル気”が前提になるんだなあ。

 先週、湯桧曽川支流東黒沢〜宝川ウツボギ沢に行った際に谷川岳遭難慰霊碑に立ち寄り、2年前に遭難した大学の4年先輩のお参りをした。20年ぶりに山を再開した矢先の悲報だったというから、身につまされる。40代にとっては職場、家庭も含めて、あらゆるシーンでクレパスのように落とし穴が口を開けている。そんな落とし穴をかわしていけるように、山に行かない休日には公園に出かけて、キョロキョロと猫でも探しながらゆっくり走ることにしよう。中高年になると「山は逃げる」けど、「たかが山登り、されど山登り」の精神で、時間の過ごし方を遊びの天才である猫に学んでいきたいものです。
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11 『日常生活の冒険』は猫小説である(98.6.14記)
 読んだ方も多いと思われるが、大江健三郎の『日常生活の冒険』という小説が好きで何度か読み返した。かつて岩崎元郎さんも『岳人』のコラムの中で、一番お気に入りの小説に挙げていたのでうれしくなった。「現代の行動的英雄を志向し続けた一青年の生涯」と帯にはあるのだが、日常生活の冒険家=要するにやりたい放題の勝手気ままネコ人間がいっぱい登場する話だ。大江の20代後半の作品で、『政治少年死す』で右翼に狙われたりして、今後の小説の志向を模索していた時期らしく、その辺の心理的動揺も読みとれる。恩師に「こんなものを書いていてはだめだ」と指弾された小説とは、この本のことではないかとぼくはピーンときた。でも、単純なぼくなんかにはちょうどいい読み物なんですけどね。

 この小説が好きなのは、ネコ人間だけでなくナマ猫も登場するからだ。主人公である日常生活の冒険家・斎木犀吉のお気に入り猫「歯医者」は、香港生まれでオレンジ色の縞々猫。ある事情から、四国の谷間の村の長老に預けていたが、引き取りに行ったときには地元の郎党猫どもを率いる巨大な野猫になっていた。そこで子供たちをも動員して「歯医者」を捕獲する一大作戦が組まれるのである。すごいのは、捕らわれた猫の王(歯医者)は夜になると犬のように遠吠えし、月夜に照らされた庭に数知れない猫の群がびっしりと埋めて、「歯医者」のいる部屋の方向へ「さかしげに頭をもたげて坐っていた」というから、山猫探検隊のぼくとしてはたまらないのであります。

 大江は、捕獲作戦の終了した下りでこう書いている。「エジプトのフェリス・ドメスティカがどのようにして東洋にまでつたわり、しかも尾のみじかい東洋風のイエネコができたか、どんな動物学者もはっきりした答を出せないように、猫という動物にはなお廿世紀人間のはかりしれない数かずの秘密があるのではありませんか?」。大江さん、あなたもなかなかのネコロジストですねえ!
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10 宮沢賢治は大の猫嫌いだった(98.5.24記)
 宮沢賢治が、大の猫嫌いだったことを知る人は少ない。まず、「猫」と題する次の短編を読んでほしい。知らなかった人は、びっくりするかもしれない。

(四月の夜、とし老った猫が)
友達のうちのあまり明るくない電燈の向こふにその年とった猫がしづかに顔を出した。
(アンデルセンの猫を知ってゐますか。暗闇で毛を逆立ててパチパチ火花を出すアンデルセンの猫を)
実になめらかによるの気圏の底を猫が滑ってやって来る。
(私は猫は大嫌ひです。猫のからだの中を考へると吐き出しさうになります)
猫は停ってすわって前あしでからだをこする。見てゐるとつめたいそして底知れない変なものが猫の毛皮を網になって覆ひ、猫はその網糸を延ばして毛皮一面に張ってゐるのだ。
(毛皮といふものは厭なもんだ。毛皮を考へると私は変に苦笑ひしたくなる。陰電気のためかも知れない)
猫は立ちあがりからだをうんと延ばしかすかにかすかにミウと鳴きするりと暗の中へ流れていった。
(どう考へても私は猫は厭ですよ)

 大正8(1919)年5月、賢治23歳のときの作品である(翌年5月改稿)。この短編を読む限り、異常なほどの猫嫌悪症をみてとれるが、ここまで賢治に書かせた原因や経緯は知る由もない。ぼくは、童話『どんぐりと山猫』や『注文の多い料理店』『猫の事務所』に登場する山猫や猫どもに親しみを覚えてきたから、賢治の猫嫌いには驚いたものだ。『猫』を読んでから、山猫が象徴するのは自然であり、あるいは畏怖の対象であろうという解釈は、何となく分かる気がする。

