To the bright side

『一億総うつ社会』ノート
 今、床についても寝つけないような気がする。
 今日は1時間年休を取って、軽い食事を取った後、ちょっと長めの仮眠を取ってしまった。
そんな訳で、今週から読み始めた本『一億総うつ社会』(片田珠美著 ちくま新書 2011)について、ちょっと書いてみる。

 
うつ病の概念があいまい=「本当に満足できる定義がない」
 気分が落ち込む、ゆううつで何もする気がしない、希望を持てない、体がだるくベッドから起き上がることができない、といった「うつ状態」は、さまざま精神疾患の共通分母として出現しうる。

 精神疾患以外の病気であれば血液検査の数値、レントゲンやMRIの画像など、客観的データがある。
 このためアメリカ精神医学会はDSM(Diagnostic and Statistic Manual of Mental Disorders)という診断マニュアルを作成した。

 できあがったDSMは、該当する症状に印を付けるだけでよいというものになった。
 これにより、複数の精神科医が、同一の患者を、それぞれ独自に診断しても、同じ診断が下すことが可能になった。


 この辺までは、以前読んだ本で、予備知識がある。
「新型うつ」は初めて聞く言葉。
 まだ、50ページちょっとしか読んでないので、今日はここまで。
(2011.3.17)

『夕凪の街 桜の国』を読んで

 『夕凪の街 桜の国』(こうの史代著 双葉社 2004年刊)を読了した。
 この本は、先週日曜日にあった山形市立図書館市民講座「日本マンガの構造性をめぐって−その興隆と衰退−」で講演した中村唯史先生が、一番のオススメということで推薦してくれた本だ。


 ヒロシマの「原爆」をテーマに描かれたマンガで、重いテーマの割に軽く明るいタッチで描かれていて、最後まで読むと複雑な気持ちにさせられた。第一話が「夕凪の街」で第二話、第三話の「桜の国」(1、2)がそれに続く。

 昭和30年頃から現代までの3つの物語が関連し合っていて、すぐには登場人物の関係を掴めなかった。でも、読み返してみると、流れも完全に理解できて、良い作品だ、と思った。
 第9回手塚治虫文化賞新生賞を受賞したほか、映画化もされたらしい。
 
(2011.2.6)

New Year's Resolutions
 あっという間に新年になってしまった。
 昨日の大晦日は紅白をちょっと見て、それから格闘技にチャンネルを変えた。家族は別の番組を見ていた。紅白に出てくる歌手も半分くらいは知らない。我が家では歌番組をあまり見ないからだ。
 格闘技も最後の試合はフェザー級のタイトルマッチということだったが、どちらも知らない選手で、しかも戦い方も地味だったので、途中まで見て、寝てしまった。やっぱり、柔道から転向した石井慧とジェロム・レ・バンナの試合が一番見応えがあった。自分は小兵なので、ああいった筋肉隆々の選手が出るとつい見とれてしまう。

 新年の抱負を書くつもりが脱線してしまった。
いつものことだが、自分の手の届きそうな目標を立てる。
1.TOEIC800点越え
2.4コマ漫画年間制作数倍増 13(2010年)→20以上
3.ゴルフのアベレージ 95

 最近、英語はニンテンドーDSでTOEICの問題を解いている。Part3〜4は、問題文の先読みができない、というのが欠点というか、長所というか。それだけ難しい。リスニング本来の能力を問われているような気がする。今日、初めてPart3をやってみて、やっぱり英語をシャワーのように浴びないとダメだな、と思った。

 4コマ漫画は去年の12月に少し多めに描いたが、けっして面白い作品ではない。自分で言うのも変だが・・・。
最近、下手でも良い、という気持ちになってるから、この気持ちのまま描き続ける。

 ゴルフは腰から下を安定させる、ということに気をつける。それから、打った後はへそが目標を向いていることとか、一杯あるんだが、書いても仕方ないのでやめておく。

(2011.1.1)

