辞世savanna
☆人名サーチの手順;【編集】⇒【このページの検索】⇒人名入力にて
第1野 敗亡賦
埋もれ木の花さく事も無かりしに身のなる果てぞ悲しかりける
源頼政76歳(治承4年=1180=5月26日年宇治川で敗死)
わが恋は三島の浦のうつせ貝むなしくなりて名をぞわづらふ 三島水軍姫大将鶴18歳(天文12年=1545兄越智安成の弔い合戦を陶晴賢に挑み敗死)
討つ人も討たるる人ももろともに如露亦如電応作如是観 大内義隆45歳(天文20年=1551=9月1日 臣陶隆房の攻囲する大寧寺にて)
何を惜しみ何を恨みん元よりもこの有様の定まれる身に 陶晴賢45歳(弘治元年=1555毛利元就との厳島の戦いで敗死)
捨ててだに此の世のほかは無きものをいづくかつゐの住家なりけむ
齋藤道三62歳(弘治2年=1556息義龍と戦い敗死)
春風に梅も桜も散り果てて名のみ残れる箕輪の山里 長野左京介業盛17歳(箕輪城主、永禄9年=1566=9月29日、武田勝頼攻城下自刃)
かねて身のかかるべしとも思はずば今の命の惜しくもあるらむ
朝倉義景41歳(天正元年=1573信長の攻撃に一乗谷城落城)
浮世をば今こそ渡れ武士の名を高松の苔に残して
清水宗治46歳(天正10年=1582=6月4日秀吉の水攻めに高松城より出て水上の屠腹)
我が身今消ゆとはいかに思ふべき空より来りくうに帰れる
北条氏政52歳(天正18年=1590秀吉の攻撃に小田原城落城自刃
晴簑めが魂のありかを人問わばいざ白雲の上と答えよ
島津歳久56歳(天正20年=1592秀吉の攻城に自刃、晴簑とも号する)
***
たとい身は蝦夷の島根に朽つるとも魂はあづまの君やまもらん
土方歳三35歳(明治2年=1869=5月11日箱館戦争で敗死)
動かねば闇にへだつや花と水
沖田総司27歳(明治元年=1868=5月30浅草今戸で病死)
みよや人あらしの庭のもみぢ葉はいづれ一葉もちらずやはある 平野国臣37歳(1864年、幕末生野の変後刑死)
もののふの思ひこめにし一すぢはなな世かくともたゆまざらまし 同
もののふの猛き心にくらぶれば数にも入らぬ我身ながらも 中野竹子22歳(戊辰戦争会津衝鋒隊娘子軍)
風に散る露の我が身はいとはねど心にかかる君が行く末
丹羽一学46歳(二本松藩家老 1968年=慶應4年、戊辰戦争落城時)
雲水の行衛はいづこむさし野をただ吹くままにまかせたならん 但木成行52歳(仙台藩家老、明治2年=1869=5月29日世良修蔵斬殺により刑死)
上衣はさもあらばあれ敷島や大和錦を心にぞ着る
西郷隆盛51歳(西南戦争で敗死 明治10年9月24日)
大砲の音を虫にも聞きなして雲井に高き月を見るかな
桐野利秋40歳(同日)
君がため都の空を打ち出でて阿蘇山麓に身は露となる
佐川官兵衛46歳(旧会津藩士、西南戦争下、怨敵薩軍を攻めるもその反撃に戦死)
国を思ふ人こそ知らめ大丈夫が心尽くしの袖の涙は
江藤新平41歳(明治7年佐賀の乱後刑死)
討たれたる吾をあはれと見ん人は御国のためにつくせ真ごころ
前原一誠43歳(明治9年12月萩の乱後刑死)
散ればこそ別れもよけれ三芳野や散らすは萩の名残りなりけり
宮崎車之助42歳(明治9年10月秋月の乱にて敗北自刃)
第2野 将軍家・戦国武将のお手並み
藻塩草あまの袖じの浦波にやどすも心有明の月
足利義尚35歳(室町幕府9代将軍)
さみだれは露か涙かほととぎす我が名をあげよ雲の上まで
足利義輝29歳(同13代将軍)永禄8年5月
悲しまじ悦びもせじとにかくに終には覚る夢の世の中
