BOOK REVIEW 1

政治家やめます。ある自民党代議士の十年間

小林照幸
毎日新聞社/2001.6.20初版発行/本体価格¥1,700(税別)
〈帯より〉
「向いてないのでやめます
」。2000年6月、国政史上、前代未聞の理由で政界を去った元自由党代議士・久野統一郎(愛知8区)。政治家になることなど、夢にも思っていなかった男。周囲の御輿に乗せられ、政界入りしてしまった不本意な人生。そこで目撃する、不条理にみちた政治のありさま。変革が求められる今、まったくあたらしい視点で「政治とは何か」を問う、新世代・政界ノンフィクション!
 
政治家やめます。
いなくなることで有名になった政治家。

弥次:うちの近所に選挙事務所があったんだよ。
喜多:誰の?
弥次:この本の主人公、元衆議院議員 久野統一郎先生だよ。
喜多:おらが町の代議士先生だ。
弥次:一票も入れたことはないけどね。今では建物も取り壊され、月極駐車場になってる。選挙期間や正月には紅白の幕を張り巡らせ、大勢の支持者が出入りして賑やかだったなあ。
喜多:つわものどもが夢のあと。
弥次:久野統一郎元先生は、つわものってイメージじゃないけどね。1999年、3期10年務めた代議士を「自分には向いていない」というある意味、良心的。ある意味、いい加減な理由で引退しちゃった。この本は、その経緯を書いてるんだ。
喜多:議員を辞めた時は、それなりにマスコミで取り上げられたけど、政治の世界も変化が激しく、今じゃ「そんな人いたよなあ」って感じだよな。
弥次:大物政治家じゃなかったからね。彼が阪神淡路大震災の時に現地対策本部長として、被災地で陣頭指揮を執っていたなんて誰も知らないだろ。
喜多:知らねえな。
弥次:影が薄いんだよ。
喜多:テレビニュースで国会議員が映ると、「おっ、こいつは○○の息子だ」「△△の孫だ」って思うことが多いじゃないか。
弥次:そうだな。代議士は世襲制みたいに思えるよ。
喜多:どうして、世襲代議士が多いんだろ。
弥次:息子が後継者だと、地元の後援会が分裂せずに済むんだよ。
喜多:誰を後継者にするか、それを誰が後押しするかで勢力争いが起こるんだな。
弥次:そういうこと。

普通の人が豪邸に住むのか?

弥次:久野ちゃんも2世議員。父親は久野忠治。愛知県選出の衆議院議員。
喜多:クノチュウの愛称で全国的にも知られた有力議員だ。
弥次:息子の統一郎は、父親の跡を継ぎ53歳で衆議院議員になる。
喜多:息子はクノトウと呼ばれていたのか?
弥次:いいや。愛称はなかった。
喜多:あんまり親しまれてないんだな。ところで、政治家になる前は何をしていたんだ。
弥次:親父が代議士なのに政治には興味がなく、約30年、日本道路公団職員として高速道路建設の現場監督とかしてた。
喜多:それがなんで、跡を継ぐことになったんだ。
弥次:どうしても跡を継がせたいと願う父親の策略にはまり、時の内閣総理大臣 竹下登先生の前で「よろしくお願いします」と頭を下げちゃったんだ。
喜多:政治の世界は腹芸だ。跡を継ぎますので、よろしくお願いしますという意味に取れるよな。
弥次:「普通の人による、普通の政治」。それが、一市民である統一郎が出馬の時に考えたキャッチフレーズ。
喜多:リンカーンじゃないんだから。
弥次:真似したらしい。
喜多:プロのコピーライターに頼んだ方がいいぞ。もう少しましなコピーを書くよ。
弥次:政治に興味がなかったとはいえ代議士の息子で、しかも今話題の特殊法人 日本道路公団職員とくれば、普通の人とは言えないと思うけど。
喜多:「台所からの政治」を掲げる扇千景 国土交通省大臣も、主婦感覚を売り物にする田中真紀子 外務大臣も、普通の人であることを強くアピールしてるよな。
弥次:お二人とも、普通の人には見えないぞ。扇さんはホントに毎日台所に立ってるのと聞きたいし、真紀子さんお住まいは目白御殿でしょとツッコミたくなる。大体、普通の人には政治家は務まらないと思うんだけど。

政治家は存在自体が背任行為。

喜多:1990年に初当選した普通の人、久野統一郎も、政治の世界で普通じゃないことを見聞きしたんだろうな。
弥次:朝令暮改。二枚舌は当たり前。不可思議な政治資金。前近代的義理人情。だが、彼もだんだんその世界に染まってゆくんだ。この本では普通の人感覚と永田町感覚との間で揺れ動く統一郎の気持ちを描き、その振幅が大きくなりすぎて、議員辞職につながるというストーリーなんだが、うまく書ききれていない。
喜多:どういうところが。
弥次:「やめたい」「向いてない」と妻や母に愚痴る場面を挿入することでしか、彼の揺れる心情を表せていないんだな。ストーリーは、政治、経済、社会で起こる出来事や事件を追っていくだけで精一杯なんだよ。
喜多:起こった出来事を時系列に追うだけではノンフィクションとは言えないだろう。人物の内面が描けてこそすぐれたノンフィクションと言えるんじゃないか。
弥次:著者は、1992年2月、医学史発掘ノンフィクション「毒蛇」(TBSブリタニカ)で第1回 開高健賞奨励賞受賞。1999年4月、「朱鷺(トキ)の遺言」(中央公論新社)で第30回 大宅壮一ノンフィクション賞を史上最年少で受賞という輝かしい経歴を誇る。しかし、なんかこの本、物足りないんだよな。
喜多:政治の世界を描いたノンフィクションには、戸川猪佐武の「小説吉田学校」や、田中金脈問題を追った立花隆の「田中角栄研究全記録」などが有名だけど、それに比べりゃ小物ってことか。
弥次:主人公が小物なだけにな。
喜多:彼がやめた時、一部のマスコミや政治評論家の中には、「彼のような普通の感覚を持っている人にこそ、政治をやってもらいたい」という論調があったな。
弥次:強力なリーダーシップを持たない人物が、親が政治家という理由だけで政治家になったけど、向いてないことに気づいてやめました。でも、彼はこの国の政治を、地域の暮らしを憂いながらも、前向きに生きています、めでたしめでたし。そんなオチでは、十年間、彼を応援してきた後援者。彼の給料を税金として払った国民に対して失礼極まりないんじゃないか。久野統一郎の生き方は、ひとつの背任行為であることを強く訴えるべきだよ。
喜多:政治家は、存在自体がある種の背任行為である。
弥次:おっ、いいこと言うねえ。政治とは本来、2者択一。YESかNOか。あちら立てれば、こちらが立たずというもんじゃないか。
喜多:それを、選挙での一票が欲しいばっかりに、あちらにもこちらにもいい顔をする。それが、政治不信につながっているんだよ。
弥次:この本の中で、統一郎も同じことを悩んでいる。苦悩(くの)統一郎だな。
喜多:苦しいぞ。

01.6.29 (C)YAJIKITA NET
〈RETURN〉