間歇斜説Spurts

番号順に書いています。原則として新しい順にならべていますが、「奇歌の周辺」だけは論旨順に載せています

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今様の新體詩か吉田稔美さんの一行詩

(2007.12.1)

 

「鎌倉の小町通りに良い古本屋さんがあります。依田さん好みの」と平野久美子さんに教えられて

そこで何冊かを求めた。

その中に『體詩抄』の復刻版があって、楽しんでいる。

 

新体詩の良さは何といってもその五七を和歌などと違ってかるがる運ぶところの妙味だ。

 

新体と名こそ新ふ聞ゆれど、やはり古体の大佛の法螺

戸山正一さんは残し

一里半なり一里半 並びて進む一里半

やら

我は官軍我敵は 天地容れざる朝敵ぞ

やら

おさらばさらばいざさらば 再び会はぬ暇乞ひ

とくる。

狙うところは専ら、

従来の堅苦しさを廃しするところにある。

 

『新古雅俗の区別なく、和漢西洋ごちゃまぜて(略)

見識高き人たちは、可咲しなものと笑はば笑へ(略)』

と続くこの辺あるいはこのヘンはどこか誰かに似ている。

 

さておき。

吉田稔美さんは現代のバリバリ、何でもできるお人だが

ひとことで無理していうなら絵本作家。

『Never Girls』などがある。

わたくしは賞は授の行為を好まないのでいきおい、受にも冷たいが

なにやら大層な受賞者のようである。

 

さて、次の作品はどうですか。

速弾の最弱音を秘めて遊戯する 合わせ鏡より飽きあきした午後

はるかな園丁からの手紙 運ばれて香りたつ 紫苑の森の誕生の報

焼けおちた城の牢から そら耳により救い出された 子供の弓張り

彼方へと 風のざわめく方位針 はてしない緑に虹を追う旅

 

不思議な韻律である。

仕立ては、各頁に、淡い色のファンタスティックな人物画があって

それにこれらの1行詩が添えられているという形。

 

上記4編はわたくしの任意の抽出だが、前後に強い意味上の連携はない。

ここでは絵は吉田さんではない作歌の絵に讃のように着けてあるようにわたくしは読んだ。

 

もとより戸山さん吉田さんの意図歯は大いに異なろうが

或いは《新体詩》の発想があるのかもしれない。


《バックナンバーLIST

〔61〕批評についての確信犯的確信

〔60〕三井ゆきさんの表明による啓発と芸術思想宣言

〔59〕我孫子市短歌会と高柳蕗子さん

〔58〕《未見の我》とやらのとんだ一例

〔57〕松野志保さんの批評会に寄せて(朱に交われば色は際立つ)

〔56〕デバイスとシステム

〔55〕しっかりしてよ田島さん

〔54〕八房と伏姫の関係

〔53〕チャム公を悼む

〔52〕《闘器》と自己陶酔

〔51〕小池さんごめんなさい

〔50〕また、食い物の話

〔49〕異端の俗化?《菊姫》さわぎ

〔48〕Edge,Energy&Eagerness

〔47〕高瀬一誌さんに恋いわたる

〔46〕花の小次郎

〔45〕ランスロット軍の騎行か島田修三著《「おんな歌」序説》

〔44〕醜怪漢と美俗(拙著「異端陣」批評)について                  

〔43〕《アルファベット70音》ここにも戦う人

〔42〕《同志》志賀耿之の凄絶な復帰

〔41〕短歌も《パーソナリティ》か

〔40〕《ペンギン村》いまむかし

〔39〕《演奏家》小川和隆氏の《創作》

〔38〕自己模倣と自己熟成と

〔37〕外塚喬氏「インクの匂い」の匂い

〔36〕天草季紅氏に誘なわれて小中英之の昔へ

〔35〕8月15日を過ごして

〔34〕「独自の戦い」ということ

〔33〕おとなげないが古典芸能系軟式歌人K氏のご批評実例に御礼

〔32〕「時のめぐりに」に見る小池光の「硬式性」

〔31〕「作品の確定」の時

〔30〕「個人情報」の周辺

〔26〕漫断「奇歌の周辺」その1解釈に介在する言語能力の問題

〔27〕漫断「奇歌の周辺」その2「奇歌」発生の要件

〔28〕漫断「奇歌の周辺」その3「奇歌」生成の状況

〔29〕漫断「奇歌の周辺」その4アナロジーによる「奇歌」開発のテクノロジー                                 

〔25〕「テーマパーク歌集」と呼ぶゆえん(田島邦彦)

〔24〕「広辞苑」にみる「専断」

〔22〕作歌道のこと

〔21〕「短歌の生命反応」への反応(高柳蕗子)

〔20〕「硬式」の鎌倉彫(万開技)

〔19〕「高被引用性」という陥穽

〔18〕銀色の獅子(voice)

〔17〕島田修三の地響き

〔16〕甲村秀雄のつぶやき

〔15〕「Es」第2号(彼方へ)を見る

〔14〕削除

〔13〕加藤克巳の配球

〔12〕島田修三のサーヴ

〔11〕聖域と冒涜 あるいは表層と深層

〔10〕オン・ディマンド歌集・友情歌集のこと(玲はる名・北川草子)

〔9〕「閉鎖宣言」のこと

〔8〕「世に問う」とは天久卓夫90歳の問い

〔7〕北園克衛、2/3世紀前の指摘

〔6〕錐揉み・エスプリ・北園克衛

〔5〕百年一巡

〔4〕「ふき」の絆?高柳蕗子歌集「潮汐性母斑通信」への頌歌

〔3〕小池光の書く「現代短歌入門」は

〔2〕「東京式」というproduce(藤原龍一郎)

〔1〕  創造性とその共振


批評についての確信犯的確信

(俊蕾 安井高志君に供する)

2007.11.24

現代短歌舟の会

依田仁美

1.監査的批評(歌会ではもっとも一般的なスタンス、選者的な発想)

作品を読み手自身のスタンダードで裁く。

但し、現代は、短歌の世界もよくよく《構造化》が進んでいるという事実があり、《読み手自身のスタンダード》が怪しい。

短所を指摘することが多い。

2.共振的批評(特に歌集評に馴染む、へたをするとダブルどころか無限スタンダードになる陥穽)

作者の基準により添いつつ自己なりの考察を進める。

長所を指摘することが多い。

3.創造的批評(特に作家評に馴染む:異才・高柳蕗子さんの独創)

「批評には2点の創造あり」

「読むことが自体が(読み方によれば)先ず創造」

「その内容を読み手と共有するための過程が次の創造」

4.養育的批評

5.卑評(印刷物には少なからず、市街に氾濫ぎみ、問題外)

党同伐異

スタンダードなし。弱者には「箸の上げ下ろし批評」と強者には「へいこら批評」の並存。

6.上記を超越する埒外志向

「良い大工は他人の建てた家は誉めない」石本隆一(39歳)

「へらず歌(評者のスタンダードを外れた歌)を百まで忘れず」さる身近なならず者(61歳)

 

うつものも討たるるものもかはらけよくだけて後はもとの土くれ 三浦導寸(65)

芸術思想の実現=ささやかでも思想(文字化、揚言不要)というバットの芯でとらえる。

以上

 


 

三井ゆきさんの表明による啓発と芸術思想宣言

2007.11.17

三井ゆきさんの『天蓋天涯』に忘れがたい1首がある。

はばかりながら歌はホビーにあらざると言ひたかれども美しき顔

下句をさらりと流しているが、上句には捨てがたい決意がある。

看過できなかったし、わたくしが、取り立てて増幅せねばならないと感じた決意表明である。

歌を自己実現の方途として選んだ人は少なくなかろうけれど、

なかなか正面切って、このようにいえたものではない。

これを機に、

大いに文芸の徒、芸術の徒であると自ら叫びましょう、と言いたい。

少なくともわたくしは、今後、自作を《芸術思想の片鱗》と呼んではばからないことにする。

あの誇り高い篠原勝之さんが自らを《鉄のゲージツ家》と称するとき

何ともいえない崇高なものに包まれるという事実を思い出しながら。

さらに、短歌を自己の《芸術思想の片鱗》と規定すればヘンなことは出来なくなるではないか。

といったって、オツに済ます気はない。

ギャグめくものも滑稽なものの歴たる《芸術》分野たりうるのだから。

もっとも、売名売文とはほど遠く

あらゆる利益権益と40

隔絶されているわたくしの言明では凄味もなかろうが。

 


我孫子市短歌会と高柳蕗子さん

2007.10.28

標題は何とも不思議な取り合わせに見えましょうが、

ご関心が少しでもある方はお読み進め下さい。

昨日、20071027日には我孫子市短歌会があり、昨年に引き続き出させていただいた。

この会は、市長杯が出、市長の出詠もあるという会。

もともと我孫子市は白樺派の拠点でもあり文化的土壌はゆたかである。

一般の出詠は73名だが中学生を中心とする青少年の出詠が300を超えるというのは凄い。

もっと凄いのはわたくしを選者に起用する度胸、

わたくしが選を任されるのは一年中でこの日だけ。

おそらく会長の池田弓子さん、顧問の榊原敦子さんの一方または双方が

《危険物取り扱責任者》の資格をお持ちなのであろいう。

(むろん、わたくし自身も取得しています)

ここで高柳さんの登場となる。

高柳さんがしばらく、作歌を停止して評論三昧であるという状態をお諌めすべく

「評論などというものは

創造性の乏しい人たちが、周囲を見回し、背伸びしいしい書く分野であり、

詩才豊かな方がやるのは勿体ない」

と持論を述べたところ次のお答えがあったのである。

曰く、

「評論には読むことの創造性、

そして、それを他者と共有できるように文章にする段階での創造性、

の2つを味わうことができる」

からお好きなのだと。

卓見!

このサイトでわたくしも、高度な作品は読み手と書き手のコラボだということは書き続けているが、

上記の言は一段と深い。

歌会でもすぐれた読み手の評を聞いて唸ることはしばしばだが、

そういう評者諸子でも4のように整理してはおられますまい。

つまり、昨日は、

高柳流で読み、高柳流を意識しつつ述べた積りである。

ひとこと「読むことや批評することにこそ創造性が要ると言っている人もいる」

としか言わなかったが。

しかも早口で。

とにかく、高柳さんは立派、派を立てているのである。

間違いなく、高柳《不羈》子なのだ。

 


《未見の我》とやらのとんだ一例

2007.10.8

10月7日には豊岡裕一郎さんの歌集『世界露』の批評会があった。

作用反作用の法則の如く、すぐれた集にはすぐれた評がぶつかる。

本集については、別項でのべることとし、ここでは、皆様にはどうでもよい、我が身のことを申し述べたい。

二次会に移った酒の席で、対面にいた論客系の某歌人から

「腕が太いですね」と言われたのである。

大昔ならばともかく、多少筋トレまがいはやっているものの、所詮は爺の冷や水、

ただの並腕と思っていたので、「そうですかねえ」と、逆に歌人の感受性に敬意を表したのだが、

また、次ぎの日、つまり、10月8日の制護流空手合宿の酒席で、

今度は屈強の空手師範に全く同じことを言われたのである。

「いや、先生の方が太いでしょう」と言い返したら、「違います、違います」とのこと。

手を取って彼の指摘で初めて判ったのだが、

どうやら、指摘されたのは上腕ではなく、前腕の方、それも手首周りの骨が異常に太いというのである。

「これは何という腕ですか、とんでもない腕だ」

「腕が太い」といえば、上腕の筋肉と思い勝ちだが、何と前腕の骨だったのである。

先天的のものか、そうでないとすれば、18歳から数年はよく空手の巻き藁をたたいていたその決算であろう。

《未見の我》というが、何十間も気付かなかった、

我が身への指摘を二夜連続で聞いた驚きである。

次は、性格上の特質の指摘があるかも知れない。

本人一人感心していますねえ。済みません。

 


松野志保さんの批評会に寄せて

朱に交われば色は際立つ

2007.9.29

今日は松野志保さんの批評についてのパネルディスカッションがある。

この類の誘いは日頃、ほとんど受けたためしがないのだが、今回は聴きに行くことにしている。

聴けば聴いたで、わたくしの松野さんへの折角の良い印象が確実に損なわれそうであるので、

残念の予感もあるが、そこは飲み込むこととして出かけよう。

さて。

松野さんを含むEsの面々を見ていると『天保六歌仙』が髣髴となる。

時代を軽く遡って最初に見える個性集団だ。

さてさて。

『朱に交われば赤くなる』というのは、全き誤謬である。

無論、絵の具はその通りだが、これを人倫に当てはめるのは半可通のバカでしかない。

朱に交われば、黄色はより黄色に

緑はより緑になるからだ。

六歌仙はこれを地で行ったし、

わがEsはこれを形而上的に行くのだ。

実際、Esには

誰が誰とはいわないが、

泣き虫の包丁人、暗闇の丑松あり、

知能犯、森田屋あり、

粗暴範、金子市あり、

色男王子の直侍あり、

むろん、元締めの河内山もいる、ということである。

無論数が合わないのでダブルキャスティングとなろうが

この中で、さしずめ、松野さんは三千歳である。

花魁の《艶なる要素》と《お侠の要素》が相半ばするからだ。

さてさて、本論に。

一概に《批評》と言うがわたくしはそれを書くときのスタンスについて、少しばかり区分整理している。

オーソドックスに言えば、批評とは自らの価値基準をもって、

対象をながめ、評するのであろうが、実は、ここにも陥穽がある。

つまり、今日のパネルについてはそうではあるまいが、

評者が謙虚か卑怯かである場合、往々、評者のスタンダードの中に

必要以上に《時流への配慮》へたをすれば《阿諛》が入るからである。

人の世には常にそのときどきに優位を占める権力があるが、

もし、評者が、優位者に認められたいとして、

優位者のそれと並行しがちな《時流》に副って評がなされるならば、これは困ったことである。

これだと、《時流に適っていない》作品に気の毒なことになる。

なぜなら、往々そういう類の作の中には本然的に真に評価されるべき気鋭のものが含まれているからである。

ところで、以上は実はこの文にあっては長い前置きでしかない。

わたくしが、言いたいのは

「本来《批評》とは自らの価値基準をもって対象を眺め、評することである」ということに尽きるのであるが、

こと、《歌集評》についてはそのスタンスは別であらねばならないということなのだ。

わたくしは、歌集評は、

「作家の価値体系の中に一旦入ってその制作の過程を享受した上でなさねばならない」

と強くと確信しているのだ。

景勝の地へ行き、その景勝を味わおうとするならば、

その景色の美の持ち前が、水景にあるのか奇岩にあるのか樹木にあるのかを

身をもって見極めながら味わった上でなさなければならない、いうことは自明だろう。

正の歌か奇の歌かなどなどは本質を見るための最小限の基準である。

その本質を見極めようともせず、己の尺度に安易に照らして

したり顔でぶうぶういうのは実は粗末な批評でしかない、

とわたくしは思うのだが、いかが?


