fuki

 

FUKI

依田 仁美のWorkshopPlayground
Yoda Yoshiharu SINCE 1999.11.19
2018.1.1
あなた様は本地球上で実にhttp://cgi.www.ne.jp/cgi-bin/Count.cgi?pad=N&md=10&dd=C&df=index.dat人目のご奇特な方です。
 

violet

BLACKPRINCE

warusa

mail

 ※URLのwalserは“warusa”と“walther”を合成した無意味綴であります.

 
CONTENTS(目次)

⇒WHO&WHERE(ご登場の方々1,394氏)


硬式短歌という提案

   Edge    Enery    Eagerness

Togari     Riki      Kihaku

謹賀新年

(ごあいさつ)

佳い歳が参りました。

本年も宜しくお願い申し上げます。

戌年は好きです。

当今、twitterとやらが流行していますが、フローは性に合いません。

かといってストックも得意ではありませんが、

今年はもう少し「この地」を肥やしたいと考えております。

といっても「この地」は、今日現在の知情意・生き方が、

少少子供っぽい衒いに鎧われて

ならべられているに過ぎません。

微笑を含まれてお遊びください。

 

このところは、ややじっくりと中期的な構想を抱えて

おりおり、禅のまねごと武道のまねごとに収まっています。

あるいは抱卵期かも知れません。

空手の形は、しばしば終末直前に「抱卵の構え」をとります。

そういう時点にいるのでしょう。

 


Contents

⇒2000〜2003年刊行歌集

⇒2004年刊行歌集

⇒2005年刊行歌集

⇒2006.7年刊行歌集

⇒2008年刊行歌集

⇒2009年刊行歌集

⇒2010年刊行歌集

⇒2011年以降刊行歌集


☆☆☆☆Rum Sour☆☆☆

妙に酸い!

2号にして終刊「紙の無責任、無責任.zone」

2017.10.17

「紙の無責任」2(2017.10.1)は清水らくは、と、浮島の二人誌である。

「紙の」というからにはNET上の無責任がむろんあり

こちらは5年継続している。

そのあたりを「あとがき」が全て物語る。

 

紙の無責任、二冊目です。

最近はらくは浮島共にちょっといいことがあったりして、

創作活動に気合が入っている……かも知れません。

ただまあ、いつも通り気楽に毎月発行しています。

……と、ここまで書いたところで、突然の知らせを受けました。

浮島さんがなくなったというのです。

これを書いているのは、彼が亡くなってから三か月以上経ってからです。

(略)

無責任.zoneとして出す本は、これが最後になります。

一人でも多くの人に読んでもらいたいと思います。

 

誌面には両者の短歌と詩があふれる。

 

図書館に閉じ込められた文鳥は五万五千の鳴き声を得る 清水らくは

嫌われたそう思ったらおしまいで若木の枝も真水に沈む

一円は今日も転がり呪詛を吐く「ICカードよ滅んでしまえ」

 

みずうみのなかで明滅する青いひかりああ、ほらあれがアナベル 浮島

湖のさざ波うつろな水中花 泣くなお前 いま殺してやる

冷蔵庫へブロッコリーをしまう夜おやすみなさい肉切り包丁

 

なお、blog版はこうなっている。

http://borderpoem.seesaa.net

 

 


新作

 

超言語交流

2018.1.1

 

イヌなるキミに言語で令す非言語でREMは応ずる正確無比に

ダッシュだぞ!唱えればREMはわが庭をつばめ返しに弾丸疾駆

彼思う故に彼ある大晦日以心伝心日を分ちあう

この歳も「犬魂歌心」生き継ぎて肩に手を置く三寸の肩

盟友というには小さくいのち短く純そののもに生気そのもの

一心に食えばかなしく熱心に玩具囓ればさらにせつなく

我思惟し彼も思惟なす一対は超言語にて表裏一体

 

 

⇒ケモノ道=わたくしの新作

 


☆☆☆☆七宝の輝き☆☆☆

 

NEW

()(せき)()』 □五十嵐順子(いがらし・じゅんこ)

2017.7.7. ながらみ書房

 

