スウィフト考

中野好夫著

 

 ジョナサン・スウィフトをご存知だろうか。「ガリヴァー旅行記」の作者であるということは知っていても子供用「ガリヴァー」ではなく原本の「ガリヴァー」をお読みになったことのない方は結構多いのではないだろうか。ラスペの「ミュンヒハウゼン男爵旅行記(ほら男爵の冒険)」のような荒唐無稽の夢物語だというイメージが強い「ガリヴァー」であるがそれは大きな誤解である。半分、荒唐無稽はあっているとしても、夢物語どころか、かなり毒の強い大風刺作品である

 さて、本書は英文学の翻訳家中野好夫氏がスウィフトについて気ままに書かれたエッセイであるが、スウィフトの人生、主要作品紹介となかなか充実した作品である。1969年初版であるので、本書に紹介されているスウィフトの謎の部分(例えば奇妙な女性関係)などの解明は更に研究が進んでいるかもしれないが、それはそんなに重要なことではない。中野氏自身本文中に文献学的、歴史的な事実との照合は専門書ではないのでと、バッサリ省略しておられる。

 スウィフトはかなり数奇な人生を歩んだ人で、例に漏れず、かなりの変人である。例えば彼はアイルランドに於ける悪貨流入をめぐる事件において匿名で「ドレイピア公開状」なる小冊子を出版し、アイルランド人にイングランドからの独立心をかき立てるようなことをやっている。しかして、スウィフト自身はイングランド人でアイルランドを評して「みじめなアイルランド」と書き、更には「沼沢と奴隷の国、虐げれば虐げられるほどお追従口をたたく、愚昧、性となった卑屈な国民」「(スウィフトが)僅かな財産を白痴、狂人を収容する病院を建設するために贈った。もっともそれを必要とする国だから」というボロカスな言いざまである。彼の正義心と感情は一致していないようである。

 作品も強烈な風刺作品の目白押しである。スウィフト63歳ごろに書かれた詩「淑女の化粧室(The Ladie's Dressing Room)」。これは誇り高き美女シーリアの化粧室に不逞の下僕ストレフォンが忍び込みその残された汚物を調べていくというとんでもないものであるが、これが田園定型詩の形をとって描かれている。「うらわかき佳人、臥所に入る(Upon a Beautiful Young Nymph Going to Bed)」、これも相当グロテスクである。これらの詩はあんまり汚いので引用は控えておく。興味のある向きは是非実際に読んで頂きたい(といっても翻訳はないので原文か本書の「あらすじ」をお読みください)。

 さて「ガリヴァー旅行記」であるがこれも原本の風刺の大きさは相当のものである。特に第3篇に現れる学士院の件、これまた強烈な汚物大会である。これは先の「アイルランドの悪貨流入」の際ニュートンがその鋳造された貨幣を鑑定して問題なしとしたことから、怒ったスウィフトが皮肉ったものらしいがまさかニュートンがこんな汚い実験をしてたはずはない。「排泄物から元の食物を戻す研究」だの「病人の肛門にふいごを突っ込んで病因を吸い出す研究」だの滅茶苦茶な学者が登場する(ちなみにこの第3篇には空飛ぶ「ラピュータ」国が登場する)。
 第3篇の最後のほうに現れる不死人のエピソードも不気味である。不死であることを羨望するガリヴァーに住人は、ただ不死人は死なないだけで老衰は進行し、廃人同様になっても死ぬことを許されないと説明する。実際スウィフト自身が晩年老人性痴呆となったのは運命のいたずらであろうか?他にも小人国ではガリヴァーが放尿によって火事を鎮火させたり、巨人国では「ゆうに大樽2杯分」を排泄する女性のシーンなどが描かれる。最終章では馬の国(フウイヌム)で人間そっくりのヤフーが現れその人間に対する風刺は頂点を迎える。自国へ帰ったガリヴァーは妻や家族の体臭に耐えられず、日に数時間は馬小屋で過ごす生活を送るようになる。ほとんど狂人である。

 晩年には自身の死を扱った「スウィフト博士の死」や「奴卑訓」、夏目漱石も激賛したという「貧困児処理法捷径」等の毒の強い作品を残しているのがスウィフトである。これらには人間への激しい憎悪と悪意に満ちており読むものを戦慄させるものがある。
 しかし、中野氏はスウィフトを決して人間を愛していなかったとは思わないと書いている。大嫌いなアイルランド人に対しても「負け犬を見てはじっとしていられないスウィフトとしてはついに黙っては見ていられ」なく、その「ドレイピア公開状」の目的は「あくまでアイルランド人の自由、そして独立の権利を強調して、彼等の奮起を促している」ことを指摘する。「『心にもない(マルグレ・リュイ)』愛国者として」スウィフトは戦い「『心にもなかった』故にこそ、いよいよ高貴だったのではあるまいか」と書かれている。

 さて、本書(岩波新書718)は品切れである。再版を待たれたい。

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