ヰタ マキニカリス

稲垣足穂著

 

 私の友人が神戸でショットバーをやっている。思い出した頃に飲みに行くのだが、私は「全体にきらきらとまばたく燈火にイルミネートされ」た神戸はおなじ関西とは思えない程モダンな街であると感じる。そんな感覚を硝子のような硬質な文体で封じ込めた稲垣足穂の作品はそれ自体が奇跡といっていいぐらいである。有名な「一千一秒物語」でも「ヰタ マキニカリス」でも「少年愛の美学」でも足穂の文体と思考の飛翔は今なお輝きを失っていない。

 ヰタは「私の」マキニカリスは「マシーン、機械、からくり」といった意味で「ヰタ・マキニカリスの理想は、美少年と美少女の結合の上に生れるコバルト色の新文明です」と足穂自身が語ったと云う。散文集「一千一秒物語」がさしずめ砂時計であるならば「ヰタ マキニカリス」はフリゲル式の時計であろうか。主に大正時代に書かれた短編を集めた本作は足穂の作品集としては最も読みやすいものであろう。後の観念的な次々と寄り道をする「エッセイ的小説、小説的エッセイ」は難解と云われているが、本作品は「物語」の集積である。しかし、童話とも寓話ともつかない不思議な物語である。「チョコレット」では「ポンピイ」が「ロビン・グッドフェロウ」に出会い、「黄漠奇聞」では砂漠の国の物語である。
 「赤い太陽が砂から昇って、砂の中に赤く沈む。風が砂の小山を造っては、またそれを平らかにしてすぎ去る。来る日来る日の風は世界の果てから運んできた多くのことをささやくが、それは人間には判らぬ言葉である。そこには死んだような寂莫が君臨している」

 足穂の作品は「飛べない飛行機」のようである。本来飛ぶべきものが飛べず、それが故に想像力の翼は高く飛翔するのである。愛を語るが愛しはせず、夢を描くが夢は見ない。「愛とか、夢とか妙なことをいうやつは嫌いです。何のことやらわからんからです。」そして「死んだような寂莫」、クリスタルの乱反射にも似た一瞬の輝き、それが足穂の魅力である。

「ある晩ムーヴィから帰りに石を投げた
 その石が 煙突の上で唄をうたっていたお月様に当たった お月様の端がかけてしまった お月様は赤くなって怒った
「さあ元にかえせ!」
「どうもすいません」
「すまないよ」
「後生ですから」
「いや元にかえせ」
お月様は許しそうになかった けれどとうとう巻タバコ一本でかんにんして貰った」(一千一秒物語)

 稲垣足穂の作品は新潮文庫「一千一秒物語」、河出文庫「ヰタ マキニカリスTU」がある。また決定版全集も刊行されている。

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