『貧困ビジネス』を読んで

 『貧困ビジネス』(門倉貴史著 幻冬舎新書 2009)を読了した。
 門倉貴史さんの著書は2ヶ月前にも『中国経済の正体』(講談社現代新書 2010)を読んだ。
内容も偏ってなくて、読みやすい、という印象だった。

 「貧困ビジネス」とは「貧困層をメインのターゲットにしていて、
短期的な利益を追究するビジネス全般」の呼称。
ワーキングプアだけでも日本に1,308万人もいて、1人あたり消費支出150万円をかけると、
19.6兆円にもなり、富裕層(年収2,000万円以上)の16.1兆円よりも大きな市場規模になるとのこと。

「貧困ビジネス」について広範囲に渡って、
取り上げていて
例えば、第5章の「台頭する貧困対応型セックスビジネス」はどんな取材をして
あれだけのデータを集めたのだろう、と疑問に思ったほどだ。

 アパートなどの賃貸住宅を借りるときに、敷金、礼金がいらない「ゼロゼロ物件」というのも初めて知った。
敷金、礼金が要らないかわりに家賃の支払いが1日でも遅れるとカギを付け替えられたり、
高額な違約金を請求される。

 家出少女を誘惑して、ホストクラブ漬けにして、返済できないくらい借金を背負わせ、
仕舞に強制的に性風俗店で働かせる、といった手口や、
ヤミ金融業者の取り立てなど、悲惨、苛酷な実態が様々に紹介されている。

(2010.12.13)

「Alexander the Great」を読んで
 今年読んだ洋書の3冊目は「Alexander the Great」だった。
 ブログにも感想を書いたのだが、書き終わってアップするときに通信の接続不良で
すべて消えてしまった。
 再チャレンジということで、もう一度書いてみる。

 アレクサンダー大王(BC356〜323)はギリシャの北に位置するマケドニアの王。

 紀元前5世紀は古代ギリシャ文明が栄えて
いたときで
その頃、ギリシャの人々の頭痛の種は東からのペルシャ軍の侵入だった。
紀元前490年にアテネ軍がペルシア軍をマラトンの戦いで勝った時に
伝令が勝利を伝えるためにアテネまで走った。
その距離が42.195kmで、現在のマラソン競技の由来になっている。

 アレクサンダー大王はこのペルシア帝国をやっつけるために東征を行った。
 東征を開始したのは紀元前334年で、年号は「さーさしっかりアレキさん」と覚えるらしい。

 ペルシア帝国は異民族を征服すると土着の宗教やしきたりに無頓着だったが、
アレクサンダーは征服した土地の神殿を復元したり、その習慣を取り入れたりした。
 アレクサンダーはペルシア帝国のダリウス王を滅ぼすが、
そのダリウス王の娘と結婚したりもしている。
マケドニアは一夫多妻制だった。

 アレクサンダーのマケドニア軍は、インダス川まで到達したが、
それからもっと東へ進むには、より大きなガンジス川を渡らなければいけない、
ということで、部下の反対もあり、西に戻る決意をする。

 全編、戦争と冒険の物語で、例えば戦闘の場面ではマケドニア軍、騎兵何千人、歩兵何万人、
ペルシア軍、騎兵何千人、歩兵何十万人、戦闘用のゾウ何百頭と事細かに書かれている。

 それだけ記録が残っていたということで、アレクサンダーの亡くなった後のことだが、
アレクサンダーの名前を冠した、エジプトの都市、アレクサンドリアにある図書館には
5万点の蔵書があったと伝えられている。
印刷機もなかった時代に、まさしく驚異的な数字だ。
(2010.12.8)

お大事に
 職場ですぐカッなる奴がいて嫌になる。(2人いて、男と女)
 矛先が自分に向けられても自分に非がある、と考えるのはやめることにする。

 先日、NHKテレビ「ためしてガッテン」で不元気症候群(LOH症候群)のことをやっていた。

イライラしたり精神不安などを引き起こす病気だが、
その原因は
何と加齢による男性ホルモンの低下だった。
一言で言えば、男の更年期障害。
それにストレスの影響も加わって、人によって様々な症状が現れる。
自分も40代初めに何故かわからないが、イライラすることがあった。
原因はこれだったのではないか、と今になって思う。

