赤 い 楯

―ロスチャイルドの謎―

広瀬 隆 (集英社、1991)

 

「赤い楯」とは、ドイツ語の Rothschildt、これを英語にしたのが Rothchild。数年ごとに思い出したように「ロスチャイルド」という名前の人物がちょっと変わった話題で週刊誌などに登場することを除けば、これは今日それほど広く知られている名前ではありません。近代に興って現代まで生き残っている億万長者として人口に膾炙している名前の筆頭は、何といっても「ロックフェラー」でしょう。しかし、「ロスチャイルド」は依然として世界最大の財閥であり、その勢力はヨーロッパ全域から米国をはじめとする英語圏、第三世界にも及んでいます。そして、ロックフェラー、モルガン、カーネギーなど米国の巨大財閥のほとんどが元々は非ユダヤ系であるのに対して、ロスチャイルドは紛れもなく生粋のユダヤ系なのです。

上巻・下巻あわせて1000ページに及ぶ本書には、初代のマイヤー・アムシェルから始まって7〜8代2百数十年にわたるロスチャイルド家の歴史が書かれていますが、同時にそれはフランス革命から産業革命、帝国主義と植民地争奪戦、2つの世界大戦とユダヤ人大量虐殺を経て戦後の植民地独立と冷戦、そして東欧社会主義の崩壊へと至る、世界の近・現代史そのものでもあります。

本書には全部で85点の「系図」が載っています。これらの系図こそが、本書の副題である「ロスチャイルドの謎」すなわち、なぜロスチャイルド家が世界の歴史に巨大な影響力を及ぼしえたのか、その秘密を解く鍵なのです。それらの系図には、たとえば、ナポレオンをはじめヨーロッパのいくつかの王族と多数の大統領や首相経験者や閣僚、銀幕のスターやノーベル賞受賞者やロシア革命の英雄たち、そしてもちろん米国などの大企業(つまり、私たちにとっても馴染み深いたくさんの社名・商標名)がたくさん登場します。中でも圧巻は、インドが英国の植民地だった時代のインド総督全34人を納めた一枚の系図! そこには十数人のロスチャイルドとともに、ヴィクトリア女王とエリザベス女王の名前も見えます。

しかし、これは決して、よくある「ユダヤの陰謀」説を振りまくトンデモ本の類ではありません。系図に見られる親戚関係と契約や取り引きなどその他のさまざまな関係に基づいて語られた歴史です。しかも、膨大な数の興味深いエピソードと絶妙の語り口で、片時も退屈させません。

ロスチャイルドの悪行の数々を鋭く糾弾する著者は、一方でユダヤ人に対するナチスの蛮行に激しい怒りをぶつけています。411ページの次の一節には、読む者の胸を打つ迫力があります。


 毒ガスで殺されたこの工場主―― 一ユダヤ人にも顔があった。
 その男には、名前があった。妻もいた。人生というものがあった。名前は、ロベール・ロスチャイルドというのであった。