Ignaz Brüll
(1846-1907)

 
  イグナツ・ブリュル、このモラヴィア生まれのウィーンに活躍したユダヤ人作曲家の名を知る人は少ないであろう。わずかにブラームスの文献にその理解者でありシンフォニーの初演に先駆けてブラームスとともにピアノ連弾を行い音楽家、批評家の意見を仰いだと云うエピソードが知られているぐらいであろう。

 私自身ブリュルの作品を知り得たのはまったくの偶然であった。楽譜を見ると比較的平易なピアノ小曲がほとんどで唯一の「ピアノソナタ」でさえロマン派の作品としてはかなり小ぶりである。
 私が入手したのがこのブリュル没後100年に当たる2007年の夏、大袈裟だがこれは何か運命的な出会いを感じた。金澤攝氏に話すと「それは作曲者が演奏者を呼んだ」のではないかと云う些か神がかり的な話であったがブリュルの作品は確かに魅力的な作品であった。
 ドイツロマン派の流れにあり、しっとりとした作品は魅力的でその作風は伝記で伝えられるようにブラームスの理解者とは相当違うものである。後期ブラームスの深遠な境地に達した作品には比べようもないが、しかしその洗練されたピアノ書法、特に晩年のシンプルな味わいはブリュルとしかいいようのないものである。
 譜例は作品53の2「メロディー」の一節であるが楽譜を見ると何てことない譜面なのだが実際音にしてみるとこれがなかなか味わい深い作品である。

  2007年12月私はブリュルの作品の回顧演奏を行う。それは先の金澤攝氏の後押しもあったがそれ以上にブリュルと云う作曲家の人生と評価が大きいといえる。ブリュルのその穏健な作風は19世紀末に於いて最早時代遅れであった。ブリュルの没年は1907年であるが同時代の作曲家と比べるとその保守的な作風は明らかに前時代のものである。しかしブリュルは数々の音楽家との親交(その中にはブラームスの他マーラーなどもいた)を通じて独自の境地へと達している。特に晩年の諸作は枯れた味わいの佳作ぞろいである。譜例は作品94-1「ゴンドリエラ」の冒頭部分であるが平行五度を伴う和声はなんとも枯淡の諦観を伺わせる。
  私がブリュルに対して些か肩入れしすぎなのはその死後の評価によるところも多い。晩年「時代送れ」であった作曲家はその死後ユダヤ人であったが為ナチスドイツにより完全に歴史から葬り去られてしまう。もし仮にブリュルが長命を保ったならば「ナチスに迫害された作曲家」として取り上げられたかもしれない。しかし歴史は完全にブリュルを忘却の彼方へと追いやってしまった。無論それに耐えうる作品を残さなかった才能の限界もあるかもしれないが私が弾いた限り忘れ去られるにはあまりに勿体無い作品であると思う。先にも書いたようにブラームスの晩年の諸作とは比べようもないが、しかし魅力的な作品が多く残されている。譜例「ゴンドレイラ」の冒頭部分を音にするとその洗練された書法を知る事が出来るだろう。 ブリュルの魅力は中期以降晩年の作品に見られる枯れた味わいにあると思う。私の知る限り初期に書かれたピアノ協奏曲の録音のみがブリュルを評価する対象であるが、この忘れ去られた「枯木」を見直すのも悪くないと思う。

(2008/8/17)

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