BOOK REVIEW 2

Finale Dragan Stojkovic

フィナーレ ドラガン・ストイコビッチ完全読本
集英社/2001.7.21初版発行/本体価格¥1,900(税別)
〈帯より〉
ありがとうピクシー、さよならピクシー!
プロデビュー、レッドスター、ユーゴ代表、そして日本…。20年間にわたるプレー&プライベート未公開写真多数。多彩な執筆陣によるピクシー賛歌。各界著名人による惜別のコメント集。ラストロングインタビュー。半生を追った感動のノンフィクション・コミック等々を掲載した豪華メモリアル完全読本。この1冊で妖精ピクシーのすべてがわかる。
 
政治家やめます。
名古屋グランパスエイトの幸福な時代。

弥次:名古屋グランパスエイトのサポーターは何年か後に今を振り返った時、「ピクシーがいた頃はよかったなあ」と思うよな、きっと。
喜多:その時、チームはJ2にいたりして。
弥次:あり得る。今でも「ベンゲルの頃はよかったなあ」とか、「望月、平野、大岩の三バカ大将がいた頃はよかったなあ」と、ついつい思ってしまうもんな。
喜多:過去はすべて美しく見える。それは弱小チームのサポーターの宿命だな。
弥次:いや、すべてのサッカーファンの宿命かもしれない。
喜多:そう言えばサッカー選手の全盛期って短いよな。
弥次:サッカー界の時間の流れが4年を一区切りにしているからだと思うよ。
喜多:どういうことだい。
弥次:よく十年一昔というだろ。でもサッカーは四年に一度のワールドカップが区切りなんだよ。つまり四年一昔なんだな。
喜多:一昔が短いんだ。
弥次:あっという間に流れる時間の中で、良いプレーを続けなければ、その選手はすぐに忘れ去られてしまう。
喜多:あるいは、思い出の中の選手になってしまうということだな。
弥次:ドラガン・ストイコビッチ(以後、ピクシー)が日本に来たのは1994年、今から2昔前。
喜多:当時は知らなかったなあ、すごい選手だなんて。
弥次:右膝のケガによる1年以上ものリハビリ。所属チームの八百長試合による2部降格。母国ユーゴスラビアがボスニア内戦による国連制裁を受け、代表チームの国際試合が禁止されるなど不幸が一度に彼に訪れ、サッカーの表舞台から姿を消した選手だった。
喜多:真のサッカーファン以外には無名であり、真のサッカーファンの間でも忘れられた選手だったんだ。

グランパスサポーターは青い鳥を探し求める。

 


ピクシーカード裏表

弥次:最初は半年程度の骨休めにJリーグを選んだらしい。しかも移籍先は横浜マリノス。でもメディカルチェックで膝の古傷が問題になり契約が白紙になった。
喜多:もしマリノスに移籍してたら、その後のピクシーやJリーグの歴史はかなり変わっていただろうな。
弥次:ジーコ、リネカー、リトバルスキーからブッフバルト、スキラッチ、ドゥンガ、サンパイオ。幾多のワールドクラスたちがJリーグの舞台を彩ったけど、その母国の政治情勢、社会状況をこれほどまでにオイラたちに知らしめた選手はいないだろうな。
喜多:彼の母国が政治的に激動の時代を迎えていたという事情はあるけどね。
弥次:中田英寿がどんなにイタリアで活躍しても、イタリア人のほとんどは日本について深く知ろうとは思わないだろ。
喜多:今じゃオイラもテレビ、新聞にユーゴ情勢のニュースが載ってれば、ついつい見てしまうもんなあ。
弥次:日本にやってきた頃のピクシーは、審判やチームメイトの能力のあまりの低さにイライラが募りレッドカード、退場を繰り返す悪名高い選手だった。
喜多:笑えるぐらい退場してたよな。退場が明けて出てきた試合でまた退場みたいに。
弥次:絶対に勝つんだという気持ちがそうさせたと彼は語っているのだが。まあ、当時の名古屋グランパスエイトはJリーグのお荷物チームで、選手たちにもやる気がなかったからなあ。ワールドカップで輝いた選手がイライラするのもわかる気がする。今ならな。
喜多:イチローが草野球チームにいるようなもんだ。
弥次:そんな弱小チームに愛想を尽かし、ヨーロッパへの復帰を考えはじめた彼の気持ちを一変させる幸福な出来事が起こる。フランスの弱小チームだったASモナコを強豪へと生まれ変わらせたアーセン・ベンゲルの名古屋グランパスエイト監督就任だ。彼と同じチームで戦えるならと、ピクシーは名古屋に残ることを選択する。以後、名古屋グランパスエイトの幸福な時代が始まる。
喜多:その後、ベンゲルがいなくなって、幸福の破片を拾い集める時代、幸福の幻想を追い求める時代、さらに幸福なんてホントはなかったんだよという時代を経て、今に至るわけだ。
弥次:グランパスサポーターはチルチルとミチルかよ。

