『イエスのミステリー』のミステリー

 

●はじめに

キリスト教に多少とも関心をお持ちの方なら、『イエスのミステリー』(バーバラ・スィーリング著、高尾利数訳、NHK出版、1993)という本をご記憶だろう。英語圏ではベストセラーになったそうで、10を超える言語に翻訳されているという。わが国でもいくつかの好意的な書評のおかげで、かなり版を重ねたようだ。

しかし、これらの書評に端的に現れている思考の型、あるいは「奇跡」に対する近代合理主義的な態度は、聖書やキリスト教、さらには宗教一般に対する誤った認識を助長する可能性がある。それは宗教とくにキリスト教に対する無知のゆえではあるが、対象をよく知らぬままに理解したつもりになるのは、無視することよりもはるかに危険だ。やはりこれは間違いだと、誰かがはっきり指摘する必要がある。

もちろん、わが国でもすでに専門家による批判が公にされてはいる。しかし、この種の学説に対する専門家の批判は、とかく定説との相違の指摘や、荒唐無稽さを揶揄する一方的な攻撃に終始しがちで、専門知識を持たない一般読者に対して説得力をもちにくいばかりか、ともすると狭量で権威主義的な独善と受け取られかねない。

だが実は、この著作は学問的水準の批判には及ばない。著者の主張にはよく考えれば誰にでもわかる単純な論理的欠陥がいくつか認められるからだ。しかしながら、このような観点からの批判は、筆者の知る限り、日本語では未だ存在しない。それに何よりも、スィーリング説の背景に奇跡物語に対する予断と偏見があることを指摘しなければ、批判は有効ではない。筆者のごとき素人がここに批判を公表するのも、あながち無意味ではなかろうと考える次第である。

●循環論法による辻褄合わせ

初めに、本書をまだお読みでない方のために、その概要をご紹介しよう。

西暦紀元前後、ローマ帝国統治下のユダヤでは、約束されたユダヤ人の王国建設が待望されていた。サドカイ派、パリサイ派とともにユダヤ教3大宗派の一つで、死海のほとりクムランに本拠を構えるエッセネ派の主流は、ダビデ王家の末裔(ただし非嫡出子)であるイエスをメシアとして担ぎ、イエスの王位継承権の正統性を疑う勢力と対立していた。イエス自身は、このような状況を利用しながらも、エッセネ派の排他的、教条主義的な体質を批判し、因習的な社会の差別構造を変革しようとした。

結局イエスは、諸勢力の抗争に巻き込まれ、志半ばにして十字架刑に処せられたが、実は奇跡的に一命を取り留め、その後は弟子たちにかくまわれながら70歳以上まで生きた(イエスは生涯に2度結婚し、3子を設けた)。そしてイエスの指導の下、弟子たちは異邦人を含む新しい精神の王国の運動に挺身した。これがすなわちキリスト教の起源である。

と、ここまでならば、よくある「トンデモ本」の1つに過ぎないと思われるだろうが、本書が一風変わっているのは、「ペシェル」なる一種の暗号解読技術を持ちだしてきて、堅実な学術書の体裁をとっていることである。

ペシェルとは、今世紀半ばに発見された有名な「死海写本」に見出されるもので、エッセネ派の学者たちが旧約聖書の文言を彼らの時代に対する予言(預言)として解釈するために開発した技術とされ、新約聖書とくに福音書と使徒言行録(=使徒行伝)の著者たちがそれを彼ら自身の著作に逆利用したのだという。つまりわれわれが新約聖書をペシェルを用いて「解読」すると、「表面の物語」の下に上記のような「本当の歴史」(邦訳では「実際の歴史」「現実の歴史」「真実の諸事件」などとなっているが、本稿ではこう表現する)の詳細な叙述が読み取れるばかりか、処女降誕などの神話やイエスの復活・昇天を含む多くの奇跡物語も、歴史的諸事件の神話的・象徴的表現であることがわかる、というわけだ。

スィーリングによると、それらの諸事実のうち、たとえばイエスの王位継承権には疑義があったとか、政治犯として処刑されたイエスが十字架刑後も生きているというようなことは、一部のユダヤ人やローマの官権には隠しておきたかったはずだ。だが「倫理的に誠実なキリスト教徒たち」は、王国建設運動への参加者中の「知的に洗練された」人たちのために「真実を記録する必要があった」。また一方、異邦人を含むより広範な層の知的に「単純な信者」たちのためには、彼らが欲する神話や奇跡物語を提供する必要もあった。そこで新約聖書の著者たちは、これらすべての必要を満たすためにペシェルを使ったのだ(2、16、39、105および156頁)。