この歌集の読者には「スマッシュ」の連続攻撃を観るような楽しみが約束されている。

瞬時に歌をシャープに繰り出すのは五十嵐順子さんの鋭利な五官のなせる業である。

1首目の「舌」の感覚、第2首目の「つまさき」の感覚は、末端で捉える「生身感覚」、

共通の体験を思い起こさせられる。

紀行の歌も所載約500首の中にあふれる。

第3首目はどうだろう。滝の水量のリズムに「滝を打つ手」を発見し

次では、転倒した際の視点の転移の中で「真っ青な空」と捉える。

スマッシュという由縁がここにもある。

花わさびひと箸ほどのあさみどり冬のまどろみの舌驚かす

ブーツ履くつまさきじんじん冷たくてきょうの寂しさここで行き止まり

はっしはっし滝を打つ手があるようだ水の落下に見ゆる緩急

つまずいて転んだついでに仰ぎ見る北アルプスの空の真っ青

奇跡の木(Survivor Tree)と呼ばれ一本の梨の木残る 証言者として

おれの杭と言わんばかりに一本を占めたる川鵜が杭ごとにいる

雲割れて意外に明るく月のぞく頑張ってみれば掘り出せそうに

数多い紀行歌の中でも、グラウンド・ゼロを訪れての「奇跡の木」は

五十嵐さんその人も、自身もまた、証言者」となったという一体感を歌わずにはいられなかったのだろう。

第6は我が町我孫子は手賀沼の光景、ここにも「わたしの町」感覚が覗く。

「奇跡の木」にも「川鵜」にも「寄り添って詠う一体感」がある。

ボールの質量をラケットで確実に捉えているのだ。

ならばこそ、「月」もほぼ我が物となる、と納得。

五十嵐さんは「歌と観照」の人、本集はその第4歌集である。

 

 

NEW

『トオネラ』 □松平修文(まつだいら・しゅうぶん)

2017.6.23. ながらみ書房

 

松平修文さんに市川の歌会で会ってからはや38年。

それは措くとしても、同世代の作歌には争えないもので、視線にどうしても「同世代の絡み」が纏わる。

スクランブル発進して一首を飽くまで眺めることもしばしばだ。

1首目第2首目の作にはそれぞれにそれぞれの屈曲がある。

犬に魚に訪れた不幸を絞り込んでいる視線の高さにはよくよく同意できる

第3は松平さん描くところの絵画そのもの、ここには奥まった扉絵のたたずまい。

かつ、これらにはのっぴきならない現代の「負性」が著しく象られている。

街へ行きしや森へ行きしや 明け方に戻り(びつこ)(いぬ)傾きつつ水を飲む

意地悪さうな水甕なので蓋をされ、魚はいつまで生きられるのか

路地のおくに燈をともさざる石館(やかた)ありて、緑青を噴く()()の扉絵

向日葵は丈夫な茎で天辺の焦げた頭を支へ、乾涸らびた葉つぱをぶら下げて立つ

貴方様に差し上げることができるのは、拳骨ぐらゐで御座います

トウオネラの白鳥」を繰り返し繰り返し聴く 日輪は過ぎ、月輪は過ぎ

()()為し得ることあらばせむ 身を病むことは既に忘れつ

もうひとすじ、スクランブルで得た感想がある。

作品に連なる収斂、というよりも「帰一性」が著しい。

4の「向日葵」の描写、以降、異色の第5も含め全てに共通する。

6の思いは時の永久の周回を見詰め

第7は自己に「帰一」する。

ただ、その「帰一」に至るまでが「複合的に捩り合わされた歌心」がある。

読むほどにきわめて東洋的な味わいが深まる。

本集は松平修文さんの(ノヤ)に次ぐ第5歌集である。

 

 

NEW

『紅いしずく』 □光本恵子(みつもと・けいこ)

2017.6.4. 本阿弥書店

 

光本恵子さんの歌は、絶えず一首ごとにリズムを生み出す尽力と共にある。

音読するとその楽しさは即座に味わえる。

リズムの肌理という意味で定型短歌を寄せ付けない細かさがあるのを十分に味わわせる集である。

1首目は集題となる作であるが、ほぼ定型、三句目の字余りとさえ読める。

季節を通じてこの花が耐えたであろう苦節を担わせるのをこの韻律に託し

代表歌として位置づけた心ばえは、読者が立ち止まって音読を重ねるのを待ち受けるようだ。

2は亡くされた父君への追懐、みごとな凝縮である。

 

厳寒の季節を耐えて身をよじらせ紅いしずくは花を咲かせる

儲けも考えず笊のようにただ働いた父 戦死した友を想い

この宇宙に一粒にも満たない小さな命 何をじたばた

娘の結婚に招かれて向かう沖縄は台風の目 これって大当たり

古も今も夜空に慰められる 歩む頭上に赤い星ながれ

土浦、水戸と通過して初めて乗る常磐線しとしと雨降りつぐ

第3以降に共通するのは「自己の観照」である。

客観的に動画で自撮りするような視点、それぞれがレアな形で呈示されている。

いずれも「新鮮」なのだが、これはおそらく結句の功績なのである。

ともすれば下句七七、特に結句七音で「見得」を切る「伝統的決着」と無縁だからである。

第3第4の結句は感情のギャラリー、十分に「抒情」を果たしている。

第7は頁主の「お庭」ここの「初めて乗る」に一驚し敬意を捧げる次第です。

光本恵子さんは「未来山脈」の主宰、本集はその力動の第7歌集である。

 

