2004年刊行歌集

 

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LIST
小池光(時のめぐりに)2004.12.20〔本阿弥書店〕

砂の花(永田典子)2004.6.3〔短歌新聞社〕

小池光(滴滴集)2004.11.20〔短歌研究社〕

平塚宣子(こくりここくりこ)2004.11.15〔星雲社〕

永田典子(初期永田典子作品集)2004.11.25〔短歌新聞社〕

松井和子(桃色のてのひら)2004.9.10〔本阿弥書店〕

本田瑞穂(すばらしい日々)2004.6.6〔邑書林〕

内山三九一(B級教師)2004.6.15〔文芸社〕

中川佐和子(セレクション歌人22中川佐和子集)2004.7.30〔邑書林〕

中川昭(百代(はくたい))2004.11.24〔河出書房新社〕

村上敏明(のりあき)(時のさざなみ)2004.9.17〔短歌新聞社〕

久保田フミエ(春鶯抄しゆんあうせう)2004.11.15〔角川書店〕

高木孝(地下水脈)2004.8.30〔北冬舎〕

後藤由紀恵(冷えゆく耳)2004.12.2〔ながらみ書房〕

真中朋久(エウラキオン)2004.7.29〔雁書館〕

西崎みどり(蒼き夢鉢)2004.12.3〔ながらみ書房〕

田村広志(島山)2004.11.10〔角川書店〕

晋樹隆彦(秘鑰HIKAKU)2004.9.17〔はる書房〕

吉田純あつし(形状記憶ヤマトシダ類)2004.4.25〔北冬舎〕

大下一真(足下)2004.7.2〔不識書院〕

 斉藤斎藤(渡辺のわたし)2004..25〔Book Park

東雪(薔薇月夜)2004.8.15〔本阿弥書店〕

宮田長洋(時の杯)2004.5.15〔短歌新聞社〕

河本惠津子(GIRAFFE)2004.7.15〔短歌研究社〕

山本淑美(かひあわせ)2004.7.15〔東京四季出版〕

 荒川源吾(唖者睡る)2004.4.27〔ながらみ書房〕

関谷啓子(硝子工房)2004.3.15〔東京四季出版〕

西勝洋一(西勝洋一歌集:現代短歌文庫)2004.3.1〔砂子屋書房〕


小池光(時のめぐりに)2004.12.20〔本阿弥書店〕

指の腹に白歯(しらは)をこするとき鳴れり口の中より(がん)()きこゆ

座り猫ふりむくときになにかかう懐手(ふところで)する感じをかもす

()け物とかみひとへなる紫陽花がアパート階段の出口を(ふさ)

弥縫策にすぎぬこととは知りながら花を買ひきて妻としたしむ

われラッコ 仰向(あふむけ)にをればたちまちに胸のまな板に猫がとび乗る

飛行雲(ひかううん)くづれゆきにしあとにして飛蚊(ひもん)のかげは一際(ひときは)にあはれ

自転車に三人非官女すぎたればはや散りこぼれくる梅の花

 

短歌にも四十八手がある。1首目はうっちゃり、2首目かんぬきから極め出し、3首目のど輪から突き出し、4首目波まくらから押し倒し

5首目けたぐり、6首目二丁投げ、7首目外むそう。見えない手の内を判読する価値はある。大関に適う!


砂の花(永田典子)2004.6.3〔短歌新聞社〕

わずかなる風にも擦れて疼きけむ果実の断面そのなかの種子

()(せな)に星あるこtも知らざらむ天道(てんたう)あはれうづくまりゐる

これの世の非在、存在、わらわらと咲くむらさきの花をあふぎぬ

花びらを千切り千切りて子房まで剥くわが指の乱心ならず

耐へ得ざることに耐へつつ衰へていまは霞めるわが狭き視野

そらいろのわらひうれしくかぎりなくやはらかくあるわがむすめたち

わがなかに花喰う鳥のゐる如く庭のつつじの赤きを目守る

近10年の作品集、とある。花を手に取り、鳥を引き付け、

現代風花鳥風詠のなかで開かれるのは孤心である。静謐!            