 男の方はこの病気にかかっているんだと思う。
男が悪態をついているんでなくて、病気が悪態をついているんだと解釈する。
そうすれば「お大事に」とでも言いたい気分になる。

 女の方は更年期障害には年齢的には早いが、これもホルモン異常かもしれない。
バセドウ病というのもある。
こちらもヒューズが切れたら、「また病気が始まった」と思うことにする。
本当に可愛そうな人達なのだ。
(2010.12.4)

五萬圓堂のつぶやき
 今日から月が替わって11月だ
 少し立ち止まって、自分の行く方向を考えたい気分だ。
 今まで、最初は漫画に集中して、その後、英語、そして最近はゴルフに熱を上げている。
 だんだん限られた時間なんだ、と思う。
 それでいて、退職したら、何もすることもなくて暇で死にそうになるんじゃないか、と心配になる。矛盾した自分がいる。 忙しい中、時間をやりくりしてゴルフをするから、楽しいのだ、みたいなことを誰かが言ってた。何もすることがなくなって、収入も少なくなったら、気力も失せてしまうんだろうか。
 さて、これまでどおり英語の勉強に時間を割いてて良いんだろうか。悩むところだ。
 何といっても凡人の悩み。大きなことはできない。
 大きなことに近いのは、漫画だろうか。こちらの方は空想を膨らませれば、国家財政や地球環境まで論(?)ぜられる。
 ゴルフ、漫画、英語、どれを取っても完璧には程遠い。
 やっぱり、バランスを取ってやるしかないんだろうな。

(2010.11.1)

『日本を降りる若者たち』を読んで
 4ヶ月の御無沙汰でした。ブログは更新していたけど・・・。
 書こう、書こうと思って延び延びになっていたのが、読んだ本の感想。

 先月読了した『日本を降りる若者たち』(下川裕治著 講談社現代新書 2007年刊)は
印象的な本でした。

 「ひきこもり」とか「ニート」という言葉があるが、
それと同じようなことをタイとか東南アジアでやっている日本の若者がいる。
職にもつかず、学校にも行くわけでもない。「外こもり」というのだそうだ。
 彼らは日本で、何ヶ月間か集中的にバイトをし、お金をためる。
そのお金を持って、タイに行き、あとは何もしないで、数ヶ月間ダラダラ過ごす。
お金がなくなったら、日本へ帰ってバイトをし、お金がたまったら、
またタイへ行き、外こもりの生活をする。
その繰り返し・・・。
ゲストハウスといって、バンコクには1泊300円〜1000円で泊まれる安宿があるとか。

 著者は外こもり系の若者はタイだけで6、7千人、アジア全域では1万人と推計している。

 最後の章で、著者は、こう述べている。
「厳しく不寛容な色合いを強める北側の社会のなかで歯をくいしばって生きるぐらいなら、
南の国で節約しながら暮らしたほうが楽じゃないか・・・・。
北側社会で恵まれない日々をすごす人々は、
南をそんなふうにもとらえているのだ。」

 自分も海外に行けば何とかなる、と思っていたときがあって、妙に共感できる1冊でした。
退職したら、物価の安い海外(東南アジア)で暮らそう、という同伴者からの提案もあるし・・・。
(2010.9.12)


フォッサマグナミュージアム

 GWの旅行の2日目は、新潟県糸魚川市にあるフォッサマグナミュージアムヘ行った。
 地質学はおろか理系はあまり得意でない自分だが、何か惹かれるものがあって、
この博物館には一度行ってみたいと思っていた。


フォッサマグナミュージアム

 フォッサマグナ(ラテン語で「大きな溝」という意味)は、
ナウマンゾウを最初に研究したナウマン博士が発見、命名したとのこと。
フォッサマグナは、2千万年もの間の火山活動や土砂の堆積によって、
現在のような地続きになった。