 

NEW

『御供平佶歌集』 □御供平佶(みとも・へいきち)

2017.5.9 ながらみ書房

 

本欄で特に8首というのもこれは必然、本集は御供平佶さんの全4歌集の集大成、分厚い文庫本判である。

『河岸段丘』1974年、『車站』1982年、『冬の稲妻』1984年、『神流川』.1993年と並べば壮観である。

「戦後40年を日本に存在して昭和とともに消え去った〈鉄道公安〉」と御供さんは職場を紹介する。

集を開けばまさに「常在戦場」、頁主もいっぱしに道場を駆け、

職場消防団では演習隊長で「かしらア中ッ」を務めたがこれとは二桁はちがう。

御供さんとはン十年、立食パーティの温顔を主に見ていたばかりであったが。

つまづきて轢かれし君のなきがらを重く担ひて線路をまたぐ『河岸段丘』

新しき職場となりて厚き板筆ふとぶとと鉄道公安機動隊『河岸段丘』

「国鉄めこくてつめ」椅子を振りあぐる一人すべなく罵声が囲ふ『車站』

人をうつなき拳銃を眼のわきにかかげて次の号令を待つ『車站』

制服を敵と思はすいかほどの酒か面罵に白じらむかふ『冬の稲妻』

〈かしら・なか〉面々の帽ひるがへる師走週末朝のわが声『冬の稲妻』

一電車二電車ゆきてしづまらむホームに送る撤収の指示『神流川』

主任官わが名をしるす送検のあといくたびが痴漢をふたり『神流川』

1は殉職に際会しての実感、第2は職場を新たにしての感懐、若さが滲む。

、第3は暴動との直面、第4は治安維持のための実射訓練。

第5は制服嫌悪の酔漢との対面、第6は歳末特別警戒を控えての訓練の指揮官の英姿。

第7、第8は管理者としての視線のうちに治安が確保されていることが詩的に実現されている。

御供さんは「国民文学」編集人、本編はこれぞ男の生涯禄、男の躍動そのものである。

 

 

NEW

『朝のメール』 □加藤和子(かとう・かずこ)

2017.5.9 ながらみ書房

 

この歌集は加藤和子さんの13年の蓄積、家族への思いと、

折折の発見の綯い交ぜにになった集大成である。

ご息女がたはヨーロッパ住まい、朝のメールで一日が始まる。

第2、第5首は往復の飛行機にまつわる物語。それぞれ少し切ない心境が滲み出ている。

石の家に降りゆく雪の淋しさを思えり朝のメールを閉ざす

赤いザックひとつ失くして駆けまわるいずこの国か夢の空港

列島の腰のあたりか突き出でて東京地方に冬晴れつづく

かかと・かかと己が言葉となりながら冬の並木の歩を拾いゆく

大いなる鳥の臓器となりし身か昏くぬくとき機中に眠る

乾きたる玉葱の皮か蝸牛の在所探しは空想に似て

若き日の写真小さく飾られて笑まえり故人という名の息子

本集の特質は、身辺の素材をよくよく眺めて、独自の「詩境」を切り開くところにある。

第4の「かかと」を思いながら「歩を拾う」散歩、第5の機中の自己観察、

第6は蝸牛探しのつれづれの作品である。

最後の歌はいつも心を離れないご子息の微笑。

加藤さんの「精魂の傾け」が香り立つ第4歌集はずっしりと重い。

 

 

NEW

■『連灯』 □佐藤通雅(さとう・みちまさ)

2017.3.11 短歌研究社

 

佐藤通雅さんに松島でお会いしてから43年が経つ。

仙台在住の佐藤さんが「震災」「核災」の跡を目の当たりにした作品に寄り添う死の影は限りなく濃い。

第1首目は自身といわば朋輩ともいうべき「書」がそれぞれ眠りに就く際の静かな充足感が見える。

第2、第3は人間の日常的な「さりげない姿勢」にそれぞれの人生が炙り出される図。

第2は後の策で正体がクレヨンと判ってほっとする。

栞紐の白をはさみて灯り消す書にも一夜の安寝あるべし

人の骨やも知れぬ白、砂にあり洋の聖者のごとくに屈む

道の脇にボンネット開けて覗きゐる人生つて感じの人の後ろ姿

遠つ世にもかかる連灯の坂ありや登り切るまで人の影見ず

還りこぬ人想ふとき道の上の丸き灯の色のやさしさ

思春期あり思秋期あれど思冬期なし冬こそ深くもの思へるを

生、まして死すらを知らざる一、二歳また三歳の碑名は並ぶ

第4、第5はまさに「連灯」の世界、この2首だけでも「人はつねに灯りと共にある」という主題が

しみじみとつたわってくる。

第6と第7では、老幼それぞれの状況を切実に提示されている。

総じて深い一巻である。

佐藤さんは個人編集誌「路上」編集人、

本編は2013年から2016年までの340首を所収する第11歌集である。

 