徳川家光47歳(徳川幕府3代将軍)
****
極楽も地獄もさきは有明の月の心にかかる雲なし
上杉謙信49歳(天正6年 春日山城)
曇りなき心の月を先立てて浮世のやみを照らしてぞ行く
伊達政宗70歳(寛永13代年=1636天寿)
思ひおく言の葉なくてつひに行く道はまよはじなるにまかせて
黒田如水59歳(慶長9年3月20日 大宰府)
なかなかに世をも人をも恨むまじ時にはあはぬ身の科にして 今川氏真76歳(1614年 天寿)
悔しともうら山し共思はねど我世にかはる世の姿かな
同
第3野 剣魂歌心 兵法者の旅立ち
いづくにか住やはてむと思ひしにみのおはりにぞゆきとまりぬる 田辺八左衛門長常(行覚流槍術、漂白後晩年美濃尾張徳川義直に仕える)
うけゑたる心の鏡影清くけふ大空にかへるうれしさ
男谷精一郎信友66歳(1864年 直心影流)
世の中はただ春の夜の夢なれや富も誉れもいかにとやせん
秋山要助(幕末 神道無念流)
米寿越え身を横たえつ盛上る日本武道の弥栄寿ぐ 中山博通89歳昭和33.12.14(夢想神伝流)
第4野 赤穂事件始末
1703年=元禄16年2月4日に切腹した赤穂浪士ご一同の辞世全編
梅で呑む茶屋もあるべし死出の山
大高源五忠雄32歳
極楽の道は一筋君と共に阿弥陀を添へて四十八人
大石主税良金16歳
地水火風空のうちより出し身のたどりて帰る本のすみかに
早水藤左衛門満尭40歳
忠孝に命を捨つる武士の道矢たけ心の名をや残さん
堀部安兵衛武庸34歳
先立ちし人もありけりけふの日を終の旅路のおもひ出として
間瀬久太夫正明63歳
かねてより君と母とに知らせんと人より急ぐ死出の山道
原惣右衛門元辰56歳
命にも易かえぬ一つを失はば逃げ隠れても此を遁れん
村松喜兵衛秀直62歳
君がため思ひぞ積る白雪を散らすは今朝の嶺の松風
吉田忠左衛門兼亮64歳
天地の外にあらじな千種よりもと咲く野辺に枯れると思へば
茅野和助常成37歳
まてしばし死出の遅速はあらんともまつさきかけて道しるべせん
横川勘平宗利37歳
武士の道と斗ばかりを一筋に思ひ立ちぬる死出の旅路に
潮田又之丞高教37歳
今ははや言の葉草もなかりけり何のためとて露むすぶらむ
小野寺十内秀和61歳
草枕むすぶ仮寝の夢覚めて常世にかへる春の曙
間喜兵衛光延69歳
終にその松にぞ露の玉の緒のけふ絶えて行く死出の山道
間十次郎光興26歳
思ひ草茂れる野辺の旅枕仮寝の夢は結ばざりしを
間新六光風24歳
補遺
うつつとも思はぬ内に夢さめて妙なる法の華にのるらん
小野寺十左衛門秀和妻女 丹(十左の七七忌に絶食死)
晴れゆくや日頃心の花曇
萱野三平重実28歳(元禄15年1702年1月14日義理により自刃)
第5野 水戸天狗党残詠
勇ましく散るべかりかり世の人に惜しまれてこそ桜なりけり 塙又三郎19歳1864年(元冶元)9月(横浜襲撃前に自訴刑死:切腹)
みちのくの山路に骨は朽ちぬともなほも護らむ九重の里 田中愿蔵20歳1864年(元冶元)10月16日久慈河原で刑死
咲く梅の花ははかなく散るとても馨りは君が袖にうつらむ 武田耕雲斎62歳1965年(慶応元)2月4日刑死
兼ねてより思ひ染めにし言の葉を今日大君に告げて嬉しき 藤田小四郎24歳水戸藩士1965年(元治2年)2(月4日敦賀にて闘死
手筒山みね吹きおろす春風にますらたけをが髪さかだちぬ 川上清太郎水戸藩士1965年(元治2年)2(月4日敦賀にて闘死
思ひきや野田の案山子の武の引きもはなたで朽ちはてむとは 松平大炊守頼徳1864年(元冶元)10日2日水戸にて刑死:切腹
