うずまき

伊藤潤二著

 

 今回はマンガを取り上げてみよう。伊藤潤二の「うずまき」である。伊藤潤二はホラーマンガ好きな方なら知らない人はいないであろう。元祖恐怖マンガの楳図かずお、徹底したグロテスク描写の日野日出志よりも新しい世代の作家であり、その発表作も貸本、貸本の流れを汲むひばり書房系のどちらかというとアングラ的出版社ではなく朝日ソノラマ、小学館といった出版社に於いてである。画風も楳図かずおの影響はあるもののドライな筆致であり、細かな部分まで描き出す画力はなかなかのものである。

 さて映画化もされた本作であるが一言で言えばうずまきをめぐるカプリッチョであろうか。地形的に隔絶された町で起こるうずまきに魅入られて狂い、死んでいく人々。それがどこまで本気か判らないような支離滅裂な展開を見せるのが本作である。私は前半、さまざまな人物がうずまきに魅入られていくオムニバス風の展開が好きだが、後半はそれらのバラバラの話が一気に収斂していく。作品中、しきりに登場人物のひとりが「呪い、うずまきの呪い」と言うのであるが、最終話で明らかにされる「呪い」の原因を知ってもまったく納得できない。しかし、それでいいのだろう。「呪い」とは非合理なものであり、だからこそ「呪い」であるのだ。

 本作品の中で最も不快なエピソードは「ヒトマイマイ」であろう。人間がなにかの要因(これは最後まで読んでもわからない)によって巨大な蝸牛になってしまうのである。そのメタモルフォーゼの不快感は伊藤潤二のドライな画風であるから再現できたのだろう。しかし伊藤潤二は恐怖は笑いとともにあることを深く理解しているのであろうか。「ヒトマイマイ」と化した男子学生2人(いじめっ子といじめられっこ)を檻の中で飼育するのだがこの二人(二匹)が奇妙な行動を始める。交尾を始めるのである。吃驚する生徒たち。それに対して先生はこう言い放つ。「かたつむりは雌雄同体だ」。この生理的不快感と奇妙なユーモアは本作品を貫く大きな軸である。

 伊藤潤二の作品は他にはあまり読んでいないのだが、大体恐怖とユーモアがない交ぜになった不思議なものが多い。楳図かずおも「まことちゃん」という下劣なギャグの頻発する作品を書き、日野日出志もグロテスクな中に歪んだ笑いを織り込んでいる。やはり恐怖は笑いとともにあるのであろうか。

 なお映画版「うずまき」は未見であるがあまり評判はよろしくない。「怖くない」という評判である。見ていないのでなんとも言えないのだがその黒い笑いに焦点を当てた演出であるのであれば怖いという必要性はないのではないのだろうか。むしろ大林宣彦の「ハウス」のような無意味な不気味さと笑いに彩られている方が良いのではあるまいか。
 しかし、どのようにこの物語を纏めたのであろうか。原作を読む限り全ての映像化は到底不可能である。

 本作品はかつて3分冊で出ていたが新作短編を含む「うずまき ビッグコミックス ワイド版」として出版されている。

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