 

■『うはの空』 □西橋美保(にしはし・みほ)

2016.8.26 六花書林

 

てきぱきした「捌き」が随所に見える颯爽の一巻。

遠い海面を見ていると、ところどころに波の「きらり」とした部分が見える。

そんな感じで「てきぱき」が見えがくれする。

第1首目、2首目、.これを「てきぱき」と呼ばずに何と呼ぶ。

だた、第2には歴史の悲しみがたゆたう。

第3は「あなた」への情愛がさらりと健康的な「撓い」を見せている。

映り込んだ月を盥でざぶざぶと洗つてさつぱりきれいな月だ

出陣の化粧の紅に泣きてより千年たてど口紅が嫌ひ

月の指す方へと伸びてゆきませう わたしはあなたの歌をうたふ樹

日本刀を抱きて新幹線に乗るわが夫なれども知らざる両腕

われの住むマンション八階うはのそらまことにわれはうはの空に住む

朝に夕に(ゆめ)(さき)(がわ)を渡りつつわれはいづこに行くを夢見る

義仲は振り返りたるその刹那射貫かれしかな授業の最後に

ところどことろに頁主と親しいところがある。

わたくしもかつて、日本刀を背負って山手線で通勤したことがあり、「木曽殿最期」にも強く共感する。

このあたりにもそこはかとなく「浪漫」が香るが、それが著しいのは、第6、第7である。

マンションに住みつつそれを「うはの空」と朗らかに眺めなおし

実在する「夢前川」に託してさらに自身の夢を深めている。

西橋さんは「短歌人」の所属。

かくも軽やかに心の襞を歌いあげた本歌集は第一歌集『漂砂鉱床』以来17年ぶりの第二歌集である。

 

 

■『月に射されたままのからだで』 □勺禰子(しゃく・ねこ)

2017.7.24 六花書林

 

時機を捉えてスマッシュを決めるには、常に「機を待つ構え」が要る。

世の中には「機微」や「潮」が随所随時にあり、これがしばしば、勺禰子さんの「着眼」と化合する。

そういう生鮮な作品が本集の華である。

天球儀を並び見上げて手をつなぐこと易ければこそ 触れざりき

落ちたての花びらを轢く感触のなまなまと車輪伝ひ登り来

はふり・ふはり・はふり・ふはり と転がせば屠るとふ言の葉のやさしき

水玉色の水玉かなしピンク色の水玉いやらし水玉あはれ

ゆら、と夾竹桃揺れて大阪の午後二時半八月は混濁

はじめてのそして最後の夕日浴び解体家屋はからだを開く

ときどきは峠で耳を澄ますこと月に射されたままのからだで

第1は心の機微、結句の1字アケの呼吸に首肯する。

第2は自転車のジャリっというかん感触、言葉自体もなまなましくまとめ上げている。

第3第4は視覚を動員しての説得調でこれも効果的。

第5の読点は二分休符、下句の句またがりともども朗読にゆさぶりをかけている。

第6は都市部の入り組んだ家屋の解体をあるががまの実況詠。

集名となった第7は展翅板の蝶のよう、動き続ける人生は一瞬に代表刺せられるかも知れない、という報告と読める。

勺さんは奈良市在住、「短歌人」メンバー、本集は起伏ゆたかなその第1歌集である。

 

■『夏野』 □大室ゆらぎ(おおむろ・ゆらぎ)

2017.7.18 青磁社

 

歌集のところどころに、いや、頻繁に「異」が漂う。

よく見ると、.その「異」には幾層かの鉱脈がある。

そう思いながら掘り下げを繰り返すうちに気がつけば「むくろ」と「蛇」が集まっていた。

当頁においでの皆さまにはこの経緯の陳述を、かつ大室ゆらぎさんには偏愛の志向をお詫びすべきかも知れない。

身は朽ちて流れ着きたり砂の上に清く連なる頸の骨かも

叢にむくろさらしてゐるわれを荒くついばむ鳥にあてがふ

髪洗ふまなこ閉づれば持て扱ふシャワーホースに蛇紋は兆す

死んでゐても可愛いお顔、撫でてやればやはらかな毛が抜けやまぬよ

透明なしづくのやうなおしつこはこぼれゆらぎは死んでしまひぬ

長かつた蛇は轢かれて長いなりに平たくなりぬ、朝から暑し*

(さん)(さう)のわれの眼窩を這ひ出して百年後に咲くゆふがほの花*

頁主はこの集にやはり「耽美」をあてがう。

第2は「くさむらに寝て」の詩想。

第3のシャンプーのホースの手触りにメドサを重ねるのは頁主ばかりではあるまい。

ネコの玉藻ちゃん、イヌのゆらぎちゃんは死んでも可愛い。

第6、第7の*は集名となった「夏野」22首から。

やはり「夏野.」は未生の「夢のあと」なのだ。

「散相」はかなり風化のすすんだ遺体だから、ここでも第2のような「生体遊離感覚」が描かれる。

詩精神を自ら督励しているように見えてならない。

他の鉱脈をさぐれば他の世界が見える歌集である。彫りも堀もふかい館である。

大室さんは香川県在住、「短歌人」そして「舟」のメンバー、本集はそのひさびさの第2歌集である。

 

