demon“現代短歌出門”

現代短歌出門

20016.9)

「小判」がお判りになりますまいから、猫・臆病者・歌畜・揉み手野郎・ぼけなすは絶対にお帰り下さい)

 

§1.出門の意義

入門という呪縛(1)

 

これまでに、実におびただしい短歌の「入門書」が出ている。こういう著名を堂々と掲げる著者の僭越さも信じがたいが、どうもそういうことを後人に告げたい気分になる時期があるらしい。また、そういう反面で、手っとりばやく黒帯を手にしたいとするいわゆる初心者なる人も少なくなく、そういう軽率な読者のためのマーケットに眼をつける商売人の眼からみれば産業上の事情もあるのだろう。

ちなみに島田修三によれば一人前の短歌が作れるのは真面目にやって3年というから、ほぼ空手道の黒帯までの修行期間に相当する。これを「飛び級」させて早めに整えるのが「入門書」なのであろう。

ところで、わたくしだって、短歌の入門書の存在を全く認めないというわけではない。が、確実に「害」はある。つまり、「べし」「べからず」の列挙で、あたら新しい素材を、変な型に押しこまないでほしいと、これは切に思うのだ。入門書は必要だ。そう、蕎麦を吸い込む前に、さっと浸けるたれのような程度に限定して。

逆に短歌の入門書の恐ろしさは初期に強烈な「刷り込み」をやってしまうことである。この著述の性質上、論難は避けるが、次回以降のわたくしの「現代短歌出門」によって、その疑問点は反転されたかたちで、表わされるはずだからである。

ところで、「短歌塾」などという正に噴飯ものの本を見たことがある。どういう了見ですかねえ。論外の外の外の外の外の外。醜悪の極みだ。

(2000.2.11)

 

入門してもすぐ出よう(2)

 

「入門書」の意図するところは、そもそも伝統と古式、あるいは歌壇主流へに近づくためのマニュアルの開示である。この姿勢が、度を過ごしたりあるいは徹底すればするほど、その内容伝統その他前掲項目への隷属となることは疑いない。

そういうことが狙いである「入門書」に唯々諾々と従って既成の作品群に取り込まれることを大切と考える凡凡君はいざ知らず、(凡凡君は「器量人」志向だから本頁の入口でご退去願っている)そういう形の作歌態度には何のありがたみも感じないというのが「奇妙人」の真骨頂だろう。多くの場合、低からぬ社会性もしくは低からぬ知能の持ち主は、そんなものには大した価値を見出しはしないだろう。

つまり、大昔のある階層にticketとして流通していた「教養と格調」や「強要と拡張」を前掲のアホ塾は狙っているらしいし、そこに取り込まれる「歌畜」の歌に「勢い」があろうはずがない。

当今は、選択の時代なのだから「入門しない」選択もありうるのである。つまり、短歌にprivateな機能を期待するならば、これに入門させて頂いて「せこくまずしく」「(旧態依然の)歌らしさ」を求めればいいし、逆に短歌をsocialな存在だと認識し、そのために「自分は短歌にsocialな機能を期待する」というならば、これから是が非でも出門して「つよくまずしく」作歌せねばならないという論旨はお判りいただけるだろう。

こう考えてくると、入門してもほどなく出る、ということが大切になってくるのである。

(2000.2.18)

 

塾の機能と限界(3)

 

今回は、本題を少し逸れるが少し前に触れた「塾発想」につき憎まれ口を言い置いておきたい。「学習塾」については、既に苦々しく思っているのだが、「短歌塾」なる言辞に商魂を逞しくする品性の低さもさることながら、そういうものが有難がられてまかり通ることをこそ、問題視せねばならないのだ。

要するに、つまるところ、さしあたり、「塾」とは自己のコピーの製造機だ。塾が最も機能を発揮した例は、世界の潮流から絶望的に遅れていた日本人を開眼させたという意味での松下村塾であるが、この時代のこの例ならいざ知らず、凡庸な子供を、当事者の無批判をいいことにして「既知」のみを次々に叩き込んで、「独自の思考」はおろか「独自の方法」すら許さず、無知・無見識のままに東大に叩き込む愚を繰り返す「塾」こそ、日本の将来を閉ざすものではなかったか。今や、いわゆる難関校への入学がそのままその児童の「無批判性」を証明しかねないという皮肉な現実とさえなっている。この「塾制度」こそは、TVの俗悪番組も遠く及ばない日本人集団の知性の下降移動の元凶である。この言葉を、恥とも思わず利用しようとするその知恵の浅墓さ、あいた口も塞がらない。こういう批判すら想定だにしない暢気な「塾」発想がこわい。こわい。

(2000.3.12.)

 

出門はdemonのささやきだが()

 

出門はつまり、これをdemonと呼ぶとこれは悪魔のささやき。つまり、門を出ることは、すなわち、塾の先生の言に従わないということは、多数の理解を得がたくなることにつながりかねないから、「他者による容認」という、いわば最も自然に起こりやすいプロセスを、敢えて自ら捨てることになるのである。出門したままで歌の道を進めば、他者が(同類視からくる安心感から容認してくれるという形の安心をさせてくれないから)成仏できないことになる確率が高いのである。品悪くいえば、永遠の或いは無期の「冷や飯」が待っているのだ。

現在、歌がどう歌われているのかは、わたくしだって、別に隠者ではないから、ときどきしかるべき雑誌を手に取る。未知の人の作品を見る甲斐はあるものの、しばしば、主流意識を抱え込んでいる人々が恐ろしいほどに《枠内、現在の固定された短歌解釈共同体の基準の中の暗黙の内規に対して予定調和的》に振舞っていることに慄然とすることがある。誌上得意げな、我が世の秋の座談の方向は主に状況論である。一般的に状況論とは本質を外れた無難な、質素な、ケチな問題提起にすぎず、つまるところ、《郷に入れば郷に従え》の《郷》の論理に過ぎないのだ。「安易な塾通い」で育つとそういう小論文の作り方が得意になってしまうのだろう。これを避ける行為こそが、文化的意欲の本質であるはずなのに。

(2000.4.2)

 

文化的意欲」という健気さ(5)

 

およそ欲得ずくが下部構造となっている人間世界の中で、文化的意欲というものが純粋に或は無心に存在するとすれば、それは素晴らしいことなのである。文化的意欲というものを端的に追い詰めればその根源は無心の「自己主張」に行き着くに違いない。こういう「自己主張」がそれも「巧まざる形」で実現された例を幸運にもわたくしたちは共有している。

その例は初期の俵万智である。当時のわたくし自身は、かのお人の作品をその幼稚性ゆえに、噴飯ものとして軽侮を重ねたが、今思うとあの作風は社会にとって、有益であり、かつかのお人は社会にとって有益であった、即ち徳人だったのである。

何故か。それは、作品中に大いなる「無心の自己主張」があるからだ。それにも増して今になって立派だと思うのは、当時の権力者が、対面を保つために、実に実に実に実に実に狡猾にも、「ライトヴァース」なる珍妙な論理を引っ張り出してきて、したり顔でかつ揉み手しいしい縋って来た態度に対しても、内心は呆気にとられたにちがいないが、それに対して俵さんはそれをおくびにも出さず、無論、責めもせずに極めて恬淡としていた(らしい)ことだ。単なる無感動だったとは考えたくない。おそらく、余裕に違いない。大御所が、得意の状況論によって「ライトヴァース」とかほざきつつ、異物を塗り替え塗り替えしながら取り込むという所作は賤しいが、俵さんの恬淡たる態度によってそれは救われたのである。

ああ返す返すも多元価値論やら状況論やらは卑怯だ。ともあれ、取り巻きの狡猾さによってことは荒立てられず、寧ろ歌の領域は広がったわけで、これを俵さんの功績とするならば、これは、ひとえに俵さんの「文化的意欲」がその「無心さ」と相俟ってsocialな機能を果たし得たという有難い実例なのである。

2000.4.8

 

socialな機能とprivateな機能(6)

 

短歌を機能という面から捉えると、他の存在と同様にsocialな機能とprivateな機能の両側面から捉えることが可能となる。たとえば、いまここでわたくしが使用している「Prius」というPCがわたくし自身に齎す機能と、PCそのものが社会に齎す機能に着眼した場合に表れる特徴とは全く違ったものになっている。

短歌に即していうと、多くの場合は短歌を趣味と捉えるので、その齎す効果のうちprivateな機能として「楽しみ」「慰謝」「記録」「自己実現」などを尊重するから、どうしても仲間内で「短歌らしく通用すること」を大前提に据えるのである。

