To the bright side

『崖っぷち高齢独身者』ノート 2 (「結婚弱者」とは)
 『崖っぷち高齢独身者 30代・40代の結婚活動入門』(樋口康彦著 光文社新書 2008)を読了した。

 著者は教育社会心理学が専門の大学の先生。自己紹介によると「性格は非常に内向的・几帳面・まじめで、人づきあいが苦手である。友達は少ない」とのこと。

 しかし、「身長170センチ。体重58キロ」だから、かなり若々しい感じなのだと思う。「体型維持には非常に気を使っており、毎日ジョギングや腹筋、腕立てふせをする」そうだ。

 数々のお見合いパーティでの体験や結婚相談所を通してお見合いした女性のことが語られているが、そこには著者の努力もあって、相手から気に入れられたり、かなりの美貌の持ち主との出会いもあった。

 自分の経験と重ね合わせて考えても、異性との出会いは胸がときめいたりするものだ。しかし、あまりに自分の好みと反していて、相手に性的魅力を感じないと、お見合いに費やした時間やお金も虚しいものに感じる。

 それでも著者は将来、死ぬまで一人ぼっちでいることが嫌なら、結婚活動を続けなさい、と勧める。

 通常、困難な活動をしている人は、回りから何らかの支援を受けられるものだが、結婚活動者は、自分が結婚相談所、お見合いパーティなどに行っているということは、親以外の人には言いづらい。ある種の後ろめたさを感じながら行う孤独で辛い活動だ。まさに「蟻地獄」という表現がぴったりだと思う。

 著者は、就職弱者(ニート、ひきこもりなど)は社会的にも注目されてきたが、「結婚弱者」も同じくクローズアップされるべきだと考えている。

 両方ともコミュニケーション能力の不足に起因する。したがって、就職弱者が何とか就職して社会参加しても、次に結婚弱者になりやすい。

 
結婚弱者:結婚をするうえで決定的に不利な条件を1つもしくは複数持っていて、かつほかの条件でそれをカバーできない人。結婚力のない人。妥協できない等さまざまな理由で結婚したいのにできない高齢独身者(売れ残りの人)のこと。または、若くてもさまざまな条件により将来結婚できない可能性が高い人(将来売れ残りそうな人)。ただし自分の意思で結婚しない人は除く。(p33)

 30代・40代で未婚の男女は巷にあふれている。
 自分は何とか30代半ばで結婚することができたが、この本を読んで少し考え方が変わった。

 それは、今まで大人になればいつかは結婚するのがあたり前で、それが完成された姿と思ってきたが、一生独身で過ごすこともありなんだ、ということ。結婚したくてもできなかった人は、それを受容するという辛い過程が必要かもしれないけど。
 (2011.4.16)


『崖っぷち高齢独身者』ノート
 『バブル女は「死ねばいい」』を読み終わった後、似たようなテーマの本がないかな、と思って市立図書館から借りてきたのが次の三冊。

1.『非モテ! 男性受難の時代』
2.『選ばれる男たち 女たちの夢のゆくえ』
3.『崖っぷち高齢独身者 30代・40代の結婚活動入門』

 1の著者は三浦展氏。『下流社会』が貸出中だったので、借りてきたのだが、グラフばかり多くて、しかも読んでいて切なくなってきて
(自分のことを書かれているようで!?)途中で読むのをやめた。

 2は、著者が心理カウンセラーで、これもクセのあるような感じで「まえがき」だけ読んでやめた。

 3は著者自身の結婚活動体験談。お見合いパーティに114回出席、結婚相談所を通して68人とお見合いしたとか。自分も結婚が決まるまで、かなり苦労したので親近感を覚えた。


 結婚は人生の墓場でなくて、通過点。そこに至るまでの道は平坦ではない。著者はかなりシビアな見方をしながら、冷静に分析している。「結婚弱者」が結婚するためのハウツー本といった感じだ。
 この本を出した時点(2008年)では、著者42歳にして、結婚はまだ決まっていなかった。
(2011.4.9)

『バブル女は「死ねばいい」』ノート 3 (子育てと仕事の両立)
 『バブル女は「死ねばいい」 婚活、アラフォー(笑)』を読了した。
 挑発的なタイトルだが、最後まで読んでみて、読後感は悪くなかった。それは「おわりに」のところに著者の本音が書いてあったからかも。