草の葉におく露よりも脆き身の君が千歳を祝ふはかなさ 水野哲太郎信順62歳1864年(元冶元)10日25日水戸にて刑死
第6野 大和天誅組残吟
吉野山風に乱るるもみぢ葉はわが打つ太刀の血煙りと見よ 吉村寅太郎26歳土佐浪士1963年(文久3)8月26日高取藩との戦闘で闘死
君ゆゑに惜しからぬ身をながらえていまこのときに遭ふぞうれしき 那須信吾34歳土佐浪士党切手の強豪とされる1963年(文久3)9月224日党彦根藩との戦闘で闘死
消えぬともその名や世々にしらま弓引きて帰らぬ道芝の露
水郡善之祐(1963年(文久3年)刑死
第7野 桜田門外の変残魂
君がため我が里いでて武蔵野に紫にほふ花とちらなん
佐野竹之介21歳(水戸浪士、安政7年=1860年=3月3日、闘死、井伊直弼暗殺最強とされた、元小姓)
鳥が鳴く東健夫の真心は鹿島の里のあなたとぞ知れ
高橋多一郎47歳(水戸浪士、安政7年=1860年=3月3日、自刃)
今更に何をか言はむいはずとも尽くす心は神ぞ知るらむ
高橋庄左衛門19歳(水戸浪士、安政7年=1860年=3月3日、自刃、多一郎の息)
君が為思ひ残さむ武士のなき人数に入るぞうれしき 森山繁之介27歳(水戸浪士、文久元年=1861年=7月26日、刑死)
いたづらに散る桜ともいひなまし花の心を人は知らずに
金子孫二郎58歳(水戸浪士、文久元年=1861年=7月26日、刑死)
今更に云ひがひもなき我国のかたきなりけりから国の船
杉山弥一郎38歳(水戸浪士、文久元年=1861年=7月26日、刑死)
ふるさとの空をし行かばたらちねに身のあらましを告げよかりがね
岩金もくだけざらめや武士の国のためにと思ひ切る太刀 有村次左衛門23歳(薩摩藩士、安政7年=1860年=3月3日、自刃)
咲きかけしたけき心のひと房は散りての後ぞ世に匂ひける 井伊直弼46歳(彦根藩主、大老、横死前日の絶詠)
よは寒くなりまさるなり唐衣うつに心のいそがるるかなん
太田黒伴雄42歳(首魁、明治9年=1976年=10月24日自刃)
うみの子のあらむかぎりは皇国の御為になれようみの子の末
鬼丸競39歳(明治9年=1976年=10月24日自刃、第2隊)
皇国の行くへもとはで世の人はやすけき御代とただ思ふらめ
阿部景器37歳(明治9年=1976年=10月24日自刃、第2隊)
国のためつくししかひも荒波のあとはくだけて消ゆるはかなさ
松井正幹37歳(明治9年=1976年=10月24日自刃)
不知火のつくしにつくす真心は神ぞ知るらむわが国のため
浦盾記30歳(明治9年=1976年=10月24日自刃、第1隊第5部長)
もろともに君の軍にいざ立たむこころの駒に鞭を加へて
松尾葦辺29歳(明治9年=1976年=10月24日自刃)
真心をそめつくしけむもみぢ葉とともにちりゆく大丈夫われは
楢崎楯夫26歳(明治9年=1976年=10月24日自刃)
大丈夫が千度百度いきかへりなほ大君の御代をまもらむ
沼沢広太23歳(明治9年=1976年=10月24日自刃)
たらちねの二人の親をふりすてて立ち出る心神や知るらむ
友田栄記20歳(明治9年=1976年=10月24日自刃)
むかしより春ごとに咲く桜花散らずばなどか人の惜しまむ
渡辺只三郎20歳(明治9年=1976年=10月24日自刃)
やまとなる神のみかげに存へて今日よりのぼる天のうき橋
加々見十郎40歳(明治9年=1976年=10月22日自刃、古楽の名手)
第9野 二重唱
故里はこよひばかりの命とも知らでや人のわれを待つらむ 菊池武時42歳(鎮西探題館に赤橋英時を攻め敗死1333年=元弘3年3月13日)