■『窓は閉めたままで』 □紺野裕子(こんの・ゆうこ)

2017.6.27 短歌研究社

 

紺野裕子さんは福島で生まれ育った。

福島には豊かな山川草木数数あろうに、当今はどうしても原発事故に思いが傾く。

集題は以下の掲出、第5から第7を含む連作から採られた。

「窓」は第6に見える。

ほんらい「気勢」に近しい「はためく」という表現もここでは寒寒しい光景を強く示すところとなる。

ふるさとの住宅除染説明会 父に代はりて出席をする

終末のケアのみに生くるけんめいの息の緒あらし肩が上下す

セシウム値高き乳ゆえ人間に見限られたる牛をこそおもへ

阿武隈は平らかにゆき低丘にちちははの死はつねにあたらし

ふくしまの止むことの無き喪失をわが身のうちにふかく下ろさむ

廃校の体育館の高窓に褪めたカーテンはためきてをり

誰がための帰還ならむか〈絆〉などゆめ持ち出すな為政者たちよ

掲出は歌集の発表順、第1首目の「代理出席」は、父君の高齢と残念な生活環境を冷静に表わし、

次の作ではまさに端的に父の苦悩をとどめる。

短歌の制作者としては苦境をも精確に留めることこそが「敬慕の証し」と心得ているのだろう。

さらに、不運としか言えない乳牛を見、あたらしく仏となった父母を故郷の山に思う。

ついで、被災後の現実。

この悲しみは当事者以外には判らない、きれい事は何事も解決しない。

震災の遺したものを着実に表わす著者の、また短歌そのものの力を思い知らされる。

紺野さんは「短歌人」のメンバー、本集は、『ガラスのむかう』マドリガーレ』に次ぐ第3歌集である。

 

■『インソムニア』 □高山邦男(たかやま・くにお)

2016.4.20 ながらみ書房

 

高山邦男さんはタクシードラーバーである。

感受性に富み、記銘力に秀でた、ドライバーである。

「動体視力」というが、高山さんは「動体記銘力」がはんぱではない。

フロントグラスが掻き分ける情景が瞬時にダイナミックに詩化されている。

嘘つきを「告発」ではなく「告白」というのは自省に読める。

「インソムニア」は不眠症の意、「不夜の巷・東京」とドライバーの織りなす世界の喩であろう。

君に似る髪形の娘の一瞬を凝視してまた遠くへ戻る

嘘つきを告白せよといふごとく工事現場の光過剰なり

木琴のリズムのやうに次々とヘッドライトが近づいて去る

母にまだ心の形ある時の言葉が銀器のごとく輝く

人相が変はつしまふ程瘦せて父は意外にハンサムな顔

平凡を身に着けるまでの生活は櫻井千鶴子といふ名の時間

悪人はへこへこへことやつてきてあなたの鍵を内から回す

後半は身近な人人への思い。

父母への敬意が滲む。晩年に寄せる「美化」は美しい。

第6首目、婚約者の残り少ない独身の時間への思い、何たる純情。

他方、末尾で「善人面した小悪党」は現代のこすっからさを暴いてみせている。

先日、さる会で、著者を遠望した。

遅ればせの本欄ご紹介は、じつは、そのスマイルに大いに励起されている。

高山さんは「心の花」のメンバー、これは、その「人肌の」第一歌集である。

 

 

■『みちひらき』 □武藤ゆかり(むとう・ゆかり)

2017.6.6南天工房

 

「みちひらき」の神とは猿田彦大神を指すという。

その心は、本集には偶然のように訪れた土地での作が多いということのようだ。

武藤ゆかりさんは相変わらず多作で本著所収は1105首。

この間、じつに3年間である。

甘きこと至福千年続くべし風に吹かれてかじる(だけ)きみ(たけ)温泉)

北国の雲は浮かぶというよりは飛んでくるもの晴れ曇り雪黒石(くろいし)の雪)

引き算の豊かさ満ちているところみちのく津軽らんぷの宿は(らんぷの宿)

曇の日の空はまぶしい真っ白に晴れの日よりもなぜかまぶしい(空と風)

脳内で実況中継しながらの散歩はいつか詩となりにけり(自画像)

