BOOK REVIEW 5 

最後の家族

村上 龍
幻冬社/2001.10.10初版発行/本体価格¥1,500(税別)

〈帯より〉
家族について書かれた 残酷で幸福な 最後の物語

この小説は救う、救われるという人間関係を疑うところから出発している。誰かを救うことで自分も救われる、というような常識がこの社会に蔓延しているが、その弊害は大きい。そういった考え方は自立を阻害する場合がある。(村上 龍)

 
政治家やめます。
知ってるかな「だいじょうぶ、マイフレンド」。

弥次:イヤー、笑った、笑った。
喜多:何をだい。
弥次:テレビ朝日系列で放送されている村上龍脚本のドラマ「最後の家族」だよ。
喜多:引きこもりがテーマだろ?
弥次:引きこもり、不倫、ドメスティックバイオレンス、家族崩壊、フリーター、リストラなど、流行の社会病理がてんこ盛りのストーリーだ。
喜多:社会派ドラマというわけだな。
弥次:そう言われると龍は喜ぶだろうな。
喜多:あいかわらずシニカルだな。
弥次:出版元が幻冬社ということで話題づくり先行の感がなきにしもあらずだな。
喜多:またまた仕掛けてるかね。
弥次:村上龍は、オイラにとってほぼ同時代を生きている作家で、新刊は必ず読んで、いつも裏切られ、たま〜に喜ばされたりしてきたんだよ。
喜多:愛情の裏返しで手厳しいんだな。で、今回はどうだい。
弥次:その龍がドラマの脚本を書くなんて、きっと自らメガホンと取った「だいじょうぶ、マイフレンド」並に失敗だろうなと楽しみにして見たよ。
喜多:オイラも見たよ、第1回の放送。樋口可南子赤井英和吉沢悠松浦亜弥岡田浩暉井上晴美尾身としのり照英古尾谷雅人石橋蓮司など、なかなか興味深いキャストじゃないか。
弥次:でもな、あんなきれいなお母さんはいないぞ、樋口可南子。相変わらず下手だなあ赤井秀和。赤井の娘が松浦亜矢かとか、ドラマ自体より、そっちの方が気になるんだよな。
喜多:そうそう、オイラもひとつ気になったのが、岡田浩輝って昔バンドやってたろ。
弥次:ああ、やってた。
喜多:なんて名前だったっけ?
弥次:うーん…。
喜多:だろ、オイラも思い出すまで1週間かかったよ。正解は“to be continued”。

うちの娘は、松浦亜弥?

茶髪の龍
(深い意味はありません)

弥次:「最後の家族」は、ドラマにしろ小説にしろ、面白い面白くないは別として、描かれていることが他人事に思えないんだよ。
喜多:ほう。
弥次:ほら、うちは2歳7ヶ月の娘と生後3ヶ月の息子がいるだろ。
喜多:いるねえ、ちっちゃいのが。
弥次:今は子どもたちもかわいくて幸せだけど、何年かすると引きこもりになったり、家庭が崩壊する可能性もないとは言えないと思うんだよ。
喜多:一寸先は闇だからな。
弥次:遠くにありながら、身近なテーマという気がして、わが身に置きかえてしまうんだよ。
喜多:なるほどね。でも、オマエさんのカミさんは樋口可南子に似てないぞ。
弥次:ほっとけ。
喜多:あのわんぱく娘が大きくなっても、松浦亜弥にはならんだろ。
弥次:大きなお世話だ。
喜多:でも、なぜ最近“引きこもり”って多いんだ?
弥次:引きこもっても、ちゃんと生きていける生活環境だからだろ。
喜多:インターネットやメールや通販など、他人とふれ合わずにコミュニケーションできるもんな。
弥次:社会学者はそういう理由をつけたがるけど、オイラは違うと思うんだよ。
喜多:ほう。ご高説、拝聴いたしましょう。
弥次:
一番大きな理由は“引きこもり”という言葉が社会的に認知されたからさ。
喜多:それはまた、どういう意味ですかい。

身につまされる悲しいドラマ。

弥次:日本人ってどこかに帰属することが好きじゃないか。会社、学校、親しい仲間…。カテゴライズされることで安心するだろ。
喜多:まあな。
弥次:“引きこもり”みたいな人間って、昔からいたと思うんだよ。
喜多:そりゃあ、いただろうな。
弥次:でも、家族も他人様には恥ずかしくて言えないし、近所の人は知っていても「変な人がいるわ。近づかない方がいいね」って敬遠していたんだよ。
喜多:見てきたように言うなあ。
弥次:でも、マスコミが“引きこもり”という言葉を生みだし、認知し、カテゴライズしたことで、“引きこもり”も「ああ、オレは“引きこもり”なんだ」って安心したと思うんだよ。
喜多:“引きこもり”として認められたというわけだな。
弥次:それまで変な人、異端だったものが、“引きこもり”という言葉のカテゴリーに帰属することで、あたりまえに存在するものになったんだよ。
喜多:まてまて、一見もっともらしいけど、なんか変な説明だぞ。
弥次:「もうオレは変な人じゃないぞ、立派な“引きこもり”なんだ、文句あるのか」って居直ちゃったんだよな。
喜多:それはオマエさん、鶏が先か卵が先かの世界だろ。
弥次:“校内暴力”も“学級崩壊”も同じだよ。言葉が認知されることで、「そういうのありかな」って思っちゃうんだよ。だって、その言葉に帰属していればラクだもん。
喜多:で、結局の所、今回の小説は面白かったのかね。ぜんぜん触れてないんだけど。
弥次:聞くだけ野暮だろ。だから、無理矢理話をふくらましてるんじゃないか。
喜多:なるほどな。
弥次:でもな、小説の最後でやっぱり家族は崩壊しちゃうんだよ。かすかな希望と極めて細い絆があるように思わせながらな。息子も娘も母親も自分の人生を歩き始めるんだけど、父親だけがそれでも家族の絆を信じようとしているんだよ。なんか、身につまされてなァ。(涙)

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