他方で社会的機能とはどういうふうに現れるのかといえば「短歌の振興」などが今のところ注目されていて、これが商業主義と結びついて「賞の濫発」につながっていったりする。そしてこれが、個人サイドのprivateな機能としての「受賞による自己顕示欲の達成」、もう一方の雑誌社サイドのprivateな機能としての「授賞による自社権威の昂揚」と結びついてめでたく共存共栄となる次第に至るのだがここではそういうレベルの話をする意図はない。

つまり、ここで提案したいのは、「短歌のprivateな機能として《短歌のsocialな機能の拡大》という側面に目を向けてはどうか」という点なのである。

「短歌らしく流通する短歌」ではなく「短歌の領域を広げる短歌」の模索を趣味(privateな機能)として親しめば、privateな機能を通じてsocialな機能が達成されるのではないかという指摘をしたいのだ。

さてそろそろ、§1を締め括ろう。「短歌らしくつくりなさい」とする入門書は5日間で読み飛ばしたらそれで完了。そうしたら、くだくだしい「短歌塾」などには囚われずにひたすら「出門=demon」への道を歩かれてはいかがであろうか。

こうして出門した人々にとっての短歌のprivateな機能は「開拓」「実験」「挑戦」「競争」「挑発」などはなはだ健康によろしい。そして、これらは短歌の領域拡大という面から正にsocialな機能を持つことになるのである。これこそが「自分らしい歌」として本来的に両機能を持ちうる方向なのである。

そしてあの、「熟練」「摸倣=猿真似」「制約」「自己統制」「右顧左眄」などとはなはだ不健康なプロセスに逼塞して「歌らしい歌」とやらの作成を営む仕儀は塾生にお任せ、さっさと大道を闊歩しようではありませんか。

もっとも、道ならぬ道へ足を踏み入れた人々は、古来より、自らをこう、昂然と自己規定する。曰く、「ばかじゃできねえ、りこうはやらねえ、中途半端じゃ身がもたねえ」と。

2000.4.14

 

§2.出門の実態(態様)

ふたつの枠組から(1)

 

それではながながちびちびのべてきた本題の「出門」とはどういうことなのか。これを述べる前に少しばかり横道へ。ここでのものの見方にお付き合いいただきたい。「出門」とは、どこからどう出るのか、どこをどう外すのかという話の前提を整理しておきたいのである。

ところで、前節で、主として短歌のsocialな機能に着目して(「歌らしい歌」に対比させる概念として)「(socialな使命感を持って)短歌の領域を広げる短歌」というのをあげたが、いかにも語呂が悪い。そこで「自分固有と思い込める歌」とでもしようかと思うが、それも長いので今後しばらくは「歌らしい歌」に対比させて「自分らしい歌」として表現することにしたい。

それでは、枠組みの話。

 

ふたつの枠組みから−a「個別と普遍」

ところで、次にここで少しあらためて、ふたつの枠組みについて触れたい。

その第1は、世の中には客観的水準からみた枠組みとして、ものの本質を「個別と普遍」というがふたつの側面に分け得ることと、

第2に、主観的水準からみた枠組みとして、対象物ものそのものを「concepttaste」というふたつの側面に分けて得ること、この2点について述べたいのである。

 

「個別と普遍」といういい方はいうまでもなく、「わたくしのPC、わたくしの短歌」と「PCそのもの、短歌そのもの」ということだが、ここで大切なのは、先の「自分らしい歌」を「自分の歌」という個別レベルでなく、「短歌そのもの」という普遍レベルで捉えようとする点なのである。「自分の歌が」が「(個別的に)自分らしい」のは比較的簡単で、例の「入門書」に拘泥し過ぎたり、主流に忠順であろうとし過ぎさえしなければよく、あまり「打算的・営利的・鼻息伺い的」でなくかつ、少しばかり「ナマイキ」であれば十分なのであるが、「短歌そのものという(普遍的な)レベルで自分らしくある」ことが本当に大切なのですよ、というのがここでの主張なのである。

このあとわたくしは、結果的に「出門」している例を提示する予定である。そして、この後に示す全ての例の強みは、どの程度意図的であるかは別にして、明らかに「短歌そのものが『普遍的に』自分らしくならねばならない」と考えられているに違いない例なのである。

2000.4.23

 

ふたつの枠組みから−bconcepttaste(2)

 

一方で、何がしかの価値観を求めて(特に主観的な枠組みの中で)ものを見る場合には、concepttasteというふたつの側面からとらえて見ると面白いだろう。ひとりの作家の短歌作品群を見るときでも、作品をconcepttasteをいう角度から捉え直すことによって、その実態が良く見えてくるのである。恰度、左右に違った色のめがねを掛けてその視角の差から写真を立体的に感じ取るように。

僭越ながらわたくし自身の例をひかせて頂く。このあいだわたくしは、拙著「悪戯翼」の参考文献として第1に小池光歌集「バルサの翼」を挙げたが、その理由は、小池がその「あとがき」の中で、「ぼくは歌を詠むのではなく作ってきた」とするくだりがあったからなのである。歌を「詠むもの」と思いつづけてきたわたくしにとって、この「詠む」と「作る」は明白な「concept上の」差であった。はじめて、アンチテーゼに直面したというべきであったろう。そして、これが、その後の力学のスタートになったのである。

もうひとつの参考文献として、大藪春彦「凶銃ワルサーP38」を挙げたが、その理由は、大藪がその拳銃が内包する「魔性」が、たまたまそれを手にする人物たちを、その魔性ゆえに、次々と破滅に追い込んでゆく(わたくしは「妖刀村正」を直ちに想起するが、何と、大藪春彦の数少ない時代物「孤剣」の冒頭の章題が「妖刀村正」である。やはり、そうなのだ。)という因縁的なプロセスを色濃く提示したその構成に、わたくしと短歌の関係を重ねようとしたからなのである。そしてこのことは、取りも直さずその両者間の関係性をわたくしのもうひとつのconceptとして位置づけたのである。

そしてこれを「わるさ」という地口でつないでゆくtasteを上記conceptにかぶせたのである。とこう表現すれば判っていただけようか。いやいや、どなたも読んでおられる筈はなかった。

実際には作家ごとのtasteは、作風の硬軟、文語・口語・交語(両者の混交体)などいわば、レトリックの分野になろうが、他方、conceptの方は、いうなれば短歌的視野であって、これは作家の歴史観・社会観などのほか、孤独型−同調型・勝ち馬志向型−敗亡志向型など人生態度ともある程度かかわると思われる。もっともこういった短歌的視野も意識の仕方如何ではいくらでもtaste上のテーマとなるのではあるが。

                                          (2000.5.13

 

出門の契機としての狂気(3)

 

それでは出門とは何か。出門とは端的にいえば、「意図的な遠心」である。「遠心」とは「芯」すなわち本質を一点に見極めて、そこから離れようとして足掻くことだ。「自分らしい歌、くどく補えばすなわち、(socialな使命感を持って)短歌の領域を広げる短歌」を作ろうとすることだ。ここで重要なのは、「(普遍的に)歌らしい歌」であれ、「(個別的に)自分らしい歌」であれその出発点はanti状況適応にあるに違いないということである。当然だろう。なぜなら、このanti状況適応という態度こそが「遠心」の淵源であるのだから。

ところでこの「遠心」を円滑になさしめるものをひとついえばそれは作家の「狂気」であろう。

かつ、「出門」の「例」として、具体的に作品を通じて、作歌態度(即ち、conceptとtaste)を引用するようになると、今では使われることの少なくなった「狂気」という語を繰り出さざるを得ないのである。「狂気」という語については、社会的な配意から、「突出」と言い換えてもよさそうだが、「突出」だとどうしても「量的」な感をいなめず、「質的」な「ねじれ」の「執拗さ」や「脱出不可能性」から、やはり「狂気」といわざるを得ないのである。

そしてここで実際に引用する事例はといえば、仙波龍英(墓地裏の花屋)と林あまり(MarsAngel)ということになる。

仙波の仕事は、一応、現代の短歌解釈共同体の中ででも、結果的にある程度認知された形であるが、彼の本質は決して「現代性」や「都会性」にあるのではなく、「とある脱出=遠心」であったに相違ないというのがここでの主張になる予定である。

一方の林については、嘗て、お調子者たちがMenstruationの歌ばかりを引くという賤しい罪を犯したことがあった。このことは、林にとっては良くも悪くも名を知られる契機になったかも知れないが、かのお調子者たちが、林の真価を歪ませた罪は問おうと思えば問える。(くだらないからやらないまでだ。)つまり、ここでも、林の根底にある「とある脱出=遠心」について、考えてみようというのが、次回からの構想である。

(2000.7.9)

 

「MARS☆ANGEL」に見る狂気志向(4)

 

ここにきて、「自分らしい歌、くどく補えばすなわち、(socialな使命感を持って)短歌の領域を広げる短歌」の例をあげるのに、1986年のクリスマスイブに出されたものを挙げなければならないことには、すこしばかり、複雑な気持ちをもたざるを得ない。

しかし、これほどに「意図的な遠心」が結果的に出ている歌集はやはり稀有である。その意味では、砂漠の金字・ピラミッドである。

 

きょう会ったばかりでキスは早くない?