 

デバイスとシステム

2007.6.26

 

ふたたび、「開放区」を手にしている。この前ここに書いてから3月が経った。今号では恩田英明さんが前号の評を書いていて、評論、エッセイのあふれる姿を『総体的に格闘している』と書いている。そうですね。ありがたいことに机上にはただ今現在、このほかにも、『韻』『Es』『かばん』『日月』などなど、非月刊の、少数精鋭志向の同人誌があふれている。毎回のことなので、注目作やら、ほかの方の閲覧に供したい作を失礼ながらごくごく数を限ってサイトに引かせていただいている。

わたくしの心の決め事から、いまは、1誌10首を目安としているがどうしてどうして、引きたい作品は多い。

言葉から入って、途中から苦言に旋回する文脈はむしろ常套的ある。

もともと、このサイトのThe Small Bang は、結社に不適応だったならず者が起こした、ならず者のならず者のならず者のための《ならず者サイト》だったのだが、多くの力作を陳列するうちに、《ひみつの花園》になって来た観がある。面白い花を求めてミツバチさんがすこしずつ来てくださるらしい。

歌を作る行為を黄金の釘を打つように感じた方もおられるようだが、わたくしは、疾うに《糠に釘を打つ》作業と認識してきた。(もう、何千本打っただろうか、性懲りもなく。)しかし、先ほど挙げた、《凄誌》の書き手の方々のナカンズク、評論を書く各氏は、自作を《糠》に打っているという感覚はなさそうだ。この楽観傾向が作の力強さにつながっているのだろう。

 最近よく、短歌作品をデバイス(機器)に見立てる。人間の精神世界という系の中で独立して機能するというのは正にデバイスの特性なのである。だとすれば、その作家たるものは、デバイスの開発者たる者はもう少しデバイスについて考えねばなるまい。その一首の短歌をデバイスというのならば、その一首はその作家の短歌観(システム)に適したものとして開発されるからだ。

《短歌の新しさ》などという論議がいつも不毛なのは《古いシステム》の論者が《新しい》とするのは、そのシステムの中で新しいということで、真の意味では少しも新しくないのである。ここでわたくしが言おうとしたことは、同人誌(結社でも同じだが)の活動が、そのメンバー間で《よいシステム》を形成すれば、良いデバイスがその集団内に生まれやすいだろうし、一つの論を書きながら自己の作歌環境、システムを形成する作歌も出てくるだろうということである。

でも、同じ誌に属しながら、隣の人を気にせずに、自らの井戸をせっせと掘り続ける集団のものに目を通すのは楽しい。百システム百デバイスだからである。、

  


しっかりしてよ田島さん

2007.3.10

 

ほめ言葉から入って、途中から苦言に旋回する文脈はむしろ常套的ある。

しかし、ここでは、敢えてほめことばの前に、本旨を割り込ませてしまおう。

いきなりだが、気になるのはわが敬愛する田島邦彦さんの「開放区」78号のあとがきである。『作歌を続けていく上で、発表の場は欠かせない。結社を後ろ盾に精進する人から、個人誌に拠る者、或いは無所属を通す者、同人誌を本拠とする者など活動形態は多様であるが、それは個人の価値観と主義に依拠し、書く者の評価は多数が決める。というものだ。

すこし時を戻します。そもそもわざわざこれを言うのは田島邦彦さんがわたくしの信頼している人であるということに端を発している。バカネコがあくびしただけならわたくしだって、かける歯牙が惜しい。

田島さんとは、「開放区」を創刊号から頂いているほどのお付き合いの長さがある。しかのみならず、4冊あるわたくしの歌集に、唯一、跋文を頂いた方である。つまり、この信頼は浅くない。

またまた戻る。わたくしの跋文の話だが、そもそも、第1歌集「骨一式」の解説は本のあまりの下らなさに、ご依頼から1年半を経てもその方の稿がならず、版元の見切り発車となったため、該当なし。3冊目は「悪戯翼=わるさのつばさ」という題名のご縁にて、小池さんに書いて頂いたがこれは帯。4冊目は集名に「異端」をかぶせたゆえ当然ながら何もなし。つまり、最も張り切っていた第2歌集、「乱髪−Rnm-Parts」に跋をお願いしたのが他ならぬ田島さんなのである。

ここで、文頭の本題に戻ります。この文意だが、これは、どう読んでも「書く者の評価は大勢のいろいろな価値観と主義によって色々に評価されるものだ」とは読みにくい。田島さんはどうやら、「書く者の評価は多数に支持されるという形により決定づけられる」と書きたかったようである。

何だって? 高点歌が最終目標だと言われるのか。多数派志向が目標ですって? 傾向と対策志向、仲良し志向、党同伐異志向、につながりますね? ここで、あえて、わざわざ、口をすべらせれば、名のみ高くなり、いやいや、名と気位ばかりが高くなり、志のあまり高くない《著名な雑魚》の輩出を今以上に、目論でおられるのですか。いやだねえ。

 わたくしのものに、書いていただいたあのころの田島さんは、蟷螂を愛し、鼓舞する力のある方に見えたけれどねえ。あれから、幾星霜。もし、お心変わりされたならば、いまだに多数の支持のないわたくしにあきれておられよう。

しっかりしてよ田島さん。「開放区」に集結する同志という至宝を同じ現状の価値基準のなかに紛れ込ませるようなご発言は、まだまだ聞きたくないねえ。共同体内評価に甘んずるのはらくちんだけれど絶対にだめですからね。


八房と伏姫の関係

2006.12.31

 

去年の今頃、ながらみ書房さんから、イヌ年にちなんだ歌を作るよう話を頂いたときに次の一首を成した。

 

伏姫を処女懐胎に導きし犬の健気は御身にもある

 

かたちは、わが愛犬(ここでは《機知治郎》と呼んでおく)へのエールであるが、このくだりで気になったのは八房と伏姫の関係である。ここにこう書いた直接的な契機は崙書房出版の「房総の秘められた話、奇々怪々な話」養老渓谷近くの富山(とやま)中腹にある「伏姫の籠窟」に端を発している。そもそも史実では里見義弘が北条氏康に逆転敗退し、義弘の妹にして義尭の娘であった種姫も夫正木久太郎を失い、富士山宝林寺、滝本山種林寺を建て菩提を弔ったと言い、これが馬琴の里見八犬伝のモデルにんったという。さらにこの「伏姫の籠窟」伝説では八房の純愛と処女懐胎が言い伝えられているということに。

 

わたくしの小学校6年生の年が今思えば戌年であって、ラジオ東京では朝5時台に里見八犬伝を流していた。この導入の音楽は今でも思いだせるが、それも早すぎて途中から聞かなくなったので、図書館で少年少女文庫を読み、《仁》が最高の徳であると知って多いに気を良くした。さらに、多分、同じ年に千代之介の犬塚信乃、 錦之助の犬飼見八(この時点では現八ではない)がわたくしも出生地である古河の芳流閣で光戦するのを東映映画で見た。しかし、少年少女文庫の挿絵で犬の背に乗っていた姫のその後や、映画では玉が飛び散って暗示された姫の最期の経緯、つまり、異種交配の有無はよくわからなかったのであった。かつ、この正月にTV放映があったときにも、その一点の描写に特に注目したが、このケースでは、お若いらしいのに見事に妖艶な「玉梓」のみが目立つという脚色の許に見事にはぐらかされたいた。

無論、馬琴を読みさえすれば皆解決するのである。しかし、長文を読む気も時間もあまりない。実のところ、八重洲の某センタで岩波の黄帯を立ち読みしたのこともあった。そうすると、金碗大輔が某寺を訪れると中から姫の度胸の声が聞こえてきたと言うくだりに達したのであった。成程。そこで、この暗示が全てなのであろうと自ら結論づけて一件を終えたつもりであった。

 

と、こんなことをある日、「中央線」の平塚宣子さんに話したことがあった。

 

と、先日、膨大な資料の複写物を頂戴した。ご在住地の郷土歴史研究会メンバー平塚胖さん(関係はお判りであろう)のご厚意であった。以下のそれによって知り得たことがらはそれによる。出典は昭和2年刊行の南総里見八犬傳、日本名著全集刊行会の非売品とのことである。それにしても、驚嘆すべきは馬琴の構成力である。現代の作家名こういうアプローチはとらないだろうということもあって。

 

@    八房と富山(とやま)に同居して数年、伏姫は笛を吹く不思議な童から「世には《物類相感》という自然の理法があり、八房に色情はなくとも姫の読経を喜ぶ心があり、姫も八房の他意ないことを憐れむならば、現状の懐胎は当然であり、その子は八子である」と告げられる。

A    姫はそれを知って、《因果の一生》を終わらせようと八房(このほんには「やつぶさ」と仮名がある)無理心中を決意する。

B    このとき一方から、里見の家臣、金碗(かなまり)大輔が八房を討ち取らんと鉄砲を手に接近。

C    同時に、逆方向から、姫の父里見義實が、姫の母の危篤をつげるために接近。

D    それとは知らぬ姫が犬に因果を含めると犬は覚悟をし首をたれる。

E    その瞬間、大輔の一弾は犬に命中、二弾は流れて姫を射抜き八房も姫も絶命。

F    姫の遺書により経緯を知った義實による魔よけの念珠と祈念で姫のみは蘇生。

G    その姫は父から大輔こそ許婚であったことを告げられる。

H    それを聞いた伏姫は、知らぬこととはいえ、大輔には不義の罪あり、犬とは清浄であったがその潔白の証を立てるとして、何と腹を《掻き切って》自害、その腹から白気が閃き出たということである。

 

実はこのほかに幾つかの因果もからむらこと判ったがここから先はここでの狙いを逸脱する。それにしても、結果的には立派に後を追い、犬畜生との約定も充たした立派な最後である。立ち読みの先にこんな名場面があろうとは。

ということで、両平塚さんに感謝である。犬の決着が犬の年につけたれたのは何よりであった。つまり、宿題もがはたせたような気持ちで1年が終わることができたのである。

 

来年はイノシシ。となると、今度は『弥二郎』ですかねえ。


チャム公を悼む

2006.10.9

2006.10.9 片貝海岸

 

空手の合宿は年中行事。K海岸の民宿H16年通いつめている。(バカ正直にいえば、厳密には1回だけ浮気をしているという記憶だが。)

じっさい、十台から始めて今なお、不細工ながら続けているのは歌と空手の二つの道にほかならない。続いているのは、わたくしの生活のなかでもこの両道には相補性があって、一方が落ち込むと一方が補うという関係にあったからであるような気がする。

ところで、このふたつに共に見えるのは、《相手に仕掛ける》という点である。形の独り稽古にしても、常に相手の想定がある。まあ、所詮は《仮想》なのだが。

ところで、ところで、今年はことに悲しかった。以下、拙い挽歌をつづる。石川恭子さんの気持ちが、わかる。

 

昨霜月、十七歳に罷りたる隻眼なりし白の一頭

わん公の名をあらためて訊きました姓は鳥船名はチャムといいし由

一歳のちび犬たりし白影に出会いたりしは十六年むかし

年々の空手合宿折々に頭なで背なでておりたるものを

磯風に昼月薫る秋にして白虎百虎の乱舞険しも

わん公のおりたるあたりちび猫のふわと坐りて風を嗅ぐなる

片貝の磯慣れの松の屈曲に念仏うめく何合(なんごう)非力丸(ひりきまる)

 


《闘器》と自己拘泥

2006.9.9

 

 

この節はお読みにならない方が良いかも知れない。わたくしごとに終始するからです。

 

思い出し笑いをしたくなるような「快い」或いは「わが意を得た」または「誉めすぎられた」経験などというのは生涯滅多にあるものではない。それが、実は、昨夜、あった。お聞きになるに耐え難かろうけれど、言わずにはおられない心中を覗かれ、失笑を発していただければ在り難い限りです。

 

昨夜、さよう200698日、大手町で某委員会があり、2回目ということもあって、十数名の有志が私費で懇談をしていたときのこと、つまり、真剣な会議のあとのほわっとした時間帯のこと、突然、斜め前の御仁にこういわれたのである。『YODAさんは強そうですね』『酒ですか』『いえ、喧嘩』。その言葉の主は、いわゆる大手電機会社の管理職。しかして、その発言のタイミングたるや正に唐突。

 

『どうして、そんなことを言われるんですか』『いや、つくづく見ていたら、やたらにそんな感じがしたもんで』『まあ、指だけは太いんですけれどもね』と言って、話題を切り替えながら実に至福だったのです。(Sさん、まさか、これをご覧にはなるまいなあ)この至福、空前でもあり、おそらく絶後であろう。

 

十台終盤から、何かの形で、自己強化に努めてきた。剣道、居合道、空手道のメニュー。ひところならば、それなりに、腕や脚や音声は格闘に耐え得たろう。

その頃だと、おこがましくも、《遊侠の人たりうべき骨格を実に背広に埋めて久しき》など書いた日もある。ひとえに「強そう」になるために日々だったので。

だが、今や、「ときどき空手の腕立て爺」に過ぎない。そんなわたくしの、丸腰会議のあとのにこにこ席上でのことであったので。

 

喧嘩の訓練をしたというと聞こえが悪い。そこで、座右銘を《剣魂歌心》といい、これを《落ち着いて豊かに》と解している。だが、結局のところ目指したのは、腕力の卓越にすぎない。

猛獣を倒すニーズは今の世、全くない。同胞を傷める必要もない。ただ、暴力を背景とする威嚇理不尽は同じ手段のより上等の方策で撃砕すべきであるのは明白である。そこの部分が弱いと、どうも、逃げグセ、謝りグセ、もっといやなのは追従グセがつき易いということであろう。つまり、弱い心は卑怯のはじまり。

 

先日、自己を《闘器》と呼んだ。大昔、「なんとやらかんとやら闘うために我あれレゾンデートル」とかいう全共闘もどきの歌があったが、そういう単純な自己陶酔的なおバカ闘争志向はわたくしには全くない。どうやら、もう少しおリコウであって、自己と自己でないものの間に押し合い圧し合いがあって、何もしなければ押しつぶされるような強迫観念があって、その挙句「俺だ俺だ」と叫び続ける必要を感じるのである。何のことはない、これもおバカか?

