fuki

 

FUKI

依田 仁美のWorkshopPlayground
Yoda Yoshiharu SINCE 1999.11.19
2018.7.23
あなた様は本地球上で実にhttp://cgi.www.ne.jp/cgi-bin/Count.cgi?pad=N&md=10&dd=C&df=index.dat人目のご奇特な方です。
 

violet

BLACKPRINCE

warusa

mail

 ※URLのwalserは“warusa”と“walther”を合成した無意味綴であります.

 
CONTENTS(目次)

⇒WHO&WHERE(ご登場の方々1,395氏)


硬式短歌という提案

   Edge    Enery    Eagerness

Togari     Riki      Kihaku

ファイナルファンタジー、万緑蛮力相通ず

(ごあいさつ)

正月に「抱卵期」と書いてずいぶん経ちました。

 

孵化はほど遠いのですが、まだ抱いています。

相変わらず、生兵法と野狐禅を挟みながら。

 

そろそろ立ち上って、「わがファイナルファンタジー」を歩きます。

あのゲームは知らないのですが実に良い名です。

夢幻終章(ファイナルファンタジー)」と書くことにしました。

「花なら赤い悲願花」とも言います。

 

「価値観が変わるときに倦怠感を伴う」という学説があります。

この5ヶ月はそうだったのかも知れません。

 

万緑の候は怪力乱心!を産むように思えます。

 


Contents

⇒2000〜2003年刊行歌集

⇒2004年刊行歌集

⇒2005年刊行歌集

⇒2006.7年刊行歌集

⇒2008年刊行歌集

⇒2009年刊行歌集

⇒2010年刊行歌集

⇒2011年以降刊行歌集


☆☆☆☆Rum Sour☆☆☆

妙に酸い!

「金星/VENUS」2号を刊行

2018.5.13

 

4月に2号を刊行した。

ここに書かないと「紹介の場」がないので書く。

 

ついでのように言うと、blogでもtwitterでもないサイトはもはや孤島かなのか。

でも、紙の刊行物にもっとも近いのは、このスタイルのサイトだろう。

 

カレンダーの日めくりが消えた代わりにSNSが時間めくりになった。

しかしどう考えても、「時の定着」を志す物書きが「時間を共有する」のは不思議なことだ。

 

戻って「金星/VENUS

、ここでは、若干喋喋しいその「ジャンル名」のみを書きます。

Surcalligrapy

Mindscpe

Visual TANKA

Hyper-Verbalism

はがき絵

Photo

画歌

陶芸

俳句

Essay

短歌

回文短歌

 

残部僅少、ご希望の向きは、本ルートメールくだされば謹呈します。

ご住所をどうぞ。

 


新作

偶成

2018.5.13

草どもを平伏させて風は在る坂東太郎の遊水池でのこと

浮き雲や世論しばしばぷうかぷかコメンテーター氏のしたり顔

政治とは極私なのだな粗末だな攻の稚拙と防の老獪

新聞は四角四面の紙面にてしぶとく仕掛けしつこく主張

全共闘ノンポリ軟派体育会くまなく爺ィになりにけるかも

おれはとて猫の額に立ちいでて鹿島香取の両刀を振る

恋敵のなすがままなる日のありき「きゅうりがパパ」なる地口も知らず

 

⇒ケモノ道=わたくしの新作


☆☆☆☆七宝の輝き☆☆☆

 

NEW

『かざぐるま』 □田口綾子(たぐち・あやこ)

2018.6.15. 短歌研究社

 

美しい比喩が目立つ。

1首目は、おぼれず奢らず、といってしり込みもしない自己観察である。

第2は、知のぴくりと立つ抒情、「あめのかんむり」は高品質にして高品位、好ましい。

第3で見えてくるのは第1と打って変わった自己観察。レンズは替えられている。視線は一転鋭い。

みづくさのそやそや揺るる水槽のごときこころをたづさへてゆく

ひとどほりすくなきみちをゆくときのあをき傘とはあめのかんむり

片恋のをはりに砕く飴ひとつくちばし持たぬいきものとして

紆余曲折の「曲」のあたりの中庭に出逢ひしひとなれば手を振らむ

漢字は父、ひらがなは母に似る文字が縦に並びて短歌(たんか)(づら)せり

フタバスウキリュウとふ文字を追ふときに視界の中を横切るキュウリ

日ざかりのそらのやうなるいろ見せてほのほはおのれのほのほを焼けり

どうやら田口さんには知的な膂力がある。

第4の構成的な「がぶり寄り」は「読む楽しさ」を提供する。

わたくしは大いに享受した。

どうですかこの第5、縦横にして無尽、師の荒事師を彷彿させる。

とはいえこれは天稟、努力の外。

第6、第7はす水陸両フィールドを走破するビークルでありことを示している。

若い人にありがちな「チャンバラ風」は全くなく、小笠原流でもない。

頁主にはパワフルな自然児に見える。

田口綾子さんの第1歌集の切れ味はどうやら「まひる野」や「早稲田短歌会」との相関が高そうである。

 

