松平頼則
(1907-2001)

 
  私がまだ学生の頃友人が無理やりに聴かせてくれたCDがあった。芥川也寸志指揮による「南部子守り歌を主題とする変奏曲」、これが私の松平頼則との出会いであった。作曲者本人が「まだ自分の作風に至らぬ」と評するとおり新古典派的な非常に聴きやすい作品であるがこれが1939年にラジオ演奏のために書かれた作品であると云うことは驚くべき事であろう。しかも作曲者本人によればその全体の演奏時間から主題、各変奏の時間を割り出して作曲したと云う計画性、これはいかにも松平頼則らしい方法に思われる。

 「日本を代表する作曲家」と問われれば勿論私も武満徹であると答えるだろう。しかし、真に西洋音楽と日本の伝統音楽を高度な作曲技法で模索した作曲家という点では松平頼則が相応しいであろう。その存在は孤高である。チェレプニン、ドナトーニ、ベリオ、ブーレーズ、ルトスワフスキ、ランドフスキといった錚々たる作曲家から激賞され、カラヤンが振った唯一の日本人作曲家であり、ロリオ、高橋アキ、野平一郎(ピアノ)、ガッツェローニ(フルート)、奈良ゆみ(声楽)といった名演奏家が演奏録音したにも関わらず松平の名を今演奏会に見つける事はほとんどない。戦前の新古典派的な作品ですら演奏される機会は稀である。

 その理由は極めて高度な作曲技法とあまりに完璧過ぎるエクリチュールにある。

 譜例は傑作と名高いピアノ組曲「美しい日本」の「箏曲風の終曲(茶音頭)」の一部であるがこれほど複雑で美しい楽譜を私は見た事がない。無論演奏は至難である。

 松平頼則の音楽はどこか冷徹な人工的な美しさを持っている。それは作られた自然、まさに「剥製の音楽」とも云えるものである。日本の多くの作曲家が日本的な素材として「民謡」を採択したのに反し松平は極度に洗練された雅楽を研究した。そしてその音使いはカラヤンが振った「盤渉調『越天楽』による主題と変奏」に結実する。この作品は松平の新古典派的な出発点とやがて来るべき「自身の作風」を併せ持つ作品である。作曲された1951年当時既に十二音技法と雅楽の融合を試みるといった極めて前衛的な作品でこれに匹敵する作曲家は柴田南雄ぐらいであろう。作中突然現れる「ブギウギ」の変奏は意表をつかれるが、晩年の松平と親交のあったN氏によれば本作の元となる様々な作曲家の様式による変奏曲があり「ブギウギ」はプーランクを模したものであるということである。
 冒頭フルートのソロに誘われて笙を模した弦楽器が現る部分の突然視界がひらける様な音響、第一変奏の華麗なピアノソロ、最終変奏でのトッカータなど邦人作曲家によるピアノと管弦楽による作品の最高傑作の一つであるといえる。特にフランス系の作曲家を研究していた成果はジョリベやメシアンを想起させる。
 比較的大きな編成の「催馬楽によるメタモルフォーズ」も素晴らしい。ソプラノソロに弦楽器群、ピアノ2台、チェレスタ、チェンバロ、フルート、オーボエ、打楽器が平安期の歌謡を華麗に彩っている。
  松平頼則はその晩年に至るまで絶えず実験的な作品を書き続けたと云う。それは演奏されるあてのない大管弦楽のものもあり自身の作曲家としての進歩を刻み続けた。そのため松平は晩年に至っても作曲コンクールに自作を応募していたと云う。
 私は松平頼則と小説家、久生十蘭が重なって見える。久生十蘭は自作を推敲に推敲を重ね晩年になるほど凄絶な作風となる。発表のあてもなく自作中篇を推敲し短編へまで削ぎ落としたと云う「母子像」などの伝説のある作家である。自身の技術を耐えず磨き、最新の技法を貪欲に吸収し創作に向った姿勢。松平頼則は長命であったにも関わらずその姿勢を忘れなかった稀有な作曲家であろう。

 最後に戦前に書かれたと云う「6つの田園舞曲」の3番の譜例を見ていただこう。東北地方の民謡を「題材に」書かれた作品でモダンな和声感やピアニスティックな書法も素晴らしいが、この美しいエクリチュールは松平頼則ならではのものである。松平のダンディズムはその楽譜の「書かれ方」にあると云ってもよかろう。

(2008/9/8)

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