 

たとえば、わたくしが、歌を作らなくなる。世の中にはわたくしの歌がなくなる。世の中は全く困らない。しかし、わたくしは困るのである。そういう状況を回避するために、世の中に、世の中が必要としない歌を押し込むのである。何もこれは歌に限ったことではない。無くても良い空間を押し分けて体を置き、消費せんでも良いものを消費し、作らんでも良いものを作ってばらまく。全て、世の中の意に反しているのである。意に反した行ないは即ち闘争であり、存在そものが闘争。よって、その主体は《闘器》という次第である。こうなると《闘器》は《粗大ゴミ》の美称であることに気づいてしまうけれども。

 

ままよ。人間強いにしかず、立証は難しいゆえ《強そう》が唯一の目標。つまるところ、自己肯定か自己拘泥の中間産物として。

 


小池さんごめんなさい

2006.8.18

この間、逗子でしばらくぶりに、あまり長い間ではないが、小池光氏とほんとうの雑談をした。ご承知のごとく、小池さんの周囲に人がいないことは滅多にないから相対は実に珍しい。それもあって、夏の休みの終末、つまり本日、明日、某所で少しばかり小池さんの話をするつもりもあって、あれこれと彼の歌集を引っ張り出してきてあれこれながめていたのであった。

フシギに顔の印象、そう、面影というのが目の前に濃くあるので読むとその顔がでてくる。そういえば、加藤治郎さんも藤龍さんも顔を思い出しながら読んでいたなあ。

『バルサの翼』を見ると、やたらに、わたくしの無神経な鉛筆書きが残っていた。概ね記号であるので、今となっては、意味するところがわからなくなってしまったものもあるが、殆んどは把握可能であった。

なるほど、結構読んでいたなぁ。とばかり、当時の記号の意味しようとしたところが、今見ても同じであることに驚きもしたし、また、逆に、当然のようにも思われた。そうだな、おれも、もう、32歳だったものな。

 

しかし、次の一首を見て、坐りなおした。『時のめぐりに』のP.242である。

 

《おれは間違えていた!!!!!!!!!!》という直感。この『一際に』の『に』の明晰さ。

跳び起きて(寝て読んでたのかって??)弊サイトを確認。明らかに間違えていた。荷抜は重罪おお寒い!サイトへの引用転記ミス。あってはなるまい。ただ今、本文修正、引き続きこの稿を書いているという次第です。

 

小池さんごめんなさい。しかし、この、《熟慮の字余り》には眠れる仲達を走らせる力がある。

 

飛行雲(ひかううん)くづれゆきにしあとにして飛蚊(ひもん)のかげは一際(ひときは)にあはれ

飛行雲(ひかううん)くづれゆきにしあとにして飛蚊(ひもん)のかげは一際(ひときは)あはれ⇒誤り

 

 小池さん。ふたたび、ごめんなさい。『ときどき見せて貰ってますよ』ということでしたものね。

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また、食い物の話

2006.7.7

近くの国が火遊びをやっている。その当日、7月5日の夜、ながらみ書房さんの会があった。旧知、新知のいわゆる歌人とわたくしとしては珍しく話がはずんだ。普段は滅多に手にしない水割りもまんざらでもなかった。

「七発目も撃ったんですよ」「困ったやつらですな」最近とみに親しいSさんだけとはそんな話をした。無論それでよいし、他の人たちとはそれすらも話す場でもない。

だが、こういう、とんでもない話があっても、どうも世の中は動いていないように見える。《われわれ》の若かったあの時機は、時事のすべての主語は《米帝》であり、逐一報告、箸の上げ下ろしに反意が唱えられていた。もっとも、先日、某大学に足を入れたら、同じような立看板があって読んでみると、字面は当時とあまり変わらず《伝統墨守》で書かれていたが。

以上、当たり前のことを書いただけなので何とも迫力がない。いいや、ここで言いたかったのはこれからで、つまり、当節、時事のすべての主語が《食い物》だということである。情けない。本当に情けない。情けないついでに、本日の主題は《食い物》である。

そして、わたくしが述べたいのは《失望》についてである。レキとした実在する製菓会社の話だが、下総一体に『将門煎餅』という銘菓がある。守谷に棲んで10年、以来、お遣い物はこれを主力としていた。なぜなら、これこそは気骨あふれる銘菓だったからである。何と、これは気に入った肩書きを背負っていた。《天下唯一》と。もはや、オンリーワンを称することは陳腐ですらあるが、このコピーは古いのである。なぜならば、いわくがあるからだ。この食物は原材料が《麦》なのである。将門公が京の宮仕えの折に麦の生産を学んで帰り、当時、土地の痩せていたこの地に栽培したことによるというのだ。麦の煎餅とは正に《硬式》の発想。さよう、《唯一》と豪語しても誰も責めまい。

『これを携え、試していただき、麦を当ててもらい、将門を礼賛し、メーカーの独自性をさらに礼賛し、よってもって《天下唯一》の気高さをぶちあげた』もの《だった》が。

先日、上記のプロセス中で原材料が《うるち米》に変わっていたことを知ったのだ。小数の良い客を失って多数の凡庸な客を得た方が良いというご判断にお立ちのようだが、キャッチコピーが泣きそうである。ほんとうに気になるので近いうちにメーカーさんに直接に訊いてみたいと思っている。

⇒後日談;同社からご返事ありました。曰く、麦を混ぜていたのは遥か昔で、このところ10年はうるち米使用のこと。わたくしが、その昔の広告文を読んだか何かの思い違いということになりそうである。2006.7.16

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夏を待つ大利根

 

異端の俗化?《菊姫》さわぎ

2006.5.29

先週、虎ノ門でコンビニSに入った。

当初の予定通りに探し物を求めたのだが、ふと見ると、コップ型容器入りの《菊姫》があった。

ほう。

本サイト「きよみきシリーズ」にも勿論入れているが、この酒はわたくしの《最愛》のもの。

《菊姫》《田酒》を双璧と称してはばからずにずっときている。

しばらく、掌のなかで転がしていたが、買わずに出た。

昨夜更け、やはり気になって地元のSへ行って買い求めてきた。無論、ただ今は残量がほぼなくなりつつある。

 

ご贔屓も多かろうが《菊姫》は加賀の国の異相の酒である。

《蔵元》は《濃醇》と銘打つ。透明ではない。蔵元さんの紹介では《ほんのり黄金色》とある。

要するに、《異端の酒》なのである。

 

手軽に手に入るうれしさと同時に複雑な気分になった。

異端の俗化といってはコンビニさんに済まないが、まあ、そうだ。

もっとも、吟醸酒8品目、純米酒4品目(両者の区分は十分承知していて、蔵元さんの分類に従っている)のほかに、

普通酒に「淳」「原酒」「菊」「姫」「にごり酒」の5品目あり、

そのうちの「菊」がこのルートに乗ったのであるからまあ、三役クラスは店頭には並ばないのだけれど。

でもなあ。

店長殿に「いつから置かれているんですか」聞いたところ、

「当店で酒を扱い始めた4月から入れております」とのことであった。

 

異端のコンビニでの消長をウォッチするには、毎週いかねばなるまい。

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Edge,EnergyEagerness

2006.5.18)

《硬式短歌》など偉そうにほざく割には目指すところが判りにくい、

のではないかという危惧から、わざわざ、青・朱・白・玄をかたどって次のように

こと挙げしましたがこれまたあまりにも冗長。

 

短歌形式は五句三十一音の五重塔、《柔構造》は風雪に強く、ましてや中で少少暴れても壊れない

コトバは短歌というプリズムを通過するとき潜在パワーを発揮する

ただただ、狂い咲くべし!!!!

なるほど、《古典をふまえたパフォーマンス》という言い方もある!

 

冗漫にして、不鮮明。

よって、上掲のトリプルEを掲げることにしました。

何だかITカンパニーのスローガンのようでもなくもない。

 

鋭く、馬力ある、熱情に支えられた歌》を作り歌を楽しむ境地を遊びたい思いです。

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常陸野の小流;羽中川

 

高瀬一誌さんに恋いわたる

2006.5.12

 

今日は高瀬一誌さんの祥月命日である。まる5年が経過している。それもあってか、このところ、高瀬一誌に浸りきっている。本を置いては執り、執っては置いている。逢えぬものを慕う心境を《恋う》というのであればこのしばらくのあいだ《恋いわたって》いるということになるのであろう。

3秒間の握手が今生の最後であったが、あの夕方は確かに1999年の10月の中旬であったから、数えれば6年半の昔ということになる。

思えば、とるに足りない人間によるわたくしを素材とする誹謗が高瀬さんを責めたことが、あの断絶の直接原因ではあったが、高瀬さんはあの当時のわたくしの周辺ではもっとも尖った《権威》であったことから、無理無理深く探れば、わたくしに内在する《どうにもならぬ権威拒否癖》からして、いずれはどこかで擦れ合わねばならなかったのかも知れないと思えないこともない。

さてその読み方についてひとこと。

たとえば、高瀬さんの作品を読むと、歌の中でよく思考しているというお人だということが目につく。これを表現上の特徴として説明すれば、「ならん」や「(な)のか」が高瀬調の神器であるという指摘になるであろう。「何々は何々ならん(この場合何々がが略されることしばしばあり)」という《見得のような決め》がしばしばあり、これが観察からくる洞察がそれより小スケールのときには「(な)のか」と結ばれていることがよくある。こういう呼吸を押さえながら読むということは、生身とつきあう感覚になっているので、こういう感覚で、本を執ったり、措いたりしていると実に楽しいのである。もともと高瀬さんを坦坦と評する分際にはないが。

だが例歌や背景を分析的にあるいは統合的に評論として著述するには、おそらく高瀬さんの作品群、それも、時系列に並べたときの作品群ははなはだ向いているように思われたし、幾人かの方の労作も実際にあるようだ。

しかしながら、わたくしは、前にのべたような読み方をしているものだから、高瀬さんの部分部分を臓器にエコーを当てるようなかたちで探ってみたいと思い、別掲の連載をはじめたのである。気が向いて、ごらん頂けるようなことがあれば幸いです。

部分部分を見て全体を見届けていないことを、象と視力障害を結びつけてあざ笑う、非常識奇矯なたとえ話があるが、あれは、呪いたくなるほど嫌いな比喩である。象は《鼻がざらざらと長い》ということ一事でも《皮膚で知っていれば》それこそが強力な真理であり、《耳のばさばさ》ただ一事でも《実感》していればそれこそ何者にも劣らない真実の体得なのであるのに。小利口に全体をすらりと網羅するやりかたこそあざ笑われるべきではないか。

ま、コトワザの半分は愚劣であるのだからこれだけ怒っても仕方がない。

さて、

木馬の瞳高さそろえばみんなさみしき雨季となる

 

「高瀬一誌全歌集」から34歳の作。この傾向はこののち、後を絶ってしまう。こういう視線を高瀬さんはその後の《選択と集中》の過程の中で切り捨てていったのである。読者としては惜しまれる。

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村上元三は「岸柳」と名乗らせている;

(佐原小野川2006.4.17

 

花の小次郎

2006.4.30

このところ、尋常でない頻度で、鶴田浩二歌うところの《花の小次郎》を聴いている。

閉ざされた恋が燃え上がるごとく、というが、佐々木小次郎にはさえぎられた思い出もある。

小学4年のころ小学館のいわゆる学習雑誌を毎月読んでいたが、その広告欄に単行本漫画の広告があり、

その中に《佐々木小次郎》というのがあった。紹介は簡素、全文で「剣のために生まれ、剣のために死んだ小次郎の話」と。

ついでだが、今思うと、このコピーは凄い!

 

同じころ、鶴田浩二演ずるところの《花の小次郎》が上映されていた。

どちらについても遠慮がちに《慈母》に「見たいな」と言ったが、いずれも「No」だった。

もっとも後者の方の理由は、同人が《中村錦之助》一辺倒だったことによるような気もする。

 

数年を経て、中学3年で吉川英治の《宮本武蔵》を数ヶ月かけて読み、

24歳のときにたまたま盛岡に出張したときに、何とこれもたまたま、駅の売店に、

村上元三の《佐々木小次郎》があったのをきっかけに買い、これは一気に読んだ。

 

以降、佐々木小次郎という名がついたものは殆ど読んでいる。

将門についても相当時間をかけているが、こちらは多かれ少なかれ「史実」に

拠っているのに対し、「小次郎もの」は殆んど「空想」の産物であるのが実に楽しい。

《二天記》では、例の 猩々緋色の袖なし羽織姿での舟島の勝負のありさまの他は、

岩流(二天記の表記)は年齢18歳というほか「天資豪宕、壮健類なし」かつ「その術奇なる」とあるだけなので。

 

無論、燕返しを技術的に追究して、一般にいう「虎乱刀」であると推論している武道家の著作も

あるにはあるが、作家の多くは、小次郎の史実が曖昧であることを大いに利して

正であれ負であれ、自己の理想像を投影しているのである。

実は《小次郎もの》こそは偉大なる自己心理投影の温床なのだ。

《小次郎はどう書かれたか》とやれば、ひとつの文化論を構築できると断言できるほどに。

 

つい先日、ふとした契機で《花の小次郎》のCDを入手した。

それが冒頭の唄だが、これには歌謡詩人の雄、佐伯孝夫の詞がついている。

この場合、歌詞は佐伯の自己投影的総括ということになるが、この中でのわたくしのお気に入りは

「花の小次郎つるぎに賭けて、どこがわが身の、どこがわが身の置きどころ」

というところである。(ちなみに佐伯は「つるぎ」に「長剣」を充てている)

 

無論、《小次郎もの》の享受者の心境も同じであって、

この「どこがわが身の置きどころ」に自己投影を重ね合わせて咽んでいる眠り猫がわたくしなのである。

こうなると、小次郎の舟島決戦の前日詠・出陣詠としての辞世を打ち立ててみたくなる。

無論、史実をよそに、大方の《通念》として固まりつつある、長剣を弄する天才青年として。

かつ、佐伯調にわたくしの自己投影を重ねつつ。

 

徒らに長しともなしこのつるぎ神ふところに燦と納めん

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Lancelotの騎行は映画 Excaliburでは杏の花盛り

(国分寺の異端青桜(御衣黄)2006.4.13

 

ランスロット軍の騎行か島田修三著《「おんな歌」序説》

2006.4.17

春のころは背中の唐獅子もついうとうとしている。

仕方がない。ネコ科であろうから、牡丹の季節まではつい眠り猫。

おりから、島田修三氏の豪著《「おんな歌」論序説》と真向かうこととなった。

因果といえば因果といえないこともない。

 

開いた。

まず、目次が圧倒的である。正に、それこそ正正堂堂の陣形、縦列の陣形。

かの《連合艦隊》はこのようなものかとおののくばかりの陣形。

もっとも、あれは見掛け倒しだったから、良い比喩ではないかも知れない。

されば、実力的に誉れ高い縦隊と思い出そうか。

《平家を駆逐せんとするときの木曾騎馬軍》

はたまた

《アーサー王救援に向かうときのランスロット騎馬団》

つまり、華麗・精強・崇高な陣備えと見受けられた。

これは、圧迫感をともなう。

しばらく、ひとつきくらいは表紙のみを眺めていた。

桜の終わりを待ってようよう紐解く気分になったのである。

 

一転。

これは、わたくしにとって、大いに蒙を開かれるところとなった。

例の談志さんまがいに

《俺のはパフォーマンスだが、一応、伝統芸能ってことになってんで

知らねェと馬鹿にされるからしょうがねェ勉強してンだ》

を以って任じていたのではあったが。

 

欠乏だったのか、正直のところ面白い。

知識に整体をほどこしてくれるのだ。

無論、逆の《クセつけ》もある。

いままででも、興味深い評論はいくつもであったが

《教えられる》感覚ということをこれだけ植えつけられるものは嘗てなかった。

 

無論まだ途上であることもあるが

こうまでも、知識の桁がちがうと、

さすがに引用論評の気も起こり難い。

 

ひとつだけ感想を書くならば、

一字一句に満満たる自信があることだ。

恐るべし。

 

本論、かならず、《本ならず者頁》に何らかの影をおとすことだろう。

 

