Friedrich Wilhelm Kalkbrenner
(1785 - 1849)

 
  ミッシングリンクとは進化論に於ける落とし穴、ある種とある種を繋ぐ「失われた輪」である。しかし音楽史を見るとき例えばクリスティアン・バッハやフンメルのようなまさにミッシングリンクと云うべき世代間の橋渡しをする重要な作曲を見る事が出来る。フリードリヒ・カルクブレンナーは後期古典派からロマン派、とりわけショパンを結ぶラインとして最も重要な作曲家と云えるであろう。

 カルクブレンナーは当代切ってのピアニストであった。パリに出て来たショパンを弟子にしようと申し出、ショパン本人に断られたと云うエピソードがよく知られている。しかし二人の関係は冷たくなるどころかショパンはそのピアノ協奏曲1番をカルクブレンナーに捧げている。カルクブレンナーは「6台のピアノのためのポロネーズ」をショパンと共演し(残る4台の中にはリストとメンデルスゾーンが弾いていた)カルクブレンナーの息子がショパンの作品を弾く際教えを請いたいと願い出ているほどである。奇しくもカルクブレンナー没した1849年後を追うようにショパンも没している。

 カルクブレンナーの作品はまさに「古典派とロマン派を結ぶ輪」である。ショパンがその重要な協奏曲を捧げたのは偶然ではない。

 譜例は「ピアノソナタイ短調 作品48である。

  このソナタにショパンの芽生えを見る事が出来よう。カルクブレンナーは過渡期の作曲家であったが明らかに時代の流れをその作風に顕していた。それを継承したのがショパン−勿論天才による相当に拡大されたものであった−であった。お互い尊敬の念を生涯持ち続けたという点でもカルクブレンナーの人柄を髣髴とさせる。

 ずっと後期の「トッカータ」はよりロマン派の匂いを感じさせる。

  私はカルクブレンナーはミッシングリンクとしてでなく明らかに前期ロマン派と云うべき作曲家であると思っている。その典雅なスタイルとロマンティシズムに溢れた作風は古典派のものではない。数いる「名ピアニスト」 の中でもとりわけショパンが尊敬したという事実、これはより人間の感情を吐露するロマン派の幕開けをショパンが見抜いたといえるのではないだろうか。

(2008/8/23)

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