シューラ・チェルカスキー
Shura Cherkassky
(1911-1995)
    19世紀のグランドマナーを身につけたピアニストといえばホロヴィッツを筆頭にヨゼフ・ホフマン、アルトゥール・ルビンスタン、ホルヘ・ボレ等が思い浮かぶがチェルカスキーはまさに最後の19世紀的ピアニストであったといえる。彼の演奏はまず奇矯である。通俗名曲の中から内声を浮き立たせたりするのはもとより、ルバート、極端なピアノ、フォルテ、同じ曲でも二度と同じ弾き方をしない即興に満ちた演奏家であった。またレパートリーもオーソドックスなものはもちろん範疇にはいっているが「アンコールからが本番」とさえ言われた19世紀末から20世紀初頭にかけて書かれた自作を含むゴドウスキー、ホフマン、シュルツ−エヴラー等の作品にチェルカスキーの真骨頂があった。更に現代作品にも興味を持ちベネット、メシアン、シュトックハウゼン、リゲティまでをレパートリーに入れる貪欲さである。晩年毎年のように来日していたがその演奏は最後まで「不良老人」といったウィットといたずらに富んだものだった。これはチェルカスキー自身がゲイであったこととも関係しているのだろう。
 チェルカスキーの美質はあの海坊主のような風体からは想像できない輝かしい音色と繊細さにある。名ピアニストと呼ばれる人でもショパンのノクターン等を弾くとえらく退屈な演奏をする人がいるがチェルカスキーの演奏はそういった作品でも手を変え品を変え決して平坦な演奏にはならなかった。「音をそろえて弾く」というのがピアノ(というか楽器)の基本的なレガート奏法と思われているが、チェルカスキーの演奏を聴くとすべての音はニュアンスが微妙に違い、ややスタッカート気味の我々のイメージとしての「レガート」とは全然違うものである。バラバラの音の集合体が収斂されていくようなレガートである。これをチェルカスキーの芸風と言ってしまえばそれまでなのだが、このあたりにピアノという楽器の本当の潜在的な能力の秘密があるのではないかと勘ぐってしまう。
 最後の録音はアシュケナージと組んだアントン・ルビンスタインのピアノ協奏曲4番であったというのはいかにもチェルカスキーらしい。最後のロマン派ピアニストが最後に残した作品としてふさわしいものだろう。
 

チェルカスキーと師ホフマン

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