 

『そらみみ』 □宇田川寛之(うだがわ・ひろゆき)

2017.12.15. いりの舎

 

身体活動の「動」のときは精神活動は「静」、精神活動の「動」のときは身体活動は「静」である。

宇田川寛之さんは歌においてその連関に敏感であるのだと判る。

1首目では「ばうばう」とは言いつつも心裡は「覚醒的」である。

鬱を、ろきっちりと受け容れている表情が見てとれる。

2首目にも実に鋭い感覚が見える。ちょうど「雲」も「君」も手に取っているという感覚である。

第3はさらに感覚が「突出して」本人の状況から逸脱している。

このあたりには、精神活動、つまり感覚が全身を占領し尽している。

同様に、第5は身体の脆弱、第6は感覚の優越が自覚されている。

このあたりに、まぎれもなくこの作家の持ち前・天分がある。

にくたいの疲弊の束をもてあます鬱の原野はばうばうとして

積乱雲の鼓動見ながら坂のぼる日傘の膜をまとへるきみと

待ち合はせ時間に遅れ焦る吾を背後から呼ぶこゑはそらみみ

死は前から我が物顔に来るものと父は弱音をひとつこぼしき

充電をすれども直ぐに切れやすき生かも知れず目をつむりおり

ゆふぐれの耳は敏感。知りたくもなきことばかり多い世界だ

われよりも花に詳しき子とともに春まだ遠き団地をあゆむ

身近な人の作も「エピソード」で語るとき、切れ味の深度が増す。

最後の一首は「未知のかたまり」のような「子」の中確乎と固まりつつある「既発達部分」に充たされているのだ。

第一歌集とは言え相当長期間にわたるのでそれぞれに円熟が香り立つ。

宇田川さんは「短歌人」のメンバー、本集はその第1歌集である。

なお、宇田川さんと鶴田伊津さんは相互にベターハーフの関係にある。

むろん、素材のオーバーラップは頁主の嗜好と関連が深い。

 

 

『夜のボート』 □鶴田伊津(つるた・いつ)

2017.12.15. 六花書林

 

本集からは鶴田伊津さんの内面の波動が見てとれる。

というよりも、おりおりの詩的自我が痕跡を鮮やかにとどめおかれている。

内面をも捉える自撮りだから、それだけにその彫りは深い。

1首目には名状し難い哀切さが見え、第2、第3には微笑ましい「自恃」が滲む。

かなりストレートであるがそこが本集の特色であり、魅力である。

第4第5では自省の中にしんとしたものを見いだしているのが好ましい。

 

極私的なかなしみのため泣きはせぬぞ日傘の影を移動させつつ

いちにちの記憶ぱらぱら話し終え必ず言えり「パパにはないしょ」

みお、みお、と猫鳴くように子を呼びし日のわれ母というよりけもの

子の生れて七度目の春わたくしは七たび老いてもうかえらない

夜の海に浮かぶ二隻のボートよりさびしき二人 漂うばかり

そらみみをよろこぶからだ世界中をふるわすようなアリアの響き

さびしくないことがさびしい 日の暮れにひとりちいさな円を描きつつ

第6の「そらみみをよろこぶからだ」というのは読者への呼びかけであろう。

むろん、この半製品を、この頁主はきちんと読み解いて「完成品」にしている。下句にヒントがあるのだから。

「そらみみ」とは内なる「短歌的啓示」であろう。

それは取りも直さず「世界中に感動をもたらすもの」であるという確信を持って表わされている。

そして、第7首目、ここでの一連は「極私」にはじまり「極私」で閉じられる。

思えば集名の「ボート」また「限定の器」、鶴田さんの所を得た居所なのである。

鶴田さんは「短歌人」のメンバー、本集は『百年の眠り』に続くその第2歌集である。

なお、鶴田さんと宇田川寛之さんとは相互にベターハーフの関係にある。

むろん、素材のオーバーラップは頁の嗜好と関連が深い。

 