ひとこと付すと、本論は「短歌往来」に4年にわたり搾り出され続けた成果である。

かつ、直感的にこれには、歴史的著作のにおいかある。

女歌研究の必読基本書になるであろう。

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〔44〕醜怪漢と美俗

2006.4.8

 

潅仏会である。といってもこれからの論旨とはつながらない。

ただ、本項の沈黙の説明の機を得たような思いが湧く。

釈迦の誘引か桜の功徳か。

 

つまり、ここしばらくの間、頁主は張飛のように沈黙していた。

咆哮はしたが発言はしない。ただ暴腕を揮うのみで。

そのきっかけは、当人を静かにせしめるだけのひとつの感動があったからなのである。

 

つまり、

2月25日に頁主の近著「異端陣」の「批評会」を開いてくれた方々がおられたのである、

それに来てくれた方々がおられた。何ともありがたいことに。

この正しくない尊敬の助動詞の使い方がこのブログ風の論評欄の定めであることも沈黙の別の理由。

「ありがとありがと感謝感謝」というスタンスにここでは立ちにくいのである。

よって、これから先も、斜に構えた筆法となる。

それにしても醜怪な性格ではある。

もっとも、これだから「張飛の沈黙」が必然だったのである。

 

その批評会の構成というのは。

冒頭、4人から意見を頂戴したする形で始まっている。

前田えみ子さん、田中律子さん、大森浄子さん、内山咲一さん、という、

それぞれ矛やら大長刀やら小太刀やら半弓やら得意の得物、得意技をもつ個性派歌人だが

それぞれに無法六方作品の見所を拾いつつも、薬味を隠さない手際を披露された。

ありがたいというほかはない。

 

中盤はフリートークで私的感想が飛び交ってなかなか楽しい時間帯。

「面白くねえぞ」「古臭いじゃん」とこれを大人のコトバでいう感じ。これは嬉しいところ。

「そうそう、あなたのも面白くねえよ」「そういうあなたのは古臭くないの」

「バカヤロ、これは古いんじゃねえ。《本質》に触ってるんだ」と内心、童心に帰れる。

 

最後は小池光さんの所論30分

その内容は司馬仲達が張飛を評すればかくもあろう、という論旨であった

とノロけておくにとどめたい。

つまりは、無謀豪腕を矯めようとせずに楽しむという批評スタンスである。

バカにつける薬の処方としては絶妙である。

ついでながら、頁主は司馬仲達を諸葛孔明より三回りくらいは優れているとみている。

ただしこれは三国志演義を離れての話。

 

全日程終わってほとほと感謝感心し力が抜けた。

要するに村田耕司さん以下皆さんの好意に溺れたのである。

《泣いた赤鬼》が居たら大うなずきするところだろう。

主催は千葉の「舟の会」、支援は「短歌人会」、これに加えて外輪山多くのご厚意。

あの方この方心底からお礼を申し上げたかった。

この美俗をどう表そうかと思い泥むうちに40日余が流れ、

その間、醜怪漢のしばらくの沈黙が続いたのである。

各方面に深謝。深謝。

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〔43〕《アルファベット70音論》ここにもひとり戦う人

2006.2.19

 

小倉陽子氏もまた、旺盛なファイティングスピリットを持つ。

簡単に紹介すれば、外資系企業勤務、英語学習塾経営、海外在住という3つの経験を相乗して

独自の発音教育方法を編み出し、提示を続けているたというものだ。

 

論旨は簡明、名付けて「アルファベット70音」という。

つまり日本語の50音表の「か行」の後に「Qを持つ行を」

「さ行」の後に「thを持つ行」を、「は行」の後に「Fを持つ行」を、「ら行」の後に「Lを持つ行」を

それぞれ加えて都合14行70音にするというのである。

 

これに工夫の10母音論を加え、

仕上げはこれまた独自工夫のカタカナ式発音記号を提案しているのである。

 

頁主が称揚したいのは、

《英会話はネイティヴ任せ》が常識の今、

《日本人が自国の学童の外国語教育を完全放擲して良いのか》

と鋭く問う姿勢なのである

語学教育のどしろうとだけに

その独自性の尺度には知見はないものの

志だけは間違いなくずしんと来るのである。

 

本件、《アルファベット70音》として近刊とのことを付言したい。

その後;3月10日 上記題名にて刊行発行所文芸企画048-967-0307 \1200.

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〔42〕《同志》志賀耿之の凄絶な復帰

2006.1.20

 

獅子たりや志士たり難く巣立ちたる昭和四十四年の浅き春とは

 

これを先頭に押し立てたのは志賀耿之の個人誌「唖紀」復刊1号である。

3号を以って途絶えた同名個人誌の復刊である。

病床からの発射は轟然と頁主の掌に着弾した。

初学初志から四十数年、空白二十余年とある。

 

志賀氏は頁主と同世代、ひとつ若い筈だ。

あとがきには氏の歌のこだわりが「1960年代末の時代にある」とある。

かつ、「全共闘直前の熱くショボイ時代を斜めに構え、無名無傷として逃走した人間」と自らを規定。

 

志賀氏の復帰に胸の熱くならない道理はない。

顔こそ合わせていないが

共に十台で歌を遮二無二作り

共に不幸な無頼の神か悪魔に魅入られた者の宿命、

結社に身を置きながら個人誌を弄した。

 

結社では入れ違いに近い形となり何度か顔は合わせたものの

同じ器の酒を飲んだ記憶はない。

「あなたと志賀は接近したら必ず喧嘩するぞ」といわれつつ

互いにその間合いに身をおくことはなかった。

にもかかわらず氏を同志と 呼びたい衝動を抑えるものはない。

別行動ながら、なぜか気脈の紐帯があるのだ。

 

前書き・あとがき・連載評論はその名も《まつろわぬ者の歌》とある。

いかにも志賀氏らしいがそのあたりに頁主との紐帯の起源がありそうなのである。

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〔41〕短歌も《パーソナリティ》か

2006.1.13

 

TVで放映された発言を要約提示するには自分の要約能力への相当の自信が必要だが敢えて書く。

年末に立川談誌氏(師匠とは書きにくい)から迸った一言が気に入っている。

ただ気に入っていても勿体ないので言いふらすことにした。

これが彼の持論であるなら、頁主が知らなかっただけで、言いふらすことには何の価値もないのだが、

もし、思いつきで口から走り出たことばならば言いふらさねば勿体ないだろう。

 

年末に《落語家列伝》の企画をやっていて、彼がひとりで古今の落語家のたな卸しをしていたのである。

ときおり繰り返される《昭和の歌人たち》という企画のようなものだ。

ことはそのツナギでの話。

 

《落語なんてものは、古典芸能といわれているが、実際はそんなもんじゃない。

落語はつまるところはパーソナリティだ。

ただ、古典芸能ってことになっている以上、知らねえと馬鹿にされるから

しょうがねえといっちゃあなんだが、それもやってるんだ》

 

ふいっと聞いて、はたはたっと膝を打って2週間たったが、印象は鮮明だ。

録音も採っていないので並べたらすこしは違うかも知れないが、耳に残った。

 

あとは何も書くまい。

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〔40〕《ペンギン村》いまむかし

2005.12.11

 

「かばん」も結成20年、

その当時「歌人集団ペンギン村」と名乗っていたということは、

既成の《短歌共同体》とは一線を画する意図もあったのであろう。

創刊の直後、一度だけその村の面々と飲んだこともあったが

それも今はむかし。本を手にとっても井辻さんは健在だが、

当時の人はもうほとんど見えない。

 

かわって、Pocketなる同集団の新人特集号

あたらしい力の面白さをかなり味わうことができる。

回顧に陥るほどのモウロクはしていないつもりだが

上記の酒の場のような雰囲気の一冊である。

短歌の社会に恩義も義理もないが、同好の姿に目を細めるこころは頁主にもある。

 

でもねえ。

モノ書きにひとつだけしてはならないことがある。

徒党を組むことだ。

肩を組むのは良い。同じ釜の飯、同じ瓶のビール、共に結構。

心を通わせる詩友、これも必須。

だが、《党同伐異》に走ってしまったら、文芸的機能は損なわれる。

利に傾くと目が賎しくなる。

あまりにも手際の良い、作家+評者の整合に

キナ臭いプロデュース、ギギギ???

 

良識の府・ペンギン村の良心を守ってもらいたい。

大きな世話です?

そうだねえ。

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〔39〕《演奏家》小川和隆氏の《創作》

2005.11.19

 

十弦ギターのトッププレイヤー小川和隆氏の知遇を得て15年になる。

1118日、氏のデビュー20周年コンサート《青きドナウ》が

浅草のミレニアムホールで開かれじっくりと堪能した。

十弦ギターを一度でも聞いた人はその迫力を疑わないだろう。

弦の共振の醸し出す空気の震えは周囲を圧倒する。

そういえば、俳句を六弦ギターになぞらえて俳句好きをからかったこともあった。

 

いつもながら氏の公演は常に自己革新的であるのには驚かされる。

無論、楽しさに主眼を置いたコンサートもあるにはあるが、

構成や自らのアレンジは常に独特で、コンサート自体が創作となっているのはいつものこと。

失礼な話で、氏とお会いするまでは、演奏家というのは

《創作》をしてはならない人人かと思っていたが、完全に違っていた。

 

逆に、短歌の連中は、短歌という古くからある万年エチュードを、

もしかしたら《譜面通りに》《素直を取り柄として》弾いているだけなのではないだろうかとさえ思う。

過去の創作例を秀歌とか呼んで研究課題として押し頂き、

それに傾倒私淑剽窃などなど可能な限り似る範囲で、

仲間から嫌われないように、こわごわ作っている人人が

オピニオンリーダーになりかねない社会なのだとすれば、

《真に創作的》であろうとしている短歌作家は出てきにくいわけですよねえ。

相変わらずイヤミだな、ご無礼。

 

さてさて、今回は六弦の新井三夫さんとの妬けるようなデュオもいくつかあったが、

極めつけは農を主題とする新進作曲家内藤正彦氏(田中佳宏さんのご子息世代か)

による初演トライアルで、これには涙ぐんだものである。

ギター曲もはば広く・奥ふかく、とても頁主の筆舌には及ばない。

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〔38〕自己模倣と自己熟成と

或いは実作者と評論専門家と

2005.11.6

 

先日、前田えみ子氏「蓑虫家族」の合評会があった。

常の事ながら当の歌集作品に比してこういう場での批評は平凡になりがちで

「うまくなりすぎないで」とか「自己模倣」の危険とか。

頁主もまた「他の追随を許さない境地への開き直り」を放言する程度。

 

一方、「日経」の編集委員宝玉正彦氏が2005.11.2朝刊で

横尾忠則展について書いている。

その書き出しがこうだ。

 

『作家はたえず前に進み、自分に固有の時間を生み出し続けなければならない。

自前の時間の流れがあってこそ多くの人の共感を呼ぶ力が作品に宿るからだ。

旧作を読み替えるといった一見回顧的な制作であっても前向きであれば、

人をひき付けるリアリティーがおのずと生じてくる。』と。

 

確かに横尾忠則氏の画はそれほど見ていない頁主にさえ個性的。

つまりは自己模倣の危険頻頻。

それを前にして、

この作業期間を《自前の時間》とは言いも言ったり、批評本業者の凄さだ。

目から血目玉が落ちたというもの。

先の実作者たちは怖くて口に出せない言葉なのだろう。

 

ただ、そうなると《自前の時間》の確保が難しい。

ともすれば、仲間に入れてもらいたい、ほめられたい、などなど。

そういう誘惑から泳ぎ回り疲れて自己崩壊した作家を

批評プロの宝玉氏は多く見ていたのだろうか。

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〔37〕外塚喬氏「インクの匂い」の匂い

2005.10.2

外塚喬さんとはどう少なく数えても30回は会っている。

そうだとしてもそのうちの第1回が「よろしくお願いします」で

あとの29回は「ご無沙汰しています」そしてたまに

「今日お忙しいところおいで頂きましてはありがとうございました」

くらいしか話したことはない。

つまり、少なくとも相互間では所謂おしゃべりではない。

 

新刊《インクの匂い》は10年間のあいだの「朔日」に連載された

エッセイからの100編抄出である。

 

《自分のこと》をあれこれよくもんだ、とばかり、ときとして、

エッセイには冷淡なわたくしであったが(この文を書きながら何たる矛盾)

読み進むうちにみるみる取り込まれていったのである。

 

話はほとんどしていないと書いたのはやはり言葉のayaで、何度か懇親会で

近くにもいたのだからコップの持ち方、語る際の手の止め方、

視線の飛ばし方は頭に入っている。

その席の対話として読んでいたのである。

 

ネコの名がYちゃんだとか、わたくしと同じ資格をお持ちだとか

身近にして楽しい話が多い。

プライバシーの転載は控えるが、心に棲みついたのは

やはり文学観であった。

 

高校時代に歌を作りはじめていて、勉強より身が入ったとか、

変な詩を書く友人と意気投合したいう点はほぼおなじな、とこれも懐かしい。

 

紹介されているいわゆる処女作は既になかなかのものである。

 

道ばたに積まれし土は新しく山の匂ひすその赤土は

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〔36〕天草季紅氏に誘なわれて小中英之の昔へ

2005.9.10

 

天草季紅氏の「遠い声 小中英之」はもの凄い。

大変なお膳立てがあってのことであろう。

魁偉集団の豪誌「Es」でも所論は気にとめていたが纏まるとそれは違う、

「継続」同様、「集結」もまた力である。

なかでも「鴎の歌 初期歌篇の周辺」は頁主のよい刺激になった。

論旨の紹介は失礼を畏れて回避するが、

この稿はうつそみの小中さんをまざまざと掘り返してくれたのである。

頁主の接した氏は既に30台なかば。

その口からほのと聞かされた若い日の回想とよく馴染むのである。

 

歌論は引用作品で水準が決まるものだが

この目利きはよくよくである。

この分野にドメインを持たない頁主はただ感服し

初期作品をひくにとどめるまでである。

 

眼は海へ十九歳のやさしき時間 いつか描かん白い鴎よ

 

海に捨てる骨軟症の小犬その温みほどなる俺の誕生日

 

本サイト「男道ばなし」列伝に小中英之を書きたくなっている。

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〔35〕8月15日を過ごして

2005.8.16

 

この国に生きとし生ける者、の多くが何がしかの感懐を持つ日が過ぎた。

ところで、頁主はこれまで一切、「歴史と短歌はかく係わる」という状況論を忌避してきた。

 

これは、ひとえに、頁主のヘソがまがっているからであって、

まだ18歳であった東京五輪の開会式は張り切って見たものの、

その後、いわゆる、日本中の耳目を集めた事件のTVの集中連続放映放送はなるべく見ないようにしてきた。

無論、歌にするはずがない、

 

じゃあ、何だ。

少し、考えを整理している。いわば、時事について。

構想は育ちつつある。「短歌屠蘇論」として纏まりそうである。

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〔34〕「独自の戦い」ということ

2005.8.8

 

総選挙になるようだ。自分のことしか考えないおじさんおばさんはどこにも多い。

 

選挙用語に「独自の戦い」というのがある。高瀬一誌さんが嘗て、愛情を込めて頁主に言われたものだ。

「彼は独自の戦い」をしている、と。

無論、「独自の戦い」とは「誰からも支持されない存在への美称」である。

高瀬さんは、「であるから、依田は泡沫候補にならないための方図を練るべきだ」とも。

 

あれから、幾幾幾星霜。

相変わらず、支持を頂くには、頁主は、あまりにもとげとげしすぎる。

今日この関頭、不肖依田は嘯きます。

《わんざくれ、狂い咲くまでよ》


 

〔33〕おとなげないが古典芸能系軟式歌人K氏のご批評実例に御礼

2005.7.31

 

人に会うことは楽しいことで先日は名古屋で多くの方に会った。

久久のあるいは初めての方と会うのは楽しいものだ。

 

ところで不快な会話というのもある。別の東京の席で20年来の付き合いのある人が頁主に対して

拙著に関して「あんなのは異端まで行かない」と2度にわたって仰せられたのである。

「もっともまだ読んでないけどね」とこれは野卑非礼の追い討ち。

生意気にみえたのでしょうね。もとより「カブキ」は自認するところ。

歌集にはHP同様、当然、「敵製造装置:別名ばかりこう選別装置」の機能も与えている。

聞き咎めるのもばかばかしいのでその場は聞き流したが日を追うごとに不快さが増したのも事実。何様だ。

 

普通、「異端でない」といえば「正統である」ということだが

「異端まで行かない」というのは「歌として認めない」ということなのだろう。

小判のギザギザで足の裏を掻くネコそのもの。

まだまだこういう知能水準のお人がお花畑の中央におられるのである。

その区域では結構おエライらしい。

でもですよ、でもでもでもでもでもでもでも、これこそが「古典芸能系」の典型的なご叱責。

そう思うと空前の感動となる。

 

ああそうか、彼は軟式だったのか。

家に帰ってそういう目で再読点検するとこれが典型的な軟式!