故里もこよひばかりの命ぞと知りてや君がわれを待つらむ
同妻女(夫戦死の報に即日自害)
夏の夜の夢路はかなき跡の名を雲井にあげよ山郭公ほととぎす
柴田勝家62歳(北ノ庄城主、織田信長の攻撃に落城1583年=天正11年1月22日)
さらぬだに打ちぬるほども夏の夜の別れをさそふ郭公かな
同妻女37歳(いわゆるお市の方)
朧なる月のほのかに雲かすみ晴て行衛ゆくえの西の山の端
武田勝頼37歳(1582年=天正10年3月11日・天目山にて滝川一益の急襲に敗死)
黒髪の乱れたる世ぞはてしなき思ひに消ゆる露の玉の緒
同妻女(実家への絶筆)
いまはただうらみもなしや諸人の命にかはる我が身と思へば
別所長治22歳(三木城城主、羽柴秀吉の攻撃に落城 1580年=天正8年1月17日)
もろともにはつる身こそはうれしけれおくれ先立つならひなる世に
同妻女
うつものも討たるるものもかはらけよくだけて後はもとの土くれ
三浦導寸65歳(1516年=永正13年7月11日・北条早雲包囲する三浦新井城にて自刃)
君が世は千代も八千代もよしやただうつつのうちの夢のたはぶれ
同子息義意(同日自刃)
六道の道のちまたに待てよ君後れ先立つ習ひありとも
武蔵坊弁慶(実在した人物とは思えないが、「義経記」にはこうあるそうな)
後の世も又後の世も廻り会へ染む紫の雲の上まで
源義経30歳(文治5年=1189年 藤原泰衡の急襲に衣川館にて自刃)
おもしろきこともなき世におもしろくすみなすものはこころなりけり 高杉晋作28歳(慶應3年=1867病死上句高杉の意を汲んで野村望東尼が下句を補ったとされる)
手をとりて共に行きなば迷はじよいざたどらまし死出の山道
西郷瀑布子13歳細布子16歳(慶應4年、鶴ヶ城落城時会津藩家老西郷頼母次女長女)
皇国の行くへもとはで世の人はやすけき御代とただ思ふらめ
阿部景器37歳(明治9年=1976年=新風連に決起、10月24日自刃)=再掲
散待てしばし吾も大和の女郎花などなき国の粟をはむべき
安部景器妻女イキ子32歳(明治9年12月28日神風連の乱後夫と共に自刃)
第10野(Questions辞世・年齢・作者〜1)
以下は、山田風太郎さんの力作「人間臨終図巻T」の前から順の全数抜書き。表記は同書による。年齢は死亡(推定)年から出生(推定)年を単純に引いたものであるという。その年齢を書きますので、誰のものか考えてみてください。
1.返らじとかねて思へば梓弓亡き数に入る名をぞとどむる(22歳)
2.いでいなば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな(27歳、不慮の死の当日)
3.夜嵐にさめてあとなし花の夢(28歳)
4.身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬともとどめおかまし大和魂(29歳)
5.魁けてまたさきがけん死出の山まよひはせまじすめらぎの道(33歳、不慮の死の当日)
6.風さそう花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとかせん(34歳)
7.糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな(35歳、この翌未明死去)
8.かぎりあれば吹かねど花は散るものを心みじかき春の山風(41歳)
9.八十里腰抜け武士の越す峠(41歳)(「越(後)」抜けの意も含む)