 期待していたとおりの博物館で、何だか気持ちが大きくなった。

 火山活動のような自然の営みに比べたら、高速道路をスッとばして、
排気ガスを撒き散らすのは大したことではないような気になった.....orz

今も図書館から火山関係の本を借りてきて、暇を見つけては読んでいる。
(2010.5.12)


『「日本発」世界大恐慌』読了
 金井晴生著『「日本発」世界大恐慌』(PHP研究所発行)を読了した。
 一昨年、ガソリンがリッター180円以上になる石油価格の高騰があった。
漁船は重油が上がって、漁に出ても燃料代で赤字になる、
低所得世帯は冬期間の燃料代が払えないということで大問題になった。
この石油価格の高騰は投機資金が動いていて、
その影響で石油の値段が上がっているんだとか、
そして何と元凶は日本側にあり、日本の円が回りまわって、
投機資金に使われている、という話を聞いたことがある。
つまり、日本は超低金利なので、日本で円を借りて、
それでドルを買って、金利の高い海外で運用するというやり方。
これを円キャリートレードと呼ぶ。
素人でも最近、日本は低金利だから海外で預金したら
利息が稼げるんでないか、と思ってしまう。
個人も機関投資家も考えることは皆同じだから、
巨額の資金が海外へ流れ、その一部が投機資金となって原油市場に回り、
石油価格を押し上げた。
そもそも外国為替市場というのは、
輸出した企業が代金をドルから円に換えたり、
輸入品の代金を支払うために円からドルに換えたりするような
実物取引が伴うものだが、
現在は、実物取引が伴わない、純粋な金融取引の割合が非常に大きくなっているのだという。
そして円を借りて、その借りたお金でドルを買う、
という過程でドルの需要が高まり、
ドル高(円安)へと進む。
円は1973年に変動相場制に移行してから、それまでの1ドル360円から、
長期的には円高の過程をたどってきた。
しかし円高が行き過ぎると、
自動車産業など日本の主力産業からの輸出が立ち行かなくなるということで、
日本の財務省が1995〜2004年にかけて
円売りドル買いの大規模な市場介入を行った。
買ったドルで米国債を購入。
日本政府が円キャリートレードを行った訳で、
こうして積みあがった日本の外貨準備高は、
通常必要とされる額を大幅に上回っており、
いつかは解消されなければいけないものだという。
 著者は、日本の財務省が行った円安誘導政策を
市場をゆがめるものだとして、強く批判する。
速水優・元日銀総裁によると「ドル押し上げ介入」はIMF協定違反とのこと。
速水優・元日銀総裁も著者も「円高論者」なのだが、
この本の論理は一貫していて分かりやすかった。
しかし、実際に「榊原介入」がなかったら、どうなったのかは誰にも分からない。
現実の経済は変数が多すぎて、それに経済主体が市場の動きにどう反応するかの予測も難しい。
資源の乏しい日本は加工貿易型で栄えていくしかない、
と誰もが思っていたのではないか。
そのため、マスコミも国民も財務省の市場介入を暗黙のうちに了承していた、
と思えてならない。
最後に、この本のお陰で外国為替取引について、自分の知らなかった、
たくさんのことを学ばせてもらった、という感謝のことばで終わりにしたい。
(2010.4.17)

数学はお預け

 息子の大学受験の関係で数学をちょっとやっている。
むろん問題を解ける訳でもなく、
ただ、数学に関するホームページを読んだり、
それをプリントアウトしたりしてる程度だが。

 数U・Bの数列で漸化式というのがあって、
息子が苦労してるみたいだった。
それで助けになってやりたいと思って、
ネットで検索して、分かりやすそうなホームページを見つけて、
プリントアウトして息子に渡した。

 自分でも読んでみたが、
漸化式というのは、数列でも後ろの方で習うやつみたいで、
なかなか理解しがたいところがある。
それで階差数列や等差数列に戻ってやってみた。
こちらは何とか、昔やった記憶が戻ってきて、
理解できたような感じだった。

 数学にはもともと興味があって、
退職して時間が出来たら、
もう一度やってみたいと思っていたほどだ。
昨日も(晩酌しないで)必死に階差数列の記述を読んでいたら
浮世(憂世)のことはすっかり忘れていた。