  ヤヨイ・トーキョー春花咲きて

 

冒頭の歌だがこれにさえ、多くの「遠心」が認められる。思えば、全作2行書きかつ2行目1字下げ、というのも頑張ったtasteであるが、ここでも、やまとことばの露骨なカナ書きや珍妙と指摘されかねない交語文(文語・口語の混交ということです)も目を引く。また、「早くない?」は恐らく伝統的イントネーションを無視して、「無アクセント式平板しり上がり」という固有のイントネーションで読ませるにちがいあるまい。そして、最終的な歌意となると、今の部分が肯定にも否定にもとれる曖昧性をもつのであるから、どうともとれることになってしまうのであるが、そのあたりを浮遊する会話そのものがメッセージなのだから、作者は「早いのか、早くないのかの伝達」など詰める気もなかったのだろう。

要するに、塾ではコテンパンの作品だ。ということは、このとき、林は旧来のものは摂取しないように、よほど注意したのに違いない。ともあれ当時も、わたくしは、この勢いを至上のものとみた。ついでながら、この本のことをわたくしは半年ほど熱愛したが、ある時期から、唾棄に近い思いで遠ざけるようになった。

きっかけは、著者の得々とした自歌自注、例えば「未必の恋人」と「未必の故意」の種明かしのごときものを目にしたからであったように思う。

今思えば、あの、ナマイキでイワズモガナの自歌自注こそが、今のわたくしのことばで言えば、正に、「自分らしい歌、またしてもくどく補えばすなわち、(socialな使命感を持って)短歌の領域を広げる短歌」であったのだろうと思う。あれが、その、いわば使命感の開陳であったのならば、今ここでは再び、違う評価をしなければならないとこれは正直に思うのだ。

無論、歌はヘタ(欠陥)があってはならぬ等々の塾十則に照らせられれば駄作であろう。しかし、わたくしの見方では、この歌集のsocialな功績は少なくはない。

正に「MARS☆ANGEL」なる集名も、一見すれば、☆があることや、「どうせ地球じゃはぐれものよ」という開き直りという点で気になる。つまり、良い。

余談だが、当時のものとしては、別に、これも好著であった井辻朱美の「地球追放」があり、それについては著者が「私は地球に追放された」といっていたのを聞いたことがある。彼女はエイリアンなのであろう。だから、はぐれ具合(concept)ではこの人の方が上だ。ただし、作品のtasteに則してじっくりと見てくると、林の遠心性の方がやはり強いといわざるを得ない。

それでは、林あまりが何から遠ざかろうとしたのかと考えるならば、恐らくあらゆる「秩序」だったのであろう。その最たるものは「うまみ・格調・リズム感」、つまり彼女の捨象したものだ。

皮肉ではなく、林は絶対に歌に「上手さ」を求めてはいない。無論格調も。大切にするconceptは「露悪」「軽薄」の提示ですらある。「好きもの」としての等身大をにおわせる女性、八百屋のお七の提示などでそれは遂行される。

 

置きゃがれ  涙ひとつにうろたえて

  あだの契りがあかく咲くかい

 

高所恐怖症のあなたそこから降りられる?

   たったいちりん、トゲつむために

 

上はお江戸下町の伝法、下は彼女の日常語。女の挑発というテーマをこのようなtasteで提示するのは前節でのべた「狂気」である。「反語」とか「自己と対象の距離の捉え方」を詳しく見ると、「塾では教わらない真実」がある。以上がわたくしの、林あまりの根底にあった「とある脱出=遠心」についての考察であり、これをもって、「自分らしい歌、くどく補えばすなわち、(socialな使命感を持って)短歌の領域を広げる短歌」の第1の例としたい。

 

(2000.8.19)

 

「墓地裏の花屋」に見る狂気志向()

 

仙波龍英著「墓地裏の花屋」の刊行も1992年であるから、既に歴史上の行為になっている。仙波はその第1歌集「私は可愛い三月兎」の「あとがき」で「この歌集は既に現代歌人協会賞の受賞を諦めている」というようなことを書き残していたが、実は彼はそのとき既に「歌壇の賞」なるものは相手にしていなかったのである、ここでの「諦める」ということばほど慇懃無礼なものはあるまい。尤も、傲慢さというものは特殊の場合を除けば、ほとんどが子供っぽいので、こういう口調はしばしば「傲岸可憐」と呼ばれることになるのだが。

そしてこの「あとがき」こそが「意図的な遠心が言明された恐らく唯一の実例」であることは、この文脈のなかでは極めて重要であることを指摘しておきたい。

「墓地裏」には、「三月兎」の頃から仙波が抱いていた「意図的な遠心」がさらに強められた形で再登場する。この間に仙波が自信を深めた結果であるに違いない。

 

ひら仮名は凄すさまじきかなはははははははははははは母死んだ(享年七十二歳)

 

焼香のさなか姉の子供ははらへらわらってゐる。

精神病の大姉忌避し狂へるは次女、次女の子のなづきの鳩の巣

 

どんぶりに桜花あうくわをもりて塩ふりぬ朝焼け激しき食卓なれば

 

体重を一キロふやすにさくら食ふ祖国しづかに消化されゆく

 

いふならばゾンビの「お嬢」姿かなイッツ*に集ふ処女・非処女

*イタリアン・レストラン

 

意識的に「家族」「国家」「首都」を取り上げて、いずれも否定の鉄槌で打ち壊している。この3つの水準への過激な加撃はここでの引用歌にとどまらず明確に全編に及んでいる。(これは確認に値します。)そして、その鉄槌が実は「短歌そのもの」にも及んでいるのも自明である。全ての水準・全ての方位に否定の銃弾を乱射しているということは、戦術的には上手くはないがconceptの徹底という意味では尊敬に値する。

これら抄出歌に見られるtaste上の共通点の第一は「歌を構成するバランスのなさ」である。

1首め、「同一音の異常な多用」。2首め、「比喩の不快さ、不快語表現」、3首め、「上句下句間の必然性欠如」、4首めに限っては表現上の瑕疵はない。5首め、「歌言葉にあらざる字句の列挙」。

要するに、塾ではコテンパンの作品だ。旧来のものは摂取しないように、よほど注意したのかも知れない。(この部分が前節の評と全く同文であることに諸賢はお気づきだろう。)

これらの「遠心」が「意図的」になされたのは自明だが、socialな使命感を持ってなされたかと言えばこれは「否」だったに違いない。仙波は分析家でもなければ戦術家でもない。ただただ、「歌ぐるい」の人だったのである。だから、このころは「三月兎」上梓の頃の「あとがき」を書いたときほどの「倣岸さ」も「開き直り」もなくなっていたのではないか。純化されていたのである。

 

ついでながら、彼の病床へは一度も赴かなかった。かつ、わたくしが、かつて居た結社にほぼ同時に入って長いこと一緒にいて、よく二人残って酒を飲んだが、「序破急」がわたくしの酒のペースであったので、「急破序」のペースでたあった仙波とは真剣な議論はほぼ皆無で情緒のこきまぜに終始したため、こんな話はしていない。かといってすべきであったとも思わない。

 

仙波は、先の、林あまりと違って、自らの歌に「上手さ」を求めており、そればかりか「上手かった」と自認していたふしがある。つまり、現在の「短歌社会=解釈共同体」の評価に対しては超然としていたのである。つまり、「短歌の社会」には冷淡だったのであろう。或は、ある種の絶望感を以て見ていたのかも知れない。

だから、彼の歌のconcepttasteも徹底して「自分らしかった」のである。そしてこのことこそが、socialな使命感は持たないものの「短歌の領域を広げる短歌」の第二の例となった決定的な要因なのある。

(2000.10.1)

 