()(せき)()』 □五十嵐順子(いがらし・じゅんこ)

2017.7.7. ながらみ書房

 

この歌集の読者には「スマッシュ」の連続攻撃を観るような楽しみが約束されている。

瞬時に歌をシャープに繰り出すのは五十嵐順子さんの鋭利な五官のなせる業である。

1首目の「舌」の感覚、第2首目の「つまさき」の感覚は、末端で捉える「生身感覚」、

共通の体験を思い起こさせられる。

紀行の歌も所載約500首の中にあふれる。

第3首目はどうだろう。滝の水量のリズムに「滝を打つ手」を発見し

次では、転倒した際の視点の転移の中で「真っ青な空」と捉える。

スマッシュという由縁がここにもある。

花わさびひと箸ほどのあさみどり冬のまどろみの舌驚かす

ブーツ履くつまさきじんじん冷たくてきょうの寂しさここで行き止まり

はっしはっし滝を打つ手があるようだ水の落下に見ゆる緩急

つまずいて転んだついでに仰ぎ見る北アルプスの空の真っ青

奇跡の木(Survivor Tree)と呼ばれ一本の梨の木残る 証言者として

おれの杭と言わんばかりに一本を占めたる川鵜が杭ごとにいる

雲割れて意外に明るく月のぞく頑張ってみれば掘り出せそうに

数多い紀行歌の中でも、グラウンド・ゼロを訪れての「奇跡の木」は

五十嵐さんその人も、自身もまた、証言者」となったという一体感を歌わずにはいられなかったのだろう。

第6は我が町我孫子は手賀沼の光景、ここにも「わたしの町」感覚が覗く。

「奇跡の木」にも「川鵜」にも「寄り添って詠う一体感」がある。

ボールの質量をラケットで確実に捉えているのだ。

ならばこそ、「月」もほぼ我が物となる、と納得。

五十嵐さんは「歌と観照」の人、本集はその第4歌集である。

 

 

 

『トオネラ』 □松平修文(まつだいら・しゅうぶん)

2017.6.23. ながらみ書房

 

松平修文さんに市川の歌会で会ってからはや38年。

それは措くとしても、同世代の作歌には争えないもので、視線にどうしても「同世代の絡み」が纏わる。

スクランブル発進して一首を飽くまで眺めることもしばしばだ。

1首目第2首目の作にはそれぞれにそれぞれの屈曲がある。

犬に魚に訪れた不幸を絞り込んでいる視線の高さにはよくよく同意できる

第3は松平さん描くところの絵画そのもの、ここには奥まった扉絵のたたずまい。

かつ、これらにはのっぴきならない現代の「負性」が著しく象られている。

街へ行きしや森へ行きしや 明け方に戻り(びつこ)(いぬ)傾きつつ水を飲む

意地悪さうな水甕なので蓋をされ、魚はいつまで生きられるのか

路地のおくに燈をともさざる石館(やかた)ありて、緑青を噴く()()の扉絵

向日葵は丈夫な茎で天辺の焦げた頭を支へ、乾涸らびた葉つぱをぶら下げて立つ

貴方様に差し上げることができるのは、拳骨ぐらゐで御座います

トウオネラの白鳥」を繰り返し繰り返し聴く 日輪は過ぎ、月輪は過ぎ

()()為し得ることあらばせむ 身を病むことは既に忘れつ

もうひとすじ、スクランブルで得た感想がある。

作品に連なる収斂、というよりも「帰一性」が著しい。

4の「向日葵」の描写、以降、異色の第5も含め全てに共通する。

6の思いは時の永久の周回を見詰め

第7は自己に「帰一」する。

ただ、その「帰一」に至るまでが「複合的に捩り合わされた歌心」がある。

読むほどにきわめて東洋的な味わいが深まる。

本集は松平修文さんの(ノヤ)に次ぐ第5歌集である。

 

 

NEW

『そらみみ』 □宇田川寛之(うだがわ・ひろゆき)

2017.12.15. いりの舎

 