ペシェルが用いられているという仮説に立って新約聖書を解読し、「本当の歴史」を再構成してみたら、ペシェルが用いられた理由がわかった――なかなかうまくできた話だが、これは循環論法だ。しかし一般の読者にとっては、学術書らしからぬ大胆な推理が面白いし、また全体として話の辻褄が合っているようで、いかにも本当らしく思えるのだろう。だが、スィーリング説は本当に辻褄が合っているのだろうか。いよいよ本題に入る。

●論理の矛盾と不合理

 1)読者は同時代の「本当の歴史」を知らない

4つの福音書の成立時期は定説では紀元60年代〜80年代だが、スィーリングはすべて60年以前、つまり十字架刑後の二十数年間に書かれたと主張する。その根拠は、ペシェルで解読すると最初の福音書である『ヨハネ』は紀元37年以前に書かれたことがわかる(105および169頁)ということと、後述するように福音書執筆活動の背後にイエスの意志が働いていたに違いないという、スィーリングの「印象」である(105頁)。しかしそんなことよりも、要するに福音書は新しい王国の布教活動に必要だったので、ぜひとも早く欲しかったというわけだろう。それに、「本当の歴史」はきわめて詳細かつ正確に――事件の重要な場面になると分刻み、キュービット(約 1/2 ヤード)単位の驚くべき厳密さで――書かれている(227〜228、277〜281および350〜352頁、他に本文中多数)のだとすると、どうしても福音書の成立時期は十字架刑後のかなり早い時期でなければならないだろう。何十年も経ってからでは記憶が薄れてしまって、とてもここまでは書けまい(スィーリングは、エッセネ派は特別な方法により「ずっと後年になっても、正確にいつ諸事件が起こったかを述べることが可能であった」といっているが)。

ところで、福音書にペシェルが用いられた動機が前述のようなこと(本当の歴史を隠しつつ正確に伝えること)だとすると、「本当の歴史」はほとんどすべての読者に知られていなかったはずである。すでに広く知られていたのでは、いまさらわざわざ秘密めかして伝える必要はないし、隠しても無駄だからだ。しかし、福音書がすべて十字架刑後数年から二十数年の間に書かれたのなら、福音書の「読者」は福音書の主人公であるイエスとその「弟子たち」の同時代人ということになる。彼らは自分たちの時代の「本当の歴史」を、なぜ知らないのだろうか。イエスの裁判の間、ペテロが東西どちらの方角を向いて祈っていたかなどという細かいことは、もちろんその場にいた者しか知らないだろう。しかし、たとえばダビデ家の非嫡出子であったイエスの王位継承権をめぐって諸党派間に抗争が絶えなかったとか、イエスは異邦人とユダヤ人の間の差別、祭司と平信徒の間の差別に反対して旧守派と対立したというようなことは(これらはすべて「隠して」書かれているそうだが)、もし本当だとすれば、当時のユダヤ社会全体を根底から揺るがす一連の出来事だったはずで、スィーリング自身がいうようにまさに「あの伝道に先立つ歴史全体」だろう(156頁、他に44頁も)。いくらマスメディアが存在しない古代社会とはいえ、そんなことを知らないユダヤ人は一人もいるまい(ユダヤの統治に関わっていたローマ人もまた然り)。田中角栄が戦後初めて公式に中国を訪問した総理大臣であることや日本列島改造論を唱えて地価暴騰を煽ったことやロッキード事件で検挙されたことやその後もずっと政界に隠然たる影響力を持ち続けていたことを、「隠して」書かれた伝記など、いったい誰が読むのか。

百歩譲って、仮に皇太子にしてメシアにして教祖であるイエスのことがそれほどは知られていなかったとしよう。しかしスィーリングは、イエスは本当は十字架刑までの数年間をクムランで過ごし、またクムランで処刑されたのだという。とすると、イエスは行く先々で病気治しをはじめとする多くの奇跡を行い、律法学者たちをことごとく論破して、その名声はガリラヤ地方全土に及び(マルコ1:28)、群衆の歓呼に迎えられてエルサレムに入城したが(マタイ21:8〜11、ヨハネ12:12〜13)、そこで捕らえられてゴルゴダの丘で十字架に架けられた(マタイ27、マルコ15、ルカ23、ヨハネ19)というのはすべて、(数年前にガリラヤやエルサレムにいた人たちも含めて)誰一人見たことも聞いたこともない「作り話」であり、それを福音書の著者たちは同時代の「単純な信者」に、同時代人である「教祖の伝記」として信じ込ませようとしたことになる。これはもう手品か集団催眠だ。