10.君のため捨つる生命は惜しからでただ思はるる国の行末(45歳)
11.世の常のわが恋ならばかくばかりおぞましき火に身はや焼くべき(45歳)
12.散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐(45歳)
13.野山花咲くころは朝な朝な心にかかる峰の白雲(47歳)
14.不生不滅明けて三羽の鴉かな(50歳)
15.腹いたや苦しきなかにあけ烏(52歳)
16.きのふまで莫妄想まくめうしうをいれをきしへまむしぶくろいまやぶれけむ(54歳)
17.これでよし百万年の仮寝かな(54歳)
1.楠木正行
2.源実朝
3.夜嵐お絹(明治、殺人犯 本名原田キヌ)
4.吉田松陰
頁主注;松陰刑死の直前の詠草は別にある。
此の程に思ひ定めし出立はけふきくこそ嬉しかりける(「く」に付された傍点は推敲のためという。よって未完)
5.清河八郎
6.浅野内匠頭長矩
7.正岡子規
8.蒲生氏郷
9.河井継之助
10.大村益次郎(長井雅楽の作品を転用したという)
11.有島武郎
12.三島由紀夫
13.新島襄
14.秋山真之
15.山岡鉄舟
16.太田道灌
17.大西滝治郎
第11野(自死憤刃)
むかしより主を内海の野間なれば恨みを見よや羽柴筑前 織田信孝25歳(信長三男、秀吉の教唆、信雄の勧告による無念腹。1583年=天正11年)
阿修羅王にわれ劣らめややがてまた生まれて取らむ勝家が首
竹股秀重(魚津城家臣、1582年=天正10年6月、柴田勝家に肉薄するも討ち得ず自刃)
わんざくれふんぞるべいか今日ばかり明日は鴉がかつかじるべい 山中源左衛門(旗本奴大番組、不行跡の廉 1645年=正保2年11月8)
気の詰まる娑婆にながなが居たくない地獄の庭に所替へせん
水野十郎左衛門成之(旗本奴神祇組頭領 不行跡の廉1664年=寛文4年3月27日)
落とすなら地獄の釜を突ん抜いて阿呆羅刹に損をさすべい
同
風の前の燈火なれや十郎左消えたよ水の阿波の屋敷で
同(切腹の地が蜂須賀阿波守邸であった)
腰抜けといふた伯父めくそくらへ死んだるあとで思ひしるべし 野村源左衛門(小城鍋島藩士、遊興軟弱を誹られての無念腹)
さはがしきこの雲風はいつはれてさやけき皇の御世となるらむ 高山彦九郎正之46歳(寛政の奇人/ 世に功なきを愧じ屠服1793年=寛政5年6月27日、)
飛鳥川きのふにかはる世の中のうき瀬に立つは我身なりけり
国司信濃23歳(長州藩家老 元冶元年=1864=11月第1次征長時)
きのふみし夢は今更引きかへで神戸が宇良に名をやあげなむ
滝善三郎正信31歳(岡山藩士1868年慶應4年2月26日、堺事件(仏人との銃撃戦の引責
として英仏米蘭仕官立会いの前にて11名が割腹、西洋人にハラキリを印象づけたとされる)
大空を照りゆく月や知らすらん君が為にと尽くす心を 堤松右衛門(長州藩士1868年文久3年3月7日、横井小楠暗殺未遂後屠腹)
守る有るか無きかは白露の置き別れにし撫子の花 間崎哲馬30歳(土佐藩士1868年文久3年6月8日、容堂による問責、妻亡く、2歳女児あり)
いきかはり死にかはり来ていくたびも身をいたしなむ君の御ために 川路左衛門尉聖謨68歳(勘定奉行兼海防掛、日魯修好条約締結、)
二荒やま神もあはれとみそなはせつゆのこの身もつくす真ごころ
慶應4年=1868=3月15日、江戸城開城に際し小砲にて自殺)
なよ竹の風にまかする身ながらもたゆまぬ節はありとこそ聞け