 しかし、今は、数学をやっていると他のことが全然出来なくなりそうなので、
しばらくお預けだ。
退職後の楽しみの1つに取っておこう。
(2010.2.11)

 読書ノート『戦争の日本近現代史』
 講談社現代新書『戦争の近現代史 東大式レッスン!征韓論から太平洋戦争まで』(加藤陽子著)という本を読んでいる。
 冒頭に「戦争を学ぶ意味は何か」という問いかけがある。
 歴史には「出来事」のほかに「問い」がある。

 
人間として生まれた以上、喜んで戦争を始めたり、喜んで戦場に赴いたりする者は少ないはずです。・・・・・・しかし、国民の認識のレベルにある変化が生じていき、戦争を主体的に受けとめるようになっていく瞬間というものが、個々の戦争の過程には、確かにあったように見えます。(22p)

 軍備を拡張して、戦争で勝ち、相手国から賠償金を取った方が、短期的に軍事費を出し惜しみするよりも、長い目で見れば儲かる、という見方もあった。

 日清戦争で日本は清国から、遼東半島、台湾、澎湖諸島の割譲や賠償金3億1000万円の支払いを受ける。しかし、その後の三国干渉で遼東半島は清国に返還される。

 日露戦争後の講和では、日本は韓国、満州、遼東半島における優越的地位を得るが、賠償金はなかった。
 三国干渉や日露講和に対して日本国内では批判や失望が高まる。戦費調達による重税にあえぐ国民は、戦争に勝てば勝っただけの“見返り”を期待していた。

 
入江昭は『日本の外交』において、近代日本の外交思潮の特徴を二つ挙げています。一つめは、「政府の現実主義」と「民間の理想主義」(この理想主義は、ときに冒険的ともいえる対外硬論となります)・・・・・・(19p)

 戦前期の日本は十年おきに戦争をしてきた。
  日清戦争      1984〜1985
  日露戦争      1904〜1905
  第一次世界大戦 1914〜1919
 この後、満州事変までしばらく平穏が続くが、満州事変と太平洋戦争も開戦時期を並べてみると、十年ごとになっている。
  満州事変      1931
  太平洋戦争    1941

 それぞれの戦争は、独立してあったのでなく、前の戦争の結果生じた矛盾を解消するため、次の戦争が始められる、といった関連を持っていた。
(2010.2.5)

 MYSELF
 昨年11月8日の書き込み(ゴルフときどき英語)を読んでいて、
やっぱり自分は馬鹿だ、と思った。
 ゴルフについて色々と書いていたが、

ゴルフのスイングは一連の流れの中の動作なので、
分解して、ああだこうだ、と書いても仕方がないのだ。
プロゴルファーやプロのコーチが書くのなら、
話は別だけど・・・。

 今日は大学入試センターの第1日目。
 次男もそのため、いつもより早目に家を出た。
 普段は、私も「きれいな滑りを見せてくれよ」などと、冗談を言っているのだが、
さすがに今朝はそんな雰囲気ではなかった。
こうして子供達は人生の階段を一段一段上がっていくのだな〜

 自分はどうか。
ほとんど人生のカタチが見えてしまって、あとは下っていくだけみたいな感じもする。
 自分の身の回りに関して、最近よく夢を見る。
 自分の方向性を決めたのは、他人のような気がする。
自分がどういう風に見えるか、どんな風に見られているか、
自分にはよく分かっていなかった。
今の人は、その辺によく気をつけているという風に聞くが、
自分は無頓着だった。
これからもここ数年は、自分の方向性は他人が決めていく、
それを甘受して生きていくしかあるまい。

 自由に生きるのはウイークエンドとオフのときだ。
 問題はその過ごし方だ。
 数年後、自分は否が応でも、この他人が自分の方向性を決めるという窮屈さから
解放される。
そのための準備段階でもある。
 気持ちは若いままでいる。
好奇心を持ち続ける。
例えば、今流行のツイッターにも挑戦してみる。