小池光(滴滴集)2004.11.20〔短歌研究社〕

 

座ぶとんに頭おしつけ眠らしむ 観念せよ観念せよ観念大事(2猫)

ありありとそのさま見えて「グローバリズム」日本の古き詩型におよぶ(22時局)

「おい止まれ、どこへ行く」「ちと浅草へ」春はあけぼのSuicaは誰何(37新式改札)

迷宮の入り口として耳のあな白昼を(ひら)く 眠れる猫に

こんにやくの(へそ)をもとめてあやまたず刺したる串のおでんなりけり

ざぶとんに眠る嚢を猫ともいふ老荘とほく笑へるこゑす

足の爪遠いところに生えてゐてそれを剪らむと曲げゆくからだ

対象にひた伸びる糯竿。或いはカメレオンの舌。

はたまた鉄砲魚の注水。寸鉄の刺す些事中の奇異異変。正中の奇!

                                                                                                                          


平塚宣子(こくりここくりこ)2004.11.15〔星雲社〕

 

マぁダぁムうううとまたも呼ばれてイタリアを旅行く耳はとろけそう

降りしきる雨をはじきてひらきたる傘に真っ赤なこくりここくりこ

口あけて合唱をする乙女子のごとき花ばは 花を求めぬ

やわらかく夕焼けにけり逝く春ときたれる夏といま鉢合わせ

改札を出る人のなか二次会にゆるびし顔をそろそろたたむ

びつしりとグラスに付きしサイダーの透明の泡はじけるを飲む

人生に代打代走ないけれどいつもみているベースボールゲーム

剣法にも「小太刀」がある。華麗だが切れ味は大立ちより鋭いとか。

率直・機微がキーワード抜く手も見せない冴えがここにある。軽いが甘くない。胡蝶剣


永田典子(初期永田典子作品集)2004.11.25〔短歌新聞社〕

牡丹の開かむとしてその花の奥がに湛ふ降りすぎし雨

どんぶりが手荒くおかれ卓の上に油ぎりたる汁流れたり

うかびくるまでにし憎き白きかほ主婦をさげすみ誇ろへる貌

鯉どもの身をめぐらせば目に立ちて水の捩れのやがて消えゆく

カステラの(きい)なるを食べ起ち上がるわれに遣り処なき思ひは兆す

抽象のポスターの池見つつをり胸乳に水の溢れくるまで

澄む水の上をばよぎるわれの身の余熱を如何にたもたむ

作者にとって、過去の作品を再び本に纏めるということには勇気が要る。同じことを現在頁主もしているので。

《若書き》として読む危険を覚えながらも瑞瑞しさを求めて抄出してしまう。Well returned!


松井和子(桃色のてのひら)2004.9.10〔本阿弥書店〕

感嘆詞の飛び交うフラワーセンターに花となりにし私のすべて

思い出は例えば群青深海の秘めにし藍とかなしみの愛

緋ダリアも黄ダリアもこの日盛りにわれの欠け強靭さに咲く

花一つ終われば次の花一つ活けねばならぬように水盤

小春日の陽光あびて眠ろうか遠州三山可睡斎なり

ゆっくりと刻を削りてゆくように歯痛うすらぐ鎮静剤は

美しき空と思いぬわが内に秘めたる一つのかなしみほどの

見たもの・体験したもの以外は信じない作家のようだ。逐語的、重ね語的な展開はその所産。

第二歌集以降はもっと粘りが出てくるのだろう。実感!


本田瑞穂(すばらしい日々)2004.6.6〔邑書林〕

夕刻に空は幾度も焼け爛れたったひとりが見つけられない

目が覚めた布団のなかでまるごとの鼓動を聴いた生まれなくては

半袖の腕を冷やしていく夜に取り消せないことだけはわかった

おんなさんにん素足のままでころがっていてもぜんぜんいい夏の部屋

火の花はみあげるひとのまえに咲きうんと遅れて空を打つ音

ぬけだしてしまわないようにエプロンのリボンを腰できっちり結ぶ

一枚の夢の四隅をひきよせてくるまり眠れ英雄となれ

自分自身をめぐる日常の諸問題との自問自答。身体的な自身の位置づけを

体感的に再確認する視線が特徴的である。新鮮!


内山三九一(B級教師)2004.6.15〔文芸社〕

学校が嫌いな人は手を挙げて!自分の右手もまじる月曜

プライドは邪魔になるだけ生徒なき放課後かたく雑巾しぼる

向こうから苦手な生徒がやって来るにわかに泳ぐ視線とこころ

教科書にマンガかくして読んでいるアイツとアイツそろそろやるか

君たちのことを思って叱るんだッ!真っ赤な嘘をひとつ吐き出す

スーパーで長ネギ買っている時に「センセー」なんて呼ぶなよ山田ッ!