狂気志向を許すもの:短歌の柔構造性()

 

前回まで2節にわたって、林あまりと仙波龍英の「狂気」について述べたが、これを可能にしたものははたして、何だったのであろうか。恐らく両者には「短歌への信頼」があったのである。短歌の何に?  それは短歌の「柔構造」に対してである。実は、わたくしは、短歌の「柔構造」をある時期に知り、信頼の度合いを強めているひとりなのであるが。

***

ところでところで、古来より地震の脅威ははなはだしい。長い歴史にあって、全ての「大切なもの」はその震動に耐えねばならないから、それへの研究には人類たるもの怠りはない。耐震構造の研究は自己防衛の基本でもある。さて、こういう定義は広辞苑に限る。

剛構造:建築の耐震構造の一。柱・梁などの部材の接合部を剛にして、外力に対し変形しにくい構造にしたもの。

  柔構造:建築の耐震構造の一。柱・梁などの材を小さくしたり、スパンを大きくしたりして、構造の震動周期を長くし、構造物に作用する地震を小さくしようとするもの。超高層建築などに効果的。

 

両者の用語・用字の不統一もさることながら、柔構造に熱心な記述となっているのは、小論にほんの少し好都合だが本筋ではない。

 

短歌の伝承のために書かれて来ている従来の入門書のベースはどうやら、「剛構造」の強みに着眼して、ご指導を賜っていたのではないか。長い歴史を生きのび、さらに、今後を全うするいわば「王道」を伝授するとなればこれはごもっともの話。

そもそも本質的に句またがりだの、倒置だの、省略だの、いやもっともっと和歌発生以来、ありとあらゆる「技巧」は本来、歌がもっている「柔構造」にもたれて来たのであった。短い詩形に文字をぶち込んで揺さぶる行為を受けつづけた短歌の形式が、倒置だの、省略だの、意味の複合性だのをとりこみながら発達し、柔構造を実につけたのは当然ではないか。もっとも、正確にいえば、読み手が洗練されて恰も歌の形が柔構造を持つかのような解釈が広がったにすぎないのだが。だから、これからは、もっと意図的に、あたかも「柔構造」を与件として活用すべきなのだ。そうであるはずなのに、この柔構造の重要性については皆さんあまりお目覚めがない。

 

だから、ここに来て、でわたくしがいいたいのは、短歌の柔構造を「強く」意識した上で、短歌に対して「意図的に強大なゆさぶり」をかけることこそ、繰り返し述べている「あたらしい短歌」への道なのではないか、ということなのだ。

じゃあ、何でもありの「覇道」が万能ですか、という反論が聞えそうだ。然り。ただし、知によるconceptとtasteの統御がなされている場合に限り、別の言い方をすれば制作者の真剣な文化的意欲に支持されている場合に限り、全ての表現行為は容認せねばならないという方が正確であろう。もっとも、ここでの「容認」とは「主流意識の強い者から、或は多数からの賞賛」というような保護的恩典とはほぼ無関係であり、ともすれば「冷や飯食い」に近づくかも知れないことには、論をまたない。そして、そこは冒頭で述べた小論のほんの基本のはずであった。

 

このあたりでもういちど、前掲の2首を点検しよう。2首とも、アホ塾裁判所では有罪に違いない。

 

高所恐怖症のあなたそこから降りられる?

   たったいちりん、トゲつむために        林あまり

        罪状:字余り、記号使用、単位不正確、比喩不正確、意味不整合

 

いふならばゾンビの「お嬢」姿かなイッツ*に集ふ処女・非処女

*イタリアン・レストラン                         仙波龍英

        罪状:字足らず、記号使用、略語不正確、比喩不正確、意味不整合

 

実際には、こうまで微罪をあげつらう人は少ないだろう。いや、多くの人は黙過してしまうにちがいない。ただ、わたくしは、この2編には作者のなみなみならぬ文化的意欲に裏打ちされた統御を見出すのである。そして、ご両人が確実にもっている、わたくしが「短歌の柔構造」と呼ぶものに対すると同じような信頼か親愛も。

(2000.10.15)

 

短歌の定義-形式従属から主体確立へ()

 

ここで例示を小休止させて頂きたい。すこし本質を挿しはさみたいので。

 

あらゆる入門書にほぼ等しく見られる誤謬に、「短歌は5句31音の定型詩である」という定義がある。これは、客観的な定義のようであるが単純に過ぎる。こう書いてしまうからその次には、「見たものを書きなさい」などと、子規の猿真似のようなことしか書けなくなるのではないか。「短歌はそんなもんだろ?」って。今のはね。でもこういう捉え方をわたくしは「形式従属的定義」と呼ぶ。つまり、作歌の最も大切な「言語行為」としての要素をおいてきているのである。ばかめ。主体のことが皆目お留守ではないか。そんなことだから、この定義以降は、「歌を詠む人」の歌へのかかわりには本質的には触れられず、歌の小手先芸の、しかも、枝葉末節のあげつらいに終始するのだ。は〜あ。「塾」のご指導をもったいぶって始めるのですよ。入門した人が「結構なご趣味」と言われて、ブンガク的に蔑まれてしまうゆえんがここにある。ばかめ。

 

ところでわたくしの「現代短歌出門的定義」によれば、短歌はどうなるのであろうか。言おう。おこがましくもゆっくりとはっきりと申し上げよう。

 

@歌を詠む(作るという人もいるのかな)ということは何にも増して「文化的意欲の表出」を「言語行為」によって自分なりに実現することにほかならない。

A「言語行為」の主体性に重きをおくならば、「言語規則」からの「逸脱」を試行すべきである。「逸脱」を僭越と思うならば「ズレ」と卑称してもよい。(ソシュールさんというお人は、言語行為をパロール、言語規則をラングといったらしい)

B短歌の5句31音という様式はその「形そのもの」でなく、永年の嵐・地震さえも受容し続けてなお疲弊しない、短歌の「優れた柔構造」にこそ注目すべきである。ここに、「逸脱」の楔を打ち込む余地があるのだ。

と、こういうことです。

 

この定義は無論、「主体的定義」である。もっと頑張って前のと対比させて「主体確立的定義」といった方が寧ろすっきりするであろうか。いずれにせよ、詠む人を、作る対象の事情(形式)に従属させないのが、これの「取り柄」である。

むろん、茶道や華道は形式従属でなければならない。芸道はそうである。だから、短歌が芸道であって、短歌のお師匠さんというものがもしも居るのならば(塾の講師はまさにお師匠さんです、無論)、必然的に「形式従属的」な定義をするのは彼らの「さびしい、さもしい、さもありなん」の「限界」として致し方ない。さびしいなあ。ばかめと呼べどさびしいなあ。

ところでこの「主体的定義」は一方で「言語行為的定義」である。「どう作るか」などという問題ではなく「言語行為として何をするのか」という問いを歌の出発点おくべきなのかも知れない。ここから始めれば、「結構なご趣味」にはとどまらない。先刻来述べている「意図的遠心」が雄雄しくもまた、悲しく発足するのである。

だがこれは悪魔のささやき!  その末路はぐちゃぐちゃに腐くたれることになるかも知れないし、悲惨に飛散する末路があるのかも知れない。

(2000.10.21)

 

「五十音図の男」に見る「モード」という手管()

 

作曲を業とする人間に「作曲家が曲を構想するときに一番先にすることは何だと思うか」と問われた。答えは「モードの選定」なのだそうである。少なくとも彼はそうだという。確かに、さんざん、「棒」だの「旗」だのを書き込んだ後で書き直すのも大変だろう、と応じたが、どうもそういうものではないらしい。主音を決めるだけでなく、曲そのものを鳥瞰することが、曲の冒頭で既に必要なのだそうだ。冒頭の1小節の音符は既に全体のtasteを見込んで打ち込まれるもののようである。

似た話をしていたのは昔の夏石番矢である。彼は「一集一集主題を決めてから句集を作る」と言っていたが、現に「猟常記」「真空律」「メトロポリティック」と並べれば判りやすいほどに明確な違いが演出されている。

これは同根に違いない。

 

モードを意図的に徹底して制作された歌集が近年相次いでいる。「五十音図の男(野間亜太子、1999年)」、「出日本記(中村幸一、2000年)」、「潮汐性母斑通信(高柳蕗子、2000年)」などである。

 