本頁の理念に抵触するゆえ、やむなく本サイトから抹消させていただくことにした。

抹消手続きのために検索をかけたら、何と「現代短歌出門」では激賞させて貰っていた!頁主のバカめ!

文が捩れないて程度に廓清させて頂いた。本サイトの汚臭が消えた。

ところで、この能天気センセイは、頁主より2歳上、従って干支はイヌとサル。

 

わたくしが漂論で「古典芸能系」「軟式歌人」というときには

これ以降、この御仁の目を細めたご尊顔を思いつつ書いているのである。

道化役を一手に引き受けてくれてKさんありがとね。

 

実はこのひとことが別掲、豹論ではない漂論Jaguarを書く契機にもなったのである。

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〔32〕「時のめぐりに」に見る小池光の「硬式性」

2005.5.6

短歌上での《暴力性》とか《奇妙さ》というのは頁主自家薬籠のものとなっているが

実は、小池光の口頭批評での頻用語でもある。

これらの実現のためには手法的に《強引さ》によらざるを得ないということのが頁主の持論であり、

これを満たす短歌を頁主は「硬式」と呼んでいる。

もっとも、《強引さ》があられもなく見えたら下品というものであることには論を待たない。

さて、早速、氏の最新実作に目を凝らして噛み締めてみることにしたい。

おお、体毛の概念をこえ頭部より山吹色にふきだすマグマ

暴力性は起用する語の《途轍もなさ》に比例する。

つまり、かみ→頭髪→体毛なる展開経路で暴力性が成就する。

指の腹に白歯(しらは)をこするとき鳴れり口の中より(がん)()きこゆ

あれを《雁の音》とは!しかも《かりがね》とは呼ばない志、硬派というべし。

座り猫ふりむくときになにかかう懐手(ふところで)する感じをかもす

何とも順当ながらねじ伏せるように読み手の納得を誘い出す。しかし、強引。

()け物とかみひとへなる紫陽花がアパート階段の出口を(ふさ)

上句の起用配語は軟式作家には無理、粗野にならないのが

この作家の特質である。諒とすべきだが、頁主は貫徹も見たい気がし、遺憾!

弥縫策にすぎぬこととは知りながら花を買ひきて妻としたしむ

前句付けとしては出色。

飛行雲(ひかううん)くづれゆきにしあとにして飛蚊(ひもん)のかげは一際(ひときは)にあはれ

読み方の上での精一杯のゆさぶり。これを《徹尾》に至らしめないのは如何なる暗黙知か、

いずれにせよ極限を回避しているのは、些か不思議。

自転車に三人非官女すぎたればはや散りこぼれくる梅の花

一点、《非》のうちどころだけで歌は硬派化する例証である。

いずれの作も優れて意図的である。別項で相撲の決まり手になぞらえたので

お暇の折に《検査役》をお勤め頂ければ幸甚であります。

 

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〔31〕「作品の確定」の時

2005.4.30

 

ただいま、拙作の歌集の編集をしていただいていて、6月には本サイトでご紹介する予定でいる。

編集に携わって下さる方は総合出版社のご担当で

いわゆる歌人兼務の編集者の方とは異なる知見をお持ちでいろいろと勉強になった。

 

「評論専門家の評見と、実作者の評見との差」は

「音楽鑑賞専門家の好む音楽と、演奏家の好む音楽との差」と同様に

「評者自身の嗜好・能力に起因する限界」がないだ分だけ自由・精確である、という指摘などには感心頻りであった。

要するに頁主が実作者である以上、頁主より優れた作品は評価しにくい、ということになる。寒心!

 

***

ところで、今回の作品集は過去のものも収めることとした。

「あれ、もうないんでしょうね」と、20年前のものの存否を訊いて下さる有難い方への答申を

兼ねてもいるが、逆に、過去のものを切り捨てる意味も、実はふくんでいる。

 

30年前、個人誌を出したときには、「発表は生涯1回」と決め

「再発表による確定」という意味の強い「歌集発表」という形態を否定していたのである。

 

その後、自分も歌集を重ねると、身勝手なもので

「歌集こそ作家の推奨が下された正規の作」と見方を変えてしまった。

「雑誌上のいわば気儘な書き流しを歌集という場で作家が最終的に責任を持った」という理解である。

であるから、本サイトの核心「短歌Mirage」は歌集からしか引いていない。

 

今進行中の歌集「異端陣」では過去作の選を基本的に「編集の専門家」にご一任し、

その上で、ごく少数ではあるが加筆も辞さなかったのである。

これも以って頁主の「決定版」とするつもりで。

 

今後? イヤ、もういいでしょう。

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〔30〕「個人情報」の周辺

2005.3.21

 

「個人情報保護」が世上かまびすしいが、

歌の世界は、何とも個人情報に満ち満ち、まさに「個人情報の塊」の観さえある。

そもそも歌は作品そのものが「個人情報」の開示であることが多く、

そうである以上批評がそれを離れては成立しないのは止むを得ない。

 

その上、評論も書くに困れば歌人論を書き、

もともと問題意識のさほどない人間が依頼を受けて書くとなれば、

いきおい、その対象は、「日本百景」やら「歌枕」やらに倣ったわけでもあるまいが、

「日本百人」か「人枕」ともいうべき、定評づきに落ち着かざるをえず、

こういういきさつであるから、その内容は、悪いことに、これまた微に入り、

細を穿ち、個人情報に終始することとなる。

 

「個人情報」にもともと関心の低い頁主は「歌人論」には殆ど関心もない。

あの、途方もない「歌人研究」のロス時間を他に回せば、歌の論議ももっと面白くなるのではないか。

(作家論が国文学の一分野であるらしいことは承知しているが。)

 

ところで、弊サイトはもとより、ほとんど個人情報から成立している。

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〔26〕漫断「奇歌の周辺

その1解釈に介在する言語能力の問題

2004..21

本頁で「語性論」などものしているが、こちらは長考休止状態になってしまっている。

実はあの文章が「事例で理屈をつなぐ無理」を犯しているので、そのつなぎ方にについて思案しているところなのである。

そこでここでは少しばかりその補完をすべく、駆け足ながら、歌の書かれ方、読まれ方について考えたいと思っている。

同じ読み書きについて書くのなら、楽しい内容の方が気が進むので

ここでは主に「奇歌」について書いてみたい。

何を「奇歌」と呼ぶかはどこかでいずれ語ることとしてまず「解釈の問題」に触れてみたい。

先日『統語論の基礎』(Robert.P.Stockwell)を見ていてわが意を得たフレーズにでくわした。

「人々の記述は話し手の言語能力(暗黙の知識;tacit knowledge)のモデルに過ぎない」というのがそれである。

Stockwellはこの中で

「人々は創造的(creative)という語のきわめて特殊な意味において言語を創造的に(CREATIVEJY)使用する」

と言おうとしており、その周辺の議論としてこの例が紹介されていたのである。

頁主は研究家でも研究家肌でもないのでこれを言った人物の特定を急がないが、

ともあれ、「言語能力を書き手の暗黙知(tacit knowledge)とみなす」説には大いに同意できたのである。

というよりも、「暗黙知」は頁主のこの10年間の最大関心事であったが、この概念のこういう分野への

持込みは無理と思っていたので、この論に統語論の中で出会えたことはそういう意味から非常に嬉しかったのである。

以下8行は、わき道ながら、耳慣れない方のために少し説明をします。ご承知の向きは*から**までを飛ばしてください。

*

『暗黙知の次元』でMichael Polanyi

「人は語れる以上のことを知ることができるWe can know more than we can tell.」といっている。

少し補足しつつ要約すると、「知」には次のふたつの種類があるということになる。

形式知;客観的な知、組織知、理性(精神)知、順序的(過去知)、ディジタル的

暗黙知;主観的な知、個人知、経験(身体)知、同時的(今ここ)、アナログ的

Polanyiは「説明できない(暗黙)知」の例として「人の顔を識別するメカニズム」を挙げている。

そして頁主がそれを例示すれば、暗黙知のみが識別できるものとして次の違いを挙げることができる。

水羊羹と練羊羹、春の空と秋の空、恋する女と冷めた女の声の調子、酒の世界で言う「あま から ぴん」など。

**

ところでPolanyiはその著書の中で次のように言う。

(a)暗黙知は「主体的な能動的なかかわり(傾倒)」によって蓄積される

(b)暗黙知は受け入れ側の「知的協力」が期待でき得る限りにおいて受け容れられる。

これを「言語能力は暗黙知なり」と重ねると、つまり上文の「暗黙知」に言語能力を代入すると、実によく判る。

言語使用の場面で同じような努力をした者相互がはじめて、その「言葉遣い」の「芯の部分」を理解しあえるのである。

よく、批評の際に、「これは赦せる!」「これは判る!」「凄え!」と言い、

反面で「 巨豚?(きょとん) 墓穴?(ぼけっ)」というのがあるが

これは偏に言語能力の水準といって悪ければ、共有・非共有の問題だということになる。

一方、言語に鈍感であれば無論、極めて限定的にしか真意に届かないであろう。

一方、「印象批評」を謗ることがよく行われるのは、批評文が「形式知」に拠らざるを得ないことに

実は端を発しているのである。

実際、短歌入門書、教科書批評は形式知のみに拠らざるをえないのは止むをえない。

だからといって、「言葉できちっと説明できない領域に触れるのは批評ではない」などと真顔でほざく者がいたとしたら、

そういう手合いは、それまで「鈍感な言語生活」をしていた恥を曝しているに過ぎないのである。

つまり、印象批評には「言語能力」のチェックという副次的な側面もあるのである。

無論、主流はとういう方向であるかことは頁主も理解している。

その上で次の思いを形式知にのっとって展開しようとしているのである。

無論、彼らは異端として黙殺するであろう。相変わらずこの点に鈍感である限り以上は。

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〔27〕漫断「奇歌の周辺

その2「奇歌」発生の要件

2004.8.21

世に「どんぶり勘定」という言葉がある。

「どんぶり」というのは大工さんの腹掛けに仕込まれたポケットのことでここに銭が入っている。

そして、ここで、あらゆるキャッシュフローが展開されるのである。

売上げの銭が入ったところで、棟梁はどんぶりに手を入れて「材料費」を除けたのち

熊公・八公を咄嗟に査定して「人件費」即ち日当を支払うのである。無論、残るのが粗利。

現今「どんぶり勘定」をあしざまに言うが、それは、

今の会計システムと対比しての話であって、会計主任も会計事務員も会計ソフトもコンピュータもなしで

極めて低コストでほぼ同じ業務をしかも瞬時に行っているのである。

熟練者の暗黙知はそら恐ろしいと認識すべきなのである。

詩嚢から一語を選ぶのが着手であるということから容易に判るように、

「作歌というプロセス」は、勿論、暗黙知に端を発し、暗黙ちの許に全過程を統御される。

だから、形式知だけを切り離して「短歌塾」なる本をお書きになるセンセイもおられるらしいがあまり感心しない。

それを読んでわかった風になることは恐ろしい。

形式知以外を訳もわからんままに蔑視するのであるから。

前回例示した鈍感君は実は実在するこの手の自他共に許されているらしい俊英君なのであるから困りものだ。

いかん、これは余談。

さて歌はどうできるか。無論仮説である。歌を作るときのレベルで考えると、

1首をどう考えて作るか、1連をどう考えて作るか、そもそも歌をどう考えて作るか

という3点があるように思われる。

まず、さて「1首の動機」である。無論、闇雲に歌いたいというのもあるが、

子供を歌いたい(素材)とか、わが奇遇を歌いたい(衝動)とか、連作の中でつなぎの役割を

持つものを作るとか、いろいろな役割が課せられるであろう。

ついで、「1連の動機」はどうであろうか。

ここでも無論闇雲に書きたいというのはあるが、締切りが近いとか賞が欲しいとかカレシに見せたいとか

これにも、いろいろあるであろう。 

最終的に一人の「作歌理念」となるとどうであろうか。これにはいわば、:

生き方の総和が関わっている。

ここに至ってさえ「闇雲派」はいるだろうが、一応歌の形を押さえたい、日常の記録を残したい、

ホムラさんのように有名になりたい等あるだろう。

ここでいいたいのは、「奇歌」が作られるためには、

本人のいわば「作歌理念」に「奇歌志向」があり

一連の中に「奇歌志向」があることが前提である。

この「奇歌」というのは無論本人が「奇」と信ずるところによる。

その人が意識的に「奇歌」を志すときに始めて「奇歌」が発生するのである。

繰り返すと、「奇歌」の生成、そのための着手には必ず、上記3プロセス全てで履まれている、ということなのだ。

決して、偶然ではない、強い意志の表われなのである。

こうしてはじめて「奇歌」こと「歌らしくない歌」「創造的な歌」が屹立する場合がでてくるのである。

とこれがいいたくてぐずぐず書きました。徒やおろそかではない、と。

では、「奇歌志向」とは結局何だ?