あの背番号10の行方は。

喜多:この本は「週間YOUNG JUMP」の集英社が発行元なんだな。
弥次:「YOUNG JUMP」に載ってたマンガ「ストイコビッチ物語」も入ってるぞ。
喜多:「YOUNG JUMP」誌上でしつこいくらい宣伝されてたじゃないか。
弥次:そうなんだよ。どうせピクシー引退に便乗した商品だろうなと思って期待してなかったんだ。
喜多:名古屋市営地下鉄のピクシー引退記念地下鉄カードみたいにな。
弥次:発売日に店頭で本を手にとってパラパラと読んだけど、「Number」とかビジュアル重視のスポーツ雑誌を見慣れた目には読みにくいし、誌面デザインも格好悪いなあと思ったんだ。
喜多:でも買ったんだろ。1.995円も出して。
弥次:木村元彦さんの原稿が載ってたんでつい買っちゃった。
喜多:誰だい、それは?
弥次:ピクシーとユーゴを日本に深く紹介したジャーナリストだ。民族紛争のあおりを受けながらも、母国に誇りを持ちプレーするピクシーを追う、「誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡や、世界の悪者にされ、NATOの空爆にさらされたユーゴをサッカーを切り口に描いた「悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記などの質の高い仕事で知られる。その彼の書き下ろし原稿が載ってるだけでも“買い”と思ったんだよ。(共に集英社文庫)
喜多:買って後悔したのか。
弥次:いい本だよ。ピクシーへの深い理解と愛情に満ちている。この本を作った人たちはピクシーが好きなんだろうな。木村さんの原稿も、涙無しには読めないよ。
喜多:マンガもか?
弥次:マンガはちょっといただけないけどな。各界著名人によるピクシーへの惜別の言葉も、松原名古屋市長や名古屋のテレビ局CBCのアナウンサーでグランパス番組の司会を務める神尾純子さんなど、地元サポーターにしかわからないようなネタも満載。総ページ数416ページの読み応え。6種類のうち1種類のピクシー・トレーディングカードのおまけ付き。家宝だな。名古屋近辺の書店では、店頭メインコーナーにドーンと平積みされている。
喜多:名古屋だけなんじゃないの、売れてるのは。
弥次:母国が世界中から悪者視され、攻撃される。そんなピクシーの気持ちを理解できるなんてオイラたちは気安く言えないよな。でも彼が感じていたことの断片はわかる気がするんだ。
喜多:もし内戦がなければ、もしケガがなければ、ピクシーのサッカー人生はまったく違ったもの、もっと光り輝くものになっていたかもしれないな。言っても仕方ないことだけど。
弥次:オイラたちは、ピクシーのプレーを目の当たりにすることができた幸運だけを胸に刻もうよ。1999年3月27日のヴィッセル神戸戦。「NATO STOP STRIKES」と書いたTシャツを着込んで、観客にアピールしたピクシー。どんな時でも政治的コメントを発せず沈黙を守り通した彼の唯一の政治的行動だった。あの姿は忘れられない。そして2001年7月4日のキリンカップ対日本戦。日本における代表最後の試合で、いつにもまして厳しい顔のまま、誰ともユニホームを交換することなくピッチを去ったピクシー。その背番号10は息子に手渡されたということだ。

01.7.6 (C)YAJIKITA NET
〈RETURN〉