フリードリヒ・グルダ
Friedrich Gulda
(1930-2000)
    2007年私の友人加藤英雄氏によってグルダの「ピアノ・電子ピアノ・ドラムの為の組曲」が演奏された。おそらく日本初演であろう。私は当日客席で聴いていてグルダのピアノではなく、彼の音楽、そして彼の作品の再現性について考えていた。

 正直私はグルダのピアノの演奏法はあまり好きではない。いかにもドイツ流のしっかりとしたぶっきらぼうにさえ聴こえる打弦、分厚い音のならし方など私の好みではない。しかしグルダはグールドと並んで私の高校時代のアイドルだった。初めて買ったレコードは2回目の録音のベートーヴェンのソナタ全集だったがこれはあまり聴いていない。私が繰り返し聴いて熱狂したLPはアマデオ盤「ゴロウィンの森の物語」と「メッセージ・フロム・グルダ(これは6枚組み)」である。

 

 アマデオ盤「ゴロウィンの森の物語」はグルダのジャズ系の録音である。A面はピアノソロによる「ゴロウィンの森の物語」、B面はグルダの他ベースとパーカッションを加え「チュニジアの夜」やグルダの自作が収められている。とにかく「ゴロウィン」が圧巻である。ヨハン・シュトラウスのテーマに基づく自由な即興演奏風の曲であるが途中ベートーヴェンの「悲愴」や「運命」等が現れ後半のワルツの盛り上がりはベーゼンドルファーを鳴らしきり壮絶である。最後はグルダの歌声と共にウィーンの古い民謡が弾かれ静かに曲を閉じる。編曲としてはいわゆるメドレー形式でゴドウスキー等の編曲に比べると編曲上の「トリック」はあまりない。しかしここではグルダの圧倒的な歌心を聴く事が出来る。
 B面ではグルダがバスブロックフルートを演奏している。特殊奏法も駆使した演奏で相当なものである。果たしてリコーダー奏者からすればどれほどのものかはわからないが、少なくとも熱演というに相応しい演奏ではある。

 
   「メッセージ・フロム・グルダ」は1978年10月12、13、15日にウィーン・ムジークフェラインで行われたライヴ録音である。内容はまさに「なんでもあり」でバッハ、モーツァルトからドビュッシー、自作まで縦横無尽に弾き、歌っている。文字通りここではピアノ、チェンバロ、リコーダー、歌、朗読と自らが発することのできる「音」を全て音楽に捧げるが如く、まさに「体当たり」の演奏会である。名曲自作「アリア」「前奏曲とフーガ」や「ドアーズ『ハートに火をつけて』による変奏曲」はいうまでもなくモーツァルトやバッハでもこれ以上ないほどの熱い演奏を繰り広げている。圧巻は最終日に行われたLP4面、当日この自作曲1曲のみ演奏された「懐かしいG.の訪れ」であろう。ここでは当時の夫人ウルズラ・アンダースと共演し、作曲者名に「グルダ・ゲーテ・アンダース」とあるようにゲーテの「西東詩集」が二人によって時に歌われ時に朗読されている。内容は上記のグルダの作品からは想像もつかないもので、下手な現代音楽を聴くよりヘビーな内容である。しかし演奏終了後2分間にわたる拍手はそこにいた、おそらく三夜聴き続けたであろう聴衆の感動を伝えてくれる。
 最初にも書いたように私はグルダの奏法は基本的に好きではない。しかしこの二つの録音は私にとって非常に大きなものである。「ライブの鬼」グルダはその瞬間の音楽の立ち上がりを重視した。その演奏は即興性にとみ、スリルに満ちている。グルダは繰り返し演奏されたうえ妥協と予定調和された演奏を最も嫌ったのであろう。自身の演奏も昨日、今日と明日では全く違ったものであったろうし、そうであらねばならなっかた。そうでなくては、自作曲をメロディーラインでさえ奏者の即興にゆだねるような楽譜は書かなかったはずである。グルダの作品の演奏の難しさはその技巧的困難さよりもむしろこの再現性の問題が大きいといえよう。
 音楽を演奏し聴く際の一回性を重視したという点ではライブにかけたグルダと録音にかけたグールドの二人は全く違う方向を向いていたが意外に同じ場所に立っていたように思われる。少なくとも「手垢にまみれた伝統」を嫌悪したという点では二人は同じだった。私がグルダに惹かれる理由はそこにある。

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