チチェン・イツァ

Chichen Itza




 

チチェン・イツァとは?

  カンクンからハイウェイを車で2時間半から3時間ほど西に向かうと、マヤ文明の残した巨大な古代都市遺跡、チチェン・イツァが現れます。謎の多いマヤ文明の残した遺跡、という文化的価値が非常に大きいため、ユネスコの世界文化遺産にも指定されています。建築物はA.D.400〜の旧チチェン時代とA.D.900〜の新チチェン時代のものからなっています。
  カンクンからは日帰りツアー(英語又は日本語ガイド付き)で訪れるのが一般的だと思いますが、カンクンダウンタウンから直行バスを使って自力で行くことも可能です。ツアーの場合、用意されている見学時間は約3時間ですので、じっくり見ようと考えている方は自分の力で行く方がよいでしょう。園内はとても広く気温も高いので、飲み物を持ち歩くことをお忘れなく!



エル・カスティージョ(ピラミッド)
エル・カスティージョ(ピラミッド)   チチェン・イツァで一番の見所。見ないで帰る人はまずいないでしょう。
  新チチェン時代に建造されたといわれています。当初から現在の形だったわけではなく、9回の増築を繰り返し、現在の姿となりました。調査の結果、ピラミッド自体が巨大なカレンダーとなっていることが発見され、マヤ時代の人々が高度な天文学の知識を有していたことの証拠となっています。ピラミッドの4つの側面には91段の階段があり、91×4=364、そして頂上にある神殿への1段を加えて365日を表しています。それだけでも驚くには充分なのですが、更にもう一つ。マヤ・トルテカ時代に崇められたククルカン(羽毛をもった蛇)が降臨するのです。階段の下端にククルカンの頭像があるのですが、秋分の日と春分の日にピラミッドの段差が作る影が羽模様となって階段側壁に映し出され、ククルカンの姿が浮かび上がります。
  ピラミッド内部にはひすいの目を埋め込まれたジャガー像と生け贄の心臓が捧げられたチャックモールの像があるそうです(伝聞)。これらも見学可能ですが、公開時間が限られていること、非常に混んでいることから私は見てません(笑)。んー、残念。
  ピラミッドに近づくだけでもその大きさに圧倒されますが、是非、階段を上って神殿まで上がって下さい。階段はかなり急勾配ですが、ロープが張ってあるので自信のない方でも何とかなると思います。頂上からは競技場や戦士の宮殿などチチェン・イツァの全景と周囲に広がる広大なジャングルを望むことができます。
  夜間にはエル・カスティージョを含めた遺跡群をライトアップしているそうです。写真を見ましたが幻想的な光景ですので、興味のある方は夜間まで滞在してはいかがでしょう。

高僧の墓
高僧の墓    エル・カスティージョと同様のピラミッド型の建造物です。発見当初は崩壊していて瓦礫の山となっていたらしいのですが、修復されて当時の姿を取り戻しています。内部調査の結果、数々の装飾品が見つかっているそうです。「高僧の墓」のそばにはほかにも崩壊した遺跡(というか、石がごろごろしている小さな山)があり、修復に向けて作業が行われています。

天文台(カラコル)
天文台(カラコル)   以前は中に入ることができたらしいのですが、私が行った時は建物そのものが修復中のために立入禁止となってました。直径11m、高さ13mの塔がそびえるカラコルは天体観測所として使用されていましたが、天体の動きによって観測される月日や年は神聖なものとされていたため、カラコルに入ることができた人は神官だけだったそうです。観測所の内部は、夏至や秋分の日の日没方向を正確に観測できる設計になっているそうですが、残念なことに見ることはできません。  

尼僧院
尼僧院   「尼僧院」となっていますが、実際のところ、何の目的に使用されていたのか分かっていないそうです(笑)。こちらもエル・カスティージョと同様に増築を繰り返して現在の姿になっています。近くに寄ると、増築した部分とそれ以前の建物の継ぎ目が崩壊しかかっており、建築技術が変わっていることを見ることができます。

付属の尼僧院
付属の尼僧院   雨の神様であるチャック神のレリーフが壁全体に描かれています。チャック神の特徴は鼻が長いこと、ということしか記憶に残ってません(笑)。あしからず。

競技場
競技場   当時、チームに分かれてボールを蹴りあう競技を行い、その勝者が神への使いとして殺される名誉を与えられたそうです。全長160m、幅50mほどあり、マヤ時代の競技場の遺跡としては最大級のものです。音響を考慮して建築されており、手を叩くと反響して非常に大きな音が響くことから、マヤ時代の石造り建築技術の高度さが分かります。
  競技場の壁には当時の競技を表したレリーフもあります。中央のボールの中に,死を意味するタバコを吸う骸骨があり、それを挟んで二人の男が向かい合っています。さて、決闘の勝者はどちらでしょうか?正解は右側の男です。自ら膝をつき、進んで首を切られ、神への使者として死ぬ栄誉を授けられているのです。首から飛び散る血しぶきが神の使いである蛇になっています。左側の男は敗者で、右手にナイフ、左手に切り落とした首をもっています。勝者が褒美として殺される、という当時のマヤの人々が持つ宗教観(?)をつくづく考えさせらえるレリーフです。

生贄の泉(セノーテ)
生贄の泉(セノーテ)   ピラミッドがある広場から5分ほど小道を進んでいくと、地面が急に落ち込んで目の前に泉が現れます。泉の直径は60mくらい、水面までの深さは20mくらいでしょうか。緑色の水面を見ることができます。
  言い伝えでは、当時、生贄としてたくさんの女性や子供がこの泉に投げ込まれたそうです。1904年にアメリカの領事が池底の探索をした結果、多数の人骨と貴金属の装飾品を発見し、その伝説が裏付けられました。引き上げられた物の一部はアメリカに送られたそうです。スミソニアンにでもあるのかな?誰かご存じであれば教えて下さい。




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