ひとことでいうならば、「塾の教え」に凝り固まらないことである。

賞をいただこう、うまくなろう、と考えないことだ。

知人はこう言っている。

「猿真似だけはしたくねえ、奇妙外道でありゃあいい」と

あるいは

「馬鹿じゃできねえ、悧巧はやらねえ、中途半端じゃ身が持たねえ」と。

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〔28〕漫断「奇歌の周辺

その3「奇歌」生成の状況

2004.9.21

前回まで「奇歌」は意図的に作られることをくどくど書いた。

意図的に作ることを世の中では「製品開発」と呼んでいる。

もっとも、歌を作るプロセスもまた暗黙知の世界、つまりはどうなっているか判らない。

ここで暗黙知に関する第一人者、『知識創造企業』の主著者でもある野中郁次郎氏の所論に拠りたいと考えた。

それによると、暗黙知を形式知化するには暗黙知の表出化(Externalization)が必要であり、

そのためのひつの手だてとして、アナロジーの援用が有効であるという。

そこで、歌の開発のプロセスを次のようになぞらえてみた。

(a)作歌のプロセスとは、語の「起用」と「課業」である。(人事管理)

(b)語の「起用と課業」は歌の構造つまり「範囲(scope)」と「継続(sequense)」の中に「配置」される。(カリキュラム論)

(c)奇歌制作時の語の「起用と課業」は製品設計(商品設計ではない)からいくつかの技法が借用できる。

ここでは「ホワイトバランス」「共振」「可鍛性」を採る。

ここで少しばかり、注にお付き合い頂きたい。前項製品設計と商品設計の差についてである。

「製品」にはどちらかといえば とは「作り手」サイドの響きが強い。「技術的にはこんなものができます」というわけだ。

逆に「商品」には買い手サイドの響きが強い。「市場的にはこんなものが求められている」というのだ。

実際の開発にはneeds seedsと称して両方を見ている。

歌を作るときもこれである。

「こんなものができる」とするか「こうすればほめられる」とするか。

わが国の現代語の「塾」というのは「悪い頭に鞭をくれて無批判のまま要領よく難関校に叩き込む」

ということであるので、さしずめ「短歌塾」は

「凡庸な感覚に鞭をくれて無批判のまま要領よく難関賞を手にさせる」

ということになるのであろうか。ぞっ。

賞といえば「受賞作を読んでマネを避ける」という人がいた。立派だ。

万一選者が凡庸であれば「傾向と対策」さえ抑えればネコでも誉められるということになるのだから。

 

さて、語の「起用」と「配置」である。先ず、起用。

語の起用の効果とはつまるところ、範囲(scope)と継続( sequence )が醸す平面内のインパクトである。

範囲と継続はカリキュラム用語だが、説明には野球の配球の方が判りやすい。

配球は一人の打者に対する、縦横の幅とそのつなげ方が全てであるが

短歌の提示は一人の読者に対する一直線上の語の幅とそのつなげ方という意味になるからである。

しからば、語の配置とは何か。語には、いろいろな語感がつきまとう。

便宜上、剛語・柔語 重語・軽語 鄙語・雅語 快語・苦語 害語・益語などと勝手に分けてみたが、

ごくごく単純に言ってしまえば、これらを、1首という限られた文章内で

振幅大きく取り込むことが「奇」こ近づきやすいということになる。(scope型の奇歌)

また、継続において、語相互の連鎖に異常を来たさせるのはsequence 型の奇歌である。

殆んど無理な脈絡とか執拗な連鎖つまり、

普遍的な立場から見て不適格な語連鎖がその実態となるであろう。

要はいずれの型にせよ、共に「一般的に見合うと解されている」領域からの逸脱を「志向」することが肝要なのである。

そして、ここにこそ言語能力、それも、無数にある言語の中から最適唯一を逐次選び出す言語能力が開花するのである。

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〔29〕漫断「奇歌の周辺

その4アナロジーによる「奇歌」開発のテクノロジー

2004.10.23

ここでは、課業の環境の形式知化の手段として製品設計上のテクニックを借りることにする。

それは、前に述べたように「ホワイトバランス」「共振」「可鍛性」の3つである。

ビデオカメラなどでは映像と実物の色合いの対比が重要であるが、

その中で、もっとも基本的なものは色の原点の設定であるという。

この設定に当たっては、視界内の最も明るい部分を白と設定して他の色の明度を相対的に定めてゆくという。

歌の中でこの原点になる色(語)をどう定めるかで歌の「変さ値」は定まってくる。

つまり、「ホワイトバランス」からのアナロジーでいうなら、「奇歌」には「ハイライト」の水準を高めるべき

「突出」「意表」「炸裂」などの語を用いるか逆に「ぼけかまし」「gradation」などの手管を使うことが有効そうである。

「共振」というのは工学的には「電気工学」「機械工学」両域にあって、相乗効果、相補効果を挙げる場合と

相互に干渉して時に損壊する場合とがあるという。

ここでは複数語の配置を本来は調和的におくべきものを

破壊的に配置することによって「奇歌」の開発が有効になされそうだということを示したいのである。

最後に素材そのものについて述べる。

「可鍛性」という概念は「圧力・衝撃を加えて思う形になしうる性質」のことでの語にも

可鍛性の高いものはあり、「奇歌」の素材として有効なのではないかということになるのである。

ここで、可鍛性は高そうな語のジャンルとして期待できるものには

奇語・伝法口調・新語・造語・卑語・雅語・綺語・擬似古語・カタカナ・ひらがな用法などがある。

これをいうと、こと「言葉が浮く」とのたまう人がいる。

「何? 浮く?」「浮かせてんだ」

以下実例を少し。既に語性論で引いた歌から

 

明日よりは八月と聞く八月は日々巨大なる糞放らむかも

ちゃらん亭風月録(田中佳宏)1998.2.25葉文館出版

ハイライト 糞

八月+八月 塗り重ねシーケンス 振幅増 共振の前工程

八月+巨大 共振

可鍛 糞

古語と卑語という語法上の混交

牛肉をさばきてあればしかばねの冷たき組織は(いて)えとこそいへ

シジフォスの朝(島田修三)2001.12.10砂子屋書房

ハイライト しかばね

しかばね+痛え 共振 

しかばね+言う=非合理

「牛肉 しかばね組織」というリレー型シーケンス(増幅、共振の前工程)

可鍛 しかばね、痛え

 

体重を一キロふやすにさくら食ふ祖国しづかに消化されゆく

墓地裏の花屋(仙波龍英)1992.9.25マガジンハウス

ハイライト 祖国

さくら+祖国 共振(禁忌)

不適格シーケンス 祖国+消化

可鍛 祖国

体重+さくら=非合理=拡散

 

艦らこの豪夢に眉を深めつつすれちがいざま相撃つ霧砲

潮汐性母斑通信(高柳蕗子)2000.11.30沖積舎

ハイライト 豪夢・霧砲 

豪夢+霧砲 共振

眉を+深め=奇妙=可鍛性

 全体を通じて短歌的無統制に語が散開 不適格シーケンス

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〔25〕「テーマパーク歌集」と呼ぶゆえん

200.10.5

先日、同じ日に2つのご著作を頂戴した。

ひとつは「人間漂流」なる田島邦彦氏の歌集いまひとつは「ディズニーテーマパークの魅力」著者は上澤昇氏である。

本頁に来られる方は歌の方が多かろうから敢えて上澤氏について述べる。

氏はかの東京ディズニーランド&シーを運営するO社の前副社長にして、創設から発展成熟期の第一人者である。

かつ、頁主にとっては制護会空手本部道場の大先輩でもあり、社で話をしていただいたこともある。

上澤さんの事跡は、その講演を通じても外側にいるわたくしにでも相応の理解が可能だが、

今回は併せ読んでいた田島さんの歌にも(失礼ながら)一驚したのである。

フランス共和国(パリ)

時いたり正義のわれらに旗なびく進めば仇なす敵を屠ほふりて

高架線通過するとき見はるかす都市はいずこも家屋湧く丘

前者は国歌の翻訳、回文(家屋湧く丘)の起用、さらに多くの題詠といった「アトラクション的」要素に満ちていたので。

いくつかの「遊び」は結構なことであり、いくつかの実施例もあるが

全編アトラクションというのは寡聞にして珍しい。

「テーマパーク歌集」と命名するゆえんである。

上澤さんの著作から一行だけ引く。

「ゲストに満足してほしいという気持ちでキャストが一生懸命やっている。その姿にゲストがうたれてリピートしてくれた」のだという。

要はゲストとキャストの相互の影響によってサービスの質は高まるということである。

なげやりサイト編成の頁主は汗顔の至り。

ゲスト様にはにご容赦を!

そして何とぞ「人間漂流」のご高覧を!

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〔24〕「広辞苑」にみる「専断」

200.4.5

講演やパネルディスカッションなど居合わせる人々の語の理解に差異ばらつきが

想定される場合の「地ならし」として「広辞苑」が引かれることがある。

この「男道ばなし」の人物評も長さがほどほどであることから、かなりお世話になっている。

しかしその人物評の専断には今回、唖然とした。

なぜかといえば

そもそも、分担執筆者が記載に価すると自分の基準で人選をして、記載する、というこれが全てなのだろうから。

つまり、勝手に選んで勝手に書く.だけなのだ。

かつ、書き手はその道の第一人者が御用学者か誤用学者。

書き手に選ばれて舞い上がるとは思えないが、結果的に見下すような評価があったのだ。

たとえば例を「徳川一族」を見る。

面白いことに、事績の多い人物には性格的側面・人物評的部分が一切なく、

事績のない人物は人物寸評で茶をみごしている。

これは実見確認に価します。

家康の記述は長い方だが人物的側面には一字も触れていない。家光、慶喜しかり。

結論をいうと人物寸評が書いてあったのは4名である。しかもそれもこう書いている。

徳川家定 病弱無能

徳川家重 惰弱で暗愚

徳川頼宣 性剛毅

徳川頼房 性俊邁・剛毅とされる

何と「病弱無能」「惰弱で暗愚」、大先生にあるまじきご軽率。言語道断。

これに限ればとても引用できませんね。

ついでに、全源氏・全平氏を通覧した。事績以外の「資質」「特技的角度」等にふれたものを拾ってみたが

感心するような水準ではなかった。

これから思えば、われらの人物評、もっと大胆気侭でよいのかも知れない。

平維衡 勇気衆に勝れ。平維盛 その姿が美しかったので。貞文 好色の美男子と伝える。平重盛 性謹直・温厚で武勇人に勝れ忠孝の心が深かった。平教経 勇敢。

源為朝 豪勇。源経信 博学多才。源経基 武略に長じ和歌をよくした。源満仲 武略に富み。源義家 武勇人に勝れ、和歌も巧み。源義平 勇敢で強く。源義光 知謀に富み射術をよくし笙に長じた。源頼信 兵法に長じ、武勇を称せられ。源頼光 驍勇を以て称され。

信長・秀吉・家康のうち資質について記述があったのは信長のみである。

つまり、「性剛勇果断」と。

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〔23〕作歌道のこと

200.2.11

 

前回、「外道短歌」への志向を開陳したが、

ならば、外道的な作歌道とは何かということにしばらく考えていた。

見回してみると「こだわれ」という定義にはわかりやすい前例がないこともない。

はてさて、拝借、試してみるとなかなか具合がよろしい。

*******

作歌道というは狂い咲くことと見つけたり。

ふたつふたつの場にて、より狂う方にかたづくばかりなり。

別に仔細なし。

胸すわって進むなり。

図に当らぬは駄作などというは、じゃぁなぁりすてぃっく風の

打ち上がりたる作歌評論なるべし。

ふたつふたつの場にて図に当るようにするは及ばざることなり。

我人、誉められるる方が好きなり。

多分、好きの方に理がつくべし。

若し図に外れて狂い咲かねば腰抜け也。

図に外れて狂い咲けば、犬死気違いなり。

恥にはならず。

これがわが作歌道に丈夫なり。

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〔22〕外道覚悟

200.1.1

 

謹賀新年。

昨年はいわば古巣に1000日ぶりに回帰させていただいた年でもあった。

よって、ひとりオオカミを気取ることはこれで許されなくなった。

そして心新たにつくづく思うことは、「外道の追求」である。

この頁で言外ににじませていたものを文字化するだけなのだが

それでも「新年」にわざわざいうことにはそれなりの意味がある。

20台の若造の頃から「不羈」「誰の真似もしねえ」と称し(笑止)

「新」だの「奇」だのとうそぶいてきた。

今年より、一転,、「外道」を標榜します。

まちがえても白杭の中にいないよう「覚悟」いたします。

つまり、

「外道不覚悟」により筆を折ることなきよう精進したいと敢えて申し上げておきたいと思います。

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〔21〕「短歌の生命反応」への反応

2002.10.14

高柳蕗子氏の回転・滑空する刃物「短歌の生命反応」を手にしてしばらくは当惑した。

「楽しみ」と「気後れ」のような、犬が遠間の猛犬を窺うような緊迫。

つまり、おろそかには読めまいな、という緊迫のあと一気に読んだ結果。

歌の評論はあまたあるが、

「共感」と「評価」を度外視した、いわば解剖学的アプローチは正真正銘「新鮮」と言わざるを得なかった。

高柳さん自信の概念・「短歌の生命反応」にはいずれ相応の評価が出されようけれども、

それよりなによりも「共感」と「評価」をすり抜けるという「発見」「卓見」「識見」「鉄拳」に深く頷いたのである。

性悪の頁主が短歌評論を読んで頷くことなど滅多にない。

たとえば、従来の「秀歌ちょうちん持ち評論」を悉くなぎ倒して(無意味化して)見せたではないか。

さらに、奇天烈な歌でも批評の対象に引っ張り上げたではないか。

そもそも「違和感」のある歌の「違和感」を起点とするアプローチは

前例皆無とはいわないまでも決して見慣れたアプローチではなかった。

つまり評論の可能性を飛躍的に広げたのである。

「共感できない」という「門前払い」を否定してみせたのはそれ自体が、革命的でさえある。

ところで、

筆者「独自の見解」を述べるにその主体を「私たち」と呼び、

さらに「私たち」にはこういう能力がある、として論を進める筆法は心憎いが、

読者の大方は実は「私」なる高柳さんよりは、ずうっと、おバカなのでありますのよ。

と、まあ、抜きん出た洞察力も併せチェックさせて頂いた。

このブーメランが多くの獲物を著者にもたらされんことを。

とにかく万歳。

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〔20〕「硬式」の鎌倉彫

2002.8.16

 

「万開技」さんという彫刻師の作品を愛している。

持ってるのは2点だけだが氏の作品はいつの頃からか店頭で愛するようになった。

頁主の持っている図柄は「獅子」と「虎」。素材も素材だが、これは迫力がある。

当年71歳の氏の略歴には「薄肉彫の古典の作品を嫌い厚肉彫の現代作品を追求している」とある。

実際、作品はこの短文に恥じない。氏の彫り上げた皿はある部分では恐ろしいほどに薄手になっている。

山水堂の「見本」では透けて後ろの壁が見える「龍」だってある。

文字通り「突き抜けた」異端なのであろう。

氏の作品は「創作美術」でなく「工芸」に入るはずなのであるから余計だ。

ところで、氏の制作がさらに現実ばなれしてきた昨今は、

ほんの一部の例外の作品を除いて「見本」つまり非売品なのだ。

希望があればものによっては若い後継者が同様の物を仕上げ、

ものによっては本当の非売品なのであろう。

しかし、伝統工芸「鎌倉彫」の職人さんがその伝統工芸の中核を「嫌う」とはどういうことだろう。

「継承」しながら「ある部分」を「拒絶」する!!!!!。

凄いではないか!!!。「硬式!!」と密かに呼ぶゆえんである。

「万開技=まかぎ!」という名も傲岸不遜、凛乎と輝いている。

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〔19〕「高被引用性」という陥穽

2002.6.9

 