身体活動の「動」のときは精神活動は「静」、精神活動の「動」のときは身体活動は「静」である。

宇田川寛之さんは歌においてその連関に敏感であるのだと判る。

1首目では「ばうばう」とは言いつつも心裡は「覚醒的」である。

鬱を、寧ろきっちりと受け容れている表情が見てとれる。

2首目にも実に鋭い感覚が見える。ちょうど「雲」も「君」も手に取っているという感覚である。

第3はさらに感覚が「突出して」本人の状況から逸脱している。

このあたりには、精神活動、つまり感覚が全身を占領し尽している。

同様に、第5は身体の脆弱、第6は感覚の優越が自覚されている。

このあたりに、まぎれもなくこの作家の持ち前・天分がある。

にくたいの疲弊の束をもてあます鬱の原野はばうばうとして

積乱雲の鼓動見ながら坂のぼる日傘の膜をまとへるきみと

待ち合はせ時間に遅れ焦る吾を背後から呼ぶこゑはそらみみ

死は前から我が物顔に来るものと父は弱音をひとつこぼしき

充電をすれども直ぐに切れやすき生かも知れず目をつむりおり

ゆふぐれの耳は敏感。知りたくもなきことばかり多い世界だ

われよりも花に詳しき子とともに春まだ遠き団地をあゆむ

身近な人の作も「エピソード」で語るとき、切れ味の深度が増す。

最後の一首は「未知のかたまり」のような「子」の中確乎と固まりつつある「既発達部分」に充たされているのだ。

第一歌集とは言え相当長期間にわたるのでそれぞれに円熟が香り立つ。

宇田川さんは「短歌人」のメンバー、本集はその第1歌集である。

なお、宇田川さんと鶴田伊津さんは相互にベターハーフの関係にある。

むろん、素材のオーバーラップは頁主の嗜好と関連が深い。

 

NEW

『夜のボート』 □鶴田伊津(つるた・いつ)

2017.12.15. 六花書林

 

本集からは鶴田伊津さんの内面の波動が見てとれる。

というよりも、おりおりの詩的自我が痕跡を鮮やかにとどめおかれている。

内面をも捉える自撮りだから、それだけにその彫りは深い。

1首目には名状し難い哀切さが見え、第2、第3には微笑ましい「自恃」が滲む。

かなりストレートであるがそこが本集の特色であり、魅力である。

第4第5では自省の中にしんとしたものを見いだしているのが好ましい。

 

極私的なかなしみのため泣きはせぬぞ日傘の影を移動させつつ

いちにちの記憶ぱらぱら話し終え必ず言えり「パパにはないしょ」

みお、みお、と猫鳴くように子を呼びし日のわれ母というよりけもの

子の生れて七度目の春わたくしは七たび老いてもうかえらない

夜の海に浮かぶ二隻のボートよりさびしき二人 漂うばかり

そらみみをよろこぶからだ世界中をふるわすようなアリアの響き

さびしくないことがさびしい 日の暮れにひとりちいさな円を描きつつ

第6の「そらみみをよろこぶからだ」というのは読者への呼びかけであろう。

むろん、この半製品を、この頁主はきちんと読み解いて「完成品」にしている。下句にヒントがあるのだから。

「そらみみ」とは内なる「短歌的啓示」であろう。

それは取りも直さず「世界中に感動をもたらすもの」であるという確信を持って表わされている。

そして、第7首目、ここでの一連は「極私」にはじまり「極私」で閉じられる。

思えば集名の「ボート」また「限定の器」、鶴田さんの所を得た居所なのである。

鶴田さんは「短歌人」のメンバー、本集はその第2歌集である。

なお、鶴田さんと宇田川寛之さんとは相互にベターハーフの関係にある。

むろん、素材のオーバーラップは頁の嗜好と関連が深い。

 

 

()(せき)()』 □五十嵐順子(いがらし・じゅんこ)

2017.7.7. ながらみ書房

 

