ゾウがすすり泣くとき

―動物たちの豊かな感情世界―

ジェフリー・M・マッソン/スーザン・マッカーシー
(小梨直 訳、河出書房新社、1996)

 

ゾウ(象)はときどき家族で、死んだ肉親の骨があるところへやってきて涙を流す、という話は比較的よく知られていますが、これははたして、悲しんで泣いているのか、それとも単なる「本能」なのか。しかし、人間が悲しいときに泣くのは、「本能」ではないのか。最近では、悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだという説もありますが、ともかく、動物には人間と同じような感情があるのかないのか。犬や猫をペットとして飼っている人は、「動物に感情があるなんて、当たり前じゃないか」と思うかもしれませんが、一般に科学(生物学、動物行動学など)の世界では動物の行動を感情で説明するのは「禁じ手」のようなもので、そんなことをするとたちまち「擬人主義だ」との批判を浴びることになります。

本書は動物の感情を科学的に解明した研究の紹介ではありません。実際、そのような研究はほとんど行われていないからです。そのかわりに、動物にも人間と同じような感情があると考えなければとうてい理解も説明もできないような、さまざまなエピソードが集められています。その数を正確に数えてはいませんが、およそ1ページに平均2〜3の事例が紹介されていると思われ、本文約350ページですから、全体で500以上にはなるでしょう。感情の種類も、恐怖、怒り、悲しみ、喜び、愛などの単純でわかりやすいものから、友情、嫉妬、思いやり、さらには、希望、羞恥心、罪悪感、自尊心、美意識、正義感など、かなり高級なものまで。

著者の意図の一部は、科学研究のために行われる動物実験の不当性を訴えることです。それなら単純な動物愛護主義者とあまり変わらないではないかという批判もあるかもしれませんが、本書を読めば、少なくとも「動物には感情がないのだから」という理由で動物実験を正当化することは正しくないと思うようになるでしょう。

エピソードの大部分は20世紀後半のものと思われますが、「エピローグ」には古代の有名な物語、いや「実話」が紹介されています。ローマの逃亡奴隷アンドロクレスが闘技場で巨大なライオンと戦わされたときのこと、ライオンは遠くからアンドロクレスの姿を認めると、ゆっくりと近づき、尾を振りながら犬が甘えるような態度で彼のそばへ来て、恐怖に凍りついた彼の足と手を優しくなめはじめた。そのライオンは、かつてアンドロクレスが主人の元を逃げ出して砂漠をさまよっていたとき、前足に刺さったとげを抜いてやったことから、彼が再び捕らえられるまでの3年間、彼と一緒に暮らしたのでした。この話を聞いた皇帝カリグラは、市民の投票により、ライオンと彼を自由の身にしたとのこと。

これを読んで、20年以上前にテレビで見た「日本昔話」を思い出しました。旅人が夜の山道でオオカミに出会い、喉の中の棘を抜いてやると、オオカミは旅人を案内し、男は危険な山道を抜けることができたという話でした。おそらくこれも、実際にあった出来事がもとになっているのでしょう。

それから、これは有名な話。シカゴのブルックフィールド動物園のゴリラの飼育場に男の子(3歳くらい)が誤って転落した。周囲の見物客は悲鳴を上げ、それに気がついた大人のゴリラが、子どもに近づいてきた。凶暴なゴリラが今にも子どもを叩き潰すのではと、誰もが思ったその瞬間、母ゴリラのピンティ・ジュアは、男の子を優しく拾い上げ、飼育係の部屋の前まで運んでいった。このニュースは全世界に報道され、『タイム』誌はこのゴリラを「アメリカの誇りとするゴリラ」と褒めそやしたそうですが、実はその10年ほど前にも、イギリスの動物園でゴリラの囲い地に落ちた男の子を、シルバーバック(大人)のオスが助け、男の子の背中をさすりながら、他のゴリラが近寄らないように守ってやったとのこと。

先日の新聞にはこんな話も。オーストラリアの農場主が、強風で倒れた木の枝に当たり、意識不明に。このとき、放し飼いにされていたカンガルーが、300メートル離れた農場主の家まで走り、ドアを前脚でノックして家族に知らせた。気がついた家族がカンガルーを見ていると、主人の元へ走って戻って行った。家族はすぐに救急車を呼び、農場主は病院で意識を取り戻した。このカンガルーは、車にひかれて死んだ母親の腹袋でぐったりしていたところを、農場主に保護されて育てられたとのこと。