あッセンセ、学校長がお呼びです、訳知り顔で教頭がいう

句ごとの分かち書きにて字体は丸文字。舞台は高校らしい。

よく似た名の華麗な作風の作家も知っているが、本著者との関係は不明。いずれにしてもB級になり切ったサマは見事である。感心!


中川佐和子(セレクション歌人22中川佐和子集)2004.7.30〔邑書林〕

わたくしが素直になっても君はまだガラスのような言い訳をする

反論の語尾をのみこみ立ち止まる広き背中はアクセス不能

かぶるなら陵王面と告ぐるかな反時代的悪人の顔

海の藍うけとめかねて歩みいる人間という暗き実ひとつ

絽に似たる眠気がさして火の匂う異なる星にわが居るような

夕暮れのインディゴ色を見んとして貝割菜のごと首を伸ばせり

駅前の自転車の群れさんざめく人間のみが鍵持ちており

《海に向く椅子》《卓上の時間》《朱砂色の歳月》と評論・略歴・藤原龍一郎氏の

作家論プラスポートレート。中川さんはやはり、平成の白鳳である。華麗!


中川昭(百代(はくたい))2004.11.24〔河出書房新社〕

地にひくく万朶の桜垂れこめてあなふるさとに母なき四月

体力も干潮(ひしお)の兄のさざなみの歩みにあゆむ都大路を

一生を清く貧しき傲岸へほら柿の木の烏が鳴くよ

歌といふ寂しき毒に病みながら鼻梁天与の涼しきふたり

人の世に汚れし眼癒さむとさくらを仰ぐ深手の獅子も

ひらひらと蝶が木暗(こぐれ)の道を飛ぶわが末の世の生まれかはりの

月天に風あり走る雲ひとつ砥石にわれの銹びも流せり

《清濁》にこだわる作者の目はときに花鳥風月に及ぶが

そのまなざしの強さは変わらない。強靭!


村上敏明(のりあき)(時のさざなみ)2004.9.17〔短歌新聞社〕

器とは満たしうること身のうちに血潮を盈たす海ひとつもつ

信楽のぐい呑みの底 梅一枝しづめてにほひたつ朝のみづ

吼えうなり寝息は獣めきながら丑寅の刻の人ならぬさま

向日葵の(もた)ぐる双葉 生くるとは常に重力にさからひて立つ

遠慮なく空のこぼしてくる雪をしやうがねええやとまた描いてゐる

まつぶさに桜ふくらみふく態を禁犯すごとくひとり見てゐる

濁り酒呑みつつこころうごかざる一壺とならむ夜更くるときを

言葉の整え方の底に横たわる精気が身上。

であるから丁寧に詠いつつも軟式短歌に堕していない。好感!


久保田フミエ(春鶯抄しゆんあうせう)2004.11.15〔角川書店〕

<莫連(ばくれん)づれに(なみ)され悔し涙に暮れたり>と男の中の男の歌や 片山貞美氏の歌につけて

銀杏は倍に桐は四十倍となり若葉に見ゆる樹樹の成長

左へひだりへ白梅あゆみ君も歩みそして仰臥の横顔を ゆめ

ここにして故郷の海鳴りきくものかおうーとのみなる(いら)へのことば

ふるさとの鶯山荘の老鶯(うぐひす)よ鳴くなかれ勿れ 法 法 法華経

びつしりと実梅のおもる紅梅にちかよりがたし実のあることの

ひらひらきら小判草のあさみどり碑の漆黒の面に舞ひまふ

大正のお生まれの作家は当頁では稀有。

重ね言葉のスマッシュの冴えをフォローする楽しみが味わえる。精妙!