 かつて『銀河鉄道の夜』がアニメ映画化されたとき、ジョバンニとカムパネルラの少年たちが猫に描かれたのも、賢治童話の理解に猫がわかりやすいキャラクターとして採用されたのだろうと思う。あれが犬だったら、ぼくはたぶん映画館に足を運ばなかっただろうし、公開記念の猫バッジをもらうために、1時間も前から受付に並ばなかったはずだ。『猫』という短編を知ったのは、それからずっと後だったが、賢治という人の不可解な一面を垣間見た気がする。「世界が全体幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」と言い放った賢治のアキレス腱が、猫だったとは皮肉なものですね。
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 9 ヒマラヤの猫山みーつけた(98.5.10記)
ヒマラヤ316 
プロフィールには書いていないが、ぼくは日本ヒマラヤ協会会員(会費納めているだけ ※1999年末で退会)でもある。海外山行は一回だけで、しかも5000m級の山でへろへろになってきたくらいだから、あまり向いていないことは承知している。それでも初めての海外山行後の高揚した気分のときに、次は6000m級をと考えたのは確かで、情報だけは集めておこうというつもりで入会したのだった。努力次第では、50歳過ぎてからでもチャンスがこないともかぎらないし、刺激を受けておきたい意欲はまだある。

 ところが、海外どころか国内の山さえもごぶさた続きの昨今、退会しようかどうかの瀬戸際にたたされているのが実情。まあ、ぼくの山のレベルでは、協会主催のキャンプでなくても、トレッキングパーミッションで登れる山が頑張っても精一杯だろうから、どうってことないんだけど……。それはともかく、毎月送られてくる協会報の『ヒマラヤ』3月号(第316号)の表紙写真に、猫山が登場していたのでここで紹介しておきます。

 その山は、バトゥーラ山群の未登峰ハチンダール・キッシュ(7,163m)の隣にそびえるアイカチュ・チョック(C6,500m)という岩峰。「招き猫のような」と写真説明にあるように、左手招きでちょっと太めの愛敬ある招き猫山である。右の耳が欠けているのが残念だが、登山者に声援を送っているようで、見る側も気分がよろしかったのではなかろうか。

 これを機に海外にも猫山はあるのかどうか、外国山名辞典で調べて見よう。ヨーロッパあたりには英語でいえばキャッツ・ピークとかワイルドキャッツ・フォレストなんてえのがありそうですね。
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 8 猫山探しは面白い 2(98.4.19記)
 今回の猫山探しの話題は、ちょっぴり残念な話。猫と縁のある東京都唯一の山として登場させるかどうか大いに悩んだのが、奥多摩・戸倉三山の臼杵山(835m)だ。頂上の臼杵神社にある一対のお狗様が猫であるというのは、ガイドブックにも紹介されているから、臼杵山は猫山であると喜んでいいはずである。養蚕の守り神の使い姫として猫を祭る風習から、狛犬のかわりに猫の像となったといわれる。

 しかし、「岳人」511号で日本石仏協会会員の田中英雄氏が、「奥多摩のお狗様考」と題して考察した中で、お狗様信仰と養蚕の石像が造られはじめた時期のズレを指摘し、臼杵山の石像は猫ではなくお狗様であると結論づけている。「岳人」520号の山の雑学ノート(「猫に化けた山犬」関本快哉氏)でも、「歴史のどこかで、山犬碑を取り違えたのではないか」と述べている。最初に臼杵山の狛犬を猫と紹介したのは、奥多摩研究で知られる宮内敏雄氏の著書「奥多摩」(昭和19年、昭和刊行会)だったという(前出「奥多摩のお狗様考」)。

 なにぶん手がかりとなる史料にも乏しく、本当のところどうなのかは今後の研究次第だろう。臼杵山に登ってその石像をみるかぎり、猫にはとても見えなかったので分はなさそうだ。ただ、猫山ウオッチャーのぼくとしては、猫碑であってほしいという願望と、ガイドブック等ですでに「猫らしからぬ猫」などと扱われている話題性から、この際、猫山リストに挙げておいてもよろしかろう思うのですが……。(そうしましょう)
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  猫山探しは面白い 1(98.4.5記)
 