この歌集の読者には「スマッシュ」の連続攻撃を観るような楽しみが約束されている。

瞬時に歌をシャープに繰り出すのは五十嵐順子さんの鋭利な五官のなせる業である。

1首目の「舌」の感覚、第2首目の「つまさき」の感覚は、末端で捉える「生身感覚」、

共通の体験を思い起こさせられる。

紀行の歌も所載約500首の中にあふれる。

第3首目はどうだろう。滝の水量のリズムに「滝を打つ手」を発見し

次では、転倒した際の視点の転移の中で「真っ青な空」と捉える。

スマッシュという由縁がここにもある。

花わさびひと箸ほどのあさみどり冬のまどろみの舌驚かす

ブーツ履くつまさきじんじん冷たくてきょうの寂しさここで行き止まり

はっしはっし滝を打つ手があるようだ水の落下に見ゆる緩急

つまずいて転んだついでに仰ぎ見る北アルプスの空の真っ青

奇跡の木(Survivor Tree)と呼ばれ一本の梨の木残る 証言者として

おれの杭と言わんばかりに一本を占めたる川鵜が杭ごとにいる

雲割れて意外に明るく月のぞく頑張ってみれば掘り出せそうに

数多い紀行歌の中でも、グラウンド・ゼロを訪れての「奇跡の木」は

五十嵐さんその人も、自身もまた、証言者」となったという一体感を歌わずにはいられなかったのだろう。

第6は我が町我孫子は手賀沼の光景、ここにも「わたしの町」感覚が覗く。

「奇跡の木」にも「川鵜」にも「寄り添って詠う一体感」がある。

ボールの質量をラケットで確実に捉えているのだ。

ならばこそ、「月」もほぼ我が物となる、と納得。

五十嵐さんは「歌と観照」の人、本集はその第4歌集である。

 

 

 

『トオネラ』 □松平修文(まつだいら・しゅうぶん)

2017.6.23. ながらみ書房

 

松平修文さんに市川の歌会で会ってからはや38年。

それは措くとしても、同世代の作歌には争えないもので、視線にどうしても「同世代の絡み」が纏わる。

スクランブル発進して一首を飽くまで眺めることもしばしばだ。

1首目第2首目の作にはそれぞれにそれぞれの屈曲がある。

犬に魚に訪れた不幸を絞り込んでいる視線の高さにはよくよく同意できる

第3は松平さん描くところの絵画そのもの、ここには奥まった扉絵のたたずまい。

かつ、これらにはのっぴきならない現代の「負性」が著しく象られている。

街へ行きしや森へ行きしや 明け方に戻り(びつこ)(いぬ)傾きつつ水を飲む

意地悪さうな水甕なので蓋をされ、魚はいつまで生きられるのか

路地のおくに燈をともさざる石館(やかた)ありて、緑青を噴く()()の扉絵

向日葵は丈夫な茎で天辺の焦げた頭を支へ、乾涸らびた葉つぱをぶら下げて立つ

貴方様に差し上げることができるのは、拳骨ぐらゐで御座います

トウオネラの白鳥」を繰り返し繰り返し聴く 日輪は過ぎ、月輪は過ぎ

()()為し得ることあらばせむ 身を病むことは既に忘れつ

もうひとすじ、スクランブルで得た感想がある。

作品に連なる収斂、というよりも「帰一性」が著しい。

4の「向日葵」の描写、以降、異色の第5も含め全てに共通する。

6の思いは時の永久の周回を見詰め

第7は自己に「帰一」する。

ただ、その「帰一」に至るまでが「複合的に捩り合わされた歌心」がある。

読むほどにきわめて東洋的な味わいが深まる。

本集は松平修文さんの(ノヤ)に次ぐ第5歌集である。

 

 

 

 

CONTENTS

ごあいさつ

Yellow Cradle

頁主今月の作品

0.RUMRUM Rnunning

0-past間歇斜説Spurts

 1−1.俳句Galaxy

1−2.歌詠みの俳句読み

 2.殿堂・短歌Mirage

2−2.七宝の輝き

 3.新刊歌集/歌書Cores

1999〜2003年刊

2004年刊

2005年刊

2006〜8年刊

2009〜10年刊

2011年刊

4.クルージング現代短詩

5.狂歌Asukaの里

6.辞世Savanna

7.道歌Still

8.男道ばなし

9.連載・語性論試論

 10.漂論 Jaguar

11−3.ぶち抜ける歌群或いはEEE短歌十番譜・短歌はどこまで尖りうるか(

11−2.石川恭子十番譜或いは白月・黒月抄(完)(2006.11.6)

11−1.高瀬一誌十番譜或いは高瀬一誌走犀灯(完)(2006.7.8)

12.demon 邪論・現代短歌出門(2001.6.9完)⇒しばらく休止します

 13.わたくしの新作

14.銘酒十選;きよみきseries(完)

番外:騒音危険Dummy Doors

『骨一式』全作品

『乱髪-Rnm Parts』全作品

『悪戯翼』全作品

依田仁美短歌作品集『異端陣』紹介

☆電子出版;ダウンロード購読

★単行本;文芸社刊「異端陣」

異端陣・別冊付録・「狭辞苑」

文芸社エッセイ アウトサイディングと「形」

WHOWHERE(ご登場の方々)

 

LINK日本短歌総研

http://nihontankasouken.icurus.jp/wphp

 


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 ※URLのwalserは“warusa”と“walther”を合成した無意味綴であります.