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<ドイツ語学習の旅>

2006.7.21〜8.1
最初の失敗
今回は、KLMオランダ航空を利用した。ルフトハンザ航空でミュンヘンまでの直行便があったが、料金が高かったので、アムステルダム経由にしたのだ。そのため、アムステルダムで5時間も待った。
もしかして、アムステルダム行きの料金とアムステルダム経由ミュンヘン行きの料金を比べると、後の方が安かったりして、とか思った。直行便は高いのだ。調べたら面白いと思う。
成田からアムステルダム行きのでっかい飛行機(ボーイング747)は、ほぼ満席ということだったが、左側3人掛けの座席で、真ん中の席が開いていた。それで、ドイツ語の勉強を余裕でやれた。
最初の失敗としては、アムステルダムで飛行機待ちをしているときに、自分の名前をアナウンスされた。でも、疲れていて、頭が朦朧としていたため、何も行動を起こさなかった。
長旅の疲れで、ベンチで横になってたりしていたのだ。最後に呼ばれたときに、すべてを理解した。念のため、手提げバッグの中を調べたら、パスポートも飛行機の搭乗券もなかった。アナウンスは、インフォメーションセンターに来てくださいというものだった。
インフォメーションセンターには案の定、自分のパスポートと搭乗券が届いていた。係員は、3、4回ぐらい呼び出したのに何故すぐ来なかったのか、と言った。私は、"I've
lost. Thank you."と言って、パスポートと搭乗券を受け取った。 "I've lost.."は、パスポートと搭乗券を落としてしまって、という意味で言ったのだが、「道に迷った」という意味にもなるな、と思った。
送迎サービス付き?
ミュンヘン空港には夜の10時半に着いた。時間が遅すぎると思って、あらかじめ空港の近くのホテルを予約していた。
ホテルへはタクシーで行った。ホテルに着くと、ホテルの従業員は、電話をもらえたら空港まで迎えに行ったのに、とのこと。インターネットで予約したときには、そんな説明は見つけられなかった。ただ申し込みのとき、"I'll
arrive at Munich airport at 22:30." と書いておいたから、その時間辺りに迎えに来る心積もりだったらしい。
前日、成田空港近くのホテルに泊まっときも、ホテルに電話して迎えに来てもらった。だいたい、こういったところは送迎サービス付きと考えていいのかもしれない。1つ利巧になった。
アウトバーン
ホテルへの出迎えは、エージェントを通して頼んでいた。朝9時の約束だったのに、15分遅れてきた。助手席に奥さんらしき人を乗せた中年のドライバー。最初に握手を求めてきたりして愛想がいい。
車はかなり年季が入ってるみたいでエンジンの音がかなりうるさかった。ミュンヘンから、ホームステイ先のアウグスブルクまでは距離にして、60km余り。
これは飛ばすぞと思っていたら、案の定、アウトバーンで時速150kmぐらい出ていた。事故のときは、シートの左側に倒れ込もう、と思っているうちに不覚にも眠ってしまった。
ドイツの改札
どこをどう走ったのか、無事ホームステイ先のプラオゼさん宅ヘ着く。
奥さんから部屋へ案内してもらって、その後プラオゼ氏と面会。プラオゼ氏は英語ができるということなので、少しほっとした。初めに、語学学校へはバスで通うことになるとのこと。そのためバスの乗り方を教えてもらう。
回数券の細かいことになると、奥さんの方が詳しかった。使用済みの回数券も見せてもらった。ドイツではバスや電車の乗客が自分で打刻機に切符を入れて改札する。これだと無賃乗車がかなりの割合になると思うのだが、何とかしようという話は聞いたことがない。
逆に無賃乗車が見つかると40ユーロの罰金が取られるから、気をつけた方が良いと言われた。しかし、後からふと考えたことは、無賃乗車をしやすくするということは、それだけ乗客が増えていいことなのかもしれない。どんどんバスなどの公共交通機関が利用されるようになれば、それだけ自家用車が減って、道路の渋滞も減る。
日本では、地方のバスや鉄道のローカル線が赤字だと困っているが、これは利用者が減ってるだめだ。利用者が減るから、運行本数を減らす。そうすると不便だからますますバスや鉄道に乗らなくなる。悪循環だ。だから日本でもいっそのこと無賃乗車をなるべくやりやすくして乗客を増やしたらどうか。そうすることによって好循環が生まれるかもしれない。
アウグスブルクは、人口26万人ほどの中都市だったが、バスや自転車に乗ってる人が多くて、市内の道路を走る自家用車は少なかった。去年、ドイツに行ったときも、行く先々で同じ印象を持った。日本は国土が狭い割にマイカーばかり増えて、公共交通機関が貧弱になってしまったのだと思う。

変り種
これまで、イギリス、フランスと、それぞれ1回ずつホームステイしたが、今回のアウグスブルクでのホストファミリーが設備やもてなし面で一番良かった。部屋とトイレは1階にあって、大きな家だったからすぐにトイレは自分専用だな、と思った。2階にもバスルームがあることは容易に想像がついた。
最初に庭の広さに度肝を抜かれた。敷地は面積にして、300〜400坪ぐらい(?)