 体を動かす。
 今日は水泳に行く(初泳ぎ)。
 ゴルフはマンネリにならないようにする。
河川敷のゴルフ場も、今までと全く別の時間帯に行く。
早朝とか、平日、仕事を休んでとか、
また、別のゴルフ場に行くとか。

 語学はほどほどに楽しみながらやる。
TOEIC800点越えという目標を去年立てたが、点数はあくまでも結果。
あまり点数にこだわらない。
昨年から洋書を読む楽しみを覚えたが、
洋書とか英会話を楽しむようにする。
(数年前に英会話も楽しくて、気分転換になることを発見した。)
(2010.1.16)

 ゴルフときどき英語
 ずっとブログの方にばかり文章を書いていたので、
たまにホームページの方にも書いてみる。

 今回こそ開眼したと思って、ラウンドしてもミスの連発。
昨日のゴルフもそうだった。
練習では結構いい当たりが出るのに何故コースに行くとダメなのか。
今回も帰ってきてからいろいろ考えた。
 前に買っていたゴルフの本を読み直したりして、
次のような対策を考えた。
これはトップやダフリなどを防ぐためのアイアンの対策だ。
ドライバーは振り回さなければ、程々に当たるようになったので・・・。
1.アドレス
  クローズドスタンスで、左足荷重。
  テークバックに移るとき両足荷重。
2.グリップ
  ボールのつかまりを良くするため、
  フックグリップにする。
  クラブのフェースは目標よりもやや左向きにする。
3.テークバック
  左手主動で行なう。右手は添える程度。
4.スイング
  アウトサイドに振り抜く。
  つかまり過ぎて、ヒッカケが出ないように気をつける。
 要はドライバーで気を付けていることを、
アイアンでもやってみるということ。

 今日は、英会話の予約をしていたのだが、
時間を勘違いしていて、欠席してしまった。
疲れ気味なのかもしれない。
いくら練習してもゴルフは上手くならないし・・・。
 英語はやればやっただけ上達しそうな予感はするが、
それだけやる気力が、出てくるかどうか。
(2009.11.8)

 『上海狂奏曲』読了
 高崎隆治著『上海狂想曲』(文春新書)を読了した。
 第二次上海事変(1937年)のことを中心に描かれているノンフィクション。

 上海にはアヘン戦争(1840〜1842年)のあと、イギリス、アメリカ、フランスによって租界がつくられる。

 日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦をを経て、日本も富国強兵を進め、上海へ紡績業などを中心に工場を建てる。
 上海に住む日本人は1915年に1万人を超える。長崎〜上海の定期航路も開設され、日本人居住者は急激に増えていく。その居住地は蘇州河北の虹口区に集中していた。

 当時、ヨーロッパやアメリカなどの海外に行くのは、一般庶民にとっては夢のまた夢で、租界のある上海が最も手軽に行ける外国だった。

 しかも上海に行くにはパスポートも必要ないというのだから、日本政府の意図的なものを感じる。
 1941年、日本軍が上海の各租界地から英米勢力を追い出し、上海の日本人居住者は10万人を超える。

 第二次上海事変が始まったとき、中国側も日本人居住地区(虹口区)に対して砲弾、迫撃砲弾、機関銃弾、小銃弾を撃ち込んでくる。

 それが昼夜の別なく行なわれ、時折、敵機がものすごいダイヴィングで大襲撃を仕掛けてくる。そこにいた新聞社の支局長によるとまさしく狂想曲のようだった。

 事変が勃発して2週間目ぐらいになると中国側の攻撃は夜間に限定されたが、恐怖は続く。

 「日暮れになると弾丸(たま)が飛んでくるのよ、知らず知らずに怖くなるのよ」という流行歌の替歌が兵士の間で歌われた。(元歌は「日暮れになると涙が出るのよ 知らず知らずに泣けてくるのよ」)

 日本から特派員として林房雄などの文学者も上海へ派遣される。
 文学者、記者の3人が上海のホテル(虹口の河向う)で「ものはためしだ、女を呼んでみようか」と言って、「事件」に巻き込まれた話が興味深い。