ISIという化学会社の年次被引用論文回数ランキングは例年その筋では話題になるのだそうだ。

学術論文間の「被引用回数」そのものが、被引用論文の質の高さの指標になるからだ、という。

自然科学の参考文献引用がどのような形でされるか知らないが、

どういう分野であれ「高被引用性」の評価が高いということにはあまり変わりはないのではないかと思う。

よく、引かれる論文の特性を考えれば、まず「斬新・新規性」ついで「話題性」というところなのだろうが、

化学の分野でも「流行の研究分野」というのはあるらしく、そこの分野に入っていれば「そこそこの引用」には恵まれるらしい。

 

もっとも、これが文芸評論となると引用基準はもう少し判らなくなる。

おそらくもっと「人間模様的」になるのだろう。

「一顧だにされない」論文は「余程独創的である」か、「取るに足りない」かいずれかであろうが、

それよりも、頁主は「引用のされ過ぎ」を恐れる。

軽率不勉強の引用者ばかりに引かれるものはおそらく大家の手抜きの浅薄文ではないのかと。

人様の論文引用をしたことはなく、商業誌をあまり拝読しない頁主としては、胸を張って言うのも気が引けるが

人様の論をなぞって、「I think そう!」とやって結ぶのはよほど恥ずかしいことなのだと

おおきなお世話ながら筆者になり代わって赤面しているのは事実である。

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〔18〕銀色の獅子

2002.5.1

 

2月以来、更新もしていない間にいろいろのことがあった。

やたらに時におわれて、20行を書く気にもならなかったのである。

この間の大事といえば40年ぶりの旧友からメールを受けたことが筆頭だろう。

これを出合いとする一方で多くの別れもある。

余り「優遇」することのない企業の「優遇制度」に乗って去る身辺から去る友人が少なくないのだ。

無論、仕事場の違う友人の話も多い。

彼らだって爪も牙もまだまだしっかりしている。

目立つのは、ほぼ、鬣が銀色になったことだけだ。

それなのに、自らに幕を引く。

「しょぼくれないで走り出してもらいたい」と切に願うこと頻りだった。

その昔「金色の獅子」というのがあったが、かれらは「銀色の獅子」。健在を続けてもらいたい。

そんなことから、最近は別枠の歌を口ずさむことが多くなった。

お聞きになりたかろう筈もないが、気が向いたら蛮声を乗せたいとも少しばかり思っている。

 

銀色の獅子

 


〔17〕島田修三の地響き

2002.2.9

 

短歌の「整然こんこんちき」に天誅を加えつづけているつもりの頁主としては

島田修三氏の活動「シジフォスの朝」は無視しがたい。

なにやら、短歌という国技のナショナルプロジェクトに必須の御仁のようであるが

その破天荒ぶりはやはり記憶にとどめおきたい。

.引用は「近刊歌集」欄を参照いただきたいが、その手口は

単純ながら堂に入っている。

邪魔であろうが、お気づきでない方のためにイワズモガナを。

 

たとえばその1:「俗語」の「文語体」への強引なはめ込み。

‘小わっぱ俺の在りしかの夏’

‘痛いてえとこそいへ’

 

たとえばその2:卑俗の行為を整然と唱える

‘鼻孔浄むる教授’

‘後ろ肢の爪もてつむりを掻きゐしが’

 

たとえばその3:アンマッチの妙

‘吃逆の不如意’

‘葉むら饒舌にそよぐ’

‘義理万障を繰り合わせ’

 

頁主はこれらを面白いと思う。そしてこれらに後れを取るまいと思う。

そしてそして、これらのチョッカイを受けても屹立する

「短歌形式」なるものを

嵐の中の五重塔のように立派かつ健気であると思う。

さすが国技である。

と、思う。

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〔16〕甲村秀雄のつぶやき

2001.12.28

 

甲村秀雄氏には「迷走歌人」という言い方があるらしい。

「甲村秀雄集−ブリキの迷路(東京四季出版2001.12.22刊)」の帯にそう書いてある。

成程.。異議なし。

しかし互いに酔眼に傾いての語りを想い出せは寧ろ、「瞑想歌人」という字を当てたくなる。

 

本のほうは最近5年間の作150首と自伝を含む積年の歌への思い150編。

小評論の編集は「書き散らし」に見えるが、視座は固まっている。

つまり「持論」「自論」が明瞭である。

決して「迷走」はしていない。

「ご本流に涙ぐましくもかじりつく意気地なし」とは大いに違うというゆえんである。

 

たとえば、

「現代短歌のキーワードは13に集約できるのでこれを

知らないと現代短歌を知っていることにならない。

現代短歌についてものをいうことはできず、つまりは歌人失格だ」

とこのようなことをのたもう。

 

これを、ほかの歌畜がほざいたら嘲笑するところであるが、

この著者は他の部分で自己の信ずるところを繰り返しくどく強くのべているので

「げにも」とうなずくのである。

 

「世代の共通論」のような「借り物論」に頼らずに「自流」のいえる

数少ない、ひょとしたら唯一の「60年安保世代」なのであろうかとさえ思う。

ご一読あるべし。

 

きさらぎは左の腕かひなもつと降れ雪たましひがこゑに泣くまで

千の和の連なる螺旋階段を風よぢりつつ吹き上げてゆく

雲形に雲が浮かんでゐたりしがなほも緑をひろげつつ森

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〔15〕「Es」第2号(彼方へ)を見る

2001.11.3)

 

たとえば、俳句同人誌「未定」が来ると開封が楽しい。「予感」というべきだ。

あのビビッドな構成・それにも勝る小生意気な作品群は決してはんぱな同人誌や総合誌には期待できない。

「Es」を前にして同様な期待が醸されつつあった。つまり、前号には少なからず満足させられたのだ。

ところで本号、目次の排列はなかなかのものでよくよく工夫されている。

目次の構成には頁主も幾度か心を砕いたがこれはなかなか。

かつ、各頁の構成も効果的である。つまり、「読ませる工夫」がある。

だが、いいたかったのは構成ではない。作品のいや、作者の充実度だ。

メンバーの充実が大事というこのあたりの事情は、脱線するがかの四半世紀来頁主が愛してやまぬ、かの「神宮飛燕軍」の今日に似ている。

名札と札束だけの「水道橋ウド大木軍」や駄ぼらとクソ力だけの「いてまった強牛軍」とはちがう実力が貴いのだ。

総合誌は‘名札と札束だけ’の前者に酷似し、結社誌は‘駄ぼらとクソ力だけ’の後者になぞらえられようか。

さて。

 

和ばかりを貴べる世に軍神いくさがみ来りてキッと破る横紙  山田消児

傷あらぬ人ばかり乗せ飛ぶ船は恥知らざれば過去へは飛ばず  同

まっさきにメトロノームのリズムから外れたかった 木目のピアノ  北久保まり子

ひとひらの雲のゆくえを韓からという父いまさねば 父となるべし  崔  龍源

 

引くとなれば自我意識の強いものにわたくしの場合はどうしても傾くがこれは当然。

作品の充実は年2回刊というサイクルと無縁ではなかろうが、

今後の農閑期にこそ鍬を磨かれるもよし。打ち方を工夫されるもよし。

いやいやいやいや、大きなお世話だ。

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〔14〕(文芸を逸脱しかねませんが)非常識なTV界の特に女性のゲストら

2001.9.23

スペースが勿体ないので抹消しました。


〔13〕加藤克巳の配球

2001.9.14

 

加藤克巳著、砂子屋書房刊エッセイ集「原郷を恋う心、そして」はここしばらく「地下鉄千代田線往来の友」であった。

加藤投手のチェンジアップ・スライダーは殆どホームベースを外さない。

もとより、頁主自身は現代の‘歌の現場は短歌の伝統の「継承」よりも「拒絶」に走るべきだ’との強い意向を持つが

無論、人様に強いるものではない。いわんや、昭和5年、15歳を歌のスタートという作家であるから、

昭和37年16歳という頁主よりとは拠って立つところも大いに異なるのであろう。

 

本集は基本的には「歴史・環境」と「自身の歌境」のかかわりが「自然体」でつづられている。

ここでの「歴史」とはいうまでも無く「和歌を含む伝統短歌」であったが、これがなんとも自然体であったのは一驚。

心に残ったのは「泉」に関する自作の展示・品評の小品「心の底に希うもの」であった。

 

あふれ出て路上にみなぎりさらにあふれとめどなしとめどなし春昼しゅんちゅうの泉

かそか泉のわく音の辺のなよ草のあるなし風も春の闌けゆく

湧きてつきぬ泉のほとり苔むして石いわまたぐとき古代はにおう

 

このあとそれぞれに寸注を加えた後「泉は心を清く甦らせ、生きる勇気を与える。

いかなる現実にあおうと私は心に泉をいだき、心に泉をうしなわず、清い勇気をもって生きつづけて

いかなければならないと思っている。」と心境を付記している。

この一言は決して軽くない。歌集ではない横串は歌を新しく楽しませ得るのである。このことは実に肝要。

が、このパートには「本エッセイは地方紙への掲載文で、読んで下さるの対象は一般諸諸の人」

という趣旨のの注があった。

???  ??

これは「いわずもがな」であり、折角頁主の気に入っている、かの展示が「業界」を憚るものであるとの意図であるならば少々残念な気がする。

それとも、そうか、気に入った頁主はオシロウトなのだ。

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〔12〕島田修三のサーヴ

2001.8.19

 

頁主のコートにドライヴの利いたボールがうち込まれた。サーヴの主は島田修三氏。

下手な直喩をさらせば、氏が砂子屋書房刊の「現代短歌の再検討」を賜うたのである。

著者は、小池光、三枝昂之、島田修三、永田和宏、山田富士郎の5氏。

いわずもがなをあえて言えば、このアイウエオ順の奇数番の各氏は頁主の非常に「好き」な作家である。

平素の頁主の偏狭、驕慢を少しにがにがしく思っての畏友島修氏のプレゼントであるに相違なく、

「少しは勉強してよ」とのご示唆であろう。

 

思えば、いつの頃からかこういう歴史解説風の本が嫌いになった。

というよりも、この手の著作の「とくとくとした筆法」が堪え難かったのだ。

よい評論を書こうという心のあった頃は、必修科目として学んだが、それこそ砂を噛むよう。

 

ところでこの本は夏の休暇にそれこそ「拝読」したが、なかなか面白かった。

「どこがどう」は避けるが、総花でなかったのがよい。

「戦前」「戦中」「戦後」「メディア論」の仕切りで5人が「得意なテーマ」を掘り下げたのであるから。

 

この頁での重要な仕事のひとつに、歌の社会での「‘価値なき偶像’の破壊あるいは無視」がある。

そういう意味では、本「再検討」にも‘破壊すべき偶像’はさいさい登場する。

山田富士郎などは頁主の標的について触れているが「持ち上げない」筆法はさすがであった。

 

とまれ、本レシーヴは島修のコートを大きく逸れたので、サーヴィスエースを献上したようだ。

それでも、深謝。

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〔11〕聖域と冒涜 あるいは表層と深層

2001.7.26

 

「聖域なき改革」などという語が跳ね回っている。言語的には可愛らしいし心根も可愛らしいからなにかに批判する積りもない。

「聖域のない」といわずに「聖域なき」と気取りあたりはNHKの時代劇シナリオばりの稚拙感にあふれていて、この場合はよい。

 

夏が来れば思い出す、のは短歌グループの夏の会。

(注:短歌結社というのはほぼ例外なく1泊2日の歌会をやるんです。)

大勢でこぞって、祭り気分を盛り上げるのは、電機会社の今はさびれた「会社ぐるみ秋季大運動会」のように絶妙な組織維持機構なのである。

ところで、今思うと、わたくしの「意欲作」にはしばしばこういう「お叱り」があった。

曰く「こういう表現は、短歌を冒涜していると思います」

「これは言語に対する冒涜ではないでしょうか」と。

本頁巻末のわたくしの歌集を見られればそう思われる方出てくるのであろうか。

 

が、

「何をおほざきになる」

と、今ははっきり言えるのである。

「表現」とは「聖域への斬り込み」そのものなのではないのか。

「聖域を避けることの学習」こそが「短歌の王道」あるいは「基本路線」とみるからそんなことをいうんですよ。

「冒涜・侵害・侵犯」で歌の形式の「柔構造」を試すんですよ。

表層の冒涜は深層の貢献なのである。

そういうことこそが「表現」なんですって!

