科 学 の 罠

―過失と不正の科学史―

アレクサンダー・コーン (酒井シヅ・三浦雅弘 訳、工作舎、1990)

 

今日では誰もが知っている優性遺伝の法則を発見したメンデルの有名なエンドウマメの実験には、じつはゴマカシがあった! 彼がだした結果は、理論的予測値にあまりにも近く、統計学的にみてありえない数字だったのです。たとえて言えば、「サイコロを120回振ったら、1の目が出たのはちょうど20回でした」と報告したようなもの。これについて著者は、おそらくメンデルの助手を務めた庭師が、尊敬する師の期待を察知して、マメの数を数えるときに手加減したのであろう、という説を支持しています。バカバカしい話ですが、似たような例は他の有名な科学者にもいくつかあるのです。

このような「忠実な助手」の善意の犠牲者やうっかりミスを犯した有能な学者たちの他に、本書でより多く紹介されているのは、むしろ自ら意図的に不正をはたらいて、実験の操作や結果をごまかしたり、やってもいない実験を「報告」したり、他の研究者の研究を盗んだり、証拠品を偽造したりと、目を覆いたくなるような背信的科学者たち。有名なルイセンコにも一つの章が割かれています。また、サリドマイド事件にみるような薬害にも科学者の不正や過失が絡んでいるとなると、これは単に科学の世界だけの話ではすまない。

とはいえ、著者自身も科学者(微生物学、科学史)であり、いわば内部告発として書かれた本書は、決して科学と科学者を一方的に批判して終わるのではなく、過失や不正、非倫理的行為の起こる原因や背景を探っています。現代におけるその構造的原因としては例えば、まあ誰でも思いつくことですが、科学者の昇進や研究費助成の審査では論文の質よりも数が重視されること。

もちろん、科学の世界の過失や不正はいつか必ず明るみに出ます。科学(自然科学)という信念体系の最大の特徴は、どんな命題でも頭から信じることをせず、常に批判と検証の対象にするということです。しかし、前述のような構造的矛盾(質より量を重視)がある限り、少なくとも科学の世界から「無駄」(無価値な論文が増える)はなくならないでしょう。