先ずは「五十音図の男」だが、徹底という意味からは何らの不足もない。章建て自体が「<>の男」「<>の男」に始まり、以下文字通り五十音順に進む。終盤に来てさすがに「<>行の男」「<>行の男」と行単位になるが、全編その「モード」で貫かれている。数も相当であるので、恐らく制作のプロセスも前述の作曲家のように、主音を決め、様式を定めて最初に構想したものだろう。

全て「男」をモティーフとし、殆どが「あ」から「を」までの音を可能な限り、頭韻に費やしている。表現意欲が先ずあって、その中で作歌をしようというもののようだ。無論、歌は軋みに軋むがそこに野間の意図がある。

                                                                                          

敦盛草よ風露草よ青ケシよ蛍袋よ粘膜を誰に裂かれし

 

かぎろひの心燃えつつかく歎きいや遠偲び覚駕籠鳥かくがのとり

 

言問もなき海山に春咲かむ恋忘れ貝恋忘れ草

 

<らりるれろ>をのこ探してページ繰る上代語わづか眠りておるか

 

ともすれば雅語に傾き、ややもすると反復のリズムに溺れながらのたゆたいの歌群である。

制作条件そのものに、自らハンディキャップを背負わせているので、これもまた前節の作同様、論難に弱いのは目に見えている。音楽のモードでいうならば、和音階にも雅楽俗楽あり、それぞれに呂音律音やら、また、いなか節みやこ節とやらその中にもお決まりのtasteがあるという。

例歌の最後の作品は「制作過程」を覗かせるほほえましいものにも見えるが、案外死闘だったのかも知れない。

このように徹底した「モード切替え」は高い「完結性(憎まれた場合「閉鎖性」と呼ばれる)」を見せる「大技」なのである。

わたくしは、ここにある「ノリ」を支持し、そういうことに打ち込む文化的意欲からなる作品を、とにもかくにも、「出門の花」として大いに称揚したいのである。「探奇耽異」の世界へのモード切替えにも大いに期待するところでもある。

(2001.1.1)

 

「出日本記」に見る「非在モード」()

 

中村幸一の「出日本記」は90%の「あらわな文化的意欲」と7%の「浪費癖」それに3%の「放浪癖」からできている。形態は「歌物語」である。となるとダック、これはもう、モードの権化、モードの生霊である。日常生活からすれば驚天動地の逸脱にして不可思議な構造変化である。

読んで先ず思ったのは、カラーフィルムのネガである。それも撮影の逆順に並べられたものを、しかも左右逆にみるような。つまり、複数次の陰画化がほどこされたような印象をもつのである。そもそも色が反転されると良く見知った形状もわかりにくくなる。よくよく眺めていると、「ああこれは江ノ島だな」と判るが、やはりそれは「非在の江ノ島」なのである。これを裏から、つまり、看板の字も左右逆で、さらに撮った逆順であれば、と、つまりはそういう感じである。

 

本編の概要を伝えるために、栞から手っ取り早く引用すれば、趣向は「‘その日を生きていなかった私’が元郷に回帰しようとする幻想の中の旅」であって、その筋立てに沿った形の「物語」+「短歌」である。そうなるとご関心はどういう内容かということになろう。

 

「物語部分」を引けば、たとえばこうだ。

 

「深夜 炎につつまれて 船が川をさかのぼる 漆黒の川面には真赤な火が映って揺れているが 誰も見ていない 船の存在も知らない なぜ燃えているのか なぜ船があるのか なぜ川と呼ぶのか 見るものがいなければ存在しないのか なぜ生きているのかも知らずに摂取・排泄・睡眠を反復するのか 回る北天の空のもと 川は永遠に流れ 船は遡行をつづける」

 

要するに登場する全てが「非在」である。なぜこのような世界に足をいれたのか。わたくしには判る。中村は短詩形の常道、もっといえば、だれにでも門戸を開いている「お手軽文芸」が、お手軽さの普及のために「常道」と位置づけた、あの合言葉である、「いま」「ここ」「われ」を陰画化しようとしたに違いないのである。「非時」「非所」「非我」の提示! つまり、明々白々にも、彼はこの「3非」を否定いやそれ以上に拒絶するプロセスを通じて、「お手軽な文芸」から抜け出したかったのであろうに違いない。

おそらくは、彼が本当に脱出したかったのは「日常生活」なのであろうが、小文の性格上「文芸上の非在」に突き進んだのだ、と読んでおきたいのである。

 

この非在性はいくつかの特質をも引き出している。

好例は、本編の章建てが「起」「承」「転」「結」という区分で明示されているのにも拘らず、この「承」が社会通念でみる限り、どうしても「起」を「受け継いで」はおらず、寧ろ「飛んで」いるのである。よく見ると各部分ともそれぞれの文と文の接続点においてだけは「ごく僅かの」つながりがあるが、その「つながり」は決して連綿とした精巧なものではない。明らかに「非連続」なのである。

「しりとり遊び」の面白さは、「音」のみでつながる語の列が「意味」的には全く脈絡のなく次々と接続されるという意外性にあるのだが、同じようにここでは、この「非連続」が活用されているのである。さらにまた、この淡い接続はどこやらオートマティスムのような形で登場するのである。

 

別な言い方をすれば、判らせようとする工夫を意識的に排除しているともいえる。もっとひねって考えれば「decodeを期待してcodeしたもの」かとも思われないこともないが、それにしては肩透かしが多すぎるようだ。

つまり、舞台こそティベット的、仏教的な要素を取り込んでいるが何らの絵解き、解説もない。おそらく特定のマニア、カルトならわかるとかいうようなものなのであろう。つまり、わたくしが唯一「確定的に」理解できたのは、いや、作者が「確定的に」伝達を心がけたのは、冒頭の認識論の部分だけである。つまり中村はその部分だけ、標準語で書いたのである。これゆえに先のcode論を思いついたのだが、結局は、「判らせようとしていない」ままに「非在」に徹したモードなのである。

 

次に、歌を引いてみる。

 

山裾に月が出るとも見る者がないときこれは在ると言えるか

 

見る人がいないとしても山裾にあらば在ると思えリわが師よ

 

バター茶のかおりが流れてきても息が苦しい 馬にもたれて

 

外つ国の傭兵どもが帰らずに乙女たちと歌い明かした

 

「故郷フルサトを捨てて残ったこの民も雲のごと散り霧と消えるわ」

 

棺桶の蓋閉めずともわかるぬばたまの薔薇色でしたわ彼の人生

 

冒頭2首は歌集の冒頭2首、最後の1首は歌集の最後に出てくる作品である。旅の契機となる主人公「青年」の「聖仙」との認識論の論争の起こり、最後は「青年」の死後の総括である。エスプリに富む作品は本HPの歌集紹介の項に別掲しているが、ここでは流浪途上の説明歌を抄出した。

 

さて、以上のような土壌で、栽培された歌とは何なのか。語調も用語もさまざまであるから、変化に富んでいてわたくしの「探奇耽異心」の方は大いに満たしてくれた。それにしても感情の吐露は当然ながら全くない。叙述と直接話法によるからだ。「非在」は徹底されたままである。

だが、いずれにしても、このように徹底した「モード切替え」による犠牲的・擬勢制営為は何とも崇高な大技なのである。立派に「現代短歌出門」を果たしている。

(2001.1.20)

 

「潮汐性母斑通信」に見る「仮説撹乱モード」(10)

 

高柳蕗子の「潮汐性母斑通信」は「知的作業」をつみかさねたらしい「工夫」のみられる豪著である。エセイとも「あとがき」ともとれる末尾のモノローグは、喩に喩をかさねる、読み手に忍従を強いる文だが、繰り返し読むと大意は伝わるという正直な文章でもある。繰り返し読もうとしたのは、作品の潔さにわたくしが感心し、好意をもったからにほかならない。

 

潔い作品とはつまり次の作品だ。

 

艦らこの豪夢に眉を深めつつすれちがいざま相撃つ霧砲

 

孵りつつ壊れつつ竜の聴く闇に無音の碁を打つロボットアーム

 

このように、語彙の新鮮さを楽しく読むことができたのは、正にtasteの問題である。それにもかかわらず、この「詩語の開拓」という成果をになうこの集の本来の特質をいうならば、名づけて「仮説撹乱モード」ということになるであろう。

それは、ときどき「何だ」と思わせる継続的な謎を追うと、結果的には、「仮説に真向わざるを得ない」という構造になっているからである。先ず、謎を示して、その謎の行き着く先に著者のconceptを待ち伏せさせるあたりは、歌集という分野では稀有の頭脳的行動でもある。