高木孝(地下水脈)2004.8.30〔北冬舎〕

右サイドミラーにありし束の間を勝手に飛ばしやがれ青春

鼻歌と口笛つかひ分けながら大波小波凌げり今日も

釣糸をぼくは垂らした(此岸から)銀漢綺羅を眺むしみじみ

海はいつも眠ってゐる 潮騒だなんて気取つていふが鼾さ

繊弱なテニス部員が素振りするラケットの網の目をくぐる蚊

静けさに満ちて夜空は涙こぼす流れ星ひとつこらへかねたり

成人式へうようよ ありゃ メーカーの品質保証期限切れたり

この作家は《ねぢ曲がったヘソ》を有つ、とある。短歌に鼻をクンクンと押し付け(実験)、

前足を掛け(挑発)、マウンティングを試み、剰っさえ、マーキングだ。敬意!


後藤由紀恵(冷えゆく耳)2004.12.2〔ながらみ書房〕

「家に逝く」理想に今も日本の女らするどく追い詰めらるる

いつか罰を受ける日がある叱責の声たからかに祖母を射抜いて

この母にありし恋など聴きおればわがうちの鈴ふいに鳴り出す

一人称で生きているような顔をして指紋だらけの銀のドアノブ

傷つける快楽愉楽しんぶんはまっくろの文字でつたえています

母という裸樹となる友のためやさしく吹けよはつなつの風

その喉にかみつきたがる月光をするりとかわし猫のあくびす

《本質》にからんだ心が、対象にまつわって不思議な音を奏でる。

不思議な登場を割り振られた言葉の発見が楽しい。


真中朋久(エウラキオン)2004.7.29〔雁書館〕

遠近は構図にあらず濃淡にこそあるらめ杳き春の山なみ

雨けぶる観覧車にて録音は見えざるものとあれこれと言ふ

腰あかき燕は風にひるがへりひかりに満たされてありし曇天

立ち上がる雲ありころぶ雲もあり南の空に雲がはしれる

ゆるやかに小潮若かすかにも夕刻の海の輝くが見ゆ

己が肉の痛みは世界の中心にあるなればわれは身を折る

曼荼羅の下辺をまはりゐるごとき紀勢本線速度あがらず

「普通の言い方はすまい」という文化的意地・意気・意欲が感ぜられる。

凝視から導かれる成果を大いに称揚したい。


西崎みどり(蒼き夢鉢)2004.12.3〔ながらみ書房〕

猫岳(ねこだけ)の古りたる猫のごとくにや、みやうみやう帰命頂礼の(みゃう)