短歌形式を「ゆさぶる」ことを「快」とすることによって、歌は「楽しい玩具」になる筈なのである。

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〔10〕オン・ディマンド歌集・友情歌集のこと

2001.4.29

 

頁主には、5月連休の初日に続けている習慣がある。

F市にある別宅に薫風を入れつつ草むしりをすることである。主なしとて草ははびこるからだ。

正月の3日以来であるので、大きな郵便箱にいろいろなものがある。

t郵便局経由のものは返送されてしまうはずだが、「メール便」はここに眠っている。

果たして、玲はる名さんの「たった今覚えたものを」

北川草子さんの「シチュー鍋の天使」がピザハウスのチラシのシトネの中にある。

***

北川さんは昨春夭逝された童話も書かれる方で、同著は「かばん」関係のご友人の手になる遺歌集。

玲さんのものは、ラテティアで見ていたが、加藤治郎氏らのプロデュースによるこの世で第2号のオンディマンド歌集。

このことは、同人という歴史の永い紐帯とwebという現在生成中の紐帯を

あまりにも図式的に描き分けている。

かつ、25年も居続けた結社をはなれてnetを唯一の場とする頁主への訪問者として

この2冊はあまりにも象徴的であった。

***

歌集を頂くたびにこんなへんな奴に送ってくださる無謀さにあきれつつ光栄を感じるが

オンディマンド歌集をビフォアディマンドで頂けるというと余計にそんな気がする。

実際上、オンリーオンディマンドは難しそうだ。たとえば歌集のディマンドをどうやって喚起するのだろう。

それぞれ、休暇のよき伴侶でありそうだが、まずは、それぞれ冒頭1首のご紹介。

きみのいない朝のしづけさ まなうらに人魚のなくした尾がひるがえる(シチュー鍋の天使)

朝になれば縦書きになるわたしたち「愛愛」より添っていたいの(たった今覚えたものを)

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〔9〕「閉鎖宣言」のこと

2001.4.15

 

友人に「ホームページをつぶしちゃうんですよね。どうしてですか。」といわれて驚いた。

そういう目で読んでくれているお人がおられた。

本頁巻頭に「当月を以て本頁を閉鎖します(2001.4.1)」と書いたのは、

日付にちなんだ悪戯であったが、消すのが少々遅すぎたようだ。

自己否定発言はおおよそ黙殺されるべきものであるが、思わぬ反響に忸怩たる思いをさせられた。

意味のないわるさのくせに、罪のないわるさではなかった、といささか反省。

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〔8〕「世に問う」とは

天久卓夫90歳の問い

2001.2.12

 

「流亡」(2001.2.8潮汐社刊)は天久卓夫の現代語歌集である。

「はしがき」は昨秋に書かれており、同時にこの日付は氏の90歳の誕生日であると判る。

そこには「今日只今の話しことばと、それを文字をもって表現する現代の書きことばとを、わたしは現代語と呼んでいます」

とあり、それに基づく作歌活動の中にこそ

「往古の伝統と、その伝統の上に、今日の文化の花をかざす創造があると自覚しています」

とある。よって、

「今日の文語定型歌を、時代錯誤の作品としています」

と続く。だが、気になったのは、それに続く部分である。つまり、

「こんなことを言いますと、世上一般も、メディアも、わたしを無視するか、異端視するかどちらかになりましょう」

というくだりである。

ここに至るまでわたくしは90歳の咆哮を凄いなと思ってきいていたが、やはりそうなのか、と少しばかりうろたえた。

70歳から一転、覚悟の形相すさまじく「現代語」を標榜してきた氏にしてさえ、「世に問う」という姿勢をもってしまうのか。

轟然傲然とはいかないものなのであろうか。

ところで、作品には文語脈に近いものも文語脈では成し難いものもある。いくつかをとどめたい。

数かぎりなくうなぎの稚魚ののぼりゆく ゆくえいずこか まなこ燦あきらか(定型律に乗せてある)

玩具かとおもった小犬ににらまれる 抱いて行く女人はふりむきもしない(「女人」は現代語に入れてある)

ここは忘れられた孤島 月が出ると月に照らされるわたしの貌かお

だれもかれも緑みどりの風のなびくなかを去ってしまい 帰ってこない いくど呼んでも

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〔7〕北園克衛、2/3世紀前の指摘

2001.1.27

 

北園克衛が1934年の年頭、つまり、今から三分の二世紀前に述べた評論がある。

それは詩の新しいヂェナレイションに」と題されている。

ところで昭和9年のこの「詩の世界への指摘」は恐ろしいほどに、今の短歌の世界に附合している。

そしてこれは、おそらくは、詩の現状にはもう既に一致していないと思われる。恐るべし。

著作権等を思い全文掲載は控えるので、然るべき方、特に若い世代におかれては、

といっても、智あり勇ある方々に限られるが、そういう方々におかれては

大御所づらの古だぬきども、並びに小ざかしい若年寄どもに媚びることなく

然るべき思弁をされることをお願いいたしたい。

以下は「2角形の試論1987年リブロポート刊からのお奨めである。

下線部分に頁主の思いを託します。

 

詩人に三つのタイプがある、

A  詩を進化させるために書く詩人

B  自己の趣味として、あるいは詩によって何かしら自己の感情を排出するために書く詩人

C  大衆、あるいは自分のグルウプの賞讃のために書く詩人

 

Aは僕たちが普通詩人と呼んでいる処のその時代の文学的意義と価値とを持った詩人で、必ずしも大家や流行的詩人ではないが、その詩的作品が、詩の文学理論に何らかのアクティヴな暗示を与え、あるいは明らかに論証し得るに足りる未来性を表しているもので例えばTS・エリオットやエズラ・パウンド等の詩を掲げる事ができる。

こうした系列に属する詩人は少なくとも現代の世界の文学の動静や理論に親しく接している事は言うまでもないが、それにも増して、その理論をいかなる方向に向って進展させるか、と言う事に充分意識的なアンテリジャンスを働かせて居る詩人である。従って、その作品もその時代の文学が持っているアトモスフェヤアを多分に含んでいるものである。エズラ・パウンドは上述のような詩人をinventor、あるいはmastersと呼んでいる。(略)

次にBは、自分の趣味として、あるいは、自分のセンチメント・センセイション・アイデヤを単に表現するために詩を書いている詩人で、世の多くの詩人は、この系列に属している。此等の詩人にとっては、文学の理論も文学史もあまりに重大でない。従って、出鱈目に書いているアマチュアもこの系列に入るものであるが、昔乍らの詩を書いている白鳥省吾や福田正夫や萩原朔太郎なども当然この系列に属している。つまり、自然発生的詩人であると共に本能的な詩人と言えるだろう。

これらの詩人は偶然的に詩を飛躍させる事は有るが、全く偶然であって、何らの文学史的必然性に立っていないばかりでなく、却ってA型の詩人の行動や発明を妨害したり、あらゆる意味で詩の先駆的事業に徹底的な障害的存在である。新しいヂェナレイションが苦しい闘いを戦うのは実に此等の古きヂェナレイションに対してなのである。

Cの詩人は、大体に於て、Aの詩人とは直接的に関係しないが、此のC型の詩人には市井の流行歌の作者から、詩人的名誉や地位を政策的に獲得しようとする、醜悪な詩人も含まれて居る点で、やはりA型の詩人に間接的な害毒を流す詩人である。

詩の新しいヂェナレイションと古いヂェナレイションとの相違は、その詩人の文学理論及び文学史的自覚の強弱有無によって判断されるが、それはロヂックとして直接的に表れるものと、その作品に依って表れるものと、ロヂックと作品を同時的に表す詩人とがある。

ともあれ、詩の新しいヂェナレイションである為には勉強しなければならない。(略)此の努力は並大抵の努力は持続できないものであり、世俗的な野心や小市民的な趣味から出発するB型やC型の詩人には望めないとも言えるだろう。1934年を発足するに当って、僕がすべての溌剌とした若い詩人に希望するのは、それらの詩人が、B型的な位置やC型的な位置に満足する事を揚棄して、真に意義あるA型的位置に進む事である。それはとりも直さず詩人の文化的水準を上げる事であり、やがては文化的レゾンデエトルを確保することにも成るであろうと考える。(略)

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〔6〕錐揉み・エスプリ・北園克衛

2001.1.18

 

多摩美術大学から連絡があった。同大学附属図書館のHPの「北園克衛文庫」に「VOU」を公開するが

「旧会員として意見はないか」という趣旨の問いである。

あろう筈がない。北園氏こそは「不教不受」ということばからすれば、実際、矛盾であるのだけれど、

頁主に詩を啓示した唯一のひとであるからだ。

その書状に「付帯する名簿におまえの専門という書け」という欄があった。

他のメンバーの欄には、当然、「詩人」「詩人」と書いてある。その「詩人」「詩人」と並ぶ中、

「歌人」とはとても書けず「短歌」と書いた。

思えば、「VOU」には「人と同じことを求めることを蔑視する気風」がある。

無論わたくしにも、人と同じことをすることにはひどい抵抗感がある。

その辺りを外すことくらいにしか、物を書く矜りはありえないからだ。

そういう意味からすると、短歌というジャンルに居座ること自体に、

やはり、当然、、相応の、うしろめたさが、ある。

しかし、こう思うこと自体、わたくしには、はじめから、

「皆様のお考えになる歌」を作ることは無理なのであろう。

「2角形の詩論」という論文を書くこと自体、北園さんの営為は100%「エスプリ」である。

エスプリ。

小さな辞書には「たくみで洗練された表現をする心のはたらき。才気。機知。知的センス。

=角川必携国語辞典(大野晋、田中章夫編)」とある。

エスプリは「達意=説明路線」を離反するからなあ。

さもあらばあれ。わたくしの歌の錐揉みは楽しい。

エ・ス・プ・リ。

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〔5〕百年一巡

2001.1.1

 

小学校2年の時に「児童年鑑」というのをみて、「今日は20世紀なのだ」と知り

ついで、「21世紀になる日は自分は54歳だからまだ生きているな」と思った。

そしてその日に至った。40年はあっという間だ。

おそらく100年後はああっという間に来ているのであろう。

1000年後はおこがましいので、100年後にとどめて、あと100年後に短歌が残っているか考えてみた。

明らかに言えることを述べれば。

100年後には「師資相承」という語は死滅しているだろう。

つまり、先生に導かれる結社はなくなっているだろう。

「同化」や「何々らしさ」が愚行と見なされるようになっているのである。

また、擬似民主制の「編集委員による結社運営」も所詮は「階級維持組織」だから瀕死の状態になっているだろう。

雑誌の形態が残っているとも思えないが、同人誌のようなものは大いに繁茂していることだろう。

あとはおびただしい我が侭HPの山また山。

歌柄はまちまち、いきいき、主流・反主流もない。

ジャーナルが濫発する新人賞も一顧だにされなくなっているだろう。

「一世代前の権威」による「権威づけ」などは意味をもたなくなっているのである。

つまり「権威」なき時代の到来。

リーダーシップは偉大な「独創ないし独走」によって齎されるようになるのだ。

こうなると結構ずくめだが、これもまた22世紀到来とともに暗転する。

当時猖獗している、世襲化されたモノ書き上がりの知事(今日現在のヒマゴの子の世代相当)らによる反動だ。

移転後のナス都知事、4代目ヒヒハラさんが副知事の3代目オカユくんに指示する!

「勅撰和歌集」を企画、「防人の歌」の選をしなさい、というものです。

そして、万葉復古。結社復活。「師資相承」ももどるか。

万世一系、めでたし、めでたし?

めでたかぁねぇなぁ。

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〔4〕「ふき」の絆?高柳蕗子歌集「潮汐性母斑通信」への頌歌

2000.12.17)

 

艦らこの豪夢に眉を深めつつすれちがいざま相撃つ霧砲

いい歌だ。つくづく。

「豪夢」「眉を深め」「霧砲」なとという詩語の導入はわたくしをうならせた。

高柳が「短歌のボディ」なる詩形につぎ込んだコトダマが躍動する。

短歌と俳句の両刀使いは別に珍しくなく幾人かの作家を見聞きしている。

多くの場合には、その作家なりの両詩形に対する「規定」があり、

それにより両者の「強み」を摸索するのだろうが

概ね、暗黙裡にそれぞれの「形」に立脚する「らしさ」におのれの「ポエジー」を追い込んでゆくという正攻法。

古来、正攻法からは大した戦果は得られない。

ところが、高柳の場合はそうでもない。

韜晦しつつも詳細な、その輪郭についての述懐ないし立論が末尾にあるが、

それをわたくしのことばでわたくし流の要約してみる。

男として生れることを父に期待されていたと思い込んでいるひとり娘、つまり

バーチャルな兄との濃密な関係に位置づけれられている「私」、つまり歌よりも寧ろ俳句を本領とするの高柳が、

その兄に着せる「宇宙服」として「浮世ばなれした」短歌という「ボディ」を引き当てたのだという。

この「浮世離れ」に「和歌っちゃいねえな」と失笑しつつホレボレと読んだしだいである。

なによりいいのは前の例とはちょうど逆に、「詩形の差」でなく「ポエジーの差」に着目していることだろう。

子細の見えた詩才をしばし楽しんだ次第。

しかし、少々の不安がある。跋文から引きずられたのと、もともとのわたくしの思い込みによって上記を認めたが、

そういえばわたくし自身、高柳さんの俳句は見ていない。

作るんだろうなあ。

 

十秒後手荒なことが起こる部屋にまぐわえまぐわえジグソーパズル

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〔3〕小池光の書く「現代短歌入門」は

2000.12.10

 

本日付の読売新聞からの孫引きであるが、歴史学者津田左右吉(18721961)

「文学に現はれたる我が国民思想の研究」の著述を掲げる。

わたくしには初見だったので。

曰く「学問は決まつてゐることを決まつてゐるとほりに学び知るのではなく、

だれにも知られなかつたこと、わからなかつたこと、考へられなかつたことを、

新に知り、考へ、きわめてゆくのであります。」と。

本頁で烏滸がましくも吠えている「現代短歌出門」の言わんとすることの凝縮である。

***

ところで昨日、小池光著「静物」を頂戴。しばらく諸姉諸兄の論評が続くだろう。

今や「生ける巨星」たる小池氏への評論が追従からのものであってはならず、

また「決まっていること」のテキストとして定着することもあってはなるまい。

なぜなら、冒頭の句は彼の念頭にこそ深くありそうだからである。

たとえば小池がしばしば口にする「暴力的」というほめことばなどに

先の津田のことばは自然に重なるのである。

氏が他日、「現代短歌入門」を執筆するとき、いかに、どれくらい「新たに」が取り上げられるのかに

わたくしはひそかに期待するのである。

第5歌集「静物」から「生ける虚勢」こと頁主のお薦め1首。

 

どしやぶりの雨ぶちあたる鉄板が運河の道に敷きつめられて

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〔2〕「東京式」というproduce

2000.11.25

 

滅多なことをいうものではない、とこれは前回のわたくしの発言への戒め。

歌を作る人種の中にも創造性の高い人間がいるものだ。

「藤龍」こと藤原龍一郎が奇妙なものを上梓した。「東京式」なる怪文集である。

例がないから似たものに強引に結びつけても「歌日記」「エセイ」「覚え書き」等々陳腐になり、例示としては失格せざるをえない。

そんなにいいのか?

しかり、周辺の「五目文」は雅俗混交で彼の本領を見せるがそれにもまして歌が実におもしろくみえるのだ。

藤龍の歌は「五目文」にある彼の思惟との併置で深みを増すのだ。

文章というより彼の思惟そのものはここでは作品と読者の間に俄然沛然凛然として起こる「ケミカルリアクション」の「触媒」なのである。

本著はつまりは、実に歌のためのproduceなのである。

歌をどう引き立てるかというproduce。

ともすれば同一基調に陥っているかに見えるかも知れない自作への「場」の提供!

これがなかなかのproduceなのだ。

自己のproduceとして過去になされた行為としては、

賤しい「駆け落ちもどき」とか、

いたましい「自殺」の例があるが

頭脳から出てきたのはこれが全くもって初めてであろう。

ところで藤龍の著述群は多彩であり、多数である。

楠木正成の千剣破城(ちはやじょう)が実に城郭外の山々や一見関係のない出城までを

含めた綜合城砦システムであったという研究は公知のものだが

藤龍氏の著作システムもそういう観点も含めてとくと拝見したいものだ。

 

驟雨来る予感に窓の外は昏れガンメタル・グレイの空気濃密

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〔1〕創造性とその共振

2000.11.19

 

長い間人間をやってきて判ったことだが、創造性のない人間は絶対に創造性の高い人間を評価しない。

創造性のない人間はアタマが剛構造にできているので、

柔構造的な思考の人間と接すると、それとの共振がかなわず、その軋みに耐え切れないことから、

精神が亀裂を起こし、判断面での機能破綻が起こるのである。

であるから、たとえばそういう人間が提供するPrizeが権威づけられたらと思うとぞっとする。

その剛性はじょじょにかれが君臨する有機体を確実に無力化してゆくことだろう。

でも、そういっては酷か。

人類の過半数が創造性を欠いているのだから

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