書き留めた文字よりみみず這い出して母の寝顔に触れようとする(歳晩独語)

気の利いたことばも出ずにお別れす手向けの歌を胸におさめて(青い光)

第1から第4は旅の折折の描写、武藤さんのことだから必ずカメラは携行している筈で、

それゆえに、どの作品も静止画との「補完関係」がいっそう際立っている。

「嶽きみ」なるトウモロコシの味覚、「飛んでくる」という動=A「豊かさ」に集約される雰囲気、

第4では「生体の官能」ならではの切り口がしっかり表出されている。

第5から第7は、詩人としてのまさに「自我とその周辺」、たくいまれな「素直さ」がとても好ましい。

武藤さんは「短歌人」「利根歌会」のメンバー、

『とこはるの記』『北ときどき晴れ』など多くの歌集のほか

『ついのすみか』なる3026pという頁主の書架には勿体ないような迫真写真集もある。

 

■『WAR IS OVER! 百首』南輝子(みなみ・てるこ)

2017.5.3ながらみ書房

 

以下に勝るイントロダクションはない。

集の後半の詩「イカニツナゲシヤ」から引く。

(略)

鉛筆で走り書きされた電文/シユツサンイカガイカニナヅケシヤ/

一九四五年八月十五日、旧王子製紙ジャワ(現インドネシア)ジャカルタ工場の責任者であった

父と部下53名の無防備な民間人が、大日本帝國内線をきっかけに蜂起した

地元住民によって、侵略の報復として、全員虐殺された

35年後の一九八〇年、アメリカ公文書公開で明らかになり、当時の目撃者の証言を得て、父達は発掘された。(略)

その嬰児は輝子と名づけられ、戦後72年に及んで歌集を上梓した。

ふめば肉体につたはるうおんうおん桜花ふみしむ父踏むやうに

悲しみをかなしみつづける父がゐる南十字星の心臓のあたり

父のため頭蓋のひびをそつとひらき南十字星の悲しみを聴く

はちぐわつは青空ばかり青空の底踏み抜いてもまたもや青空

あの時もきつと青空はちぐわつのジャワ・ジャカルタの父の青空

ジャワ・ジャカルタこんなに遠くで殺られけり南十字星が墜ちてきさう

しちじふねんの扉ひらけば戦火嗚呼生まれたばかりのわたくしもゐる

父に気遣われながら生を受け、その父の非業の死をおぼろに聞きながら生きてきた人生。

その死後70年を経て改めて歌い上げた百首。

父への思慕は永遠の海嘯であろう。

集中に飛び交うキーワードは独語も心を離れない。

南輝子さんは「玲瓏」所属、歌集沖縄(うちなー)耽溺者(ジャンキー)のほか、詩・絵画と多方面で創作活動をされている。

 

 

■『大阪ジュリエット』橘夏生(たちばな・なつお)

2016.7.15青磁社

                                

刊行後、ちょうど1年してふらりと届いた歌集は、天・地・小口が朱で染められていた。

「川本くん」は著者のパートナー、まっすぐに相手をみつめるその視線は頁主とも親しいものだった。

第1首目、第2目は「川本くん」の特質をさすがに「接写」している。

第3首目、どう詠っても切ない状況は浮き彫りになる。

刹那にはじけてこぼれる噴水 川本くんのあの一瞬の笑顔切り裂く

戒名に「(にう)」といふ文字ああさうだやはらかかつたねきみのかひなは

二十三階のバルコニーにて川本くんを待つわたしは大阪ジュリエット

ししむらを抜け出して風を浴びゐたり朱塗りの塔のいただきに来て

(はは)の名の母韻やさしもはるばると肥えはじめたる月をみつめる

固くなつたフランスパンをかじるとき涙を流したまぶたがきらひ

ものうげな春のあかんべ ベランダに色とりどりの布団ほされて

後半は橘さんの鋭敏な感覚世界から。

4首目以降はそれぞれ

皮膚感覚、聴覚、触覚、視覚から採ってみた。

それぞれの場に自身を据えて、そのときどきを確認している。

川本くんの残したかなしみは永遠に消えまいが

そのときどきの開花をひきつづき見守りたい。

橘さんは「短歌人」所属、本集は『天然の美』に続く21年ぶりの第2歌集である。

 

■『スーパーアメフラシ』 □山下一路(やました・いちろ)

2017.4.27青磁社

 