であるからこの、注意を喚起してから結論への橋渡しのプロセスを「仮説撹乱モード」と呼ぶことしたのだ。ところで、これを極めて親切にわたくしの思い入れを含めながら書き直してみるのは著者の忌避するところかもしれないが手短に開示したい。

 

1. 父はむしろ男の子を望んでいた。

2. しかるに生まれたのは女の私。よって受精の過程で敗退した兄には複雑な「借り」を感じる。

3. ただし、冷静に考えれば、これは偶然の所産・不確定性の帰結に過ぎない。

4. よって私の背後には兄が居て、ここに「不確定側を擬人化した兄と、結果側を代表する作者という対比をなすという世界観」を私は持つにいたる。

5. この兄にふさわしいものが実は、「短歌というボディ」である。

 

こうして本集の「作歌のconcept」は明確になる。無論上記の整理は、わたくしなりの統合、読み込みを補ってなしたものではあるが。

 

この帰結が「潮汐性母斑通信」だ。敢えて解題すれば、「潮汐性」は「めぐり」の暗示、「母斑」は「生得の顕著なひずみ」かつ、「非在の兄になく、実在の私にあるもの」の喩である。「通信」というからには「達意・メッセージ」体の作品を示しているものと思われる。

 

この道標として提示させる作品と、その帰結1首を掲げたい。プロセスは複数取れるが、帰結は1首のはずである。

 

兄よ兄よ 母が今夜も他の人にわからぬ言葉でわたしを叱る

 

死んじゃってごめんと死んだ僕も泣く えーいえーんと嘶く水棲馬

 

おたがいがだんだん怖い海の底 かわりばんこにめくるトランプ

 

はるめらるはてなの兄は育雛器発明せり(潮汐性母斑通信)

 

 

モードを全うすることが「新しい短歌」に寄与するという形での進歩性の例示は、今回をもって終りとしたいが、この節で、いささかなりとも「短歌出門」を表しえているであろうか。

(2001.4.30)

 

§3.出門のその後

硬式短歌と軟式短歌(1)   「自分らしい短歌」成立のために

 

長い間、右に振れ左に傾ぎつつ書いてきたが、小論のそもそもの狙いは「短歌の入門書」にありがちな「べし・べからず」というような型に嵌める行為、或は「歌らしい歌」への誘導に反意を立てようというところにあった。

さて、そろそろ帰着点に向かうので、舳先を「自分らしい歌、くどく補えばすなわち、(socialな使命感を持って)短歌の領域を広げる短歌」成立の方向へ向けたいと思う。目指す海域を具体的に示すならば、無論、「異端歌・奇歌の成立」という方向である。

 

アナロジーはしばしば唐突に示されることになるが、小鳥には2種類の歩行のパターンがある。スズメのように2脚を揃えて飛び跳ねるものと、ハトのように脚を交互に歩み足に動かすものものとの2種類である。これらの差異の根源は遺伝子にあるゆえ、つまり、「種そのもの」の特質であるので、当事者にはどうにもならない行動様式の壁なのである。要するに造物主がそのように分けたもうたのである。ならば「歩み足の小鳥」に「跳び歩き」を強いても致し方がない。歌詠みもそうなのだ。否、人生観がそうなのだ。つまり、「出門」は「跳ねる鳥」とだけ語らえば良いのだ。縁なき衆生を済度する気は毛頭ない。

もっとも、カラスのような鳥は両方式ができる。これは、飛び抜けた優れものであるので、勿論、こういう方々は語るに足りる相手である。

 

短歌にも2種類ある。つまり、皆と同じ堅実な作品で、誉められやすく、うまく行けば賞を頂けるという「軟式短歌」と、皆と違っていて、理解されにくい「硬式短歌」がある。小論はここからも、「硬式短歌」を理解し得る群のみに限って説を進めようと思うのである。

「硬式短歌」というのは、「自分らしい歌」を求める世界である。その実態は、先に実例として述べた「狂的なもの」「モード設定によるもの」などに見えている。無論、これらをささえるのは、短歌形式の「柔構造性」であり、それを、信じて果敢に作歌する「文化的意欲」がその支柱であった。

ところで、異端・逸脱を試行する歌(硬式短歌)の必須要件は、決して粗暴なだけの歌作を示しているわけではない。

 

またしても唐突だが、昔、喧嘩集団として知られた、清水港一帯の名物侠客群があった。その構成員の中には無論、「喧嘩馴れしただけの者」が多かったが、武家の時代に槍術を極めた者もいたというのである。

個性を磨きぬきながら、正統性を押さえている、というのが、「硬式」の必須要件なのである。つまりは、taste面では柔構造を意識して逸脱を極める一方で、conceptをしかと構えることがいかに大切なのかという事がこれからの論点になってくる予定である。

2001.5.5

 

「ガタイ」に優れる島田修三のバランス()

   「島修らしい短歌」成立の基盤

 

「個性を磨きぬきながら、正当性を確保する」という「硬式短歌」の例のその1は島田修三である。無論・異端歌・奇歌にかなりの親近性をもっている作家でもある。本稿では以下、修二氏には申し訳ないことながら、島修と愛称したい。

先ずは作品から。無論、縦横無尽の稀代の奇歌集「晴朗悲歌集」からとっている。

 

解決不能アポリアにどろりと濁る戦後史の残んの師走や空晴れわたる

 

アタクシをなめないことネと凄みたるのちややありて笑ふガハハハ

 

体腔のすみずみまでも夕暮れて秋たそがれの陸橋を越ゆ

 

これらの歌に「個性」がないとは誰もいえない。まず、「語」の組み合わせが意表をつく。

1首目の「アポリア」「戦後史」の適度な関係(これをloose couplingと呼ぶがそれは別稿で述べたい)、これらをいわば括弧で一括した後の群と「残んの師走」とのloose couplingを楽しみたい。一言、新味がある。

2首目の「ぶち壊し風」は言わば「体当たり」だが、「のちややありて」なる「間」が優れて短歌的で、この一見粗野乱雑な語群を歌の庭に辛くも繋ぎとめている。これらの語群の知的な斡旋は「中央部のつなぎ」によって、充分に「歌としての面目を見せる」という短歌の「柔構造性」に彼が気づいているからにほかならない。

3首目の価値は「体腔のすみずみ」という語の使用に尽きる。この2語の組み合わせの新規性、有用性は正に「特許もの」というべき。これがあるから同集の次に控える作「にがりとも泥ともつかぬ昏きもの身内にこごる月日といはむ」という、より陳腐無難な作をも読ませるのである。

 

彼の作業で見落とせないのは、その語群コレクションである。奇抜ともいえる、個性あふれる語彙の百花繚乱を堪能いただこうか。

 

「厠上の思惟」「襤褸猫」「ちあきなおみの唇」「上等じやないの」「コブラツイスト」「醜き少女」「東北的なる風貌」「脳捻転」「ギン蝿」「母親憑依症」「チョーチン持ち」「内マタ」「タコ=人物の蔑称として」「犬の糞」「さ蝿なすクソ」「ナントカ八幡」「ソノ筋」「パンチパーマ」「あららあらら」「ダイサクの信徒」「ヲンナ委員長」「歌つてゐやがら」「女ざかりの猥褻物」「乳房陰阜」「不慮の屁」「制度的援護」「畜生!」「口舌渡世」「せこさ貧しさ」「女房のイヤミ」「ふてくされゐる小皺」等々。いかが?‘一心腐乱’の努力や思うべし。

 

もっとも、この勢いだけで作った歌さえある。

 

セーラー服の裾だぼだぼの眉なしが不知火型にぞ路傍にしやがむ

 

この材料集めから始まる創作意欲から類まれなtasteが醸される。かくして生まれる島修の作風の本領は本HP別掲の寸評に尽したつもりなので再掲する。

 

「かりに、わが「全空連試合規則」に基づくならば、まちがいなく「過度な加撃」「無防備」「場外」等々に関する反則の警告が相次いで宣せられるであろう。要するに空手道より危険な短歌群である。」

 

試合で難敵に対するとき、「反則」は「駆け引き」の補完として、しばしば意図的に行われる。そしてこの、反則もどきの新規性が、短歌のsocialな機能を遂行するであろうということは前々から触れてきたところでもある。

柔構造を意識して語彙面での逸脱を極める一方で、短歌なる難敵に反則めいた態勢でかかろうというconceptは、しかと設定されているが、その姿勢をやや強引にまとめれば次のようになる。

 