 2)読者は4つの福音書を並行して読まなければならない

スィーリングは、4つの福音書と使徒言行録の「背後に唯一の知性が働いているという印象を避けることができない。イエスは企画を考え、暗示や提案を行い、必要な情報を提供する地位にいたと仮定できる」(105頁)という。

ところが、なぜかイエスは「それぞれ違った党派の指導者たち」(104頁)に、「必要な情報」を少しずつ分配したらしい。つまりどの福音書からも「本当の歴史」の一部しか知ることができないのだ。実際、スィーリングが利用した情報の中で4つの福音書すべてに書かれているのは、彼女自身も認めるように「五千人の共食」の物語しかなく(43および123頁)、他はせいぜい1つか2つの福音書に見出されるだけである。こういうわけだから、読者が「本当の歴史」を知るためには、スィーリングがやったのと同じように、4つの福音書すべてを並行して読まなければならない。たとえば『マルコ』や『ヨハネ』だけでは、イエスがダビデ家の非嫡出子であるということさえ知りようがないし、イエスが十字架上で死ななかったことを「ほぼ確実に意味する」情報を伝えるのは『ヨハネ』のみだ(159頁)。また、イエスの祖父の名前が『マタイ』と『ルカ』では異なっていることについて、スィーリングは一方が本名で他方が称号だというが(148頁)、これなどは一方を読んだだけでは本名ではないかもしれないという疑問すら生じないだろう。

しかし、4つの福音書が「それぞれ違った党派の利害や関心を反映している」(105頁)のなら、どの福音書も他の福音書と一緒に――少なくとも同等の資格で――読まれることを想定して書かれたのではないことは明白だし、実際にそんなことをされたら迷惑だっただろう。それに、福音書ではいわゆる「平行記事」が相当な部分を占めること、しかも平行記事の間では、(スィーリングの指摘を待つまでもなく)諸々の出来事の順序とそれぞれの起きた場所、状況設定、登場人物、発言内容とその順序、結末などの細部に至るまで、かなりの異同があることはよく知られている。こんなものを一緒に読まされたら、「単純な」読者は混乱するばかりだろう。いや、混乱するのは「単純な」信者だけではない。イエスの祖父の名前については上記のように「解決」されているが、「知的に洗練された」読者に対して、これ以外のおびただしい異同はどのように説明されたのだろうか(実際にはイエスの死後30〜60年の間に成立した各福音書の著者は、おそらく自分の著作こそが真実を伝えていると考えていただろう。『ルカ』の巻頭にはそういうことが書いてある。もちろんこの場合の「真実」とは、現代のわれわれが考える「史実」とは異なるが。なお、4つの福音書の正典としての権威が確立したのは紀元2世紀後半、4福音書が1冊にまとめられた形で現存する最古の写本は3世紀初頭のものである)。

 3)ここまでの結論――福音書の「読者」とは誰か

スィーリングが「知的に洗練された読者」というとき、それは実は、初期キリスト教の歴史に関心を持つ(したがって『イエスのミステリー』を読んで大いに自尊心を満足させられる)現代の教養ある読者のことであり、「単純な信者」というのはそんなことに関心のない今日のふつうのキリスト教徒のことである。

また、4つの福音書を並行して読まなければ、「知的に洗練された読者」は「本当の歴史」の全体を知ることはできないが、紀元60年以前の時期にそのような読み方はほとんど不可能だったし(そもそも、最初の福音書だという『ヨハネ』が現れてから、最後の福音書が完成して4つ揃うまでの二十数年間、「知的に洗練された」あるいはペシェルを知っている読者はどうしていたのか)、仮にできたとしても、それはそれぞれの福音書と読者自身の利益に反することになる。

要するにスィーリングは、ある書物の「読者」とは第一にその書物が書かれた時代のその社会の人々である(しかもこの場合、書物の内容は彼らの同時代の歴史である)という、単純な事実を忘れているのである。

