街はふるさと

坂口安吾著

 

 私が高校生の頃ちくま文庫から刊行され始めた坂口安吾全集であったが、思えばこの頃、私の中学から高校にかけての時期はいい本がどんどん文庫化された時代であったといえよう。ご多分にもれず安吾全集も買い始めたのであったが実際に読み始めたのは大学の頃であった。ほとんどの作品は大学以降に読んだ訳である。

 安吾の小説は一言で言えば「イノチガケ」である。そのまま「イノチガケ」と云う棋士を題材にした実録風小説もあるのだが、その瞬間のエネルギーをその一作に集約したかのような、それでいてユーモラスな作風は不思議な緊張感に満ちている。初期の「金銭無常」はほとんど吉本新喜劇のような場面すらある作品である。「ジロリの女」ではゴロー三船の一風変わった女性遍歴、彼を蔑み軽蔑する「ジロリ女」をものにすることに執念を燃やす物語である。坂口安吾は最初期にはコクトーの翻訳や稲垣足穂のような傑作幻想譚「風博士」等を書いている。アドルムとヒロポンの中毒に陥っていた頃に書かれた未完の長編「火」も論理的錯乱の兆候を微塵も感じさせない作品。これらの作品はまず読んで面白い小説である。そして不思議な緊張感に満ちた作品である。

 本作「街はふるさと」は新聞連載小説である。連載にあたり安吾は書いている。
 「さわやかで、明るい、静かな物語をかこう。」
 しかし書きあがった作品はさわやかでもなく、明るくもなく、静かでもなかった。ここに現れる登場人物は一癖も二癖もあり次から次へと問題が起こる。結核を患った放二を中心に現れる人物像は「金と女、愛と憎しみ、罪と汚れ」を背負ったのっぴきならぬ人物ばかりである。その人物たちの出会いと別れ。この小説ではストーリー展開は明確であるものの決して1人の主人公の遍歴を描いたものではない。街の雑踏、この中を死に直面した青年放二を中心に無作為に進んで行くのである。そこには人間の生きる悲しみが安吾にしては割合静かな筆致で描き出されている。 この小説に登場する人物は放二を除きほとんどが俗物である。しかし、安吾はそれを糾弾しない。人間の背負った罪を赦しているのだろうか。
 「ウソと云えば人の心は全部がウソ。どんなに馬鹿正直の大マジメでも、ウソの裏ヅケはチャント在るものだ。」

 私はこの小説のその静かな筆致が好きなのである。安吾によく現れるかまびすしい娼婦も出てこない。ストーリーらしきものはあっても人と人との出会いとわかれ、それが戦後の新宿を舞台に描かれている。

 本作はちくま文庫版全集第8巻に収録されている。

Book index

Home