島修は自らを「晴朗悲歌集」のあとがきで自らを「万葉学徒」とも「松田聖子」とも位置づけている。

ところで、この「万葉学徒」は窪田章一郎氏により、「アイマイな表現、思わせぶりの晦渋な表現、不用意な用語、文法上の誤謬について厳しい指導を受けた」といも書いている。この過程で、多くの「べからず」に接しながらも、それを超えて、島修が「読める歌」の体を成すに至ったのは、彼の本質が「飛び跳ね型の鳥」だったということになるのであろうか。ともあれ、ここで島修の「ガタイ」は成立したと思われる。「ガタイ」とは「揺るがぬ自意識」のことである。

 

他方、「松田聖子」というのは、「通俗を荒々しく表面に出した、どぎつい、いけしゃあしゃあ仮面」の喩であろうと思う。そうみると、本集での島修の特性は概ね整理できる。

1.           家庭では「(威力があり適度にセクシーな)妻」「(抜けめなく世情をほぼ知悉した)子」「(威厳を求めつつも入手に至らず、かつそれを諾とする)亭主」それぞれが、ある現代的統一感覚のもとに、すぐれて合理的に、棲み分けを行ない、それぞれその職分を全うしている。ここにトータルオプティマムとしての愛がある。

2.           自分はもとよりOKといえる存在ではない。だが、not OKのものは世にあまねくある。卑怯な同僚はいうに及ばず、美しくないものは片っぱしから切って落とす。前掲語群参照。わたくしのささやかな「良識的部分」がひやりとする「東北的風貌」などというのさえある。かつ、「タコ」「眉なし」と罵倒気味に呼んではじめて成立する「負の愛」もどうやらあるようだ。そして、この自身による再構成を通じて、「現代ってこんなものでしょ」という提示を目論んだのである。

 

この豪著に添って、島修らしい歌の成立過程を推測しつつ、「硬式短歌」の一例として、まず提示したい。

2001.5.15

 

「キレ」に優れる今野寿美のバランス()

「今寿美らしい短歌」成立の基盤

 

「正当性を確保しながら、個性を磨きぬく」という「硬式短歌」の例のその1は今野寿美である。前節の島田修三同様「その1」としたのは、この両者では「正統性」と「個性」のプライオリティが逆だからである。

出門の代表例として誰を挙げようと思いつつ、数人を考えていた。井辻朱美の独自路線は常に敬意をもって見続けているが、あまりにも「求心的」であるのでこれ一例というにはそぐわない。

逆に、今野寿美については歌集としては「め・じ・か」1冊しかみていないがこれは極めて噴出的。しかし、小論の目的は人物研究ではない。片鱗をみれば特性はわかるのでこれをもって代表とする。

ところで前項、ふとした衒いごころから、島田修三氏を島修と呼んだ。一方、島修氏と違って、今野寿美さんとは面識が全くなく、姿をみたことすらない。が、都合上、今寿美と書き、便宜的に本稿に限り「こんすみ」と読むことにさせていただく。特別の意味はない。馬鹿な衒いに過ぎない。

 

島修は本来正統的な「万葉学徒」であるが、今寿美もまた正統的教養が高そうである。島修の荒魂、つまり、「荒々しい仕上げ」に対し、今寿美の生命は和魂すなわち、「綿密な仕上げ」であろう。この「綿密な仕上げ」は実は曲者であって、多くの場合、間違いなく歌の勢いを殺ぐ。先行の猿真似になりやすい。かつ、多くの入門書がこれに加担しているのは苦々しい限りだ。(ところで、唐突ながら最近の入門書の中に、田島邦彦の「ぼくの現代短歌<再>入門」がある。よかったのはその中で古今の「入門書」抜粋を掲げていることだ。氏はハナから正統志向だから、「独創性の高い好著」は恐らく洩れているにちがいないがそこはそれ、「手っ取り早さ」という意味では責を果たしている。)

 

話を戻すと、「綿密な仕上げ」が活き活きとすることはかなり難しい。というよりも、珍しい。最初から「纏まり」をめざす人の作品はどうしてものっぺりするからだ。腰が入らないのである。踏み込みの深い人が「綿密な仕上げ」をするときはじめて、エラボレイションの成果が出るのである。結論的にいえば、「異端」の要素を「綿密な仕上げ」で装えばこそ、異端性が光ろうというものだ。しかのみならず、知的遊戯性はここに発する。

例証をこころみよう

 

一億五千万年前から鳥は鳥 羽一枚もふつつかならで

 

見おろして鳥もわれらも過よぎるなれ何でも映るといふ水の嘘

 

山も春なれば鬼女さへ孕むとか けだし真白き糸はきながら

 

1首目

ここで使われている語はどれひとつ常套ではない。ゆえに上等に属する。歌語としては徹頭徹尾奇妙である。ここでいわんとするところは「鳥の完全性」だが、普通は否定形を許さない「ふつつか」をもってきているところが稀有。論旨に大きな意味もないが、鳥の羽毛のなめらかさをあますところなくいいえている。絵なのだ。こういう歌は「見たとおりに歌いたまえ」という語句の墨守からは決して出てこない。今寿美の根には「創造への文化的意欲」が横たわっているというわが推論の傍証はこうして可能になる。

 

2首目(見おろして鳥もわれらも過よぎるなれ何でも映るといふ水の嘘)

「過ぎる」の目的語が欠落。「水鏡」なる美辞麗句の虚妄を剥ぐ、といえばいいすぎだが、歌意はそういうところ。上下句間の溝を不備ととるむきもあろうが、これは「綿密な仕上げ」の所産。「鳥が(たとえば)湖上を渡るとき、その影は映りそうで映らない」、これを、人と「真理の鏡」たとえば「哲学」に比定して考えるのですかねえ。

学童のときに「凝りすぎるほど凝った」先生の詩文の解釈に「懲りすぎるほど懲りた」わたくしがこのようなことを述べるのも奇妙だが、この歌はそういう歌なのである。

 

3首目(山も春なれば鬼女さへ孕むとか けだし真白き糸はきながら)

この下句を稚拙という方も居られようが、鮮明なクリーンヒット。鬼女の懐胎はかの女の交合を意識下に引寄せ何とも正に妖艶。

 

いずれも、見事に「知」の勝った作風。歌の仕上がりは品格・バランスともに適うが、歌意の土台(さすがにガタイとはいえない)が土台だけに、作に「キレ」が滲み出るのである。この「キレ」こそ「硬式短歌の骨頂」をここでわたくしは叫ぶ。

 

今寿美はただ遠くから眺める限りでは「正統的」な作家に見えるが、一皮向けば異端ぎらぎら。島修が「正統」のコアを「異端」で鎧ったのに対し、今寿美は「異端」のコアを「正統」でくるんだのである。ここに、冒頭、「正統性」と「個性」のプライオリティが逆だからだ、といった意味がある。いうまでもなく、ともにばりばりの「硬式短歌」だ。ところで、両者を比べるならば、エラボレイションという意味では、遥かに後者が前者を上回る。いや、それとも、島修の蛮刀はそれを「さりげなく」鎮めていると整理すべきであろうか。

2001.5.19

 

出門のための「いろは」

まず、いろはの「い」()

 

小論もそろそろ終盤。「自分らしい短歌」を作るための枢要事項を3点だけ述べて終ることとしたい。名づけて出門のための「いろは」である。

 

ところで、入門の「門」がもし、現代の「短歌解釈共同体」との協調への道へ続く入門だというなら、尻啖えである。暗黙の予定調和的共通理解のための共同体はムラであり、ムラとは生活保全のための基盤的組織であり、つまるところ利益紐帯である。だから、宿命的に真理の醸成とはほど遠い。利益紐帯とはつまるところ「貸し借り関係」であり、不潔になりがちな世界である。誰がどう行動するかを克明に記録し、組織や主たるメンバー間で相互利益の総合コントロールがなされている関係なのである。そんな中での、金魚鉢短歌・軟式短歌の山が何になる。つまり、「解釈共同体の共通認識への拘束」から自由になることが重要であり、であればこそ、不潔な門から離れることを「出門」と定義したのである。

 

そうなると、出門に必要な3要素は、自ずと明らかになってくる。共同体への拒否は相対的に「自我」の優先となる。こうして出門の先にある「自分らしい歌」を求めるに至るのであるが、そこには往々にして「瞠目すべき奇歌」が発生する筈である。今後はこの点に接して纏めていきたいと思う。いや、纏めるという語が臆病者の辞書にしかないことばであるのだというなら、この点について書き貫いてみたいと思うのである。

 

いろはの「い」:いんてんしょなり(intentionally

 