 上海で戦禍をまのあたりにした林房雄は日本の平和な田舎に思いをはせるが、日本に帰ってみると刺激の少ない
日常性の繰り返しに嫌悪する。

 「上海に行きたい」とまで思う彼は、それが特派員の危険なゼイタクであることを百も承知していた。
(2009.2.21)

 映画『容疑者Xの献身』を見て
 『容疑者Xの献身』を見てきた。あまり予備知識もなかったので、見ていて「そう言えば、天才物理学者対天才数学者の対決みたいな感じで、テレビで予告をやっていたな」と思った。

 この映画を見る気になったのは妻から、「良い映画だと従姉妹がすすめていた」ということを聞いたからだ。

 最後に原作者が東野圭吾であることも映画を見て知った。世情に疎い。去年、東野圭吾の『あの頃ぼくらはアホでした』という彼の自伝みたいな作品を読んだが、非常に面白かった。

 その本も妻か息子か、家族が買ったものだ。
 『容疑者Xの献身』みたいな作品を書けるのは、著者の経歴(確か工学部卒)と無縁でないだろうな。

 家族って大切だと思う。たった1人で生活していたら、こんなに興味や関心が広がらないかもしれない。

 この映画は構成がしっかりしていて、あまりストーリーとかに矛盾は感じなかった。現実には非常にありそうもないことなんだけど、石神役の堤真一の好演にも助けられて、トリックが明かされても納得してしまった。

 原作が直木賞を取ったとかで、それだけのことはある。(文中、敬称略)
(2008.12.6)

 今年7回目のゴルフ
 昨日も1人で河川敷のゴルフ場へ行った。今回も水分補給のためスポーツドリンクを飲みながら回ったんだが、途中バテた。前半は46で結構良かったんだけどな〜。(後半のスコアは、あまりひど過ぎるんで、ここには書けません。)

 バテた原因は、何と言っても暑さだろうな。炎天下の中、気温は30度ぐらいか?ただし、コースを回っているときには川面を渡ってくる風のおかげで、そんなに気にならなかった。

 先月は疲れが腰の回りに来たが、今回は背中(両肩甲骨のところ)に来た。あのとき背中に膏薬をベタベタ貼っていたら違っていたかもしれない、なんて考えてしまう。

 体力が残っているときには河川敷でOBなんかしないのだが、今回はOB1つとコース外(1ペナ)へも2〜3つ打ってしまった。
 しかし、このゴルフ、体力のなさが分かって、自分の体力のバロメーターになっていると解釈することもできる。
(2008.6.21)

 愛しきもの
 自分を頼りにして、慕ってくるが、こちらの方は時々面倒臭くなるというものがある。自分の場合は8年前から飼っている飼犬だ。

 散歩に連れていったり、餌をやったり、ほとんどの世話は自分がしている。飼主の義務みたいな感じでやっているが、本当の愛犬家というわけでもなく、当時子どもが小さくて、犬が居てもいいかな、という感じで飼い始めたのだ。

 息子がもう少し犬の面倒を見てくれると助かるのだが、今のところ全然その気配はない。そんな訳で疲れていたり、気分が乗らないときは散歩に行くのも面倒になるときがある。

 今日もそんな感じだった。朝方、雨が降っていたのだが、それが止んだのを見計らって、ゴルフの練習に行った。ドライバーのコツがつかめかけてきているようなのだが、まだ確信が持てない。

 もうすぐ昼食という時間、15分ぐらいということで犬の散歩に行った。そうしたら、歩いているうちに早朝考えていた4コマ漫画のアイデアがまとまった。不思議なものだ。

 ただ机に向かってばかりいては、良い案も浮かびませんよ、と犬から教えられたような気がした。
(2008.5.25)


 拡散型になっているとは?
 先月、「別の地域格差」というタイトルで、人口10万人当たりの都道府県別交通事故死者数とDID(人口集中地区)人口密度の間には逆相関みたいな関係がある、ということを書いた。