名づければ「コラージュ体」、

主張のくっきりしたパーツ群に意外性のスプレーを掛けて意味のある形に再構成している。

コラージュの主役のパートには個性的な小生物が配されている。

しかし作中での役務はさまざまである。

第1首目では「受動」、第2首目では「能動」、そして第3首目では「シテ」である。

これらの対象はここでは外的な描写のそれではい。

山下一路さんの「詩的自我」の派生物質にほかならない。

いちにちのはんぶんをかけ樹にのぼり鳥がくるのをまつ蝸牛

目蒲線沿線にスーパーアメフラシあらわれ青でぬりつぶす

下腹部に不在を孕み蟷螂が見まわしている夏の終わりを

生まれつきアゴから上を明るいほうへよじられている向日葵病

チェンソーを胸にあてるモクレンはたくさんのびていっぱい枯れる

ぬんぬんと膨らみながらかき進む夏雲を見るかつての少年

水面をあおいでみればきらきらと断念のような青空がある

第4首目、第5首目はいわに見られる植物となると一段と「自己同一視」が深まってくる。

自己と対象の境界を渾然とさせる不思議な視線である。

ようようここに引いた第6第7の作には一転、清明な自己がかたどられる。

山下一路さんには1976年の第一歌集『あふりか』があるという。

互いの作品を同じ誌上にならべたのはそれ以前のこと。

懐かしく初見の第2歌集に親しんだ次第である。

 

■『男歌男』 □奥田亡羊(おくだ・ぼうよう)

2017.4.17短歌研究社

 

「男歌男」、頁主の言うべくして言い得ない言辞がさらりと掲げられている。

頁を追えば巍巍たり才の連峰。

構成に秀でていて、集の冒頭、第1首目の役割は読者への「課題付与」にとどめられている。

第2首は絵に描いたような見得、

第3〜第5は、氏の標榜する男歌の神髄の提示。

この神髄をふたつのことばで示せば「大柄」と「鋭利」、他の追随は許さない。

男歌の系譜ここにて断たれたり人呼んでわれは男歌男(おとこうたおとこ)

女護島(にょごのしま)に俺が渡ればいっせいに白き日傘のばばばと開く

滝壺に刺さりたるまま二万年身じろぎもせず滝は驚く

舟底へ振り下ろす斧  炎天の光あつめてわが仕事あれ

八朔の落ちてとぷんと海は暮れまた朝は来てやがて百年

ふかぶかと霧に消えては歩み来るあれはたしかに男歌男

金色に緊まりて細く流れゆく俺はいつまで男歌男

この「男歌男」の正体は頁を追って明らかになる。

いうまでもない。それは、奥田亡羊さんの「詩的自我」に他ならない。

そして、上掲のそれぞれが、その「詩的自我」の明快な発露なのである。

奥田さんは「心の花」所属、本集は第一歌集『亡羊』に次ぐ第二歌集である。

 

 

■『晩夏の海』 □岩崎堯子(いわさき・たかこ)

2017.5.26六花書林

 

ときに回想、ときに洞察、ときに分析とその思考はさまざまであるけれど

それぞれことことくが、耳元でささかやれるように頁主の「排他的理解域」に入ってくる。

つまり、よくよく頷かされるのだ。

とくに第1首第2首など聴覚に関する作品は格別である。

誰にも少年期に、この時のことは忘れないだろうと思った記憶はあるだろうけれども

それにして第3、第4の記憶はあざやかである。

これら随所に見える「感想・感懐の挿入の才」はおそらく岩崎尭子さんの天分だろう。

 

朝床にぽんぽん蒸気の音ひびき女漁師になると決めた日

格闘のすゑ()()に折られし豹の首に その音はなほわが胸にひびく

むかしありしよ青空からのいつぽんの紐に吊られて飛べさうな日が

このときを一生忘れざらむと思ひつつひた澄む晩夏の海に浮きをり

石かげにひそみて()にもあらはれぬ鯉の恐怖をおもひみるべし

すっぽりと隣家は布に覆はれぬ変身を待つこの秘めやかさ

玉子もて洗ひきたりきわが髪はいまだに黒したまごは偉し

第5、第6の見えざる部分に思いを致す知性は本集のまさに「葉隠れの花」。

ここでの「恐怖」も「変身」も読み手に捨てがたい「深み」を配賦している。

じつは、岩崎さんは「短歌人」東京歌会2次会の隣組常連、よって健康上の教示もしばしばいただくところ。

なるがゆえにて、第7の作には「番外の輝き」を認めざるを得ない。

岩崎さんは「短歌人」所属、本集はその満を持した第一歌集である。

 

 

 

■『一心の青』 □寺島博子(てらじま・ひろこ)

2017.2.9角川書店

 

一巻を一色で言い切ることはおそらく無礼な行為なのだろうがこの一巻を流れるモードは「奥ゆかしさ」である。

それは、巻頭歌、第1首目と集題の歌、第6首目にそれぞれ見える「わづかに」であり「近づく」である。

「踏み込まない詩精神」は第2首目で薔薇に寄せた「美の瀰漫」をみちびき、

第3首目で「あなたのなかの(愛すべき)ワルガキを「奥ゆかしく」描く。

第4、第5は現代的不安を十分にカバーしている。

地のしづくとなりて跳ねたり鶺鴒はわづかにみどりの残る芝生に

零れゆく時間の粒子、黄の薔薇の咲きたるのちにさらにもひらき

野に出でて菫の花を探しゐむあなたのなかに棲む悪童子

水面にすうつと顔をつけるとき反目してゐるわたくしの消ゆ

鳥一羽(つぶて)となりゆく速さにて喪失感のおそふ水無月

駅頭をさつそうと行くをみなをりゆふべの空を首にし巻きて

草木染のストールまとひ草木の一心の青にわれは近づく.