息のみて虚言を吐きし少女期の幻燈のごとく遠空(とおぞら)やける

(ピッ)” 声残し去る冬の鳥テレビの窓に光るアフガン

竜胆を結界とせし遊び事友は易々越えてゆきにき

のう猫よおまえも無職長椅子に(かたみ)に伸べし身の置きどころ

敗戦に(よりど)崩れしわが国の愛国心のおぼろおぼろや

わが手よりおかかを食べる猫の舌生死(しやうじ)はかくもざらりとしつつ

自在性が本領の作家である。猫もこの作家の重要な持ち物(今風に敢えていえばアイテム)のひとつ。

ひねりの利いた知性が楽しませてくれる。


田村広志(島山)2004.11.10〔角川書店〕

花あやめ百万本の大孔雀しずかに求愛の羽を広げて

五十代なぜ独りかと聞きたがる窮する返答楽しむごとく

淡くれない林檎乙女に添い寝されキウイ野郎なよなよとせる

地のなかはすでにほつほつ春ですよ風がパンジー語通訳しゆく

弱りたる視力の援軍朝夕の赤茄子太郎にんじん次郎

この人はつくづく孤独一羽にてヒマラヤの雪嶺越える鶴より

声もなく焼香合掌しかすがに小中英之さびしもさびしも

諧謔のさびしさを読まされる。第四歌集らしい重み。人間界に注がれる洞察眼には

この分野苦手の頁主も瞠目を促される。べらべらしゃべらない強みをうけとめながら。


晋樹隆彦(秘HIKAKU)2004.9.17〔はる書房〕

いくらかは英語(スピーチ)のできる小さき子のガリバーのごとき背にかくれたり

父母に似ぬチビの留学生旅立ちて一〇〇日あまり木枯らしの吹く

ふるさとの牧場に帰る馬のごとき目をして空港に降りたちし子

(みんなみ)の宮古の島に降りて狐のごときスコールに遭う

父の血はわれに継がれてお人良し酒好き女好きまで似しか

三トンはあろうか春の楽園にまことしやかにシロサイ眠る

こころよき秋の隅田川の橋に佇ち酔いてトンボのごとき我かな

家族詠の影に潜む往年の男影。無頼を経ての半円熟。

荒魂が日常に安置され、親仁どのの面影が紹介される。


吉田純あつし(形状記憶ヤマトシダ類)2004.4.25〔北冬舎〕

蹴り上げる空き缶 青に吸い込まれ自転周期に乗るまでの夢

風いくつ受け止めぬまま通り抜け俺は知らない俺のすき間を

連れ出して逃げてやるのさ停止したPの手前のNOな奴らを

いつまでも俺を睨んでいる月の欠けた部分の暗い苛立ち

固まりてかつは崩れてゆく雲か 秩序しずかにほどかれており

生き様を問われざる罰ひとつだけ花の蕾が開かざること

美しき国語に嘔吐せしわれは規律神経失調症か

特に若い世代が苦手とする知的暴力をするりとやっているのが目を引く。

「俺」という言葉をきちりと使える数少ない使い手でもある。

何を考えているか判らん「器用歌集」でないところが魅力。


大下一真(足下)2004.7.2〔不識書院〕

簡浄に生き得ざる身に百花咲き咲き衰えて緑陰の闇

越えんとし越えざりしことさらさらと夏の小川は流れてゆくよ

戦争を知らぬわれらの鼻唄のような<反戦>を笑いたまえよ

空即是色なる五体を禅堂に坐して朝光を光背こうはいとなす

職業は僧侶と書きて僧侶とは職業なりやと思えり いつも

酔うてなしし歌読み返せばどろどろの性さがあらわなる歌のどろどろ

爛れゆく林檎のごとき臭いする世の一隅に僧は庭掃く

《簡浄》を標語とする端然とした《僧侶》のなかを去来する風物人事。一見、姿勢がそのまま生であり、

生がそのまま歌であるように思いがちであるが、その中に様々の風が吹く。


 斉藤斎藤(渡辺のわたし)2004..25〔Book Park

わたくしの代わりに生きるわたしです右手に見えてまいりますのは

池尻のスターバックスのテラスにひとり・ひとりの小雨決行

おおくのひとがほほえんでいて斉藤をほめてくださる斉藤にいる

勝手ながら一神教の都合により本日をもって空爆します

リトルリーグのエースのように振りかぶって外角高めに妻子を捨てる

シースルーエレベーターを借り切って心ゆくまで土下座がしたい

やなことがあって季節の花が咲き 問1何が咲いたでしょうか

眉ひとつ動かさないでものを言う。或は正を、時折奇を。ここには多く奇を採った。

頁主流に整理すればこれは黄身だ。しかし、黄身は白身という支持体あっての黄身なのである。


東雪(薔薇月夜)2004.8.15〔本阿弥書店〕

わたくしの腑分けがはじまる薔薇月夜 あなたの好きなもの差し上げよう

金と銀の甕かめを抱いて往く君と飲み干す快楽の毒

煉獄ですでに焼かれし骨である 君が愛した私の骨は

ちぐはくな夢を見てゐる二人には深みが似合ふ ゆがみし月の

さびしくはない君がわたしのうえ・した・よこにゐるあひだ 月しろく

真夜中の君はわたしをあはれむか繊きうなじに顔をうづめて

