複雑な世界、単純な法則

―ネットワーク科学の最前線―

マーク・ブキャナン (坂本芳久訳、草思社、2005)

 

すでにいろいろなところで紹介されている「6次の隔たり」の話から始まります。このページを読んでいるあなたが、このページを書いた私と連絡を取りたいと思ったとしても、Eメールが使えないとしたら、どうすればいいか。私は、東京で活動している「カメラータ・ムジカーレ」というアマチュアの古楽器合奏団でヴィオラ・ダ・ガンバという楽器を弾いていることだけがわかっています。これだけの手掛かりがあれば、あなたはきっと数日から数週間のうちに確実に私と連絡が取れるでしょう。あなたは自分の希望を、友人・知人の一人に伝えるだけでいいのです。たとえば、音楽大学に進んだ高校時代の同級生とか、クラシックのコンサートにしばしば通っている叔父さんとか、珍しい楽器を演奏するらしいという職場の後輩とか。あなたの希望を聞いたその人は、さらに自分の交友関係から、適当な人を探して同じことを依頼します。こうして知人の知人を(平均して)6人たどっていけば、世界中のだれとでも、ほぼ間違いなくつながる。

にわかには信じがたいようなこの話は、コンピュータによるシミュレーションで確かめられているだけでなく、実社会でも確認されているのです。このような不思議な現象を理論的に追究するのが、ネットワークの科学。複雑系の科学の一分野であり、誕生してからまだ10年にもならないこの最新の研究領域の動向を伝えるのが本書です。

私の現在の職場にいるある女性は、私の前の職場(別の会社)で私の先輩だった男性と、高校の同級生でした。また、元の職場の取引先の会社でアルバイトをしていた男性は、私の小学校時代の同級生と結婚していました。こういう奇遇を体験したとき、人はよく「世の中は狭いものだ」といいます。英語ではこれを「世界は小さい」と表現するのですが、この「小さな世界=スモールワールド」が本書の原題(Small Worlds and the Groundbreaking Science of Networks)。しかし、世界中の誰にでもわずか数人から十数人のつながりでたどり着けるのだとすると、このような巡り合わせは、不思議でも何でもないというべきでしょう。

ネットワークの個々の要素がすぐ近くのいくつかの要素とどれくらい強く結びついているかということと、上述した、遠く離れていると思われる要素同士の隔たりがどれくらい小さいか、この2つに着目することにより、あるネットワークの性格を判定することができます。ちょっと考えると、両者は両立しないように思われ、実際にどちらか一方だけでの結びつきで成り立っているネットワークも多いのですが、どちらの結びつきも強いものもあり、それが「スモールワールド・ネットワーク」なのです。そして、人間の社会はまさにスモールワールド。

ところが、スモールワールドは人間の社会だけでなく、人間が作り出したさまざまな人工的ネットワーク(電力系統、インターネットやWWW)はたいていスモールワールドであり、また自然界にもその例はたくさんあります。それどころか、自然の生態系そのものもスモールワールド・ネットワーク。さまざまなネットワークをスモールワールドととらえることによって、今まで解明されなかった謎や、解決不可能と思われていた問題への、有効なアプローチが見えてきます。

というわけで、興味尽きない話題に満ちた本書ですが、捕鯨問題に関する主張は、あまりにお粗末です。222ページに、日本の鯨肉加工工場経営者の発言「捕鯨が禁じられるまで、クジラはわれわれと共存していた。いまでは捕鯨が禁止されているためにミンククジラはやりたい放題で、こっちのほうは水揚げが減りっぱなしさ」を受けて、「これは現実を根底からひっくり返して初めて言えることだ。(中略)科学的に得られた証拠は、クジラではなく漁業こそ、世界的な規模での海洋生態系荒廃の原因であることを、否定しようもないほどはっきりと示しているからである」と書いてあります。しかし、日本の捕鯨業者は「世界的な規模での海洋生態系荒廃」問題などには、一言も触れていないません。著者がいみじくも書いているように、それはクジラとは関係がないのでしょうから、触れていないのは当然です。

また、223ページには「ひとまず彼ら(=日本)の意見に同意するとしよう。さらに、美味な魚をもう少し余計に捕ろうという目論見から、クジラを撲滅することにも進んで賛成したとしよう。さて、クジラを完全に撲滅すれば、水産業者の漁獲量は跳ね上がるだろうか?」。あきれた、としか言いようがありません。日本人がいつ、「クジラを完全に撲滅するべきだ(撲滅したい)」などと言ったのでしょうか。日本の主張は、「科学的な調査の結果、商業捕鯨が禁止されてから、ミンククジラが急激に増え、その結果クジラが餌にしている魚類の収穫が激減している」ということであって、「だから、ミンククジラが増えすぎないようにするために、捕鯨を認めてほしい」ということのはずです(この主張の科学的妥当性は、また別問題)。

このあと著者は、生態系の要となっている種、たとえばクジラのように多くの種類の生物を餌にしている種もその一つですが、そのような種の個体数が急激に変化すると生態系全体に大きな影響を与えやすいということを説明します。それはそうでしょう。しかし、このことは「不用意に種を取り除くことに二重の意味で警告を与えている。たとえばカナダや日本の水産業者が主張しているような、目的の達成を「謀る」手段としておこなうなどもってのほかなのだ」(245ページ)と締め括っていますが、「不用意に種を取り除くこと」など誰も要求していないのは別にしても、それと同様に、「要となる種であるミンククジラの数が急激に増えること」もまた、生態系に深刻な影響を与えるはずです。

まったく、クジラのこととなると欧米人はどうして皆こうなるのでしょうか。子供だましの幼稚な問題のすり替え。最初から結論は決まっていて、それをいうために、論理を無視し、相手(日本)のいうことをねじ曲げ、事実を隠す。著者には環境保護団体から資金が流れているのではないでしょうか。

この他にも、299ページには、人種間の分離を促進する要因についての説明で、ある白人男性には黒人の友人や同僚が何人もいて、近所には黒人の方が多くても快適に暮らしていけるとしても、「それでもこの男性は、付近に住む唯一の白人にはなりたくないのだ。この気持ちはいささかも人種差別ではなく、黒人であれ、白人であれ、ヒスパニックであれ、中国人であれ、だれでもが同じ気持ちを持っていると思われる」と書いています。ここまではいいでしょう。ところが、このような普通の感情の帰結を確認するためのゲームとして紹介されているのは、「(格子状の升目に一つずつ置かれた)どの小片も少数派の状態でいるのを嫌うと仮定した。例えば、それ以下になるのを嫌う限界を30パーセントだとする」、つまり自分の周辺にある小片のうち自分と同じ色のものの割合が30%以下になったら、升目を移動するというのです。しかし、「付近に住む唯一の白人」になるのと、自分と同じのが「周囲の30%以下」になるのでは、ずいぶん話が違います。このように、ところどころ怪しい議論がありますが、きっと専門家の研究はこんないい加減なものではないのでしょう(本書の著者は科学ジャーナリスト)。