 
本書を書くにあたっての視点は「怨み辛み」である。(202p)

 私は甥っ子の誕生をきっかけに、子どもが欲しくてたまらなくなった。・・・なぜ、バブル世代は産めたのに、私たちは産めないのか。その「恨み辛み」である。(203p)

 現在、企業で子育てと仕事を両立させているのは、バブル崩壊前に一般職で採用された女性がほとんどだとのこと。当時は短大卒女子を対象に一般職採用が広く行われていたが、現在はどこの企業も男性と同じ条件で働ける女性を正規雇用者(かつての「総合職」)としてしか採用しない。(男女雇用機会均等法の影響)

 国は「ワークライフバランス」というキャッチコピーのもとで子育てと仕事の両立をうたっていて、「ワーキングマザー」が一番偉いといった順位付けが出来ている。
 出産後、職場復帰をしなかった女性にもそれぞれの事情があって、断定的に言うことはできないと思うのだが、社会的風潮としてそうなっている。

 順位付けと言えば、『負け犬の遠吠え』(酒井順子著)は「現時点で結婚している女性が勝ち。独身女性は負け」というシンプルさが受け、ベストセラーになった。

 この本を読んで自分もバブル以前の古い考え方だったんだな、と反省させられた。個人個人にはそれぞれの事情があるのに単純化して考えていた。

 「男はおっぱいによって動く」のに対し「女は子ども(母性)のために動く」という話も興味深かった。母性本能を処理するためのツールとして男性アイドル市場が活況を呈しているのだという。
(2011.4.3)

『バブル女は「死ねばいい」』ノート 2 (団塊ジュニアの本音) 
 少子化、晩婚化と言われて久しいが
その実態をのぞいてみると、世代というかある年代によっても考え方の違いがある。

 バブル女は古式ゆかしい「男尊女卑」を身につけた最後の世代である。そういう彼女たちは婚活市場で商品価値は高い。なぜなら、男性に従い、男性を立てることが身についている。(76p)

 バブル世代の下の団塊ジュニアは、就職に苦労し、収入面で恵まれなかったゆえに「物質よりも本質的なもの」を重視し「自分らしさ」を求めた世代である。(78p)

 
団塊ジュニア女子の本音として「メタボ男とは結婚できない」「キモい男とはセックスしたくない」という言葉があった。

 かつて女性は「自分らしさ」を押し殺して、大手企業の社員と結婚し、子どもを産み育てれば、国や企業がその後の人生を保障してくれたものだ。ところが、現在は大手企業の社員と結婚しても安泰とはならない。JALも会社更生法を適用されたし、弁護士や歯科医師のワーキングプア化も報じられる時代だ。

 それならばいっそのこと「自分らしさ」を大事にしようということで、団塊ジュニアの非婚化が進み、出生率はますます下がっていった。
 第3章まで読了した。
(2011.4.2)

『バブル女は「死ねばいい」』ノート 
 『一億総うつ社会』があまりに面白かったので、また別の本を読みたくなった。
本屋や図書館でいろいろ探したが、今読んでいるのが、次の本。

 『バブル女は「死ねばいい」 婚活、アラフォー(笑)』(杉浦由美子著 光文社新書 2010)

 私は東京で働いたことのない中高年男性だし、著者とは全然立場が違う。著者は1970年生まれ。
ただ、あくまで著者の立場に立って、著者の目線で読んでいこうと思う。
 冒頭にバブル女と団塊ジュニアの定義が載っている。

バブル女:1960年代後半生まれの女性たち。80年代後半〜90年代初頭のバブル景気の頃に社会に出た。出生率が低い丙午生まれを含む。

団塊ジュニア:1971〜1974年生まれ。ベビーブーマー世代であり、熾烈な受験競争を乗り越えて大学に入ったが卒業する頃にはバブルが崩壊していて途方にくれた世代。精神科医の香山リカは「貧乏クジ世代」と名付けている。

 本書の目的は、バブル女という「妖怪」からどうやって、身を守り、解放されるかを、団塊ジュニアの立場に立って模索すること。

 著者は、著者紹介のところにわざわざ大学浪人後、大学に入学したと書いているので、自分のことを団塊ジュニアに含めて考えている。
(2011.3.27)