お叱りになつてください空腹でないのに薔薇を食べるわたくしを

恋愛譜。事象の連続の構築は頁主には珍しい。肉の歌を虚しさを伴わせ

ながら綴るという営為は本来、ま正直なのである。


宮田長洋(時の杯)2004.5.15〔短歌新聞社〕

生まれ生まれ生まれ生まれて今日ありと芙蓉真白くわれへ咲きおり

隠し子をもちし教皇ありにけりトリックのごとしカトリックはも

人間はとことん人間蟻は蟻・・・百の席ある茶房は暗し

ぴよと鳴く虫がわが頭ずのなかにいるたしかにいるが気鬱の虫か

忘却に支えられたる東京の殷賑 遮断機のったりあがる

肝炎と言えばいかにも納得す躁鬱病をいぶかる人も

貫禄のない還暦ですみません そんなに見つめて下さらなくとも

躁鬱と著者自らが規定し病院内のスケッチもあるが、独特の切り取り方が本集の身上。

時に諧謔、時にピンポイントの指摘、多様である。


河本惠津子(GIRAFFE)2004.7.15〔短歌研究社〕

上から下へ落ちてばかりいることの組織にもある滝の憂鬱

ねころべば空ばかりなる春の窓われ月ともに昼を角つのぐむ

桜花はなの核ほんのり燃えていたりしか落ちし花びらに紅き筋ある

ほれぼれと入道雲を見ていしが入道雲置き地球は駈ける

冷蔵庫の背を水流るふるさとの蛇へみゆく小川の水の清さに

性愛を越えいだかれてねむるとき男の胸はとおき羊水

きゆるんと首に巻かれしスカーフが声より目より多く語りぬ

決して定石は踏まないのだろう。定石を外すためには定石の知識が要る。よくよく見、よくよく聴いて、

そして考える。よく考えれば、知者の歌い方なのであろうが。


山本淑美(かひあわせ)2004.7.15〔東京四季出版〕

日だまりに落葉はしやぎて冬支度こころ惑ひて哀しみあふるる

マニュキアのピンクに爪を染めてみし四辺静かに夜は更けゆく

ぬけさうな空の蒼さに抱かれて大空を舞台に踊りてみたし

五合目にて見なれし八ヶ岳はるかなり富士は頭上にのしかかるごと

いいちこをろくよんに割る女ありて梅はさみしきグラスの底に

茂みにて音叉のやうに聞こえしは蜂の巣なれる息を止めつつ

銀輪の後部に掛けて秋を行く風と雲とがわれを見つむる

おしゃれなどとひやかしてはならぬか。軽みは生来のものであろう。そうはいっても

明明朗朗のなかにも悲しみがある。知的韜晦であろうか。


 荒川源吾(唖者睡る)2004.4.27〔ながらみ書房〕

卵殻がグシャリと割れる音がして閉ぢ込め置きし記憶ながるる

骨と骨抱くとき鳴れる拗音の谺のごときに安らぎは来る

肉体を手離す時をはかりゐる花も雫もわが子の魂も

むらぎものわが身ひとつを切り裂けばわれにも解けぬ錨沈めり

吾のみが知る異界への道しるべ異端のはしを今日も跳びつつ

闇に研ぐ切つ先ひかり上り来る鬱を刈るべく三日月の鎌

成熟を経ずして落つるものの実のわれの器に響る水の音

一行の詩型磁力を帯びるとき隠れゐし言葉立ちて起こりぬ

凄絶。強力。「異端の端」と自らは限定するが、何の何の。子息との死別、自身の見据え方、

なみなみでない。抄出は寧ろ着実な方に傾いている。勇者はご一読を。


関谷啓子(硝子工房)2004.3.15〔東京四季出版〕

昼顔のなかの大空あすこそは触れんと思う眠りのまえに

葉桜の街をゆっくり描きまわす六月の風わたくしの腕

曼珠沙華を買いきて庭に植えしこと罪のごとしよ 咲きて尚更

散る花はたちまち散りて黒ぐろと骨格あらわな幹が残りぬ

なんとまあ冷たき手紙が届きしよこころ麻痺するまでを読みいつ

指の記憶、貝殻の傷とりとめもなくうち寄せてわれはさざなみ

少年を硝子の棒と思うときひかりは常に喉元にあり

「詩の世界」と「現実」との「通い路」を歌っているのであろう。歌がときどき現実であり、

現実に非現実の「歌」を溶け込ませる。歌が決して「軽微」にとどまっていない。


西勝洋一(西勝洋一歌集:現代短歌文庫)2004.3.1〔砂子屋書房〕

水芭蕉その清浄を唄いつつ少女<おんな>へなだるる迅し

一本の樹となりて見よ すぎゆきをまた継いでゆくけ寒い民度

心地よき眠りあるなよ半島の秋ひえびえと海をみている

まぎれなく<とき>うつろうを虎杖いたどりの群生ぬけて海にむかえり

こころざし述べていく年経たる貌さらして夏の光浴びおり

瀬をはやみ歳月の川ながれつつ遥かに俺の眼に暮れる 村

朝霧のなかに訣れよ 壮年の坂を一気に行かねばならぬ

「コクトーの声」「未完の葡萄」「無縁坂春愁」「サロベツ日誌抄」から。軸のぶれない声が成熟を編む。

純情の亀裂が新鮮である。抄出の一字アケも純情表現のアイテムである。


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