 その最後の方で「日本の一般的な地方では市街地が拡散型になっていて人口密度が低い」と書いたが、これがどういうことを意味するのか、わかりやすくするために、グラフ化してみた。(DID(人口集中地区)の推移(山形県)

 このグラフはDID(人口集中地区)人口密度と面積が1960年から2005年までの間にどのように変化していったかを表している。なお、DIDとは実質的な市街地と考えてもらってよい。

 これによると最初、1960年頃にはDIDの人口密度が1平方km当たり8,000人を超えていたのが、直近の2005年には4,000人半ばぐらいになって、低密度の拡散型になってきていることがわかる。(折れ線グラフ)

 その原因は、DID人口は、この45年間に1.7倍増加したのに対して、DID面積(棒グラフ)は3.2倍も増加したためだ。人口に比べて、その入れ物ともいえる市街地の拡大の方がずっと大きかった。

 山形県を例に取ったが、こういったことは大都市圏を除いた、日本の地方で一般的に見られる現象だと思う。つまり区画整理事業などにより新市街地が形成され、広い駐車場を備えた郊外型店舗が次々に立地するという構図だ。

 これは自家用車の普及と密接な関連がある。モータリゼーションの波が地域の変容を促したと言える。
(2008.3.29)

 マンション住まいについて考える

 先日、マンション住まいについてのシンポジウムに出席した。出席したのは、市内でもマンションが増えているが、どんな理由でマンションが増えているのか、どんな人がマンションを購入しているのか、関心があったからだ。

 地元のNPO法人が主催したもので、最初にマンション居住者に対するアンケート調査の結果の報告があった。その結果は、やはり当地は雪国のため、雪処理のことを考えてマンションを選んだ、という人が多いようだった。そして、年齢別にマンション居住者を見ると60歳以上が32.8%で最も多く、それに50歳代、40歳代と続いていた。シンポジウムでは郊外に1戸建て住宅を求める人は30歳代が多い、という話も出た。

 子育て世代は郊外を選び、子育てが終わった高齢者や高齢者予備軍は市の中心部を選ぶ、という構図らしい。ただ、一概にそうも言えなくて、以前、空洞化により市の中心部の小学校の児童数の減少が問題になったが、最近は少し児童数も増えてきているという話もあった。これもマンションが増えたおかげらしい。いろんなものがミックスしている。それが都市というものかもしれない。

 郊外の新興住宅街も、年を経ると子育てが終わった高齢者ばかりになったりして、活気がなくなって、中にはゴーストタウン化が心配されるところもある、という話も出た。それで子育て世代など郊外への居住を希望している人がスムーズに郊外へ住み替えできるように支援するシステムを行政がつくっているところもあるとか。

 “街なかVS郊外”というとらえ方をすべきではない、というのが主催者のまとめの中にあった。私もコンパクトシティについて、これまでいろいろ考えてきたが、どういう住まい方をするのか、という具体的なことが抜け落ちていたように思う。

 ただ、高齢になると市の中心部に移り住むようになる理由は、交通の問題がかなり大きいのでないか、ということだけは言っておきたい。特に地方都市では公共交通が発達していないから、移動手段として自家用車を使うのが一般的だ。そのため一世帯で2台、3台とクルマを持つことも当たり前になってきている。

 しかし、現役世代のときは苦にならないが、年齢とともにクルマの運転に必要な「認知・判断・操作」の能力が衰えてくるから、できることならクルマの運転をしたくない、と思っている高齢者は多い。そのため郊外よりはいくらかでも交通の便の良い中心市街地を選ぶことになるのだと思う。

 マンション居住者に対するアンケート調査の結果でもスーパーなどへの買物の交通手段は、徒歩が60%近かった。これが、郊外の居住者の場合は自家用車が9割ぐらいになるのではないか。シンポジウムでは、マンション居住者は利便性ばかり求めているという意見もあったが、最も利便性が高いのはクルマで、彼らはそのクルマ社会から少し距離を置こうとしている人々と見ることもできる。
(2008.3.15) 

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