『一億総うつ社会』ノート 4 (自己実現の彼方)
 『一億総うつ社会』(片田珠美著 ちくま新書)も一昨日に完読した。今回はそのまとめ。

 他責的傾向の強い「新型うつ」が急増した背景には、戦後、科学技術の進歩や高度経済成長によって、社会の流動性が高まり、外部の規範からの解放が進んだことがある。

 地縁、血縁などのつながりが希薄になり、個人の自立が進み、それぞれが「自分らしさ」「自己実現」を追い求めた。それは同時に「自己責任」が重くのしかかることでもあった。その典型が結婚である。

 「自己責任」の重圧に耐えられなければ、他人に責任を転嫁することになる。

→モンスターペアレント、クレーマーの増加

 地縁、血縁、さらに社縁からも切り離されて「部品」にされてしまうと、相手を人間と見なすことを面倒くさいからとやめてしまい「自己愛丸出し人間」が増えていく。
 自由な社会を求めたはずが、実に皮肉な逆説である。


 著者は「一億総うつ社会」への処方箋も書いている。
全体を通して、現代日本への社会批評として、興味深く読めた。
(2011.3.24)

『一億総うつ社会』ノート 3 (「新型うつ」とは)
 『一億総うつ社会』(片田珠美著 ちくま新書)の続きの続き。
これからが本論という感じ。

 近年、「新型うつ」の患者が急増している。
 「新型うつ」とは、従来型のうつ病「メランコリー親和型」とは異なり、自分の病気を他人や社会など周囲のせいにする傾向の強いうつ病。これは社会の構造的要因にも関係する。経済不況、リストラ、就職難民等々。
 「他責的」傾向が社会全体に蔓延している。

 新型うつ病患者は「こうありたい」という自己愛イメージと「これだけでしかない」現実の自分とのギャップが受け入れられず、悩み苦しむ。

 従来型うつの場合も責めたい相手はいるのだが、「反転」して、(自我の内部に取り入れてしまって)この代理の対象を責める。これは、リビドー(衝動のエネルギー)を対象から撤回して自我に戻す(自己愛に退行する)ことによって可能になる。フロイトが「自己愛的な同一視」と名づけたもの。

 「新型うつ」の場合は、この「反転」がなくなり、対象に攻撃性を直接向けるようになった、と考えることもできる。

 補足としてリビドーは2つに分けられる。
・対象リビドー:他者という外界の対象に向けられるリビドー
・自我リビドー(ナルシズム的リビドー):当の本人に向けられるリビドー

 対象リビドーと自我リビドーは対立し、全体のエネルギーの絶対量が決まっている以上、「片方が多く使われるほど、他方は少なくなる」。
 また、フロイトは「自我」を「リビドーの大きな貯蔵庫」とみなしている。


 男性同性愛者についての記述も興味深かった。自分を母親と同一化して、大人になると、自分自身を母の位置に置いて、少年達を愛するようになるのだという。
 第4章まで読了した。
(2011.3.21)

『一億総うつ社会』ノート 2 (神経症の消滅)
 『一億総うつ社会』(片田珠美著 ちくま新書)の続き。
 
精神医学の第1の革命:抗精神病薬の登場(1950年代)
 これにより、精神医療の現場では、抗うつ薬を投与して、効いたらうつと診断するような、いわば「薬で探っていく」経験主義がまかり通っていった。
 抗うつ薬は、不安や強迫観念などの神経症症状にも作用することが経験的に明らかになったため、「うつ」は抗うつ薬の作用に反応する疾患単位とみなされるようになった。→神経症が「うつ」に呑み込まれた

 精神医学の第2革命:診断マニュアル改訂
 アメリカ精神医学会は精神疾患の診断統計マニュアル第3版(DSM-V)で、病因に関する議論を排除することになった。表面的特徴の正確な記述を重視し、精神分析から撤退した。→「無意識」の概念はもはや意味をなさない。

 神経伝達物質「セロトニン」不足が関係しているのか、それとも何らかの心理的ストレスに対する反応なのか、原因はどうでもよい。気分の落ち込みや意欲の低下などの抑うつ症状がいくつ以上そろっていれば、うつ病と診断できるようになった。


 大学で心理学を専攻した友人から聞いた話や以前読んだ本を思い出しながら、精神医療の現場では、こういう風に治療が行われているんだ、と思った。もっともアメリカの診断マニュアルどおりではないと思うけど。
 第2章まで読了した。
(2011.3.19)

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