前節で「カバー」と書いたのはいささかご無礼だったが、真意はこの第6、第7との対比にある。

「空を首にし巻く」、「一心の青」には、それぞれ詩的な「突き抜け」がある。

アフターファイブを目指すか明日への展開を目指すか、空だか雲だかを友とする

女性はこんにち現在の「明日の(じょ)お−」であろう。

おなじく私も草木の生気をストールを介してわがものとする、という。

誠実につつましく生きれば明日は相応に輝くという奥ゆかしい人生をまで言えば言いすぎか。

寺島さんは「朔日」の同人、

歌集に『未生』『白を着る』、評論集に『額という聖域―斎藤史の歌百首』がある。

 

 

■『サバンナを恋う』 □井上孝太郎(いのうえ・こうたろう)

2017.3.10砂子屋書房

 

ドライフルーツという奇妙な食品がある。

みずみずしかるべき果実を乾燥させ、変質させている。

井上孝太郎さんの歌の作歌の工程もそうなのだろう。

1首目.から3首目にそれは顕著だ。

蟻の出現に春の到来を見いだし、ガラス細工にその故郷を想起する。

ポイントはその後の処理の妙、頭の中に時空の尺度を埋め込んでいるかのようだ。

3首目は読者の頭をコツンと触れるよう、驕慢児の面目躍如もそのままだが、見るべきはかかる貴重な抒情だ。

かく、ドライフルーツとは乾いた抒情の謂である。

異常なし(ニヒツ・ノイエス)」蝶の死骸を巣に運ぶ蟻の一群春の前線

高原の町に挽歌の陽はあふれサバンナを恋うガラスのきりん

「皆自明」とのみ答案用紙に書き入れて数学試験の教室を出た

空耳と知りつつ聞き入る風の中童の歌う花いちもんめ

シェットランドに羊を追いしものの()()日向で惰眠むさぼる犬は

怒りの的絞りきれずに鬱々と二十世紀の除夜の鐘聞く

エントロピーは常にせつなく増大す湯を沸かす間も過去振り向くなと

4では「知りつつ」も、幻聴に童謡を思い、5では愛犬に牧羊犬の血統をかぶせ、

6〜7でも、時間時刻に自己を貼り付けている。

高度成長期からその後の期間、頁主と同じHITACHIに身を置いていた作者である。

研究職のエトスがどうにもこうにも見えてしまう。

井上さんは「短歌人」所属、本集はフィヨルドの海岸線をもつ第1歌集である。

 

 

CONTENTS

ごあいさつ

Yellow Cradle

頁主今月の作品

0.RUMRUM Rnunning

0-past間歇斜説Spurts

 1−1.俳句Galaxy

1−2.歌詠みの俳句読み

 2.殿堂・短歌Mirage

2−2.七宝の輝き

 3.新刊歌集/歌書Cores

1999〜2003

2004年刊

2005年刊

2006〜8年刊

2009〜10年刊

2011年刊

4.クルージング現代短詩

5.狂歌Asukaの里

6.辞世Savanna

7.道歌Still

8.男道ばなし

9.連載・語性論試論

 10.漂論 Jaguar

11−3.ぶち抜ける歌群或いはEEE短歌十番譜・短歌はどこまで尖りうるか(

11−2.石川恭子十番譜或いは白月・黒月抄(完)(2006.11.6)

11−1.高瀬一誌十番譜或いは高瀬一誌走犀灯(完)(2006.7.8)

12.demon 邪論・現代短歌出門(2001.6.9完)⇒しばらく休止します

 13.わたくしの新作

14.銘酒十選;きよみきseries(完)

番外:騒音危険Dummy Doors

『骨一式』全作品

『乱髪-Rnm Parts』全作品

『悪戯翼』全作品

依田仁美短歌作品集『異端陣』紹介

☆電子出版;ダウンロード購読

★単行本;文芸社刊「異端陣」

異端陣・別冊付録・「狭辞苑」

文芸社エッセイ アウトサイディングと「形」

WHOWHERE(ご登場の方々)

 

LINK日本短歌総研

http://nihontankasouken.icurus.jp/wphp

 


violet

warusa

mail

 ※URLのwalserは“warusa”と“walther”を合成した無意味綴であります.