西郷千重子(会津藩家老西郷頼母妻)34歳、1968年=慶應4年、戊辰戦争落城時、懐剣にて)
あいづねの遠近人に知らせてよ保科近憲今日死ぬるなり 西郷頼母(後年、妻子に死に後れた形の不本意な天寿)
第12野(Questions辞世・年齢・作者〜2)
再び、山田風太郎さんの「人間臨終図巻U・V」から。
18.磯の鮑に望みを問えばわたしゃ真珠をはらみたい(58歳)
19.東道の筆を残して旅の空西のお国の名どころを見ん(61歳)
20.聾みみしひて聞きさだめけり霧の音(61歳)
21.露と落ち露と消えぬるわが身かな浪花のことは夢のまた夢(62歳)
22.此世をばどりやおいとまに線香とともについには灰左様なら(66歳)
23.しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり(67歳)
24.死も寂びし生くるも寂し寂しさの果つべくもなく老いてゆくなり(67歳)
25.人の世は風に動ける波のごとそのわだつみの底は動かじ(68歳)
26.わが道はつねに吹雪けりさりながら(70歳)
270.いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるらしも(71歳)(厳密には辞世ではないが大家の最後の作)
28.うらを見せおもてをみせて散るもみじ(73歳)(恋人の呉れた歌に返して咄嗟の借用句)
29.ほととぎす鳴きつるかた身はつ鰹春と夏との入相の鐘(74歳)(死ぬ3日前の絶筆)
30.思ひおく鮪の刺身鰒汁ふぐとじるふつくりぼぼにどぶろくのあじ(75歳)
31.見晴るかす山の頂/梢には風も動かず/鳥も鳴かず/待てしばし/やがて休むらん(75歳)
32.うきこともうれしきことも過ぎぬればただあけくれの夢ばかりなる(80歳)
33.世の中のやくをのがれてもとのままかえすは天と土の人形(81歳)
17.ひと魂でゆく気散じや夏の原(89歳)
18.水に沈んだ月かげです/つかの間うかぶ魚影です/言葉の網でおいすがる/万にひとつのチャンスです(89歳)
18.黒岩涙香
19.安藤広重
20.三遊亭円朝
21.豊臣秀吉(代作という)
22.十返舎一九
23.与謝蕪村
24.橋本欣五郎(戦前の国粋主義指導者)
25.東郷茂徳(太平洋戦争時の外相、戦後病死)
26.高群逸枝(戦前の女性史研究者)
27.齋藤茂吉
28.良寛
29.太田蜀山人
30.新門辰五郎(江戸町火消)
31.西田幾太郎
32.尾形乾山(江戸入谷の陶工)
33.滝沢馬琴
34.葛飾北斎
35.堀口大学
第13野(拾遺)
志の人
散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ
細川ガラシャ38歳(慶長5年=1600=自死)
提ぐる我が得具足のひとつ太刀今この時ぞ点に抛つ 千利休69歳(天正19年=1591年=刑死)
乾坤の手をちぢめたる氷かな 平賀源内51歳(安永8年=1779年=獄死)
寒紅は無常の風に誘はれて含みし花の今ぞ散りゆく (飛騨)
振り上ぐる刃の下は浄土にて夢さめて見ればもとのふるさと 同
常盤木と思うて居たに落葉かな 同
君がため尽くす命は水の泡消えにし後は澄み渡る空
岡田以蔵(慶應元年=1865年閏5月10日 獄死)
雲水の流れまどひて花うらの初雪と我ふりて消ゆなり 野村望東尼61歳(慶應3年=1867=11月7日三田尻で客死)
今日にかけてかねて誓ひし我が胸の思ひを知るは野分のみかは 森田必勝25歳(1570年=昭和45年11月25日 市谷事件の三島由紀夫介錯人)