●無知と偏見

 1)植民地支配についての無知

オーストラリア人であるスィーリングは、大英帝国による植民地支配の歴史をご存じないらしい。

ピラトはユダからお尋ね者に関する情報を得ると、真夜中だというのに直ちにクムランへ出向き、その場で裁判を開いたそうだ。しかし、ユダヤの統治者である総督が、情報提供者の身元確認もせずに、自らいきなりエッセネ派の拠点に乗り込んだりするはずがない。

ローマの植民地であるガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスは、ローマの直轄領であるユダヤのクムランで捕らえられた、ガリラヤ人ではない(とスィーリングは考えている)政治犯の処遇について、ユダヤの統治者であるローマ人ピラトと交渉できたそうだ。A級戦犯の身柄を引き取ろうと、沖縄の知事が上京してマッカーサーと交渉するようなものだろう。ピラトもピラトで、ろくに取り調べもせずに、賄賂を受け取るとあっさり取り引きに応じたそうだ。植民地の最高権力者にしてはずいぶんいい加減なものである。彼は何のために、エルサレムから夜を徹してやって来たのか。

十字架は、塀で囲まれたクムランの建物の中庭、共同便所の前に立てられたそうだ。十字架刑のような残酷な刑罰の最大の目的は「見せしめ」で、だからこそ政治犯に適用されるのだ。ローマ帝国に逆らうとどんな目にあうかということを、植民地の民衆に遍く知らしめるには、ゴルゴダの丘のような広々とした場所こそふさわしいだろう。祭具室からしか見えず、不浄なためにふだんは人が寄り付かないような狭い中庭(151頁)に十字架を立てても、何の意味もない。しかも、それさえもすぐに生き埋め刑に――何とユダヤ側の要求に応じて!――変更されてしまったそうだ。大袈裟な十字架刑はいったい何のためだったのか。

十字架刑が上記の場所で行われたことの証拠のひとつとしてスィーリングは、十字架上の罪状書きがヘブライ語とラテン語とギリシャ語で書かれていたのは、これらが「そこに住んでいた学者たちが用いていた言葉であったから」(151頁)だといっているが、征服者であるローマ人がユダヤ人の学者たちのために、そんな気のきいた無意味な配慮をするはずがない。福音書が伝えるこの話が史実だとすればそれは、植民地の首都エルサレムには現地語(しかも古語)が読めない統治国人や(ヘレニズム世界の共通語であるギリシャ語なら読める)外国人が大勢いたからだろう。

十字架刑後は「原則として深く隔離され続けた」(153頁。対ローマの政治犯として処刑されたことになっていたのだから当然だろう)イエスは、紀元37年にユダヤ教諸派の幹部が集まって開かれた「ダマスコでの合同会議」の準備期間中に、彼の「最も強い反対者」であったパウロと「会衆の中で」議論したそうだが(183頁)、パウロや会衆の中の反イエス勢力は、なぜイエスが生きていることをローマに密告しなかったのだろうか。

 2)奇跡物語に対する偏見

スィーリング説はいわば、奇跡物語の「不合理」を合理的に「説明」するための理論である。すなわち、 (1)福音書に伝えられるような奇跡が実際に起こったはずがない。 (2)だから奇跡物語はすべて根も葉もない噂か創作だ。 (3)奇跡を有り難がるのは知的に単純な人間だけだ。 (4)奇跡を行うイエスと奇跡を用いずに「自らを空しくし」て十字架の死を受け入れるイエスとは両立しない。 (5)同時代の他の文書には奇跡物語が全くみられない。 (6)福音書の著者たち自身も(知識人だったので)奇跡や復活を信じていなかったに違いない。 (7)したがって、大量の奇跡物語が記録されていることには何か別の目的がなければならない。つまり、表面の物語の下に何か重要なメッセージが隠されているに違いない(以上、40〜42および154〜155頁)――これがスィーリング説の出発点である。

スィーリングの第1の間違いは、奇跡伝承の中の自然現象として起こりうることまで否定していることである。イエスに出会った病人が奇跡的に元気になったり、たったいま死んだかと思われた人間が奇跡的に息を吹き返したりというようなことは、実際にあったに違いない。もちろん奇跡ではないが、手萎えや足萎えが治ったり、唖がしゃべれるようになったなどというのは、いかにもありそうな話だ。おそらくヒステリーのような心因性の機能障害だろう。イエスには精神科医の素質があったのかもしれない(現代人がしばしば陥る誤りは、この種の「ありそうなこと」と、湖の上を歩いたり水を葡萄酒に変えたり数切れのパンで数千人を満腹にしたりという荒唐無稽な話とを、同列に論じることである。もっとも、古代人はたしかに両者を区別しなかっただろうが)。