「奇歌」は先ず、意図されて作られなければならない。どういう意図かといえば、明らかにその時期の解釈共同体に対して反発的なものを意図しなければならないのだ。

 

むかし、「賞を獲るためにはほんの少し授賞の傾向を調べて、ちょっとそこだけを押さえさえすれば、たやすく獲れますよ。ちょっと気の利いた子はマーケティングの常識程度は、みんなやってますよ。」と胸を張った人間がいた。彼女のように「賞を獲る(これがそもそも間違いで賞は本来頂くというべきものだ!)」ために歌を作るなどは論外、下賎、ろくでなし。身の毛がよだった。おそらく、対策としてかの「アホ塾」でも読んだのだろう。本が売れた塾長は「我が意を得た」のだろうが、信じられないことだ。もし、授賞作品の傾向を調べるのならば、それをintentionallyに「避けるために読む」のが本来の物書きではないか。文化的意欲とはそういうものだ。本来、言語活動とはそういうものだ。もっとも、先の女性は見事に受賞しているのだから選者諸氏も嘗められたものだ。いや、そういうレベルの選者とその程度の受賞者が琴瑟相和して万万歳、重宝されてこそ、解釈共同体は健全に機能を果たしているのだろう。再び、ぞおっとする。然なり。そうやって、この門に入ることを入門と呼ぶとすればこれは墓場じゃあねえか。

 

だから、誇り高い、良心的な作家はこんな滑稽な解釈共同体に対して意図的に反発的であろうとしなければならないのだ。歌を作ろうとすれば普通は、結社に入る、同人を組む、投稿する、いずれにしても他見に触れなければ書く価値がない。つまりは、いやおうなく共同体に接する。

ところで問題は、あらゆる共同体には、支配欲の強い者とその周囲の揉み手野郎やら何やらが変な風土を作るということなのである。授賞者が権力主体、先刻の馬鹿受賞者(ども)が揉み手野郎(あ、女性もいるけど)をネズミ講式に組み込んでゆくのは最早文化の世界ではない。

 

まあ、これ以上、あまり下品には叫ぶまい。

 

要するに、いろはの「い」は先ずは簡単、決意なのである。

2001.5.27

 

出門のための「いろは」

ついで、いろはの「ろ」()

 

いろはの「ろ」:ろんり(lonely

 

次に求められるのは、「反」共同体的はでなく、「非」共同体的行動である。「反」というときには、すべからく、「自我」に先行して「共同体」を念頭においていることから「反」という言葉が出てくるわけだが、逆に「非」といえば「自我」自体が、非共同体的、孤立指向になるということであり、より純粋な意味で自己完結的、明快な事態だということになるのである。

「孤立」は「自我」を育てます。「右顧左眄」を繰り返していると「器用さ」は育つけれど、「自我」は育たない。もっとも「右顧左眄」を「学習」と誤解する向きもあるが、それは愚鈍の骨頂。「自分なり」の検討をするときには徹底して視点を据えた方が良いに決まっている。と、こう書いてくると、どこやらの「入門書書き」の筆致に似てくる。いやだいやだ。お節介はほどほどにすべきだろうか。

 

奇妙でかつ嫌ないい方だが、いわゆる、歌人として流通していて、かつ、個人的にも信頼している数少ないひとりにKさんというお人がいる。(注;信頼は当時の話、馬脚を見た2005.8.5現在では普通だとしか言いようがない。)彼は、二十歳前から驕慢な歌を一貫して性懲りもなく書き続けているわたくしと違って、(つまり、わたくしよりもずっと遅く歌に接したが)歌を作り始めて最初の3年間は古今の歌に関する評論を読み漁ったそうである。そうした挙句、「今何が必要とされているのかが‘ぼんやり’と判った」というのである。今じゃあ、あの世界では押しも押されもしない大人となったが、こうまで徹底すればこれは「右顧左眄」どころか、徹底したlonelyな行動だったのだといえよう。結果、彼の文章は信頼性の高いものとなっているように見える。(これも当時の話)

 

K氏はさておき、わたくしは「勉強家まがい」は大嫌いである。評論でも、引用引用また引用というのがあって、引用の挙句に‘I think so’とくる。‘ I think KO’(KOは日本語の「こう」)と言いなさい。そうでなければ、lonelyはおろか、論理すら成立できなくなってしまうだろう。あるいは、学習塾的な小論文指導にぺこぺこ従っていると、「内容的に傑出した独自性」はおそらく「教えていただけない」だろうからこういう情ないことになってしまうのかも知れない。

 

いずれにせよ、孤高のつもりで走り続けることだけが肝要なのである。万人がやることをやる中では「孤高を夢見る走り」以外に自我確立の道はない。あまりにも、「独善」にブレーキを掛けすぎて、それを口説きながらしたり顔でもったいぶって「入門入門」というのは大間違い、ものを書くときには、断じて「唯我独尊」を自己に命ずるべきである。言いかたを変えれば「孤独な鍛錬」あるいは「only oneの追究」が必要なのだ。こういう「もの狂い」の限界は、自ずと「定型」がさし示してくれよう。この程度の「暴れ」には十分耐え得る「柔構造」を持っているのが「伝統詩」短歌であったのだから。自分の作る歌ぐらい「ちやほや」せずに育てるべきであろう。「硬式短歌」を目指す以上は。

 

要するに、いろはの「ろ」lonelyもまた、決意の問題なのである。

2001.6.9

 

出門のための「いろは」

さいごに、いろはの「は」()

 

いろはの「は」:はったり(hotly

 

最後は「熱く(hotlyに)」作る。無論「はったり」は日本語の「はったり」への思い入れからの音訳である。ここに要求されるのが「はったり」を「hotly」に吼えることで、これがとりもなおさず、3番目の要素になる。先に触れたような、現状順応のマーケティング型の発想は、決して真の問題提起をしないので、ここは一番、現状を見下ろすくらいの心意気でむりやりにでも「俺が一番、俺が真理、俺が思潮」という「大高慢」こそが必要となってくるのである。

 

もっとも、声高に、主義主張を叫ぶのは、透谷、鉄幹、子規のような、心理的に未成熟な時代の特徴なのであるから、当節は言挙げでなく作風によらなければならないということにも触れておきたい。

既成のものを忌避し、「変化すること自体に意味を求める」のが「硬式短歌」の基本である以上、必要とされるものは「軟式」とは大いに変わってくるのだ。たとえば、「軟式短歌」が重要視する「大物研究」などは、ほぼ不要だ。雑誌社の「岡井隆研究」における微細なグルメ的な味わい方の手法などは、他の雑誌社の「究極のラーメン研究」と問題意識のレベルが同じなのであるのだから。こういう「じゃあなあリズム」に流されて「右往左往」せず、「わかる奴だけわかればよい」という心で生きてこそ初めて、「特異性」が磨かれるのである。

 

であるから、こういう「大高慢」によって産みだされる作品は大いに標準からズレる。ズレるということは党同閥異のムラ社会では、恐らく「嘲罵の標的」にされよう。いや「鹿戸」かな。

 

そんな中で、「はったり」を貫くためには、当然、相応の実力が要るのだ。「はったり」の要諦は、最大数の語彙、最大振幅の技法、そして最上辺の矜持である。かつ、「単にヘタでずれているだけだ」と言わせないために「圧倒的な勢い」「狂的な熱気」という要素も必要になる。

 

もっとも、「はったり倒れ」と言われるのも無念であろうから、これに備えて、もうひとつの「隠し味」を用意しなければならない。そっちの方の「は」は「はいぶらう:highbrow」である。つまり、単に「ヘタでズレているだけ」だと思われない、つまり「嘗めさせない」ための「備え」「風格」めいたものがそれであって、このために、先の「孤独な鍛錬」が必要となるのだし、その結果がたまたま、「軽佻浮薄」や「気障」に近接しても構わないのである。でもやはり、「磨きぬいた個性」には、少々でよいのだが「綿密な仕上げ」で鎧われる必要もあるのである。

 

かくて述べ終えた。このあたりでそろそろわたくしの「はったりの腰折れ」で末尾を汚しつつ小稿を閉じさせていただきたい。

 

究極の真理へ向いた俺であるから世俗の敗けを敗けというなよ

 

しかれども白片耳しろかたみみには告げざりき朱に染まりて斃るる将来すえ(骨一式)

 

ここまで、お読みいただいた方が居られるか否かは不明ながら、もしそういう方が居られればそのご奇特さに対し奉り、深甚の敬意を表させていただきたい。

 

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2001.6.9