FUKI
BLACKPRINCE
硬式短歌という提案
E,E&E
Edge Enery Eagerness
Togari Riki Kihaku
ファイナルファンタジー/初冬清々霜の色 (ごあいさつ) しばらく休んでおりましたが、先ごろ再開いたしました。 気がついたらほぼ2年のブランク、 Twitterとblogの時代に、この姿は無用の長物、 ずっと閉めようかと思っていたところ うら若い方から「全然更新されていないんですね」と通信を頂き、 ならば、という次第で、勇躍、されどじっくり再開します。 2020.11.4 |
⇒2000〜2003年刊行歌集新作 ⇒ケモノ道=わたくしの新作 おやすみ ☆☆☆☆七宝の輝き☆☆☆ 2020年12月11日掲載 『白杖と花びら』 □苅谷君代(かりや・きみよ) 2020.8.28.ながらみ書房 近10年間の作という。 「あとがき」に「この十年のあいだに私の視力障害は、さらに進みました。」とある 「常に白杖を携帯し、ガイドやヘルパーさんや、 家族、友人と外出するようになりました。」とも。 この一巻には、どこのページを開いても「よくよく考える」態度に満ち満ちている。 さびしさもしそれからの立ち直りもよくよく共感できるのはそのためであるにちがいない。 ▽ 真つすぐに前を見つめて生きてゆく私は柊の花が好きです 〇・〇一視力があればまだ出来る己が手に編む歌集を作る 白杖の先に桜の花びらが張り付きてをりそのまま歩く 山姥はいつも孤りのものがたり語らふは風、闇、それだけで さびしさをまる洗ひして干す日なりぱん、と叩きてまた纏ふため 眠つてゐる父とは違ふ父の顔みな覗きこみ「よき顔」といふ 我武者羅に本を読みたる日は遠く本棚は遺跡のやうに静まる (1) 真っすぐに前をみつめる柊をまっすぐに見つめる。主体と客体が同値。すがすがしい。 (2) しっかりした述志。これほど意識的に編まれる歌集は強靭である。 (3) これほどの自然体はない。突かれた桜がそのままついてくる。美しい自然体。 (4) 山姥の側に立ち凍て見ている。この淋しさは、世の人も紙一重、鋭い洞察。 (5) 「さびしさ」を「また纏ふ」という。これぞ人生「ぱん」の切り替えが切なくも小気味よい。 (6) 父君の死。尊顔への実感に寄せ切った静かな愛情の歌。 (7) 嘗ての日々に大いに果たした読書。書斎でのしみじみとした回顧。 「書くことよりも読み返す方が大変」とある。 苦心の果ての一巻の完成はクロスカントリーのゴールイン。 あとがきもまた多くの方への謝辞で結ばれている。 苅谷さんは「塔」のメンバー、本著はその第五歌集である。 2020年12月7日掲載 『最後の夏』 □関谷啓子(せきや・けいこ) 2020.8.11.本阿弥書店 近9年間の作という。 日常の、自身の、周辺の、機微に分け入っている。 自身の心裡、事物への思い入れ、皆々関谷さんとそれぞれに深く絡み合っている。 「最後の夏」は母堂とのお別れの夏、母のそして母との関係の描写は美しい。 ▽ 金魚掬いしているような一日を手紙一通書きて終らす 幼子の病む病院へいそぎゆく行けども行けども風の中なり 水溜りに映る空ごと飛び越える犬の力を驚きて見つ 大空の一大事なる夕焼けをながくみており母と別れて 柔らかき桃をナイフに切り分けて母娘の密なる時間たのしむ 実家という大きな箱を失いぬ母居なければ風ふくばかり 人の悪口言った先から崩れゆく夏雲はいまわたしのこころ (1) やや閉塞的ながらいくばくかの夢もある日々のアクセントは一通の手紙。「終らす」が切ない。 (2) 「いけどもいけども」は迫真。道のりの長さ、時間の速さが苦しい。 (3) 犬の仕種に意外な発見。説得される。 (4) 空にとっては夕焼けは「一大事」、確かにそうに違いない。こちらも説得される。 (5) 母とのたいせつな「密なる時間」。動作に実感が滲む。 (6) 喪失感が滲む。母の喪失は家の喪失にほかならない。 (7) 雲の変幻に心の綾を投影する。「言った先から」は動きの中に静止が見えるよう。 心の動きが動的にとどめられている。 まさに人生の航跡。 その航跡はゆるやかにして温かい。 関谷さんは「短歌人」所属、本著は『梨色の日々』につづく第6歌集である。 、 2020年11月19日掲載 『玄牝(げんぴん)』 □高木佳子(たかぎ・よしこ) 2020.8.25. 角川書店 近9年間の作という。 全編に福島の現状、それが高木さんの内なる有様としてあふれる。 震災後も福島に全霊で吸着しての、該地への宿命的な愛がみなぎる。 ここでの郷土愛は静的なものではない、あくまでも動的な今日的な意義にまつわるものである。 「玄牝」、何とも難しい語だがこれは末尾に。 ▽ 蛇のその更新を見終はりて立ち上ぐるときわが眩みゐき 生けるもの皆みづからを負ひながら歩まむとするこの砂のうへ にくきほど海は光りぬ忘却のうすくれなゐの浜のひるがほ この沖におのれの流れ持つといふ潮目の深くふかく争ふ あなたのいふ「人の住めない処」に住みれば何やらわれは物の怪のやう いまを咲く連翹の黄はその枝を腕となして福島を抱け 生れしめむと身をよぢるとき重たかる胞衣も生みゆく玄牝 (1) くちなわの脱皮を「更新」と見做し、「さまがわり」への予感と期待を立ち昇らせている。 (2) この地のこの砂上をこの地の人は自らの生を負うて生きる。内的な観察が鋭い。 (3) 海にはぬぐいきれない感情がある。可憐な花が咲いても。 (4) 暖流と寒流の鬩ぎは海中深くで争うという。海に意思を見とおしている。 (5) 他者のみる「われ」に表面はともあれ内面がさわだつ。 (6) 連翹の黄に救いを求める視線が切ない。著者の武装が珍しく解かれていて。 (7) 「産みの苦しみ」が正確にかつ抽象化を帯びて現前される。「胞衣も生みゆく」が凄絶。 主題たる「玄牝」は隠微ながら、高く尊く激烈である。 出典は『老子』という。後記には、 「玄牝とは原初の世界であり、万物を生む母である。女の陰門は豊穣も混沌も、あらゆるものを生む」とある。 高木さんは「潮音」所属、本著はその、大気を震わす第二歌集である。 2020年11月14日掲載 『「濱」だ』 □浜田康敬(はまだ・やすゆき) 2020.8.25. 角川書店 図抜けた痛快編、体表・内臓の「自己認識」の銀鱗が躍る。 「あとがき」に 「こんな歌人も居たんだな、とのやさしい目持ちでこの歌集を読んで頂ければありがたい。」とある。 どことなく、幸若の、「しのび草にはなにをしよぞ」の一節が重なる。 この含羞漂う男舞、瞬く間に七宝があふれる。 ここでもまた、「烈士暮年」の夕照が、雲を引き立てている。 ▽ いたずらで煙草は吸うがいたずらで酒のみしことわれにはなかりき ことばより先に手が出た必然を正論として我は殴りし われのことすこし美化され語らるる本来「美」とは無縁なるわれ 黒南風も白南風も訓としては識るが体感的にはただの南風 通常は「浜」という字を使うなり然れども戸籍の本字は「濱」だ ふと見たる鏡のなかのわが姿が瞬時身構う 何の身構え 釧路には何もなけれど役場にはわが出生届確と在る筈 (1) 腕白時代の尾を引く中にもひとすじの美学を詠いこんでいる。 (2) 止むにやまれぬ男の世界、長けてますます壯んとぞ。勢いあまって詭弁めくにが好ましい。 (3) 含羞びんびん。いささか恃むところが滲み出ている。 (4) 知識は知識として、肉体的には無粋を生きる、のだろう。 (5) 昔からそうと判っていたアイデンティティをにわかに解き放つ。結句はまさに秀峰。 (6) 身についてしまった「身構え」、思えば俺は戦い続けてきた。 (7) わが身の原点は釧路、これもアイデンティティの再認識。 「破顔一笑」というが、さまざまな表情を破っての強笑もある。 よくよく判り頷くのであるが、到達しがたい境地もありそうである。 険阻な男岳は遠見に良く踏破も愉しい。 浜田さん釧路市生まれ宮崎市在住、これは11年ぶりの第六歌集である。 2020年11月6日掲載 『醜の夏草』 □大山敏夫(おおやま・としお) 2020.9.4. 現代短歌社 著者曰く「歌集名『醜の夏草』には簡単に言えば「草魂で頑張るぞ」というような思いを籠めてある。」と。 一望して、当今、まことに使いにくい形容詞をとりだして使えば「まことに男っぽい」響きが漲る。 大山さんの歌にははっきりとした「性自認」がある。 異性への憧憬や師の若さへの喝采を、 “暮年”に立ち至った目で捉え直した「たおやかさ」と「雄渾」の対比も美しく描かれている。 ▽ ひよつとして十代の日の燻りかこの愛恋の情はしけやし ほととぎすも秋明菊も水引も抑へきれざる草のいきほひ 先生十代二十代にあたる歌読めば「し」の誤用にもみなぎらふ力 花はおほむねをみなにあればまぶしみてあふぎみるときをのこのこころ かをりつつ盛り上がり咲くはなのうへ緑に暮れてゆく空がある 排気ガスあびて泥など乾びたる茎葉ふとぶと醜の夏草 掻き混ぜて回して捏ねてぱちぱちと粘ればまこと男らしきよ (1) は異性への憧憬とともに自己回顧による自己愛が切ない。 (2) 本集の通底音たる「草のいきほい」を真っ芯でとらえている。 (3) 先生の若き日を、こう見る境地になって、なお、敬意を新たにする。 (4) 異性の相も変わらぬ純情。 (5) 前作の発展形。下句を「男ごころ」と読み取りたい。 (6) これぞ「草魂」、「述志」である。 (7) 納豆の歌の一連の冒頭。あるいは心中の「男像」か。 曹操は言った「烈士暮年壮心已まず」と。 好漢、見事に「暮年」を詠ずる。 大山さんは「冬雷」の編集発行人。本著を追うように次集『朝昼夜』を上梓している。 |
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11−3.ぶち抜ける歌群或いはEEE短歌十番譜・短歌はどこまで尖りうるか(
11−2.石川恭子十番譜或いは白月・黒月抄(完)(2006.11.6)
11−1.高瀬一誌十番譜或いは高瀬一誌走犀灯(完)(2006.7.8完)
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