女経


1960

監督

  増村保造
市川崑
吉村公三郎
音楽
  芥川也寸志
出演
 

若尾文子
山本富士子
京マチ子

 

 

 「耳を噛みたがる女
 キャバレーの女、若尾文子。男をいつも煙に巻いているキャバレー嬢であるが周りのホステスにも理解されない、しかし左幸子には少なからず理解してくれている。そんな若尾文子にも惚れている男、川口浩がいた。一緒にデートをし身体をあわせたその日、川口浩は結婚するため去っていく。慰める左幸子。若尾文子は言う。「私にとって失恋は風邪の様なもの。あの人の相手とは違うのよ」。自身の失恋経験とあわせ相手の幸せを考える女の話。

 「物を高く売りつける女
  自分の文才に行き詰った作家、船越英二。旅先で出会った謎めいた美女、山本富士子。2人は逢瀬を重ねるうち惹かれあっていく。なき夫の家に住む山本富士子に惹かれた船越英二は山本富士子からその家を買い取るが…。

 前半のシュールな映像と後半の下世話やり手女の山本富士子の演技が見ものの第2話。

 
 
 「恋を忘れていた女
 宿屋を切り盛りしているやり手女将の京マチ子。恋愛よりも損得勘定で生きている実際家である。自分の宿に宿泊している修学旅行生が怪我をすると厭な顔をし、義理の妹叶順子は好きな男と一緒になりたいというが金銭援助をにべもなく断る京マチ子。
 そんな京マチ子にも昔好きな男がいた。再会を果たした京マチ子だが男は詐欺の容疑でいきなり逮捕されてしまう。何か吹っ切れた京マチ子は怪我をした修学旅行生に自ら輸血の血を提供し、叶順子と男に援助して送り出すのであった。

 という若尾、山本、京と増村、市川、吉村のという大映を代表する三大女優、監督によるオムニバス女性映画であるが、今現在の目で見るとこれを「女性映画」とよんでいいものであろうか?確かに三大女優に恋愛の描きわけはそれぞれの監督、それなりに見事であるが、内容はあくまで「男が理想とする女の恋愛タイプ」というものではないだろうか。私はそう思う。勿論それが映画としての本作品の面白さのどうこういうものではないがこれを単純に「女性映画」とよんでいいものだろうか。確かに本作はなかなか面白い作品ではあるが、あくまで男の側から見た「女の恋愛タイプ」を描いた映画であり「こんな女がいたらいいのになぁ」という裏打ちによって成立している作品であることは間違いない。

 大なり小なりセックスを武器に生きている女を描いているにも関わらず本作が生々しくなくドライな軽い作品となっているのは勿論主演女優、監督によるところが大きいがヤマハエレクトーンを用いた軽妙な音楽を担当した芥川也寸志の功績は大きいだろう。

 ところで、第3話での京マチ子と叶順子の応酬は必見である。京マチ子に向かって「貴方は本当の恋愛なんて出来ないでしょうね」と言い放ち「もうそれに、そんなにお若くないのよ」と、とどめを刺す。「鍵」で共演している二人だが京マチ子にこんな科白をいえるのは叶順子ぐらいだろう。

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