杉のような高い樹も植えられていた。こんな高い樹が植えられているのは日本では神社や寺ぐらいだ、と言ったら、プラオゼ氏、35年前買ったときは1メートルちょっとぐらいだったとのこと。
それから、昼食のことまで心配してくれるのには恐縮した。実は、ホームステイは3食付となっていて、学校へは果物やサンドイッチを持たせてもらった。
今回は、英語である程度コミュニケーションできたので、いろいろ話を聞けた。
ホストファミリーのプラオゼ氏は5年前にディーゼルエンジンを作っている会社を退職したとのこと。
自分としては、今までで一番良いホストファミリーという感想だが、ホストの方はどうだろうか。プラオゼ夫妻は、これまで色々な国からのホームステイを受け入れてきたが、大学などで、2、3年ドイツ語をやってきた人がほとんどなので会話はドイツ語でやっていたとのこと。自分のようにドイツ語が話せなくて、ホームステイするのは初めてのことらしい。変り種が来たと思ったかもしれない。
コミュニケーション
ホームステイの2日目の夜にプラオゼ氏からこんなことを言われた。「日本にいて、ドイツ語を使うことがありますか?」
それに対して、一般論を聞かれているのだと思って、「日本では英語を勉強する人は多いですが、ドイツ語をやっている人は少ないです」みたいなことを答えた。
もう少し話しをしていると、質問の真意は、若い人が外国語を一生懸命勉強するのは分かるが、お宅のような中高年が今更ドイツ語をやっても仕方がないのではありませんか、というように受け取れた。後々まで記憶に残るようなキツイ質問だった。
かくいうプラオゼ氏は、自分が退職前に勤めていた会社のことを二晩、感慨深げに話してくれた。こちらはディーゼルエンジンのことを詳しくないし、あまり関心もないのだが・・・。会社人間だったのかもしれない。
ノンアルコールビール
これだけ密に(?)コミュニケーションが取れたのは、プラオゼ氏から毎晩ビールを出してもらったおかげだ。
3日目の晩に、それまでと同じくグラスを傾けていると、プラオゼ氏がビールのラベルに“Alkoholfrei” とあるのを指差して、これはノーアルコールビールだということを教えてくれた。
いつもと同じビールだと思って飲んでいたのだが、違ってショックだった。でも、本当に普通のビールと変わりがなかった。
プラオゼ氏は、足が不自由なためか健康には気を遣っているようだった。最初の晩に出してくれたのもアルコール度数の低いビールだった。自分も糖尿病予備軍なので、日本に帰ったらノンアルコールビールにしようかな、などと考えた。

子供と一緒のクラス
アウグスブルクのドイツ語学校の初日。8時半まで登校するようにとのことだった。
月曜日の朝、プラオゼ氏から教えられたとおりの時間にバスに乗って、10分前くらいにドイツ語学校(SPRAHFORUM)に着く。
最初に事務室に入っていくと、本人確認の手続きだけで、あとはテキストとワークブックを買わされた。40ユーロくらいの結構な金額で、1週間の講習にはもったいないような感じだった。教材を買わなければならないということは、エージェントからは何も言われていなかった。これまでのロンドン、パリの語学学校でも、レッスンの都度、講師がプリントを準備してくれてテキストを買ったことはなかった。
しかし、文句も言わないで、お金を払って、テキストとワークブックを受け取った。教室に案内されると、またまた驚いた。子どもがいたのだ。エージェントの資料には最低受講年令は16歳となっていたのだが、どう見ても小学生くらいの女の子だった。その後、また女の子が2人が加わって、結局子どもが3人、大人は自分も含めて4人、合計7人のクラス。初日はレベルに応じてクラス分けをするということだったが、それもなかった。
自分は絶対、初心者クラスと思ってはいたが、いくら何でも子供たちと一緒だったので、最初何たることか、と思った。先生はボーガーさんという若い女性。何から何までドイツ語による説明で、ジェスチャーも交えて説明してくれると、だいたいのところは理解できた。やさしい小学校の先生という感じだった。