スィーリングの第2の間違いは、奇跡と奇跡信仰を混同していることである。奇跡信仰はある種の社会状況と人間心理が生み出すもので、たいした「奇跡」がなくても、需要さえあれば容易に発生し、自己増殖する(日本の伝統仏教諸派の開祖たちも、近代以降のさまざまな新興宗教の教祖たちも、多くはその生涯が奇跡物語で彩られている。ふつうの日本人がそれを知らないのは、イエスの場合と比べて伝承の量が少ないこともあるだろうが、伝承が文書に定着して普及する幸運に恵まれなかったためでもある)。

スィーリングの第3の間違いは、科学的合理的判断力という近代的な意味での「知性」を古代人に期待していることである。当時のユダヤ人にとって、知性とは「律法解釈能力」であったと思われるが、いずれにしても知的レベルとは関係なくすべてのユダヤ人が――もちろんイエスも、キリスト教徒も――、天地創造やノアの方舟やバビロンの塔やモーセの奇跡を、文字どおりの意味で信じていたし、福音書に登場する人々はみな例外なく、人が病気になるのは悪霊の仕業だといい、さまざまな予言(預言)の成就を期待し、死人の復活さえ(サドカイ派以外は)否定しなかったのだ。イエスの奇跡や復活を信じないはずがない。奇跡を信じるかどうかは「知性」の問題ではなく、「信仰」の問題である(実は筆者は、本書の訳者である高尾利数氏の身に余るご厚意により、著者スィーリング氏に宛てて本稿と同趣旨の批判の手紙(高尾氏自ら英訳してくださった)を送ることができた。返事は本稿では省略した方法論の問題に終始し、全く期待外れだったが、唯一のまともな反論はこの古代人の知性に関するものであった。彼女は古代でも知識人や「教育のある」人たちの多くは奇跡を信じなかったし、神話や奇跡物語を科学的合理的に解釈していたと、例を挙げて教えてくれた。しかし、『イエスのミステリー』では、イエス自身と彼を取り巻く最も「知的に洗練された」「教育のある」人たちが、さまざまな予言の成就を期待して「天からのしるし」を求め、「しるし」がなかったときは予言を疑わずにその解釈を修正したりしているのはどういうわけか、という筆者の疑問は無視された)。

スィーリングの第4の間違いは、福音書の著者や読者にとって、イエスが病人を癒したこととイエスが十字架上で受難したことは、どちらも同じようにイエスが神の子であることの証拠であったことを理解していないことである。だいいち両者が両立しないというのなら、「単純な」読者たちの中にこそそのように――ただしスィーリングの考えとは逆の意味で、つまり、あれほどの奇跡を行ったイエスが自らすすんで捕まり、あっけなく殺されるなんて変だと――感じる人が多かったはずだ。とすると、奇跡物語は「単純な信者」たちのために創作されたとするスィーリングの主張は、意味がなくなるではないか。

スィーリングの第5の間違いは、イエスの奇跡や復活を伝えるのが福音書の重要な目的の一つであることを理解していないことである。同時代の他の文書はこの目的を共有していない。

スィーリングの第6の間違いは、福音書の著者たちが最も熱烈な信者であった――したがって奇跡や復活を文字どおりの意味で信じていた――ことは、彼らが福音書を書いたという事実そのものが証明していることに気づいていないことである。

仮に前記の(1)〜(6)がすべてスィーリングのいうとおりだとしても、それだけでは(7)が正しいことの十分条件にはならない。この論理的錯覚が、スィーリングの最後の間違いである。

抑圧的な社会では、人は何物かにすがりたくなる。そういう社会で新参の宗教が成功するための要件は、既成宗教を含む体制への挑戦的態度と奇跡信仰である(聖書とくに福音書の奇跡に「躓いた」経験のあるわが国の識者たちには理解し難いかもしれないが)。いつの世も権力者は、この種の運動を黙過することの危険性を本能的に知っているのだろう。イエスの場合もキリスト教の場合も、これ以外に説明のしようがないし、この説明だけで十分だ。したがって、スィーリング説は無用である。

(1998年2月28日)