*文の人
願はくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ 西行73歳(1190年2月16日)辞世と伝えられるが実際の制作は逝去の10年前という
今まではひとのことだと思ふたに俺が死ぬとはこいつたまらぬ 太田蜀山人74歳(本頁別項あり)
木枯やあとで芽をふけ川柳 柄井川柳72歳(1790年)
心から雪美しや西の雲 小杉一笑(江戸期、加賀の俳人)
花七日人も七夜のひとながれ
加藤雀庵79歳(俳人・狂歌師1905年=明治8年12日10日)
香やひらき法とく鳥のきらびやか(回文)
重田梧山(俳人・回文句集「青海波」著者1733=享保18年3日)
生にほこり死にほこりて現身のわが尊さを行き徹してむ
齋藤瀏74歳(1953年=昭和28年7月5日病没)
モガリ笛いく夜もがらせ花に遭はん
檀一雄63歳(1975年=昭和50年12月28日)
*
芸の人
妙々々妙なる法に生まれ来てまた妙々に行くぞ妙なる 長谷川不白90歳茶道不白流創始者(文化4年=1807)
露をだにいとふ倭やまとの女郎花ふるあめりかに袖はぬらさじ 喜遊17歳(1862年、横浜岩亀楼にて米人を拒み自刃。伝説上人物ともいう)
まだ足りぬ踊り踊りてあの世まで
(6代目)尾上菊五郎63歳(昭和24年=1949=年7月10日)
あの世にも粋な年増がゐるかしら 三遊亭一朝84歳(2代目円楽昭和10年=1925=1月17日)
*商の人
つらいつらい花も紅葉もなきぞよき
伊藤白歳(1792年=寛政4年6月2日実兄の天才画家伊藤若冲に
家業の青物問屋を押しつけられたことへの反発ともいわれる作)
望みつつ心安けし散るもみじ理知の命のしるしありけり 山崎晃嗣(1949年=昭和24年11月25日23時48分55秒服毒
貸借表すべて精算カリ自殺(精算はママ) 「光クラブ」経営者。三島由紀夫の「青の時代」モデル)
*酒の人
南無三宝あまたの樽を呑干して身は空樽にかへるふるさと 茨城春朔58歳(1671年 医師、仮名草子作家=別名地黄坊樽次、不養生死)
第14野(大戦遺録)
教へ子は散れ山桜此のごとくに 関行男23歳(1944年=昭和19年10月25日、初出撃 神風特攻隊敷島隊 1番機)
身は軽く務め重きを思ふとき今は敵艦にただ体当たり 谷暢夫20歳(同2番機)
南海にたとへ此身は果つるとも幾年後の春を想へば
長峯肇19歳(同4番機)
国民の安きを祈り吾は征く敵艦隊の真只中に 森茂士20歳(神風特攻)
神風を翼に享けての必殺のわが体当りいかで狂はむ 鷲見敏郎24歳(神風特攻)
風も凪ぎ雨もやみたりさわやかに朝日をあびて明日は出でなん 木村久夫28歳(京大より応召・わずか上等兵の身でシンガポールで戦犯刑死)
敵の地に深く入りける艦内にふくささばきの音の静けさ 特殊潜航艇乗員詠み人不詳(シドニー湾にて出撃前茶会)
たとえ身は千々に裂くともおよばじな栄えしみ世を落とせし罪は 東條英機65歳軍人・政治家刑死
矢弾尽き天地染めて散るとても魂遷り魂遷り皇国護らん 牛島満57歳((昭和20年6月22日、自刃軍人陸軍中将・沖縄司令官)
いさかひは浮世の常ぞ正しくばほほゑみてゆけ我は父の児
川島芳子41歳(1948年=昭和23年3月25日、刑死)
海軍予科練生苦渋の諧謔
七洋よ桜花飛び込む水の音 鈴木才司23歳(昭和20年=1945年=4月14日、西南海域にて歿)
丹心赤褌黒丸一家の殴り込み 光石昭通(昭和20年=1945年=4月16日、神風特攻)