猫と縁のある山を調べていて、興味深いことが二つあった。そのひとつは、北アルプス・乗鞍岳の一峰である「猫岳」(2,581m)についてだ。猫岳と名のつく山はいくつかあるが、なかなか見つけられなかったのが、この乗鞍・猫岳だった。ぼくが乗鞍岳に登っていなかったこともあるが、山名調査の参考にした「コンサイス日本山名辞典」(三省堂)と「日本山岳ルーツ大辞典」(竹書房)のどちらにも記しておらず、この段階では見落としていた。その後、たまたま「すぐ役立つ 山を楽しむ山名辞典」(石井光造著、東京新聞出版局)という本を見たら、著者の選んだ1200山に入っているではないか。新しく猫山が見つかったのはうれしいが、疑問も湧いた。

 地図でみると道はなく尾根上のこぶにすぎず、すぐ脇を乗鞍スカイラインが走っている。不思議なのは、山名辞典や乗鞍岳のガイドブックにも記述がないこの山がなぜ、「1200山」には載っているのかだった。著者の前文によると、1200山の選定の参考にしたのは、建設省国土地理院発行の「日本の山岳標高一覧 1003山」とのことで、確かめたら乗鞍岳の猫岳は「標高点」のある山としてちゃんと載っている。このため、必ずしも登山の対象としては魅力の薄い乗鞍の猫岳も、1200山に入れてしまったということだろう。
 
 探せば猫山はまだまだありそうだ。もう一つについては、次回に。
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  猫本が勢力をのばしてきた(98.2.28記)
 
最近、山の本をあまり買わなくなった。山行回数の減少とともに、あるいは山に対して前向きの姿勢であるかどうかによっても、山岳書の読書量が減ってくるらしい。逆に山に登らずとも“書斎派”として、本の中で山を味わう方法もあるのだが、これはもっとヨレヨレになってからのお楽しみ。このところ『山渓』や『岳人』などの雑誌も、ほとんど立ち読みですましている。もっとも今後、行きたい山の情報は手元にストックしてあるので心配ない。学生時代からの課題がいまだに消化しておらず、それ だけでもう今後一生かかってもこなしきれないだろう。

 山の本は二度ほど手離したことがある。一度は社会人になったときだ。遊びにきた後輩に好きな本をもってっていいよと気軽に言ったら、苦労して集めた雑誌のバックナンバーを中心にごっそり持って行かれた。ハイエナにむさぼり食われるようなありさまに、心で「ギャッ」と叫んだが後の祭り。二回目は仕事が忙しくなった30代前半で、かなり整理して古本屋に売ってしまった。その後、後悔して再び同じ本を買い戻しているのだから、トホホのホだ。

 山屋休業状態になりつつあるなかで、ぼくの本棚に勢力を伸ばしつつあるのが猫本である。主に写真集なのだが、不思議なもので書店で手にするとつい衝動買いしてしまう。『東京在住猫』『TOKYO WILD CATS』『東京猫町』など東京の猫を扱った写真集は特にお気に入りで、『猫学雑記』など民俗学系、『招福画報』など招き猫系、『ネコはなぜ絵を描くのか』という奇本から、『おれはねこだぜ』の絵本、『日本の名随筆・猫』の文学系まで、冊数はかなりの数となった。ナマ猫のいない猫好きが、ネコグッズなどを身の回りに置きたがるのと同じだ…自分で言っちゃしょうがないか。

 ところで、この正月に観た映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」の同名の原作本(ハインリヒ・ハラー著、角川文庫版)は、面白くてあっという間に読了した。山旅の行き着くところはチベットだ、なんて言う人もいるくらいで、久々に憧憬を喚起させてくれた。山の本の力も捨てたものではないと改めて感じ入り、「猫どもよ、少し下がっておれ!」と本棚に鎮座する猫童子人形に語りかけたのであった。
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  不景気になると招き猫にお呼びが(98.1.31記)
 
景気が悪くなると縁起物がもてはやされるという。その中でも招き猫は一番の人気だそうだ。この正月も銀座の某デパートの招き猫展は大入りで、飛ぶように売れていた。「目と目が合ったら、それがお気に入りの招き猫です」などと、選ぶコツまで張ってあったが、ぼくの場合はなかなか決められない。ノラネコのようにうろうろ、行ったりきたりして優柔不断もはなはだしい。

 結局は、やっぱりというか「もりわじん」作の「お大頭」という二等身猫と、「あいらく」という前がニコニコ顔、後ろが怒ったような顔の両面猫を連れて帰った(いずれ「山猫ギャラリー」で公開します)。そのあと、話題の映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」を観てから、また引き返して眺め直しに行った。招き猫展や縁起物展はこのほかにも、都内のパルテノン多摩や銀座ポケットパークでも開かれている。結構なことではあるが、あまり流行らないでもらいたいなあ。
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