授業は午前中だけで、2時間授業があって15分の休憩があった。自分は教育関係者でないのでよく分からないが、2時間続けての授業って、小学生くらいの子供にはきついんじゃないかと、思った。
最初習ったのは、私は誰々です、という言い方。2日目には、1から100までの数字の読み方をやったが、結構難しい聞き取り問題もあった。テープで郵便番号を聞き取って、それがどの地区のものか答えるものだが、これって英語でも難しいかもしれないと思った。基礎的なことをやっているようでいて、時折実際的な練習問題があったりして、いい授業だった。
自分には難しくてさっぱり分からなかった聞き取り問題を、9歳くらいのブラジル人の女の子がちゃんと答えたりした。クラスでの生徒の国籍はトルコ、ロシア、ブラジルで、日本人は自分だけだった。それに、2日目の途中から中国人が1人加わった。
ローテンブルクヘ行く
2日目の授業の終わり頃、またショックなことをボーガー先生から聞いた。明日(水曜日)は授業は休みで、翌々日にテストをするとのこと。テストがあることがショックだったのではない。授業が休みというのが、ショックだった。たった1週間といっても実質5日間のプチ語学留学なのだ。
それが、1日授業がないなんて、これでは話が違うよ、と言いたいところだった。ところが、さらに話を聞くと、その日は学校の行事でローテンブルクヘ行くので希望者は申し出るようにとのこと。参加費用は1人、15ユーロだった。
ローテンブルクは、ロマンチック街道にある城壁に囲まれた都市だ。今回のドイツ旅行の目的も半分以上は観光なのだ、ということを思い出して、ローテンブルク行きに参加することにした。初心者クラスで申し込んだのは、自分だけだった。
翌朝、アウグスブルク中央駅前に集合ということで、昼食のサンドイッチを持って駅前に行ってみた。そうしたら中学校か高校の生徒のグループで一杯だった。学校の夏休み前に何か野外活動みたいなものがあるみたいで、駅前は人の海だった。この中から、2日前から通い始めたドイツ語学校のグループを見つけるのは大変だな、と思った。
何しろ知らない人ばかりなのだ。アジア人が混じっている、それらしいグループの人に話しかけたら、ドイツ語学校の人だった。10人ちょっとのグループだったが、その中に、自分の他に日本人も1人いた。広島県福山市から来た人で、この人(Aさんと呼ばせてもらう。)と車中いろいろ話し合っているうちに、不安もどこかへ飛んで行ってしまった。
Aさんは、既に退職されていて、7月初めから1ヶ月ぐらいの予定でドイツ語学校に通っているとのこと。去年も1ヶ月間、同じドイツ語学校に通ったとのことだった。
アウグスブルクからローテンブルクまでは普通列車で3時間近くの道のりで、2回ぐらい列車を乗り換えた。南ドイツの方は鉄道の便が良くないとは知っていたが、まさにそのとおりで、1人で列車に乗ってロマンチック街道を回るのは大変だな、と思った。
ローテンブルクに着くとドイツ語学校の引率の教師が、各観光スポットで、ドイツ語による説明をしてくれるのだが、自分には、当然ながら、全く理解できなかった。
ローテンブルクを歩いていて気がついたことは、日本人の観光客が多いことだった。中国人の女生徒が何でこんなに日本人が多いのか、とドイツ語学校の教師に聞いていた。ロマンチック街道は日本人に人気があるから大型バスに乗って、あちこちの有名な都市や観光スポットを回ってるのだと頭に浮かんだが、ドイツ語も中国語もできないので黙っているしかなかった。
聖ヤコブ教会でリーメンシュナイダーの「聖血の祭壇」を見た後、市庁舎へ向かう途中で日本人画家の画廊を見つけた。このときはドイツ語学校の人たちと一緒に団体行動をしているときだったので、中に入らなかったが、昼食の休憩の後、中に入って絵を見せてもらった。
御主人は、ローテンブルクに来て13年目の竹山栄一さんという方で、画廊の中には竹山さんの作品が、本格的な油絵から観光客向けと思われる小品まで所狭しと並んでいた。
どれもさっぱりしていて嫌いな絵でなかったので、旅行の記念に絵を買うのも悪くないと思って、ローテンブルクの風景を墨絵風に描いた3号ぐらいの絵を買った。
